新しいものは上に追加していきます


期間:2011/10〜2014/3 ザンスク in Kyoto その肆





見上げるさきには、どこまでもどこまでも、赤い鳥居がつらなっている。遠近感が狂ってしまいそうな光景に、ザンザスは目を細めた。

「お゛お、写真の通りだぁ!」

隣を歩くスクアーロが感嘆の声をあげる。黒い革手袋に包まれた片手には、ガイドブックが握られていた。三百六十度どこからどう見ても外国人な銀髪の男が、首ごと視線を上げて感心しているさまに、周囲が小さく笑ったのを感じる。微笑ましい、と言わんばかりの温かな笑いだ。しかし、そんな視線を向けられるなんてむず痒くて堪らないザンザスは、隣の男の手からガイドブックを奪い取って、それをくるりと丸めて男の額を打つ。ぱこん、とまことに良い音がした。中が空洞同士相性が良いのだろう。

「う゛お゛ぉい殴ることねーだろ!」

「喚くなうるせぇ」

 鬱蒼と茂った木々に囲まれて、ふたりがいる場所も、見上げる先も昼なお暗い。もっと首を反らせて真上を見上げてみると、そこでやっと晴れた空が見えた。空は青く晴れているのに参道がこんなにも暗いだなんて、まるで本当に下界と隔絶した場所にいるようだ。うすぐらい森の中でひたすらに続く朱塗りの鳥居をくぐりながら、彼はそう思った。
奥社をすぎ、竹林へ差しかかると周りの人々も減ってくる。その辺りから急に勾配がきつくなり、日が更に遮られるのだ。石段も赤い鳥居にも終わりは見えず、鳥の鳴き交わす声だけが大きい。
それでも一旦鳥居と石段が途切れて、辺りが広く拓ける場所まではまだ上ってくる人がいる。広く拓けたその場所では鬱蒼と茂っていた木々すらもまばらになり、氷、と書かれた旗を下げた茶店があった。柱は古び、店先から見えた畳は日に焼けて茶けた色をしている。ともすると二十年前も二十年後も、変わらぬ姿でここに存在していそうな店だ。
そこに背を向けて平たく大きな岩の上に立てば、目の前には青い空とミニチュア模型めいた街並みが広がっている。空と街とでちょうど二分割されるかのような視界は、これまでの視界が狭かった分ひろびろとして心地が良い。

「良い景色だなぁ」

息なんぞひとつも切らしていないスクアーロが、街を見下ろして言う。もちろんその横顔には汗のひとつも浮かんでいなかった。
ザンザスとて同じだ。ここまで上ってくるのに呼吸は乱れないし、足だって少しも重たくない。石段はその一段一段が普通の階段よりも低く作られていて、そのくせに次の一段までの間隔が広いから少々歩きづらい。歩きづらいが、息が切れるほどのものではない。

「あの、写真…撮ってもらってもいいですか?ここ押すだけなんで…」

当人はそのつもりはないのだろう、しかしやたらに大きく響く日本語を聞きつけてか、若い女がおずおずと話しかけてきた。口を開かなければ外見からして日本語が通じるか怪しい自分たちに頼まなくとも、と思ったが、スクアーロがカメラを受け取った時、辺りには茶店の店番の老婆が一人と、やっとここまで上ってきたらしいカップルが一組息を切らしているだけだった。空と街並みをバックに、話しかけてきた女とその友達らしいグループの写真を撮ってやり、ふたりは更に上を目指す。どうせ来たのだから、頂上まで上って一周するつもりなのだ。
眺望が美しかった辻をすぎると、いよいよ辺りに人の気配がなくなる。鳥居は山のふもとの、参道の入り口にあったものよりも二回り以上も小さくなり、すこし手を伸ばせば貫に触れることができるだろう。通る人が少ないからか、石段には木の葉や砂利が乗っている。鳥の鳴き声どころか、羽ばたく音さえも聞こえそうなくらいの静けさだ。

「全然人がいねぇなぁ。もうちょっとで頂上だぜぇ」

「あそこが出口じゃねぇのか?鳥居が途切れてる」

男女のカップルなら良いだろうけど、日本人の平均よりも少々体格の良い彼らが二人並んで歩くには、この道は少し狭い。もし向こうから下りてくる人がいれば、縦に並ばなければ通ることができない。ふもとから数えれば一時間、いやもっと歩いただろうか。とにかく延々と鳥居の朱色ばかりが目に入ってきて、さしものふたりも歩いた時間を忘れそうになったころに、ようやく終わりが見えた。

