閉ざされた言葉

 

 僕は言葉をなくした。
 そう君がいなくなってから僕は言葉が出せない。
 だって言葉を教えてくれたのは君だったから。
 君がいなくなったのなら言葉なんて無意味なんだ。
 君がいなくなってしまったから――。

 思えば僕はしゃべっていた期間はものすごく短い。中学のほんのわずかな時間……それまで言葉なんて知らなかった。
 言葉を知らないわけじゃない。他人が言っていることはわかるのだから。僕は言葉をしゃべることを知らない。だって誰も教えてくれなかったから。
 仕事ばかりしている両親は僕をいつも独りぼっちにした。小さい頃からずっとずっと。
 小学校に入学しても僕はしゃべることをしなかった。だってしゃべったことなんてないのだ。何を言っていいのかわからない。それでも生きていくことは可能なんだ。
 僕が言葉をしゃべり始めたのは中学で君と出会ってから――。

 小学校と中学校は区域が違う。
 中学一年、僕は君――遊梨(ゆうり)と出会った。面倒見のいい遊梨はしゃべれない僕に言葉を教えてくれた。僕の声を引き出そうとしてくれた。僕の名前を呼び続けてくれた。
「枩斗(まつと)、まだ声出してくれる気にならないの?ほら自分の名前言ってみてよ。ねぇってばぁ」
 一生懸命そう言ってくれる遊梨に僕はいつも笑ってしまう。
「あーまた笑ったなぁ。何がおかしいのよ、もぅ……」
 朝の始まりはいつもこうだ。毎日毎日、遊梨は僕に話しかけてくれる。飽きないのかなと少し疑問に思ってしまうけど嬉しかった。今までこれほど僕に話しかけてくれた人はいなかったから。
 僕が始めて声を出したのは遊梨と出かけた日のことだった。

 朝から二人で出かけていた。街を二人で歩き映画を見たりショッピングをしたり。何もしゃべらない僕に嫌な顔ひとつせず、ずっと話をしてくれた。
 昼を過ぎ街は人が多くなっていた。僕はふと隣をみると遊梨の姿が消えていた。はぐれてしまったのだ。僕はもと来た道を戻り遊梨の姿を探した。けれど遊梨を見つけることはできなかった。
 どうしたらいいかわからなくなった僕は近くの公園のベンチに座っていた。
 そのうち後ろから声が聞こえた。
「あーいた枩斗。もう心配したんだよぉ?」
 その声を聞きほっとした僕は遊梨に抱きついていた。
「枩斗?どうしたの?怖かった?」
 嫌がった様子も見せず遊梨は僕に言った。そして僕はいつも途中でつっかえてしまうものを外に出した。
「遊梨――」
「え?枩斗……声……」
 遊梨は驚いた表情を見せた。そして僕はさらに遊梨を驚かせる言葉を言った。
「――好きだ」
 しばらく遊梨は何も答えてくれなかった。ダメなんだろうな――僕は思った。
「うん。私もだよ」
 予想もしなかった答えだ。だって僕は何も言えなかったのに。遊梨にすごくつまらない思いをさせてきたのに。それなのにどうしてそんな嬉しいこと言ってくれるんだ。
「好きじゃなかったらね、枩斗の声聞きたいなんてこんなに思わないよ」
 僕の考えていることを察してくれたのか遊梨は言った。
「遊梨……・ありがとう」
「お礼なんて言わなくていいよ。ずっとしゃべりたかったのは私のほうなんだから」

