バトンで書いたものや絵茶で書かせてもらったものの展示ページです
新しいものは上に追加します



日記より







★★★





lottalove

それは無邪気な一言から始まった。他人の不幸を笑って見て、ついでに足先でつついてみるような王子様に、本当に邪気が無かったのかは知れないが、傍から見る分には飽くまで無邪気で、もう二十も越えたというのに、陰のない子供のような声だった。

「ねー、俺この店行きたい。ボスとスクアーロと三人で」

スクアーロは凍りついた。
ヴァリアーの王子様こと、ベルフェゴールが持っているのは一冊の雑誌である。その中の一ページをソファに座っているザンザスへ見せ、彼は小さな写真を指差す。香ばしそうに焼き上げられたタルトが映っている。
写真の下には、それが郊外にあるパティスリーの名物菓子である旨が書かれていて、所在地と電話番号が添えられていた。

「はあ?ガキじゃねーんだから勝手に行けぇ」

往来で殴られるのも、パティスリーの店内で注文したタルトを顔にぶつけられるのも、運転中に殴られて対向車線に突っ込むのも御免なスクアーロの声も空しく、ザンザスは首を縦に振った。まったく、彼はこの王子様に甘い。
こうしてスクアーロは、ザンザスとベルフェゴールという、手に負いきれぬ二人を乗せて、愛車の運転席へと座ることになったのだ。

道行きは難航した。
ベルフェゴールはスクアーロの車のシートの上に、舐めていた飴をころんと落とし、ザンザスは信号で車が停まると舌打ちした。彼は一度車に乗ったらばブレーキを踏みたくない、停まらず走り続けていたいというタイプなのだ。ハンドルを握ると性格が変わるということではない。ハンドルを握ろうと握らなかろうと彼の気性は荒く、他人に道を譲るなんてことは、頭の片隅にもない。
ミラノ沿いの道路を通った時に、ザンザスは「カッフェが飲みたい」と言いだすし、ベルは行きつけのブランドの新作を見たいと喚く。
スクアーロは、なぜ最初にもっと強く拒まなかったのかと後悔した。そもそも、休日だからとザンザスの部屋に泊ったのが悪かったのか。しかしそれはもう習慣になってしまっている。
後悔しながらもベルを怒鳴りつけ、煩いとザンザスに髪を引っ張られ、尚も行きたい行きたいと繰り返すベルの為に、車を路肩に停めて、スクアーロは、ザンザスの望む珈琲を買いに行った。
せっかくの休日。腰はまだ重くだるいのに、自分は一体何をしているのか…思いながらも、カフェ・マキアートが冷めないように急ぎ足で車に戻る。
買ってきた珈琲を、ザンザスは一口飲んだだけで「飲めたもんじゃねぇ」と窓から道に放った。車体にも茶色の液体が飛び散る。
ベルはブランドロゴの入った大量の紙袋を店員に運ばせてきて、後部座席を大小の紙袋で溢れかえさせる。それを全部乗せたまま、車は郊外へと走った。

麦の畑の脇を通り、細い小道を抜けて、車はようやく目的のパティスリーへ到着した。白い木で組まれたアーチに時計草の蔦が絡み、その先にこじんまりとした建物がある。中へ入るとテーブル席が三つしかない、本当に小さな店だ。
けれど、ショウケースにはきらびやかなケーキがずらりと並んでいる。洋梨のタルトに、フランボワーズのムース。ピスタチオとチョコレートが何層にも重ねられた生地は、断面が綺麗なストライプになっていて、タルトに乗ったオレンジの切り口は花のように見えた。
ベルフェゴールは迷わずにタルトタタンを選んだ。カラメル色が、暖かな照明の色に光って、生唾を飲ませる。生クリームとピンクペッパーが一粒添えられて、白と飴色の対比がフォークを誘う。これがこの店の名物である。
早々に注文を決めたベルフェゴールはテーブル席に座って、ショウケースの前に並んで立っている二人を見た。店内には他に客が一組居て、夫婦らしい男女が静かにケーキを食べ、紅茶を飲んでいる。
その中でスクアーロの声は、まるで木霊するように大きく響く。

「この前アンタそう言ってオレの半分食ったじゃねぇーかぁ!」
「てめぇが食って良いって言ったんだろ」
「あれは一口だぁ。あんなに食って良いとは言ってねぇ」
「チッ。ケチくせぇ野郎だな」

老いも若きも可憐な少女から定年後の老爺まで、カッフェとドルチェを手放せない人種である二人は、数々のケーキとタルトが並んだショウケースを前にして、どれにするか選びながら喋る。

「昨日だってフィレ肉300gも食ってたし、どうなってるんだよお前の体」
「てめぇには言われたくねぇな。量は食う癖に、何年経っても触り心地が悪い。寄生虫でも飼ってんのか」
「う゛お゛ぉい誰がンなもん飼うかぁ!」