「ん゛?」

ちょうどその時、こちらへ向かって歩いてくる人がいた。歩いてくるのは黒い着物を着た女だ。逆光になっているから顔の造作まではわからないが、華奢な体に、金色の帯を締めているということはわかった。彼女が近付いてくるにつれて、きついおしろいのにおいがふたりの鼻先をつく。着物に刺繍された珠沙華の緋色が、鳥居の朱色と同じくらいあざやかに見えた時には、おしろいに混ざって何か他のにおいがかすかに感じられた。

「…おい」

女とすれ違うためにスクアーロがザンザスの後ろへと下がる。すれ違う瞬間に女の着物のたもとが、ふっとザンザスの手をかすめた気がした。おしろいとそれに混じった違うにおいが一層強くなり、女はザンザスの横を通りすぎた。女が通りすぎても横に並ばないスクアーロを、ザンザスが振り返る。

「スクアー…ロ?」

「ボス!」

そこには、銀の髪を肩をすぎるくらいに伸ばした姿の、少年の日のスクアーロの姿があった。背丈はザンザスの肩を越えるか越えないか、といったところだろうか。大人になりきらない成長途中の骨組みはどこかアンバランスで、肩は骨ばっているのに頬の線がまだまろい。成長が間に合っていないかのような首はひょろりと細く、ザンザスの手にかかればぽっきりと二つに折れてしまいそうなくらいだった。

「早く行こうぜぇ!」
 うす暗がりの森の中で、銀の髪があわく光を包んでいるように揺れる。成長過程のアンバランスな体格も、おそらくまだ伸ばしはじめて一年か二年しか経っていないだろう髪の長さも、どちらもザンザスの記憶にはない姿だ。振り向いたザンザスを見上げたスクアーロは、ひとかけらの陰りもない笑顔で彼の手を取った。
その左手が、手袋越しにでもかすかに温かい。

「てめぇ…」

人の体温をもった左手が気持ち悪くて、ザンザスはスクアーロの手を振り払った。少年のスクアーロが、悲しそうに眉を下げる。

「ダメかぁ?」

「駄目だ」

甘えるような声音で問いかける少年に背を向けた瞬間、ふたたび強いおしろいのにおいが香った。同時に、おしろいのにおいに混じっていたものがなんなのか、ザンザスには分かった。
これは、獣のにおいだ。

「ボス?」

気づいたと同時に、いましがた聞いた声よりももっと低い声が、隣から聞こえた。

「どうしたんだぁぼーっとして。もうすぐだぞぉ?」

「…、…」

「おいおい、本当に大丈夫かぁ?」

三十路をすぎた男の顔を、背中に流れる長い髪をまじまじと見つめるザンザスの前で、見られている当人が黒い手袋を嵌めた手を、ひらひらと振る。

「どうしたぁ…?」

左右に揺らされる手を取って、ザンザスはやっと安心した。それは冷たく固い、金属の手だった。

「てめぇ、女は見たか」

その手を離す気になれなくて、ザンザスはふたたび石段を上りながら隣の男に問う。男も手を離せとは言わない。辺りに人も居ないから、ただそれを握り返して鳥居を潜っている。

「女って黒い着物着た美人かぁ?」

「そうだ。…信じたくねぇが、化かされた、ってやつか」

「はぁ!?」

ようやくふもとから延々と続く鳥居をすべて潜り、石段をすべて上り終えて頂上へ着いたというのに、その感慨もなくスクアーロは素っ頓狂な声をあげる。そうして黒いコートの肩をわなわなと震わせて、いま来た道を引き返そうと振り返る。

「狐だかなんだか知らねぇが、うちのボスさんに悪さするなんて叩き斬ってやる!」

山頂にとどろく大声に、ザンザスが眉を顰める。勝手に下りていかないように彼の手首を掴み直して、出会った時から変わらず血の気の多い部下に溜め息を吐いた。

「やめとけドカス。ここでそんなことして、祟られるぞ」

「祟りが恐くて暗殺部隊やってられるかぁ!」

「面倒くせぇ奴だな、俺が良いと言ってるんだから良いんだ」

眼下には霞みがかった小さな街並みが広がり、空は手を伸ばしたら届きそうなほど近い。
せっかく他に人もなく静かな場所なのに、ここにはいま、スクアーロの声ばかりが響いている。眺望を楽しむよりも参道ばかりを見る男にふたたび溜め息を吐きながらも、ザンザスは自分が掴んでいる固い左手と、三十路がらみの横顔にどこか安堵していたのだった。
たしかにいまだに自分は、自分が見逃したスクアーロの八年間を見たがっている。自分のために伸ばされた髪が伸びていくさまが見られなかったことは惜しい。
けれど八年の間もいまも、これはいつだって自分のものなのだと思うと、隣で喚き立てる男を殴る気にはなれないのであった。





