雨色の幻
| 雨の色。 私にはどんよりとした紫色に見える。 暗くけだるい雨の日。大嫌いだ。 今日は朝から雨が降っている。重い空気の中、学校に向かう。その途中に雨に濡れながら歌を歌っている人を見つけた。暗い紫色の雨にうたれながら気持ちよさそうに歌っている。おかしな人だと思った。 「おはよう。雫」 「おはよぉ……」 友達の明流は少し溜息をつき言った。 「雫は本当に雨の日ダメねぇ。名前のイメージとは違う」 「そんなの私のせいじゃないよ」 雨音(あまね)雫。 雨が嫌いな私には不釣り合いな名前だろう。 放課後にはすっかり雨はやんでいた。雨は嫌いだけど雨上りは好き。 晴れて明るい空。澄んだ空気。葉の上にきらきら光る雨粒。どれもきれいだから。 この日の天気予報は曇雨。朝から雨の降りそうな空。憂鬱。 昼過ぎに雨は降りだした。帰るときにも雨は降り続いていた。歌が聞こえる。この前と同じ人が同じ場所で歌っている。やっぱりおかしな人。 それからその人を、雨が降るといつもそこで見かける。いつも気持ち良さそうに歌っている。よく聞くとその歌はとてもきれいだ。声が透き通っていて心が癒される。 朝から雨が降っている日は少し早く家を出てその歌を聞いてから学校に行く。憂鬱な雨の日も少しはましになる気がしたから。 「雫、明日朝から雨だって」 「ふぅん」 私のその応えに明流がきょとんとした表情を見せた。 「いつもならもっと嫌そうなのに今日は違うね」 「そう?」 「そうだよ。休むとまで言いだす時もあるのに」 確かにそうだ。少し前は本当に嫌だった。でも今はあの歌が聞けるから。 次の朝、あの歌を聞いてから学校に行った。この日は一日雨だ。放課後には激しい雨が降っている。まさかこの雨じゃいないだろうと思いながらその場所を通る。 そこにはいつものように歌を歌う男の子がいた。こんなどしゃ降りの雨の中気持ち良さそうに歌を歌っている。 私は不意に傘を差し出してしまった。彼はきょとんとした表情を見せる。 「何?」 「あっ……えと……風邪ひくよ?」 彼はまたきょとんとした顔を見せる。 「大丈夫だよ」 「でも……」 傘を引かない私を見て彼は言った。 「こっち来て」 「えっ?」 彼はにこっと笑って見せる。 「君が風邪引いちゃうよ」 彼に傘を差し出しているため肩が濡れている。彼は私から傘を奪うと私が濡れないように傘を差した。にこっと微笑んで歩きだす。 「あの……どこいくの?」 「公園だよ」 それから彼は何も言わず歩き続けた。 公園の四阿に入ると彼は傘を閉じ私に渡した。 「これなら濡れないでしょ?」 ベンチに座りながら彼が言う。 「うん」 しかし彼はすでにびしょ濡れである。私は鞄からタオルを取出し彼の頭を拭こうとした。 「風邪引いちゃうから……」 彼はにこっと微笑む。 「僕はいいから自分を拭きなよ」 「でも私はほとんど濡れてないし」 彼は人なつっこい笑顔を作るばかりで何も言わない。仕方なく自分の濡れた服を拭いた。彼はそれを確認すると歌を歌い始めた。だがほんの少し歌っただけでやめてしまった。 「どうかした?」 「やっぱ雨の中の方が気持ちいいなと思って」 「ふぅん」 やっぱり変わってるな。 「ねぇ名前なんていうの?」 「雫。雨音雫だよ」 「雫ね。僕は雲崎天詩(くもざきてんし)」 「天使?」 「天に詩って書いて天詩」 空中に字を書きながら言う。 「すごい……きれいな名前だね」 あの歌もきれいだしすごく似合う名前だと思った。 「何で傘に入れてくれたの?」 不意に言われた言葉にぼーっと彼を見上げてしまう。 「いつもはそんなことしなかったから」 気付いてたんだ。私がそばにいたの。 「今日は雨強かったからね」 「ふぅんそれだけ?」 「うん?」 彼は本当に人なつっこい笑顔をしている。よく知らない人なのに、初めて話した人なのに、不思議な人だと思ってたのに。 なんでなんだろう。この笑顔に好感をもってしまう。 「さっそろそろ帰ろうか」 唐突に彼が切り出した。 「あっうん。えと……また会えるかな?」 「もちろんだよ」 彼はまた人なつっこい笑顔でそう言った。 