二人の会話は傍から聞いていても、とてもただの友人同士には見えなかった。何しろ、その姿は対のようで、まるで神様が、並んで立つようにと思って作ったかのようだ。友人というには近過ぎる上に、互いへの気遣いというものがない。
例えるならそれは家族。夫婦になった二人が作り出す空気といっても良いかもしれない。
昔、ザンザスが十六歳でスクアーロが十四歳で、そしてベルフェゴールが八歳だった時にも、ベルは年長の二人の間に何か、自分には入ることのできないものを感じた。その時は自分がもっと大人になれば、仲間に入れるのかと思った。だけど違った。大人になったからこそ、違うことが分かる。
あの二人はどうしようもなく、二人なんだ。スクアーロはベルの兄のようであったし、ザンザスも兄か、あるいは年は近過ぎるが父親のような存在だった。強くて広い背中。
そんな二人が一緒にいると、まるで近くのテーブルでケーキをつついている夫婦みたいになってしまう。恥ずかしい大人だなぁ、とベルは思った。
今日はわざと三人一緒に出かけたいと言ってみて、屋敷の中ではすっかりつがいになってしまっている二人を外で見てみようとしてみたけれど、やっぱりつがいはつがいだった。
八歳からヴァリアーに居たベルは、その中でも二人が最近あんまり爛れた関係を築いてしまっていたので、寂しく思うこともあったが、でもあんなに二人一緒にいるのが様になってるんじゃなぁ…そう考えていると、注文を終えた二人がテーブルへ歩いてくる。
すんなりと決まった訳ではないのに、スクアーロは殴られていなかったし、ザンザスの機嫌も悪くはないようだった。
そういえば最近、前のように気絶するまで殴られて、執務室の床に倒れているスクアーロや、拳を彼の血で濡らしたザンザスを見ていない。
見るのは、ザンザスの私室のソファや、あるいはベッドの上の、しどけない二人である。

「今度はオレにも一口くれよ」

やはりスクアーロの声は、狭い店内に大きく響いた。
そろそろ俺も親離れかなぁ。頬杖をついて、そうベルフェゴールは思ったのだった。






★★★




そしてもう一度夢見るだろう

体を包んでいく煙を見て、ザンザスは毒ガスかと思った。
毒ガスで俺は死ぬのか、と。
後悔はなかった。やり残したことも、達成できなかった願いもあるが、生きていたところで叶うとは思えない。子供の頃から、ずっとそれだけを見て生きてきた。それが叶わないとなれば、あとはもう生きていたとて、ただ肉体が存在しているだけ。怒りは消え失せ、身内には荒涼たる焼け野原が広がるだけ。
二度目の反逆だ。一度目は殺されこそしなかったが、それに近い罰を受けた。ボンゴレ九代目を攫い、次期十代目に危害を加えたのだ。罰は、一度目の比ではないだろう。殺されることは覚悟していた。スラム出の、身の程に合わぬ夢を見た一人の男が消されるだけだ。茶番のような人生に幕が引かれるだけ。
煙に包まれながら遠く爆発音を聞いて、さすがボンゴレ、念入りだ、と思いながら、彼は目を閉じる。
しかし、いつまで経っても痛みも衝撃もない。意識も遠くならない。ひょっとしたら、死んでいることに気付いてないのかしらんと疑って、ザンザスが目蓋を持ち上げようとしたその時、彼の耳を、発生源を殴りつけたくなるような大声がつんざいた。

「う゛お゛ぉい!ふざけんじゃねーぞぉ!」

空気をびりびりと震わせる大音量。吠えるようながなり声。間違えようがない。あの日から聞いていない、スペルビ・スクアーロの声である。

「うちでバズーカ打つんじゃねぇって言ってるだろうがぁ!てめーんとこの教育はどうなってんだぁ!?」

目蓋を持ち上げると、スクアーロが居た。彼は目に涙を溜めた黒髪の少年の襟首を掴んで、今にも殴りそうな勢いで詰問している。
どういうことだ。
ザンザスは辺りを見回す。この部屋は、ヴァリアーがアジトとしている屋敷にある、彼の執務室であった。しかしながら、絨毯やカーテン、ソファの生地など細かいところが、彼の記憶とは違う。
それに、スクアーロだと思った人物も、どこか雰囲気が違う。あの声と長い銀髪、立ち姿もスクアーロ以外の何者でもない筈なのに、しかしやはり、ザンザスが知っている彼とは違うような気がした。ついこの前初めて見た、22歳の彼よりも、更に年月を経ているような…。
眉を寄せたザンザスの視線の先で、少年を部屋から追い出したスクアーロがくるりと振り返る。その顔が、ザンザスを見た瞬間ひたりと凍りつく。