期間:2011/4〜10

ザンスク in Kyoto その参





夜の公園に、ふたり分の足音がひびく。
ひびく、とはいっても大きく鳴るのは一方の靴音だけで、もう一方の靴音はといえばごく静かに、衣擦れほどの音しかたてない。他に人影のない暗がりの中を、こつこつこつこつと、大きいほうの靴音は急いでもいないのにせわしなく進んでいく。

「静かだなぁ」

花びらの散った道を踏みしめて、スクアーロが言う。昼間は花見客で騒がしかったその場所で、いま彼の声はとおい夜空に届きそうなくらい大きく聞こえた。

「てめぇさえ喋らなければな」 「あんたも喋ってるじゃねぇかぁ」

挙げ足をとられた男が唇を引き結ぶ。彼の唇は肉厚だから、への字に曲げるとすこし尖らせているようになる。
立木の枝に張られたロープに吊るされた提灯から、橙色の光が落ちて彼らの足元を照らしている。
夜目の利くふたりには多すぎるほどの灯りだったし、それに提灯の中身は本物の炎ではなくて風に揺らぐように点滅する電灯だということも知っていたけれど、それでも、閉じた露店や白い花びらが落ちた道は風情があった。
提灯の橙色に照らされて、スクアーロの長い髪もあたたかな色味を帯びている。
彼の髪は色素をわすれてきてしまったかのような、冷たく冴えた銀色だから、夕日に照らされれば血に浸したような赤に、朝焼けに照らされれば空に溶けていきそうな薄紫色に染まった。
黒いコートの背は細い。けれどこの上り坂を歩く時もそれはまっすぐで、頼りなさなど感じない凛とした背中だ。
赤い目がそれを追う。
この国の人間どころか、彼の母国ですら珍しい真っ赤な双眸の持ち主は、髪も黒、コートもスラックスも靴も黒だから、夜闇のなかではその目がいっそう際立った。
足音と、かすかな衣擦れだけをたてながらふたりは歩く。

現代に残る花街のひとつ、一等有名な界隈の奥に鎮座する神社を抜けたところにある公園は、桜の名所のひとつである。
かつての都には、両手の指では足りないほどの名所があるけれども、その中でもここは、枝垂れ桜が有名だ。
普通の桜、いわゆる染井吉野も咲いているし、その下には花見席が設けられてもいるけれど、枝垂れ桜は別格だ。

神社の境内を抜け、閉じた露店が並ぶ道をのぼったところ、公園の中央の、まるでステージのような石段に植えられた桜は、昼は見物客らのカメラに、夜はライトアップの白い光に照らされ、この公園の主のように人々を見下ろしている。
見事な枝ぶりの腕を広げて地面に垂らす、まさに枝垂れ桜という名に正しい姿を見上げ、普段よほどのことでは驚かない二人もちいさく息を洩らした。
白いライトに照らされた姿は、樹木というよりも生き物じみていて、今にも枝が動き、幹がくねりだしそうだった。
その枝いっぱいについた花は、どれもすべて地上を向いている。淡いピンク色の花びらはけれど、数えきれないほどの数が重なって、この古木がどうやって支えているのだろうと疑問に思うくらいひしめきあっている。
木肌はごつごつと無骨で、小さく可憐な桜の花びらとは似つかわしくない。
けれどもその雄々しさと、花の淡さが合わさるとそれが一種神秘的な、あるいはなまめかしい雰囲気を醸しだすのだ。
じっと見続けていると、とりこまれてしまうような。
まるで、この世ならざる世界へ繋がっているかのような。


「…サクラの下には、死体が埋まってるんだっけなぁ。こんな木ならきっとすげぇ数が埋まってるぞぉ」

喋るスクアーロの顔も、ライトアップの光を浴びてかすかに白い。
少年がカブト虫の集まる場所の話をしているような、そんな楽しげな口調で言うものだから、ザンザスはそれが可笑しくて軽く鼻で笑う。

「てめぇにそんな知識があったとはな。誰に聞いたんだ」
「読んだ。あんたの部屋にあったやつ。あんたが居なかったときに」
今にも躍りだしそうな木を見上げたまま、スクアーロが応える。
たしかにザンザスの部屋には、他国語の勉強を兼ねて英語やフランス語、あるいは日本語といった、さまざまな言語の本が置いてある。彼が言っているのは、その中の一冊のことだろう。
そうして彼の言う、自分が居なかった時、がただの外出や部屋を留守にしていた時ではないことはすぐに分かった。
彼が言っているのは、八年に渡る、戻ってくるかも分からなかった不在の時だ。