「あっでも濡れちゃう……」 「あぁもうじき雨やむと思うから大丈夫だよ」 「何でわかるの?」 彼は少し困った表情で答えた。 「なんとなく……かな」 「ふぅん。じゃあそれまで一緒にいるよ」 「いや先帰って」 「でも……」 「いいから!」 天詩は私をおいかえすような口調で言った。仕方なく私は天詩を残しその場を立ち去った。家に着く頃に雨はあがった。 それからしばらくは雨が降らず、天詩に会うことはなかった。 あれから十日ほどたった放課後。 「あ〜雨が降り始めた」 明流が言った言葉に私は外を見た。確かに雨が降っている。頭に浮かんだのは天詩のことだった。 「明流ごめん。今日買物行けない」 そう言って私は教室を飛び出した。 「あっちょっと雫?……雨が降ると行かないって言い出すのはいつものことだけど。あんな元気に帰っていくなんて何か変なの」 いつもの所に天詩はいた。いつものように歌を歌っている。私はその歌が終わるまで話し掛ける事はしなかった。 歌が終わると天詩が私の方を向く。 「また公園行く?」 「うん」 この前追い返すような感じだったのに天詩の反応は普通だ。でもこの前のことは聞けなかった。 「何でいつも歌聞いてたの?」 公園に着くと天詩が言った。 「すごいきれいな歌だったから」 思ったままに言う。 「すごいきれいな声だし心が癒される気がしたの」 天詩はしばらく何も言ってくれない。何かいけないこと言ったかな……。 「心が癒されるか……」 天詩がつぶやく。 「あの……嫌だった?」 「全然。嬉しいよ」 彼は少し照れくさそうな笑顔を作る。 「ちょっと恥ずかしかっただけ」 その笑顔に私も微笑み返した。 「雫、昨日何かあったの?」 次の日の朝、明流が問いかける。 「あんな元気に飛び出していくなんて珍しいから」 「家に洗濯物干してあるの思い出したの」 何となく言い訳をする。天詩のことをなぜかばらしたくなかった。 「ふぅん」 明流はまだ疑っているようだがそのままごまかした。 それからも雨が降ると天詩に会いにいっている。もう何回目だろう。こうして天詩と会うのは。 「ねぇいつもの歌、歌って?」 「急にどうしたの?」 「今日はあんまり聞けなかったから」 天詩はすっと立ち上がり歌い始める。少し歌ったところで天詩は止めた。 「どうかした?」 何も言わず雨の中に出る。 「やっぱこっちのが歌いやすい」 そう言いながら笑顔を作る。 そして歌い始めた。本当に雨の中の方が歌いやすいのだろう。さっきより声が綺麗だ。とても澄んでいる。心を癒してくれるこの歌。 天詩の歌が終わると私は口を開いた。 「天詩って変わってるね」 その言葉に天詩はきょとんとした顔をする。 「何?いきなり」 「雨の中の方が好きなんて変わってるよ」 「雫は雨嫌いなの?」 「うん。嫌い。なんかだるいし」 「そ……かぁ」 「天詩?どうかした?」 「いや何でもないよ」 そう言っていつもの優しい笑顔を作る。さっき淋しそうな顔に見えたのは気のせいなのかな。 それからしばらく雨は降っていない。天詩には本当に雨が降らないと会えないんだ。あの日から一度も会っていない。 私は公園にやって来た。ふと花壇を見ると花がしおれている。ずっと雨が降っていないからだ。 天詩に会いたいな。 「雨……降らないかなぁ」 口からかってに言葉が零れる。その言葉の直後、急に雨が降りだした。 「え……?」 後から歌が聞こえる。私ははっとして振り返った。 「天詩!」 天詩は歌うのをやめた。 私の目はかってに涙を溢れさせる。 「雫?何で泣いてるの?」 「天詩に……天詩に会いたかったんだもん……」 天詩は私の髪をくしゃっとなでた。 「雫、雨好きになった?」 「……いきなり何?」 天詩は優しい顔で言う。 「さっき雨降らないかなぁって言ってたから」 その言葉にはっとした。 「聞こえてたの!?」 「うん」 「じゃぁ何ですぐに声かけてくれなかったの!?」 天詩は困った顔をしてる。 「ここじゃ濡れちゃうからあそこに」 天詩が四阿の方に目を向けて言う。 「誤魔化さないでよ!」 