「ボス、…っ」

無彩色に近い色の目が見開かれ、薄い唇は声を失って震えた。スクアーロの目の前には、彼からすると十年前の、つまりは24歳のザンザスが居た。
治りきらない傷に包帯が巻かれて血が滲み、唇は切れたまま、手を入れていない髪が目の上にまでかかってうなじを隠し、服はザンザス本人ならば絶対に選ばない、今ひとつ彼の体には合っていないシルエットだった。
両手首に枷が嵌められ、赤い目の底には諦念と絶望とが、どろりと澱のように溜まっている。まるで死期が近い老人のように倦んだ目だ。

「誰だ、てめぇ」

傷つき、疲弊した様子のザンザスが硬い声を出す。身を低くして毛を逆立てた獣のように、唸る声で問いかける。
ザンザスは数か月前と同じ感覚を、再び味わっていた。目を覚ましたら、スクアーロの髪が伸びていた。自分よりも年下で、背も低かった彼が自分を見下ろし、大人のような顔をしていた。

「スクアーロだ。アンタからすりゃ、十年後の…なあ、それよりお前、どうしたんだ?何があったんだ?何でそんな…」
「十年後?」

見開く目に、スクアーロは怯えを見た。怯えでなければ、絶望か。彼は恐れていた。八年間を奪われた十六歳の少年は、十年と言われて、体を強張らせる。手首の間を繋ぐ枷が、しゃらりと音をたてて揺れる。

「バズーカだぁ!お前も知ってるだろ?ボヴィーノが開発した十年バズーカ。それの亜種に今のアンタが当たっちまったんだ。…十年経った訳じゃねぇ」

指輪争奪戦の後数か月、ザンザスを始めとしてヴァリアーの幹部たちは病院での治療を受けたあと、ばらばらにされていた。ボンゴレという大組織は、ヴァリアー無しでは立ち行かなくなる。濁った水をろ過するように、組織の澱を一手に引き受けるのがヴァリアーの役割だ。
九代目の体調が悪化したとなれば、その隙を狙ってボンゴレの転覆を計る者がいる。十代目候補が、極東のまだ十代半ばの少年と知れば、自分が有力者になろうと企てる者もいる。
その者たちを排除するには、ヴァリアーを機能させるしかない。
毒をもって毒を制すしかないのだ。
だから、ヴァリアーの隊員たちはそれぞれに監視を付けられ、幹部は、共同任務でない限りは顔を合わせることすら禁じられたまま、任務をこなしていた。その間のことは、互いが語らない限り知らないままである。そうしてザンザスは、一度も、誰にもその間の話をしたことがなかった。
スクアーロはどうしたら良いのか、わからなかった。傷ついた獣のような、細い肩を震わせる少年のような、荒涼とした目のザンザスに何をすべきか何を言うべきか、彼には分からない。
何をすべきなのかは分からないが、何をしたいかだけははっきりしていた。

「ボス…」

スクアーロが一歩、ザンザスへ歩み寄る。ザンザスは、後退りたいように歯を噛み締める。けれど後ろへさがることは、彼の矜持が許さない。
今更プライドなんぞ持っていたって何にもならないのに。そうは思いながらも、ザンザスの足は動かない。

「寄るな」

低く唸るザンザスに逆らって、スクアーロは尚も歩み寄る。とうとうあと半歩進めば体に触れる、という距離にまで来て、彼は両手をザンザスに向かって伸ばした。

「触るな!」

まだ焼かれた喉が治りきっていないのか、叫び声は少し掠れた。それにも逆らって、スクアーロは、ザンザスの体を抱きしめる。
謝れば、自分の力が無ければ、ザンザス一人の力では足らなかったのだと言っていることになる。それは酷く傲慢だ。彼を軽んじている。
それに今自分が謝ったところで、何の価値もない。彼とは、22歳の、これから顔を合わせるだろう自分が話さなければならない。殴られ蹴られ唾を吐きかけられようとも、十年前の自分が彼と話すべきなのだ。
腕の中で藻掻く彼を、それでもスクアーロは離さなかった。これは彼のエゴだ。離したくなかった。向ける言葉を持たない。それでも彼に何かしたかった。炎を使われたって離す気はなかった。

「触るな!離せ!」

あげる声は掠れ、拘束具が炎を吸収する装置になっているのか、押し返す掌の体温ばかりがただ熱い。
スクアーロはザンザスの体をぎゅうぎゅうと抱きしめて、背を撫でて、漸く解放する。赤い目が怒りを持って睨みつけてくる。

「てめぇがドカスだって言うなら、俺の言うことを聞け」
「オレはアンタのスクアーロじゃねぇよ。今の、お前の時代に行っちまってるらしいザンザスのスクアーロだ。だからそれ、お前の時代のオレに言ってくれぇ」

義手に仕込んである剣で、ザンザスの手首に嵌められていた拘束具の鎖を断ち切る。言われたことに眉を寄せたザンザスが、口を開く前に、辺りに煙が漂い始める。そろそろ五分が過ぎる。