「他人の持ち物を勝手に触るんじゃねぇ」
「良いだろ、ちょっとでも知りたかったんだ。お前のこと。」

淡い色彩しかもたないスクアーロの目には、同じく淡いピンク色の桜が映っている。けれどその目が、ふいに動いてザンザスの赤い目を映す。桜の淡い色よりも、ザンザスの真っ赤な目の方が、彼の目にはよほど綺麗に映りこんだ。
十年以上も前の行為を、いまさら詫びるでも照れるでもない。ただまっすぐにこちらを向いたスクアーロの背後には、二人の年齢の倍は優に生きているであろう古木がある。桜の花は、人間の死体の血を吸い上げ、それでピンク色に染まっているのだという空想上の話。神とも化け物ともつかない、何本もの腕を広く地面に垂らした姿。そこに咲くのは可憐な、淡い色合いの花である。
言われて、殴りもせず咎めもしない自分を、随分と甘くなったものだとザンザスは思った。
来た道を戻れば目と鼻の先に繁華街がある。花街らしく、夜も深まってきたというのに灯りはまだまだ消えそうにない。
大きな道路の両脇にはタクシーがずらりと並んでいて、その一台へ観光客が乗りこんでいく。
街のざわめきはすぐそばにあった。
けれど今この場では、夜闇の中にただ、桜とお互いだけがある。




期間:2010/2月〜2011/4月

ザンスク in Kyoto その弐





やがて、ことことと軽やかな音をたてて、注文していたものが運ばれてくる。
清潔そうな白いエプロンを付けた店員が持っている黒い盆の上には、同じく、黒い入れ物が四つ乗っていて、幾重かの皺の刻まれた、しかし白く細い指が、それを銘銘の前へと置く。
つるりとなめらかな蓋には、朱色と金色とで古い鍵のモチーフが描かれていた。普通の鍵よりも、泥棒が盗みに入る時に家の鍵を開ける為に、針金をちょいちょいと曲げて作る細工に近い図が、古美金の色で静かに光り、その持ち手には朱色の房が付いている。

「これはね、日本の昔の鍵なんだ」

綱吉は先回りして言った。先程、落雁の材料を聞かれたことを考えれば、入れ物の蓋に描かれている図案について聞かれてもおかしくない。お茶と落雁が出てくるのは知らなかったが、二人を案内する予定の店について、幾つかの知識は新幹線の中で家庭教師に叩き込まれていた。

「カギィ?こんな鍵すぐ開けられるじゃねーか。意味ねぇだろ」
「昔だって言っただろ、昔はこれでも安全だったんだよ。…多分」

歴史の授業を嫌っていた、いや、授業というもの全てがあまり好きではなかった綱吉には、言い切れる自信がない。お前も何か言えよリボーン!そう思って見下ろす綱吉の隣で、ボルサリーノを深く被った赤ん坊は、早々に入れ物の蓋を開けていた。一段目には、内側の塗りと見分けが付かない、とろりと光沢のある黒蜜が入っている。二段目を開けると、水の中に大きな、少しいびつな形の氷が揺れて、細長い、白く透き通った麺のようなものが泳いでいた。同じように蓋を開けて、一段目と二段目を開けて、ザンザスが眉を寄せる。見慣れぬもの、知らないものを、彼はとても警戒する。それは九代目の息子として育てられた頃の経験故だろう。
その隣で、スクアーロも入れ物を開ける。彼の前に置かれた入れ物の一段目には、黒蜜ではなく、綱吉と同じ白蜜が入っていた。最初に、綱吉にこの観光旅行の案内役を押し付けてきた張本人、彼の家庭教師のリボーンが箸を取って、小さな口でくずきりを啜った。

「うん、うめぇぞ。お前らも食ってみろ」
「…あ、おいしい。本当においしいよ。二人とも食べてみなよ!」

ちゅる、と綱吉もくずきりを啜って、その食感に、琥珀色の目を大きく見開く。今まで何度か食べたものとは、全然違った。

「……お、旨い。ボスさん、旨いぞこれ」

その様を見て、スクアーロが手を動かす。箸の間から滑り落ちてしまいそうな細いくずきりを、落とさずに蜜に付け、唇へ運ぶ様に周囲の客がまた、感心したような息を吐いた。隣のスクアーロが、見慣れぬ食べものを飲み込むのを見届けてから、漸くザンザスが箸を伸ばす。箸さばきは、生まれてこの方、ずっと箸を使って物を食べてきた綱吉よりも余程丁寧で優雅である。
一口目はほんの一筋をそろりと口に入れたザンザスが、二口目からは、ぱくぱくと普通のスピードで口に運ぶ。彼の口の中に、少々癖のある、けれど濃密な、黒砂糖を煮溶かした蜜が広がって、ほとんど味の無い、ひやりと冷たいくずきりが舌に触れる。歯を立てると、すぐには切れずまるで固いゼリーのように、しかし、ゼリーよりも弾力をもって、もっちりと歯を押し返してから千切れる。わざとあまり噛まずに、喉を流れていく感触を味わうのも良い。