 その日の夕方。遊梨は太陽が沈むのがすごくきれいに見える場所に連れてきてくれた。
「ここ私のお気に入りの場所なんだよ」
 そう言った遊梨の表情はいつもより穏やかだった。
 夕日に照らされた遊梨の顔がいつもよりきれいに見えた。そして僕をドキドキさせた。
「教えていいの?俺なんかに……」
 遊梨はきょとんとした表情をこちらに向けた。
「どうして?好きな人とこんな景色見れたら私は幸せだよ」
 にっこり微笑んで遊梨は答えてくれた。嬉しくてしょうがなかった。
「そうだ!」
 遊梨が何か思いついたように言った。
「誕生日おめでとう、枩斗」
 少しの間呆然としてしまって言葉が出なかった。
「え……俺の……誕生日……。あぁそうか今日だっけ……自分で忘れてた」
 だって祝ってもらったことなんてなかった。両親はいつも忙しくて『おめでとう』の一言さえ言ってくれなかったんだ。
「知っててくれたんだね」
 それを聞いて遊梨は少しがっかりしたように言った。
「だって七夕と同じ日なんて忘れないよ。でも……やっぱり知らない……か」
 遊梨は後ろを向き少しうつむいて言った。
「今日はね私の誕生日でもあるんだよ」
 遊梨の言葉がズキッと胸に刺さった。あぁ僕はなんてことを……好きな子の誕生日すら知らないなんて。しかも今日は七夕。普通なら忘れないような日だ。
「ごめん……俺……本当に……」
 遊梨はくすっと笑い言った。
「いいよ、だって最高の誕生日プレゼントもらったもん」
「え……?俺何もあげてない……」
 遊梨は笑っている。何がそんなにおかしいんだ。だって本当に僕は何もあげてない……。
「枩斗の声だよ。ずっと聞きたかったんだもん。それに一番ほしい言葉をくれた。『好きだ』って言葉」
 最高のプレゼント――最高の言葉。
「じゃぁ俺もだね。遊梨から最高のプレゼントもらった。きれいな景色と遊梨の言葉」
 その言葉でお互いふきだしてしまった。
「七夕の願い事も叶ったんだよねぇ」
 遊梨がふとつぶやいた。
「何願い事したの?」
 遊梨がにっこり笑って答えた。
「枩斗に名前を呼んでほしい」
「すっごい願い事だなぁ」
「だってずっと待ってたんだもん。枩斗が声だしてくれるの。それで私の名前呼んで好きだって言ってほしかったんだもん……」
 少し顔を赤く染めて遊梨は言った。
 本当に幸せで最高な誕生日。

 思えば僕は小さい頃は声を出していたんだ。誰にも聞かれたことはなっかたけれど。
 独りぼっちの家でいつも『パパ、ママ、帰ってきて。早く帰ってきて。一緒に話をして』そういつも言っていた。でもその願いは叶うことはなかった。そしていつの間にか僕は声をなくしていたんだ。
 心のどこかに言葉を閉じ込めていた。

 あれから遊梨との楽しい幸せな日々が続いていた。ケンカをしても二人が壊れることはなかった。
 しゃべれるようになった僕は友達もできた。
 本当に幸せな日々が続いていた。
 そしてその幸せが壊れたのは――次の年の七夕の日だった。そう僕と遊梨の誕生日の日だ。

 その日二人は一年前と同じように朝から出かけていた。街をぶらぶら歩き映画を見てショッピングをして。途中でお互いにプレゼントを買った。
 おそろいの指輪――ペアリング。二人で指輪をはめ『幸せだね』って言っていたんだ。夕日のきれいな場所で。
 そして夜になった。そこは夜景もきれいな場所だった。そこで二人でキスをした。初めての――ファーストキス。
「今年のプレゼントも最高だね」
 顔を赤く染めて遊梨が言った。数時間後にこの幸せが壊れるとは予感もせず――。

 僕は遊梨を家まで送っていた。家まで送るはずだった。
「そこ曲がってすぐだからここまででいいよ」
「そう?じゃぁまた明日学校でね」
「うん。また明日」
 本当に家はすぐそこだった。だからもう心配ないと思いそこで別れた。

 家へ帰るとまもなく電話がなった。
「もしもし」
『あっ枩斗君?』
 クラスの女子からの電話だった。遊梨の友達の。
「うん。どうかした?」
 彼女は焦っているようだった。そしてためらいがちに言った。
『遊梨が……さっき事故にあって――』

 僕は家を飛び出した。そして病院まで急いでいた。
『――意識不明の重体だって。家のすぐそばで道路に飛び出しそうになった子供をかばって――』
 病院に駆け込み手術室に着くと――。
「遊梨さんは――」
 僕は息を呑んだ。
「残念ながらお亡くなりになりました」
 頭が真っ白になった。遊梨が死んだ?嘘だろ?さっきまであんなに元気だったのに。
 親や友人の鳴き声が病室に響きわたっていた。僕は何も言えなかった。言葉が出てこなかった。
 遊梨の名前さえも呼ぶことができなかった。