「今も昔もオレの…オレらのボスはずーっとアンタ一人だぁ!」

自分が言っても詮無い言葉だとは分かっていながら、どうしても言わずにおれなかった。年若い、傷ついた彼の姿が煙の向こうに薄れていく。ザンザスが口を開いて何か言っている。けれど聞こえない。唇の動きすら煙に邪魔されて読めず、その姿は消えていく。

「思い出したぜ。てめぇがいきなり抱き締めやがったこと」

煙が晴れた時、今まで24歳のザンザスが居た場所に、正しくこの時代の、つまり34 歳のザンザスが立っていた。たった五分なのに、その顔は酷く疲れた様子だった。

「十年後だっていうのに、お前の頭の軽さが変わんねぇのに驚いた」

彼は、珍しく自分からぽつりと語る。

「ひでぇな。仕方ねぇだろ、オレもテンパってたんだぁ」

ばつが悪そうにスクアーロは言う。本当は、彼が十年経っても自分の執務室に、当然のような態度で居ることに驚いていた。けれどそれは言わない。それが、永遠に続くかと思われたトンネルの向こうに、微かに見えた灯りのようだったとは、絶対に言わない。
語らず問わず、けれども彼らはその日から十年、こうして共に過ごしている。






★★★





ブラックサテン

「ん゛ー…」

スペルビ・スクアーロは悩んでいた。竹を割ったような気質で思い込んだら一直線、ついでに少々おつむが足らない彼には、珍しいことである。

「何か、なぁ…」

先程から顎に手を当て、首を傾げ、眉根を寄せてはうんうん唸る。例えば食後のドルチェのジェラートを、ピスタチオにするかそれともチョコラータにするか、悩んだとしても数秒後には答えを出す彼がこんなにも長い時間悩み続けるとは、やはり相当珍しい。

「さっきから何なんだお前は」

それもその筈。スクアーロの悩みの種は、彼のさっぱりした気性の唯一の例外、ザンザスであった。
何しろスクアーロときたら、半年過ごしただけの彼を八年待ち、髪を伸ばし続け、揚げ句にその後、両手両足の指を全部使っても数えきれない年数添い続けている始末である。淡泊とは程遠い。

「いや…なぁんか決まらねーんだよなぁ」
「あ?文句があんのかてめぇ」
「違うって!格好良いけど、何か物足りねーっつーか…んー…」

ザンザスが、眉を寄せる。中央に引き寄せられた眉根も、皺が刻まれているであろう眉間も、下ろした黒髪に隠れてスクアーロからは見えない。

「あ゛!」

突如、スクアーロは声を上げた。そうだ。これだ。
ボンゴレファミリーのパーティに向けて、幼い頃の御曹司生活に馴染み過ぎて、上着は後ろから着せられるもの、靴は跪かれ履かせられるものだと思っているらしいザンザスの支度を手伝っていたが、ネクタイを締め、胸ポケットにチーフまで入れたのに、どうしてもどこかしっくり来ない。様になっていない訳ではない。
五十の声を聞いても彼の体躯は逞しく、雰囲気は、重ねた年月の分だけ、まるでヴィンテージのワインのように深みを増していく。彼がその場に現れると、空気に色が付くようでさえある。今日も唇の端や、首筋から甘くて渋い、見えない蜜が滴っていた。
けれども、どこか足らない。まだ何か彼の魅力が隠されている気がする。
数十分に渡って悩み続け、漸く気付いたスクアーロは早速洗面台の鏡の内ポケットから、櫛と整髪料を持ってきた。

「これだったんだなぁ」

掌に整髪料を付けてザンザスの髪に馴染ませる。それから、指輪を巡る争いを経て数年後から、下ろされていることが多くなった前髪を櫛で梳き、後ろへ撫でつける。額にかかる髪も、耳の横の髪も、全て後ろへ流してしまう。
十代や二十代の頃はまだ髪の癖が強く、一本一本が太くて、整髪料を使って後ろへ撫でつけても、何本か落ちてきてしまっていた髪が、今は素直に流れに従ってくれた。それも物足りなくて、スクアーロは額の中央にぱらりと幾筋かだけ髪を残した。サイドを剃り上げてはいないが、二十代の頃とほぼ同じ髪型だ。
秀でた額がすっかり露わになると、スクアーロは、思わずそこにちゅっと音をたててキスをした。

「男前だぜぇ」
「知らなかったのか?」

されるがままで髪を弄らせていたザンザスは、片方の眉だけをひょいと上げて笑う。額が隠されていない所為で、昔よりも薄くなって肌に馴染んだ古い傷痕が、皮膚の動きと一緒に動いた。前髪の影にならない、赤い目が細められている。
それを見るのが懐かしく、新鮮で、スクアーロは消えない皺がある眉間にも唇を寄せて言った。