「…おいしい?」

無言で箸を動かすザンザスに、綱吉は問いかけた。彼といったら、箸は動かすのに眉間には皺を寄せたままで、まるで嫌いなものを無理に食べているようなのだ。

「旨くなきゃ、お前の顔にぶつける位してるぜぇうちのボスさんは。なぁ?」

答えないザンザスの代わりに、傍らのスクアーロが言って、からかうような笑みと共に尖った歯を見せた。彼の歯列は鮫の名に相応しく、また、西洋人らしく肉を食い千切る為の歯が、綺麗に一列にずらりと並んでおり、真正面からそれを見た綱吉は、つい見惚れてしまった。頑丈な歯を剥く、いかにも強者らしい笑みだ。
馴れ馴れしい側近に赤い目が再び眇められ、箸を掴んでいた手が二本の細い棒を離しスクアーロへと伸ばされる。長い銀色の髪を掴み、引っ張ろうとして、しかしそこでぴたりと止まる。つるりとなめらかな、まるで絹糸のような一房。白味を帯びた透明で、冷たい水の中でゆらりと泳ぐ。箸で掬えば、天井に吊るされた電灯からの明かりを受けて、つるんと光る。ザンザスは、目の前に置かれている入れ物を見下ろした。喉越しの良い涼菓。
引っかかりのない、真っ直ぐな銀色の流れから手を離し、ザンザスは再び箸を取る。
これにも、蜜をかけたら旨いだろうか。

「悪くねぇ」

呟くように低く洩らされた声と、店で騒ぎを起こされなかったことに、彼の内心を知らない綱吉はほっと息を吐いた。日はまだ高く、時計の針は正午さえ指していない。




期間:2009/9月〜2010/2月

ザンスク in Kyoto その壱



「……」
沢田綱吉は沈黙していた。この何とも重苦しい空気が、唇にまで圧し掛かってきたかのように声を出せなかった。
女性客で賑わう店内で、綱吉の周りだけが奇妙な程に静かで、店の雰囲気に不釣り合いである。店内に居る客の大半は若い女性で、 綱吉達はまずそこから周囲から浮いていた。何しろ綱吉と共に座敷に座っているのは、明らかにこの国の人間ではない真珠色に光る 髪で背中の半ばまでを覆った、いやに肌が白く眦の冷たく冴えた素人には見えない男と、長めの前髪に隠れた額から頬、首筋やシャツの合わせにまで引き攣れのような傷痕が続く、けれどその傷痕が妨げどころか、彼の男振りを更に増して噎せ返るような色気を放って唇を固く引き結んでいる、とても堅気には見えない厳しい視線の男だ。
二人とも、瞼の窪みは影が落ちるほど深くて、鼻先はツンと尖っている。一方はイタリア男らしい軽く燻したような肌とダークヘア、もう一方は一切の色素が抜け落ちたかのような、雪のかけらを集めて作ったような姿をしていた。

「う゛お゛ぉい」
「は…っはい!」

店内の客が振り向く。顔は小さくて目は切れ長、睫毛まで銀色に輝く、少々灰汁は強いが職業はファッションモデル、と言っても驚かない容姿をした男は、口を開くと大変にドスの利いた濁った声を出した。姿形とはまるで結びつかない。
未だ中学生に間違えられる程童顔な綱吉は、びくっと背筋を伸ばして返事をした。声が裏返る。同時に、机を挟んで並んだ二人に向けられている視線がついでに自分にも降り注いで、人に注目されることに未だ慣れない綱吉は冷や汗をかく。

「コレは何でできてるんだぁ?」

声質はさて置いて、彼の日本語はほぼ完璧である。日本とは遠い国の人間であることを、姿形でこれでもかと主張している男の口から出た日本語に周りがまた感心したように息を吐いた。そして、黒いレザーの手袋に包まれた指先にちょこんと摘ままれた物を見て微笑ましそうにする。
彼の指の先にあるのは小さな花の形をした干菓子、つまり落雁であった。

「えー…えーとそれは砂糖を固めて…あれ?何か混ぜるんだっけ?えっと、落雁落雁…」
「ラクガンって言うのか。つーかジャポネーゼなのに何でできてるのか知らねぇのかよ」
「和菓子の原料知ってる高校生なんてなかなか居ないよ!」

八重の花びらの形に押し固められた干菓子を、灰色に青を混ぜた目がじっと見る。指先で摘まんだ小さなそれを、彼は自分の薄い唇に運んだ。普段は歯列がずらっと見えるくらいの大口を開けて喋り、物を食べる彼が、見知らぬ食べ物を前歯でほんの少しだけ齧った。かりっと小気味良い音がたって、スクアーロは口の中のものを検分するかのように黙って舌を動かす。