「誤魔化してなんか……」 「だって……」 だって誤魔化してるようにしか思えないよ。教えられないことなの?私なんかには教えられないことなの? 「じゃぁ話してあげる。でも……後悔しないでね」 「う……ん」 そう言った天詩は笑っていたけど、どこか淋しそうに見えた。 風邪を引くからと四阿に入り天詩はゆっくりと口を開いた。でも雨の様子が目に入ったようだ。 「ちょっと先に歌わせて」 そう言うと雨の中に出て歌い始めた。いつもよりどこか淋しげに聞こえるこの歌。 天詩は歌い終わると私の方を見て言った。 「僕はこの歌で雨を降らせてるんだ」 「え?」 「雨が降らないと僕とは会えなかったよね?」 「うん……」 「それは僕が雨の精だから。この歌で僕が雨を降らせてるからだよ」 天詩は笑顔を作ろうとしているけど、とても辛そうな顔をしている。 私は雨の中に出た。 「天詩……」 「しばらく会いに来なかったのはね、雫が雨が嫌いだって知ったから。雫の嫌いな雨を降らせたくなかったからなんだ」 「私……」 「でもね……」 天詩は聞こえなかったのか、それともわざとなのか私の言葉を遮って続けた。 「もう雫とは会えない」 「え……なんで……」 「このことがばれちゃったから。もう会うわけにはいかないんだ。会えないんだ。この雨が止んだらお別れだよ」 この雨が止んだら?もう会えないの?嘘でしょそんなの……。 「ねぇ歌ってよ。そうすればもっと長く……」 「無理なんだ。もう僕には雨の精としての力はない。雫に話した時点で消えているんだよ」 天詩は本当に辛そうな顔をしている。 「そんな……やだよ……そんなのやだよ!」 「後悔しないでねって言ったでしょ?」 後悔?こういうことだったの? 「もう会えなくなるって知ってたら聞かなかったよ!」 私は天詩に泣き付いた。天詩は優しく髪をなでてくれた。 雨がだんだんと弱くなるのを感じる。私は天詩にぎゅっと抱きついていた。私から離れないように。 「雫、もう時間だ」 「え……」 「僕のことは忘れるんだよ」 「何言って……」 「ごめんね、ばいばい」 天詩はそう言って額にキスをして消えた。私の手は天詩をぎゅっとつかんでいたはずなのに何も残ってはいなかった。 天詩はあんなに辛そうな顔をしていたのに最後はとても優しい顔で微笑んでいた。私の大好きな顔で。 「ひどいよ……そんなの反則だよ。忘れられないじゃん」 天詩がいなくなって何日が経つのだろう。まだ全然忘れられる気がしない。あれから何回か雨が降っている。今日も雨だ。この雨は誰が降らしているのだろう。 「雫は本当に雨嫌いだね」 「明流……」 嫌いなわけじゃない。天詩が降らしてくれるなら……天詩に会えるならずっと降っていたってかまわない。 ぼーっとしていても体は勝手に動くものだ。チャイムが鳴って先生が来て号令がかかれば体は動く。 そんなぼーっとした頭の中を一つの言葉がはっきりさせた。 「雲崎天詩です」 慌てて教壇の方を見る。目に入ったものは天詩の姿だった。 「天詩!」 思わず立ち上がり叫んでしまった。みんなの視線が集まり私は慌てて座った。 「何だ知り合いか?」 「はい」 先生の言葉にそう答える天詩。 「じゃぁ雨音にいろいろ教えてもらえ。席も丁度隣が空いてるな」 それを聞いて前にいる明流が言う。 「どこで知り合ったの?けっこうかっこいいじゃん。雫の彼氏?」 「なっ……ちがっ……」 「何が違うって?」 「天詩……」 天詩が椅子に座りながら聞いてきた。明流はいつのまにか前を向いている。 授業が始まるとぼーっとしている私の机を天詩が叩いた。そしてノートを私の方に向ける。 『何が起きているのかわからない?』 私は一つ頷いた。それを見て天詩がペンを走らせる。 『あとで話してあげるね』 天詩はあの大好きな優しい顔で微笑んだ。久しぶりに見たせいなのかドキドキする。 今日は天詩のことが気になって授業に集中できなかった。 「雫?何ボケッとしてんの?もう授業終わったよ?」 「え……嘘……」 「雲崎君のことでも考えてたな?」 「そっ……そんなわけないよ……」 明流は見透かしたように言う。 明流と話していると天詩が教室に入ってきた。