「いや、初めて会った時から知ってるぜぇ」







★★★





ああ我が恋愛は停止せり

「ね、ボス。凄いと思わない?」

俺の目の前で、派手な頭をしたオカマがくねっと科を作った。これがただのオカマなら迷わず殴っているが、残念ながら、このオカマは俺の部下で、ついでにそこそこ優秀だ。
殺しの能力もさることながら、作る食事は旨いし、少々世話を焼き過ぎるが気も利く。ついでに、並みの男より余程体力のある、目の前の女を押さえつけて化粧をして飾り立てられるのは、こいつくらいのものだろう。
俺は視界にチラつくモヒカン頭を殴れずに、そいつに差し出された女を見た。それは確かに、女だった。不本意ながら、俺には女に見えた。それも、美人と呼べるだろう、とまで思ってしまった。

一目見て、いや、部屋に入る前から、俺には訪問者がルッスーリアとスクアーロであることは分かっていた。
姿を見ても、すぐにこれはあのカス鮫だと分かった。会食に付き添わせる為に、ルッスーリアによって化粧品を塗りたくられ、髪をセットされ、服を着替えさせられたカス鮫。
もちろん間違っていない。俺が、このカスの姿に気付かないことなんてある訳がない。
だがしかし、初めからこれがスクアーロだと分かっていながら、俺はこれを女だと思ってしまった。一体どうしたのか、自分でも分からない。
無駄に伸ばされた銀色の髪が、上半分をふんわりと留められて、銀の髪の中に黒い花の形のコームが咲いている。耳からは、小さな宝石がいくつも連なった、しゃらしゃらと音をたてそうなピアスが下がり、青白い首筋で揺れる。
鎖骨はくっきりと浮き出ていて、窪みにワインが溜まりそうだった。左側だけがやや太く、それがアンバランスで、妙に視線を惹き付ける。
化粧を施された顔は、今はただ無表情で、そうしていると如何に普段こいつが顔を歪めて喋っているのか、そして、本当は如何に整った造作をしているのかを知ることができた。
気の強そうな目を更に強調させて、まなじりを跳ね上げたライン。元の色が銀色だから、睫毛に塗ったマスカラが際立って一層華やかに見せる。
普段は薄くて大きく開かれ、恥じらいもなく歯列を見せつける唇が閉じられて、グロスで艶々と潤っていた。そんなスクアーロの唇を見たのは初めてだ。
暗い青色のドレスには、少々薄すぎはするものの、無駄がない緩やかな曲線が映っている。足元はか細いピンヒールで、よくよく見れば、慣れていないのか微かに足が震えていた。

「う゛お゛ぉい!ボスさん黙ってねぇで何か言ったらどうだぁ。お前のためにこんなにゴテゴテされたんだぜぇ」

口を開いた途端、耳を覆いたくなるような残念な声だった。顔を見ると、さきほど指で触ってみたいと思わせた、ぷるんと潤った唇が盛大に歪められている。せっかく、そんな顔もできるんじゃねぇか、と感心したところだったのに。
俺は苛々して、軽く内側に癖を付けられているカスの髪を掴んだ。引っ張られて、スクアーロの体が揺れ、それでも俺に凭れるのは不味いとでも思ったのか踏み止まる。
一発殴ってやろうと思ったのに、これでは流石に殴れない。

「ねぇボス綺麗でしょう?期待以上だわ、私驚いちゃった!」

カスザメの斜め後ろで、オカマがまた余計なことを言う。俺に綺麗だと言えっていうのか?このカス相手に?
髪を掴んだ手に力が籠って、眉が寄ったのが自分で分かった。それでも、まさかこれから会食に連れ立って行く奴の顔は殴れない。殴れないが、オカマの言葉を繰り返すこともできない。
俺は忌々しさを込めて、掴んだ髪から勢い良く手を離した。長い髪が、水のようにぴしゃっとスクアーロの肌に当たる。青白い、触れて温度を確かめたくなるような肌だ。

「フン。向こうに着いたら口開くなよ」

口さえ開かなきゃ見れる。そこまでは言わずに、俺は二人に背を向けた。

「なっ悪かったなぁうるさくて!」

後ろでスクアーロが喚き立てる。埒があかない。そう思って、俺は溜め息を吐いた。





★★★





つるぎをもつもの

スクアーロが、剣を持つ。
今回の任務は、幹部総出の大きな山だ。
数年前ボンゴレのドンとなった少年は、極力ヴァリアーに回す任務を少なくしようとしているようで、今回のような規模なものは久々である。
幹部が総出になるということ、それは、ランクで言えばSが10以上連なるということだ。もちろん、そんなランクは規格外過ぎて普段使われてはいない。だから、もしランクを付けてみるなら、という話になる。

幹部はそれぞれ化け物じみた身体能力を持っていて、二代目剣帝を名乗るこの男は、化け物筆頭といっても良い。ヴァリアーの中で、ザンザスに次ぐ実力を持っている。
だがそれでも、いくら化け物じみていたって、目の前の男も、幹部たちも一応は生身の人間だ。だからこそ、自分は昨日スクアーロと同じベッドに入ったのだ。
生身の人間は、死ぬことがある。実力があればその可能性は低くなるが、ゼロではない。証拠に、これまでに何度かは死にかけている。
今回は、その可能性が普段よりも高い任務だった。数字の上でいえば、寧ろ誰か一人くらいは死んでもおかしくない任務だ。そうして、この男は敵の只中に真っ先に飛び込んでいくから、誰か死ぬのなら、一番最初に彼が死ぬ。