「ふぅん…甘いけどただの砂糖じゃねぇみてぇだな…ボスも食ってみろよ、ほら」

言うや否やスクアーロは、自分が齧ったばかりの干菓子をザンザスの、むっつりと引き結ばれた唇へと近付けた。周囲は息を呑む。


「……」

眉間に皺を寄せて近付けられた小さな干菓子を見下ろした男は、ぽってりと肉感的な唇をすぐには開こうとしなかった。
周りの無言の注目に、綱吉の背中には冷たい汗がだらだらと流れ落ちた。どうか上手く躱してくれますように!うっかりザンザスに対して祈るような気持ちになってしまう綱吉の目の前で、けれど、「毒じゃねぇから」と唇に落雁を押し付けられてついに彼は唇を開く。薄く開かれた隙間にスクアーロは小さな菓子を放り込む。

(ああ!もう何やってるのこの人達ー!!)

向けられる視線が痛かった。きゃあ!と、流石に大声で叫びはしないが所々であがった声に、顔から火が出そうな心地がした。
そういうことは自分たち二人きりの時にやってくれ。いや、自分は慣れたから、せめてもう少し人目を憚ってやってくれ。

「甘ったるい」

食べかけを口に入れられて、それだけ呟いたザンザスが先程落雁を押し付けられた唇をぺろっと舌で舐め、湯気も消えた湯呑を手に取る。まだ注文したものは来ていない。

(だから嫌だったんだよ…この人達の観光案内なんて…!)

ぬるくなったほうじ茶を手に下を向いて、綱吉は前途を思ってこっそり溜め息を吐いた。旅はまだ始まったばかりである。




期間:2008/11〜2009/9月


「なぁ、アンタ何でオレと寝るんだぁ?」

トン、と煙管を指先で叩いて灰を落とすスクアーロはしどけない格好だ。
うつ伏せに寝た体を肘で支えて煙管を咥え、上掛けは腰にわだかまっている。
枕は転がって布団の外。金糸銀糸で縫いとられた打ち掛けも襦袢も、 そして俺のスーツもすべて枕と同じく、布団の外の畳に、まるで蛇が脱皮した皮のように脱ぎ捨てられている。
「それならてめぇこそ、何で俺と寝てるんだ。」
俺は徳利を持ち上げて直接口を付け、ぬるい酒を飲む。まったく、この女郎ときたら客が手酌で飲んでるってのに杯を差し出そうとも、徳利を取ろうともしない。
それどころかまず、布団からも出てこない。
「そりゃあ仕事だからだろ。」
「はっ、てめぇ位の立場になれば、気に入らない客とらねぇことだって出来るだろう。」
「そりゃ、まあな。だから気に入ってるってことじゃねぇか。でもお前はわざわざ日本に来てるんだから、日本の女と寝たら良いだろ?日本語だって喋れるんだしよぉ。」
「今更だな。そういうのは許されないんだろう、ここでは。」
「さあ。金さえ払えばどうにかなるんじゃねーか。…まあいいや、もう眠いから寝るぜ。おやすみ。」


夜八ツ。 遊郭の灯火もようようと消え、つい数刻前までは太鼓に三味線、酒に酔った男の歓声と遊女の笑う声が溢れていた街は今、静かである。
スクアーロの住まうこの廓でも、既に大方の客は帰って遊女達は寝付き、あとはXANXUSのように居続けの客がほんの何人か居るだけだ。

室内は、焚きしめられた香の匂いと、おしろいの匂い、練り香水、それにほのかな汗の匂いが混ざって肌に絡みつくような湿度を帯び、 外とはまるで別の世界であるようにすら感じられる。そこへ、微かな金木犀の香りを乗せた風が、開いた障子の間から細く吹き込んで湿った肌を乾かしてゆく。

彼がこのちいさな島国を訪れてから、約一か月が経つ。その間、取引は順調に進んでいた。このままの調子で進めば、あと二週間ほどで母国へ帰ることができるだろう。
ひと月も経つと、訪れた当初はまだ夏の名残も色濃く、昼間は汗ばむことすらあった気候も随分と落ち着いて、盛夏を避けてやってきたにも係わらず、 なおも収まる様子を見せない熱気に辟易していたXANXUSにとっても、過ごしやすい季節となった。