私には何も言わずに鞄を持つ。私は明流がいるため声をかけられない。 そのまま帰っちゃうのかなと不安になり天詩を目で追う。ドアの所まで行くと天詩は振り返った。 『公園で待ってる』 口パクだったが何となくわかる。私は小さく頷いた。 「雫?」 「ん?何でもないよ」 本当は今すぐ天詩を追いかけたい。でもそうするとまた明流に疑われそうだし……。 「帰りたい?」 でも明流には見抜かれていたようだ。 「何で……」 「雲崎君のこと好きなんでしょ?」 「……うん」 「いいよ行って」 「ごめん明流。ありがと」 私は早く天詩に会いたくて早く天詩と話したくて走って公園まで行った。 「天詩!」 「雫?どうしたのそんなに慌てて」 「あっと……早く会いたかったから」 天詩は少しきょとんとした顔をしたあとくすっと笑った。 「……おかしかった?」 「いや?そんなことないよ」 「だって笑ったじゃん」 天詩は私の髪をくしゃっとなでた。 「嬉しかったんだよ」 鼓動が早くなるのを感じる。 「何で……ここにいるの?」 一番気になってることを聞く。 「何か神様が人間にしてくれたんだ。それで雫と同じ高校に入れてくれた」 「そんな簡単に……。親とかどうなってるの?」 天詩は首を傾げて言った。 「さぁ?よくわかんないけど神様がやったことだし大丈夫なはずだよ」 「じゃぁずっとそばにいられるの?」 天詩は私を抱き締めながら言った。 「うん。ずっとそばにいる。もう離さないよ」 「天詩……」 涙が溢れてくる。 「何で泣くのさ……」 「嬉し泣きだもん……」 天詩は私を体から離し指で涙をぬぐう。そして一つ額にキスをした。 「天……」 そして今度は唇にキスをした。顔が熱くなり鼓動が早くなる。そしてまた強く抱き締められた。 「嫌だった?」 天詩が不安そうな声をあげる。 「いきなりあんなことしちゃ……」 「嫌なわけないじゃない」 顔をあげ天詩の顔を見る。 「天詩なら嫌じゃないもん」 天詩はまた髪をなで抱き締めてくれた。 「雫、昨日どうだった?」 次の朝明流が嬉しそうに声をかけてくる。 「どうだったって?」 「デートしたんじゃないの?」 「でっデートって……そんな……」 どう言っていいのかわからない。だってあれはデートって言うのかな。 昨日のことを思い出し顔が熱くなる。 「いいじゃん雫、隠さなくても」 後から天詩の声が響く。 「天詩……」 「雲崎君、雫とどこで知り合ったの?いつから付き合ってるの?」 明流は質問の先を天詩に変えた。 「それは教えられない」 天詩はそれを軽く交わそうとする。 「えー何でよ」 「うーんまぁ付き合い始めたのは昨日かな?」 「昨日!?」 天詩の答えに明流は驚きの声をあげる。 「まぁね」 嘘ではない。その前まではあの日で終わっている。 それにお互いに気持ちを伝えていない。わかっていなかった。 「雫どういうこと!?」 「お互いの気持ち知らなかったの」 明流はまだ疑っているがそれ以上は何も言わなかった。 「何でだろうな」 放課後の屋上で天詩がポツリと呟いた。 「何が?」 「雫に僕の姿が見えたの」 何を言っているのかわからない。姿が見えることなんて普通のことだ。 「雨の精は普通ね、人には見えないんだ。でも雫には僕の姿が見えて声も聞こえていた。本当に不思議だよ。嬉しいけどね」 天詩はまた優しい笑顔で言った。 「神様がきっと出会わせてくれたんだよ」 「……そうだね」 雨が振り出す。 雨に濡れてしまうので教室に戻った。 「ねぇこの雨は誰が降らせてるの?」 天詩がいなくなってからずっと気になってたことを聞く。 「新しく雨の精になった人じゃないかな」 「へぇ。どんな人何だろ。見てみたいかも」 天詩は苦笑いしながら言う。 「雫……そしたらまた雨の精変わるようだよ」 「あっそか」 天詩は私をそっと抱き寄せる。 「ねぇ雫、雨好きになった?」 雨の色。 今でも私には紫色に見える。 でもそれはどんよりした色ではない。 明るいきれいな紫色だ。 雨はもう嫌いじゃないよ。だって天詩と出会わせてくれたから。 幸せを運んできてくれたから。 |