スクアーロが剣を持つ。
彼は普段と同じように義手の手入れをして、剣の手入れをした。義手と剣の手入れをしている間、普段と同じように彼は真剣で、無口だった。
いつもは自分の耳を塞ぐか、それとも目の前で動く口を塞ぐかしたくなる程煩いスクアーロが、驚く程静かになるひと時である。
剣に錆や汚れがないか確認し、打ち粉をかけて拭う。それから油を塗りこめる。人を斬った後にすぐ手入れしている剣が、これから人を斬る前にも手を入れられて、まるで磨かれた鏡のように表面をつるりと光らせる。
剣に映った己の目を覗きこんでから、スクアーロは剣を鞘に納めた。立ち上がったスクアーロの姿は、長い手足が黒い隊服に包まれて、背中には銀髪が流れ落ち、まるで彼自身が一振りのようであった。

そうして、ザンザスはつるぎをもつものとなる。

スクアーロという、強くしなやかな、銀色のつるぎを。





★★★





幸福なる口福

ぬる、と味蕾がこすれ合った。
自分の口の中で、己の歯や口蓋に触れている内は味蕾の凹凸を感じることなどほとんど無いのに、こうして、他人の舌に触れ、頬の内側の粘膜や唇の裏に触れていると、それをありありと感じるのだから、不思議なものだ。
歯は硬質。狩猟民族を祖先に持つ人種らしく、尖った牙が並び、挟まれて力を込められたら相当に痛いだろう。その牙で、ザンザスはわざとスクアーロの舌の先を掠める。噛まれると身構えた彼の背筋が、背中に添えた掌の下でびくっと引き攣って、ザンザスは愉快な気分になった。

「ん…、…」

こすれ合う味蕾で、甘みと、微かな苦みを感じる。唾液はとろりと舌に絡まり、緩慢に口内に満ちていく。唾液と互いの舌が、こんなにも甘いのは、溶けていくチョコレートの所為だ。
プラリネ入りの一粒を舌に乗せてから口付けた所為で、口の中でチョコレートが溶け、プラリネが溢れて、唾液に混ざる。
蛇が絡まるように動く舌がそれを口内に広げ、口の中は、どこもかしこも甘ったるくなる。

「ん゛、っ…」

湧き出る唾液にチョコレートが混ざっているから、唇を離せない。
力強い味わいのビターチョコレートで、ねっとりと甘いプラリネを包み込んだ一粒は今や形を無くして、ただ互いの唾液にのみ風味を残す。最高級のものか、あるいはルッスーリアが作ったものに限るが、実は甘いものが嫌いではないザンザスは、スクアーロの、チョコレートの混ざった唾液を纏った舌をちゅうと吸った。
舌を吸われ、スクアーロの背筋がまた跳ねる。味蕾の凹凸に、カカオの風味がする。

「…っ……」

やられっぱなしで居られる性質ではないスクアーロは、仕返しとばかりにザンザスの口蓋を撫でた。舌の根元の脇を擽り、裏の筋をなぞる。背中に置かれた手の、指先に僅かに力が籠ったのを感じて、こちらも愉快な気持ちになる。
唇の端だけで笑ったのを、目を瞑っている筈なのに何故か分かったザンザスが、彼の舌を少々強く噛んだ。仕返しに彼は、ザンザスの歯列の裏を殊更ゆっくりと辿った。
やがて口内から、すっかりカカオの風味が舐め取られると、二人はようやく唇を離す。合わせ過ぎた唇が痺れている。口の中は散々探られて熱く、飲み込んでもまだ唾液が溢れてきた。チョコレートも、自分以外の舌もなくなってしまった寂しい口内を満たすように、二人はそれぞれ一つ、チョコレートを口に運ぶ。
けれど、この濃厚な甘さよりも、味蕾の凹凸と、動く舌の柔らかさの方が恋しい。
物も言わず、二人はもう一度唇を合わせた。彼らが摘まんだチョコレートの箱には、赤いハート付きでHappy Valentine!と書かれたカードが添えられている。