近く迫るだろう帰国を前にして、XANXUSには気がかりな事柄があった。
目の前の、スクアーロのことである。
まだ彼の年が十に届くか届かないか、という頃だ。XANXUSは、スクアーロに会ったことがある。
スクアーロはテュールという男の元で、暗殺者として育てられていた。正確な年は本人も知らないらしかったが、XANXUSよりも細い腕は既に人を殺めることを知っていた。
白刃のような目をした子供で、夜でも手元を照らす程度の明かりしかつけようとしないテュールの家で見た時には、 その目と、銀の髪だけが発光体のようにぼうっと光っていたのを覚えている。
子供はテュールの元で順調に、優秀な暗殺者に育っていった。テュールの弟子といえどまだ末端の殺し屋と、御曹司。顔を合わせることは無いに等しかったが、 スクアーロが手がけた仕事の報告書を見る度に、その手つきが鮮やかになっていくのが見て取れた。
テュールが九代目の懐刀であったように、このままいけばスクアーロもXANXUSの側近になるかも知れない。それも悪くない。XANXUSはそう思っていた。
だが、子供はある時唐突に消えた。テュールの家の近くの林に、育ての父である彼の亡骸と、スクアーロの利き手が打ち捨てられていた。
それからの足取りはようとして知れない。


「superbia squalo …スクアーロの方は、捨てねぇのか。」


この国で初めて聞いた母語の響きに、スクアーロが首を巡らす。
途端、噎ぶくらいに血の匂いが強くなる。おしろいの匂いも金木犀の香りもかき消して、鼻の奥を刺すような鉄錆の臭いが室内を埋め尽くす。
吹き込んでいた風は静止した。先程まで煩く鳴いていた猫の声も、ぴたりと止んだ。まるで空間から音が切り取られたようだった。
行燈の明かりだけで照らされた部屋の中で、白刃と同じ色をした目が冴え冴えと光っている。
白い背に流れた滝のような髪が、淡く発光しているように見えた。

散々吸って紅の剥げた唇が、薄い笑みを浮かべる。


「Bonna notte、って言った方が良いかぁ?」

耳に慣れた、けれどここ暫く聞いていなかった響きに今度はXANXUSが唇を歪めた。歪めるようにして笑った。彼は酒の所為でなく、自分が愉快な気分になるのを感じた。

「おやすみで良い。」



猫がまた、赤ん坊が泣くのに似た声で空気を揺らした。


期間:2007/9〜2008/11月


凜、と鈴が鳴る。
石灯籠が並ぶ薄暗い道の向こうで、緋色の傘が揺れている。


長月。
昼間こそ夏の名残をとどめ汗ばむほどに陽が照ることもあるが、夜になり陽が落ちてしまえば虫の声が似合う、涼やかな気候である。
酉の刻を過ぎているだろうか。花街は今が一等にぎわう時刻だ。

柳の枝を揺らすのはおしろいと、練り香水の香り。 並んだ見世の格子の間から、白い面で微笑む女達。その前を埋め尽くすほどの男達。頭上からは絶えず太鼓や笛の音が降り注ぐ。


XANXUSは、すこし疲れていた。
父が手がけている会社の代表としてこのちいさな島国を訪れたが、如何せん、風土が違いすぎるのだ。 取引自体は滞りなく進んでいるものの気候や慣習、食べ物の違いに快適とは言えない日々を過ごしている。
それに加え、今日の話し合いが済んだ後に連れてこられたこの場所。彼の今日まで過ごしてきた身の回りには、このような場所はなかった。春をひさぐ場所はあったがそれらはもっと薄暗く、淫靡だった。
夜なお、というよりも夜だからこそ賑わう花街の慣れない熱気に当てられていたのだ。

今日はもう辞すると言おう。そう思ったその時、道の奥から凜、とかすかな音が聞こえてきた。
人々が一斉に耳を澄ましているかのように、急にざわめきが止む。

凜。

もう一度鈴が鳴ると人々はまたざわめき、しかし今度は道の中央を開けるように端に寄り皆が皆道の奥、鈴の音が聞こえてきた方に視線を向ける。

何が何だか分からないXANXUSが傍らの商談相手に問うよりも早く「花魁道中ですよ。ほら、貴方も寄って下さい」と服を引っ張られ、仕方なく自分も道の端に身を寄せて皆が見る方向を見てみた。


凜。

石灯籠の灯りの中に、まずは緋色の傘が浮かんだ。

凜。

金糸銀糸で縫い取られた打ち掛けと、驚くほどゆっくりと進んでくる足取り。
外八文字を描く素足は、いっそ仄青く見えるほどに白い。

凜。

きっと他の女達のように派手な化粧が施されているのだろうと予想していた面は、しかし予想に反して薄化粧だった。
豪奢に見えるのは銀色の髪に鼈甲や珊瑚の櫛、金細工の飾りを挿しているからで、切れ上がったまなじりと唇に差した朱がなければきっと、血が通っていないようにすら見える。 けれどもその目線は人を射殺せそうな程鋭い。足元も、周りで視線を向ける人々も見ずにただ真っ直ぐに前を睨んでいる。