 この悲劇は遊梨があの時ああ言わなければ起こらなかったかもしれない。そしてその言葉を僕が受け入れなければ起こらなかったかもしれない。でももう後悔しても――遅かった。遅すぎた。
 僕は小さい頃と同じように独りぼっちの家で名前を呼んでいた。
『遊梨、遊梨、どうしていなくなったの?僕を置いていなくならないで。僕の元に帰って来て』
 でもこの願いは叶うことはなかった。
 また僕は声をなくした。心の奥に言葉を閉じ込めた。

 あれから一年の時が過ぎようとしている。僕はまだ声を出せないでいた。中学三年――進路を決めなきゃいけない歳になっているというのに。
 先生や両親から高校進学は無理だと言われていた。しゃべれないのに高校に進学することは無理だろうと。俺もそうだろうと思っていた。
 それでも言葉は心の奥につっかえて出てこないのだ。

 事故からちょうど一年後。七夕――二人の誕生日の日。
一年前と同じように――二年前と同じように――僕は朝から出かけていた。一人で映画を見て一人でショッピングをして――楽しいわけがない。
 僕が遊梨と始めて話した公園。両思いになった公園。あのベンチに座って一人ただ時が過ぎるのを待っていた。太陽が沈む時刻になり僕はあの場所に向かった。

 その場所に僕は一人の女の子を発見した。思わず僕は叫んでいた。
「遊梨!」
 驚いてその女の子は振り向いた。
「え?何?」
 そう遊梨なわけ――ないのだ。
「あっ……ごめん……。人違い……」
 何やってんだ僕は……。
「その『遊梨さん』って人あなたの彼女?」
 彼女は突然聞いてきた。
「あっうん。あっ……いや……ちがう……のかな」
 不思議そうな表情で彼女は僕を見つめる。
「ちょうど一年前の七夕の日……交通事故で死んだんだ」
 なんでだろうな。ずっと声は出てこなかったのに。彼女には普通に話せてしまった。
 最初に君の名前を叫んでしまったから?
 いや――ちがう。彼女は君に――遊梨の雰囲気に似てるんだ。
 僕を安心させてくれる――僕を幸せにしてくれる遊梨の雰囲気に似てるんだ。だから遊梨を死んだことを言えた気がした。
「そうなんだ。今も『遊梨さん』のこと思っているの?」
 今も遊梨のこと?あぁ思っているさ。僕の言葉を解放してくれた大切な人。それにさっきまでは本当に本当に君を愛していたよ。
 でも今は――彼女に惹かれ始めている。
「あぁ今でも大切に思っているよ。さっきまでは本当に愛してた。でも今は――」
 思ったことすべて口にしていいのか?このまますべて言ってしまっていいのか?僕は少し戸惑いそこで口を止めた。
「今は何?言ってよ」
 彼女のその言葉と笑顔で戸惑いは消えた。
「――君に惹かれている」
「じゃぁ私を『遊梨さん』以上に愛してくれる?」
「うん。愛すよ」
「よかった。最高の誕生日プレゼントをありがとう。枩斗君」
「え……どうして俺の名前……」
「私、遊梨の双子の妹なの。病気がちで学校には行ってなかったから知らないと思うけどね。枩斗君のことは遊梨から聞いてたし、病院であの日見たから……。私遊梨から話を聞いていたときから好きだったんだ」
「遊梨の……妹……。だから雰囲気が似てるのか。それに僕の言葉を引き出してくれた。――ねぇ……名前は?」
「優羅(ゆうら)」
「優羅、最高の誕生日プレゼントをありがとう」

 それから優羅と幸せな日々の始まりだ。
 優羅は病気がよくなったから二学期から学校に行くことが決まっていた。家庭教師を頼んで勉強してたため学年は同じだ。遊梨と過ごしたような幸せな日々が今僕には続いている。
 遊梨――君の事を今でも本当に大事に思っているよ。そしてずっと愛しているよ。でもそれはもう恋愛ではないから――。
 今の恋の相手は優羅なんだ。優羅のこと必ず大切に――幸せにするからね。天国で――見守っていてほしい。
 僕の言葉を――閉ざされた言葉を開放してくれた大切な大切な人。