★★★





汚濁、白百合、八年の祈り

夢の中で、彼は小さな子供だった。汚れた町の、路地裏の道に立っている。道は細く、まだ大人の腰までの身長しかない彼が立っているだけで、あとは人一人がやっと通れるほどだ。
子供の目の前には、教会があった。いや、かつて教会だった建物、だ。壁は煤けて、吐瀉物の名残や黄色い染みがあり、屋根は三分の一ほど崩れ落ちている。聖人の姿が彫られたドアは、蝶番が外れかかって傾き、完全に閉じることも開けることもできないようで、もはや、そこは建物としても成立していなかった。
彼は、傾いたドアの隙間から教会の中へ入った。足を踏み入れた瞬間に、眩い光が目を刺して、痛みに似た感覚に目蓋をきつく閉じる。眉根が寄って、まだなだらかな眉間にも皺が寄る。
数秒経ち、痛みが治まってから、彼はそうっと目蓋を持ち上げてみた。今度はすぐに直接見ないように、まずは自分の足元を見る。そこから、だんだんと視線を上げていく。視線を上げていくごとに、視界にほの白い光が混ざるが、慣らしながら見る所為で、今度は目が開けていられない程眩しいということはない。

「…」

視線を上げきると、そこには背中があった。割れたステンドグラスをバックにして、黒と白とで作られた姿が浮かび上がる。宗教画をモチーフにしたガラス細工に、昼間の陽光が当たって、更にそれが跪く人物の髪に降り注いで、乱反射している。眩しさの原因はこれだったらしい。光が当たるさまを見て、彼はその髪が、白ではなく、銀色であることに気が付いた。
その人は、彼に背中を向けたまま、静かにこうべを垂れている。長い髪は黒い頭巾から流れ落ちて、黒い修道服の半分ほどを覆っていた。長い髪の所為で女かと思ったが、よくよく見れば、肩や腰の線はナイフで削いだように鋭く、彼は、髪の色に引き続いて、その人物が男性であることにも気が付いた。男性、と言い表すにはまだ少し、肩が華奢だろうか。しかし、十にも満たない年齢の子供からすれば、彼もまたしっかりと男に見えた。
男は、物も言わずにただ膝を付いている。まるで彫像のようにそこから動かないので、作り物かと思いそうになるが、時折ほんの少しだけ肩が揺れ、それに合わせて長い髪がさらりと揺れる。彼は暫くの間、男を見つめたまま立ち尽くしていたが、ふと、もう一歩足を踏み出してみた。
その瞬間、彼の破れかけた靴が、散った色ガラスの破片を踏んで、ぱきっと脆い音をたてた。
男が振り返る。長い銀色の髪が、まるで波のように翻る。広がる髪が、ステンドグラスを透かした光を浴びて太陽の縁のように光り、再び子供の目を射る。

「ザンザス!」

高い天井に、声がわんわんと響いた。白く眩しい目蓋の裏で、子供はその声を聞いた。
ザンザス。
子供の名前だった。
子供は、もう一度目を開ける。光を浴びて、彼の目が鳩の血とも評される色に輝く。
振り向いた男は髪だけでなく、眉も睫毛も銀色だった。薄情に見える薄い唇から、肉食の歯が覗く。目の色は薄い青を混ぜた灰色で、ほとんど無色に近しい。涼やかなそれが、驚いたように、射抜かれたように、そしてまるで狂女のように、見開かれていた。

「スクアーロ」

ザンザスは、静かに彼の名を呼んだ。








★★★




WITHOUT LOVE

女は美しいものが好きだ。

ボンゴレ最強のヒットマン、アルコバレーノのリボーンの愛人であるビアンキは、食堂室に佇んでいる男を見た。
男の髪は銀色。目は、まるで真冬の凍った湖や、重く垂れた雲の色に近い灰青色。肌は作り物めいた白さで、青い血管が、古い屋敷の壁に纏わりつく蔦のように、肌の下を這っている様が透けていた。

ボンゴレ十代目が作った地下要塞は、巨大で、設備も充実していたが、それでもやはり、地下は地下である。陽の光の当たらない、暗い場所だ。
加えて、戦況は芳しいとはいえない。過去から彼女の愛おしいリボーンがやってきたが、彼女は聡い女だったから、彼さえやってくれば大丈夫、と盲信することはできなかった。
同じ過去からやってきたボンゴレ十代目や、彼の守護者達は修行に励んでいる。
彼女や、少年たちと同じようにこの時代へ飛ばされた二人の少女は、彼らの成功を祈ることと、栄養のある食事を作り、家事を一手に引き受けて修行に集中できるようにサポートすることしかできなかった。
心安らかとは言い難い状況である。

教え子を連れて山へ入ってから数日後、用事があって地下のアジトへ戻ってきた男は、食堂室で彼を待っている。せっかく立ち寄ったのだから、と、数日間全く姿を見せなかった二人に、女達は温かい食事を用意する。
一度は、いらねぇ、と冷たく告げた男も、毒サソリの異名を持つ女が迫ると、渋々その場所に留まった。スープを温めながら、ビアンキは、スクアーロを見る。

地下の素気無い一室で、男の姿は、淡い光を放っているかのようだった。
真珠の艶めきに似た髪に、ボーンチャイナのごとき肌に、水の色を思わせる目や、引き結ばれた薄い唇の、肌と殆ど変らぬ色合いにまで、それは満ち満ちていた。
まるで少女が美しいレースに手を伸ばすように、ビアンキは彼の頬に手を伸ばした。