凜。

XANXUSの傍らを通る時、花魁は唐突にその目を彼に向けた。
それまでまるでこの世の物など見ていないかのような目が、いきなりXANXUSを映したのである。そしてかすかに、一瞬だけ薄い唇で笑みを作る。
周囲はまたざわめきに包まれる。花魁が、道中の間に客でもない男に微笑みかけたのだ。
けれどもXANXUSの方には、微笑みよりも気に掛かった事がある。
花魁が傍らを通り過ぎる際、練り香水の香りに混じって確かにしたのだ。
血の、匂いが。


XANXUSの父は多くの会社を持っている。それは、表向きだ。手がける商売自体は健全だが、父の本当の立場はマフィアのボスであり、つまりその息子であるXANXUSはマフィアの御曹司である。
嗅ぎ慣れた血の匂いを間違える事などない。


道中が過ぎ、また元のように散っていく人々の中XANXUSは先程服を引いた人物に尋ねる。

「あれは誰なんだ」
「あの人は吉原で一、二を争う花魁で…俺達は、鮫太夫なんて呼ぶこともありますけど。本当のお名前は、スクアーロ。何でもお国の言葉では鮫って意味らしくて。」

「スクアーロ?」「ええ、…どうかしましたか?」


思いがけない母語の響きに驚く。それに、あの時確かにした血の匂い…あれは、もう染みついた匂いだ。

「いや、何でもない。」


これがXANXUSとスクアーロの初対面であった。
涼やかな、秋の夜のことである。





スクアーロは花魁で殺し屋という設定。





期間:2007/6〜9月


きのうの晩、極上のワインが手に入ったとかであいつの機嫌はそりゃあもう一年に一回あるかないかってくらいに良かった。
前回こんなにご機嫌だったときはたしか、めずらしく前線に出て戦って、ひさしぶりに景気よく銃をぶっぱなしたあとだ。
ただでさえボンゴレ十代目にあの年下のジャポネーゼが就任してからというものあいつの元には書類仕事ばかりがふえて、 せいぜいのストレス発散が(はなはだ不本意だが)オレを殴ることだけだったから、ずいぶん気が晴れたらしい。おかげでむこう三日間はオレのからだに痣が増えなかった。



それはいい。それはいいとしてだ。


問題はそこまでの記憶しかないことだ。あいつの機嫌がよくて、ベルやルッスーリアや、マーモンも呼んで騒いだのは覚えてる。レヴィはちょうど昨日から一週間の任務に就いていた(どこまでも運のない野郎だ。同情しないでもない)
たっぷりの胡椒をまぶした生サラミにゴルゴンゾーラに山羊の乳のチーズ、モッツァレラとトマトのサラダ、ルッスーリアお手製のミートパイ、マスカットとすぐりもあった気がする。
はじめにマーモンがあくびをしはじめて、ルッスーリアが「お肌に悪いから」と言って部屋に戻っていって、ソファで寝はじめたベルの前髪の下を見ようとしたらナイフが頬を掠って……
どこにもおかしい所はない。


じゃあ、なんでオレはすっぱだかで自分の部屋のじゃないベッドに寝ていて、しかもオレの隣にはおなじくすっぱだかの部屋の主……つまり、ボス、XANXUSが寝てるんだ?

べつにおたがい裸でベッドにいること自体は珍しいことじゃない。
あいつが起きた時点でベッドの外に蹴り落とされたりして、目が覚めた時は床の上でした、なんてこともよくあるが、問題はそこでもない。

服を脱ぐに至った経緯はもちろん、最中の記憶もない(自分のからだだ。実際やったのか未遂だったのかくらいは記憶に頼らなくてもわかる)ことが問題なのだ。
ついでにいえば、オレの目は覚めてるのに隣でこいつが寝こけていることも。


正直いって、オレはまだこいつの寝顔をみるのがこわい。オレの目の前でこいつが寝ているのがこわい。
いくら寝息が聞こえていて、からだにはさわれて、体温だって感じられても、こわいものはこわいのだから仕方がない。
その反面、眠っているこいつを見張ってなければいけない気もする(すこし前、あまりに不安になって熟睡してるこいつの呼吸や鼓動を確かめてたら起こしちまってぶん殴られたので二度と安眠妨害はしないと誓ったのだ)


オレの不安とは裏腹に、今日はいたって平和な日曜の朝だ。朝がくれば花も虫も人も起きる。八年眠り続けたことのあるこいつだって。

まつげが震えてまぶたの間から名前は知らないが、いつか見た宝石みたいな目があらわになる。





「お目覚めかぁ?ボス」





お題をお借りしました:挨拶(おはよう)

提供元『たたかうひととかにゆびのかずのおだい 』