どうしても欲しかった物がある。
奪い取ってでも手に入れたかった。
血反吐を吐いても、泥の中を這いずってでも自分のものにしたかった。
けれど駄目だった。
自分の手には入らなかった。
両の手で掴み取って誰からも取られないように固く固く握りしめたら、その手が焼けた。抱え込もうとして、肌が焼けた。喉が焼けて、悲鳴もあげられなかった。
子供の頃から夢に見るほど願って、焦がれていた物は自分のものには、ならなかった。
スクアーロの様子がおかしい。気付いたのは二週間近く前だ。
書類を手渡したあと、なかなかその場を去ろうとせずに物言いたげな顔をする。 セックスのあと、痩躯に覆いかぶさったまま心地よい疲労感とまどろみの中で動きたくなくなり、眼下の首筋の横に鼻面を埋めてシャンプーと、彼の淡い汗の匂いの混ざり合った 甘いような、落ち着くような香りを嗅いでいるザンザスに、「あのよぉ…」と声をかける。 重いとでも言う気か、生意気な。先程までのどこかしら濡れたような鳴き声から、もう普段の耳障りな声に戻ってしまったそれにちらりと視線を向けてやると、 やっぱいい、と呟くように言って目を逸らして、ザンザスの肩に鼻先を擦りつける。尖った鼻が少し冷たい。
他人が言うのを止めたことにまで興味が湧かないのがザンザスである。腹心スクアーロが相手だとて、その例外ではない。けれども腹心、そして恋人(愛人にするならばもっと都合の良い、ついでに頭も良い相手を選んでいる) ともなれば、屋敷に居る日は一日に何回も顔を合わせることになる。さすがにその度に、ではないけれど何回かに一度物言いたそうな顔で何も言わず、あるいは言いかけては止め、とされていたらザンザスでなくても苛々してくる。 苛々して、やっと肩甲骨を過ぎた辺りの髪を引っ掴んで机に叩きつけて、その拍子にコーヒーカップが倒れて、生ぬるいコーヒーがザンザスの手とスクアーロの髪の毛にびちゃりとかかる。机に流れるコーヒーを掴んだ頭で拭って、ようやく手を 離すとぽたぽたと垂れる褐色を押さえながらそれでも口を割ろうとはしない。いい加減に馬鹿らしくなって、そのことに関してもう何も思うまいと思った。もし話し出しても、絶対に耳を貸してやるまいとも思った。スクアーロも頑固な男だが、ザンザスも意志が固いでは済まないほど頑固な男であった。
そうしてザンザスが我関せずを決め込んでから、十一の夜が過ぎた。朝、日が昇って黄金の光で地上を照らし、花の香りの漂う爽やかな昼、あるいは肌寒いような静かな雨、そして消滅する星のように燃え盛る夕日、燃え尽きる夕暮れ、煮詰めたようにとろりと濃い夜闇。それが十一、繰り返された。
その間もスクアーロの煮え切らない、言いたいのか言いたくないのか分からない行動は続いていたが、次第に、物言いたそうな顔で口を閉ざしているよりも言いかけて止める、という方が多くなってきていた。無論、ザンザスはそこに関して見ない振りを続けていたからそのことには気付かない。
十一の夜が繰り返され、十二番目の昼が過ぎ、やがて夜半になり彼らがベッドに縺れ込んだ時、スクアーロがはっとしたようにザンザスの肩を押し返した。
「ちょ…っ、ちょっと待ってくれボス」
「あ゛あ?」
寝具の上で多少嫌がるような素振りを見せるのは彼の癖のようなものであるから、ザンザスは構わずに隊服の上着をたくし上げてベルトの下からシャツを引っ張り出し、薄っぺらく脂肪のない所為で冷たい腹を撫でさする。これで首筋か耳の外側の軟骨にでも噛みついてやれば、スクアーロの手は力をなくす筈だ。
「だから待てって言ってるだろうがぁ!」
けれど、ザンザスが口を開けた所で、スクアーロの腕に突き飛ばさんばかりの力が篭められた。抵抗するのを押さえ込むのも悪くないが、これでは自分ばかりががっついているようで面白くない。興を削がれた気持ちで首筋まであと一秒、という位置にあった顔を上げる。シャツと上着の裾をぐちゃぐちゃに乱した手も、そのまま引き抜く。
玩具を取り上げられた子供そのものの表情で向き直るザンザスに、スクアーロは起き上がって上着の内側のポケットを探る。程なくして、ビロード張りの小さな箱がレザーの手袋の指先に摘ままれて現れた。そうしてそれを、両手ごとザンザスの方に差し出し、中身を見せるように蓋を開く。
ひどく大切そうに、それでいて躊躇うような様子で小箱を開く彼の横っ面を、ザンザスの手が音高く打った。よもやいきなり手が飛ぶとは思わず身構えていなかった彼の髪が、風に膨らむカーテンのようになびいた。 見張られた青みがかった白目の中で丸い瞳孔が一層小さく見えた。彼の手の中で開かれかかっていた小箱から、一つの指輪が照明に閃いて床に落ちそれでもなお視界の端に眩く映る。 彼の首が正面に戻らずまだ打たれたまま横を向いている内に、髪に指を絡めてヘッドボードに勢いをつけて押しつける。鈍い音が響いて、スクアーロは一瞬天地左右の感覚を無くした。横目で見上げたザンザスは、猛獣の形相だ。
「そんなに物欲しそうに見えるか?」
スクアーロから見ると逆光で黒い影となったザンザスの目だけが爛々と赤い。ナイフで削いだ顎を下の歯列の感触が分かるほど強く掴んで、無理に上を向かせて揺さぶる。つむじが、がつがつとベッドボードに何度も打ちつけられる。 声もなく与えられる衝撃と痛みに耐え、どうして良いか分からない呆然とした表情を浮かべるばかりのスクアーロを彼は何度も殴った。平手が拳になり、ベッドで弾む体を蹴りつけ踏みにじった。近頃では稀に見るような暴行だった。
唇に血の粒を固まらせ、頬に赤黒い痣を咲かせたスクアーロが気絶すると、ようやくザンザスは彼の体の上から退いた。彼の方も、疲弊してしまっていた。踏みしめた絨毯の上で、靴の切っ先近くに輝いていた指輪を、拾い上げてみる。そこに据えられたのは瑞々しい石榴の一粒。歯を立てれば今にも甘酸っぱい果汁が弾けるような大粒の果肉。そう見えるほどの、貴石であった。
貴石はザンザスの燃える瞳と同じ色で、彼の手指にしっくりと合った。指を曲げてもまるで昔から肌身に付けていた物のように馴染み、光を受けた時にだけ口に含みたくなるほどの瑞々しさで煌めいた。
中指に光る指輪を見下ろすザンザスの頭上で柱時計が鳴った。ねじ巻き式の何世代前からあるか定かでない時計は12回、ボーンボーンと低く鐘を響かせた。十月十日になっていた。