「う゛お、…」

男は驚いて、身を引く。けれどビアンキは男が引いた分詰め寄る。女は、美しいものに対して欲深だ。
触れた肌はひいやりと冷たい。温かな人間の血肉よりも、爬虫類の鱗を想像させる冷たさだ。けれど表面はすべらかで、それこそ、傷一つない陶器のよう。
表面ではなく、皮膚の内側から青い光が漏れているかのように、淡く輝き、見る者に手を伸ばさせる。

「愛ね」

女は呟いた。女よりも、いくつか年長の男が眉を寄せる。

「愛されてるのね。あの男が、こんなに愛を注げるなんて、意外だわ」

女は生粋のマフィア育ちである。ボンゴレの身内に育って、ヴァリアーのボスの噂を聞かない者はいない。
あの暴虐な、苛烈な、赤目の君が、自分の恋人を輝かんばかりの姿に作り上げるだなんて。
これには相当の愛が注がれているだろう。

「アイ?何言ってんだかわかんねーぞぉ」

内側から光を包んだような男は、盛大に表情を歪ませて首を振った。長い髪で頬を掠められた女は、手を離してスープ鍋へと振り返る。
知らぬは本人ばかりなり。美しいものに触れて、女は機嫌良く鼻歌を歌った。






★★★




「パイ投げバトン」を回してもらった時のもの
ルッスからボスにパイ投げ、という無茶ぶり/丁度ハロウィーンだったので









「Dolcetto o Scherzetto?」
まだ青年になりきらない、子供の甲高さを残した声が響く。年中ハロウィンのような暗い城の高い天井から、作り物のクモの巣とお化けカボチャの紙細工が垂れ下がっている。
アタシは今焼きあがったばかりのパイを慎重にオーブンから出した。もちろん体中にぐるぐると包帯を巻いて、余った端を引き摺った王子様と小さな箒に乗って宙に浮かんでいる赤ん坊を 「もうちょっと待ってね、まだ熱いわ」と宥めることも忘れない。
網の上で湯気を立ちのぼらせるパイの中身は、もちろんカボチャ。何たってハロウィンですもの。
パイを切り分けたらきっとたっぷり詰め込んだカボチャのペーストが金色に輝いて、甘いもの嫌いなボスだって一切れくらいは食べてくれることでしょう。

オーブンから出すのを見せたのが悪かったのか、それとも徹底的にいたずらの気分なのかミイラの格好の王子様は、まだ熱いと言ったのにつまみ食いしようと自前のナイフを構える。
「こーら、ダメでしょベルちゃん。まだボスもスクちゃんも来てないんだから」
「王子待たせるなんてありえなくない?ムッツリ、お前いるんならボスとスクアーロが来るまで芸でもしろよ」
可哀そうに。でもレヴィに矛先が向いてくれてラッキーだわ、と思ったのも束の間、10分後には標的はまたパイに戻っていた。

「なぁもう待ってらんないって!お菓子くれないならいたずらするぜ!」
ベルちゃんから守るためにアタシはパイを、移したお皿ごと持ち上げた。いくらか細い少年といってもナイフを持ってる彼は侮れないから、パイを守るため部屋の中で軽い鬼ごっこになる。 そこへ、今起きました、と言わんばかりのどこか緩んだような気配が二つ近づいてきた。 「ダメだって言ってるでしょ、ほらもう二人とも来たわ、よ…っ」 けれどアタシともあろう者が、すっかり忘れていたのだ。
ベルちゃんに届かないように、パイを顔の高さまで持ち上げていたこと。
談話室のドアは外開きであるということ。

前を歩いていたスクアーロには、顔面に食べ物をぶつけられた経験が異常なほどある。
だから彼は本能で避けたのだ。主を守る剣士といえども、殺気も何も感じない、相手が気心の知れた仲間だったというところから、ついしゃがみ込んで目の前に迫るパイから逃げた。
これは仕方のないことだったと言える。

このような要因が重なって(とは後で思ったことだけれど)アタシが持っていた、まだ暖かなパイはボスの顔面にヒットした。血潮のように赤い目と高い鼻梁とふっくらした唇すべてが、こんがり香ばしいパイに沈んだ。
熱々でなかったのが幸いといえば幸いだけど、アタシはもうそれどころじゃなかったわ。
冗談でなしに背筋が凍った。明日の朝日を拝むことが、女を愛せと言われる以上に不可能なことにさえ思えた。
朝日を浴びて転がってるアタシの首の、みっともなく開いた口には、切り取られた自分の×××が詰め込まれてるんじゃないかって……

パイ皿を持ったままその場に凍りついていたアタシの目の前で、ボスは顔に付いたパイ生地とカボチャペーストを、あんぐり口を開けて上を見てたスクちゃんの顔にかけるように払った。
「あの…ボス…ごめんなさい、タ、タオル持ってくるわね…」
精一杯のへつらった笑顔で後ずさるアタシの胸倉を、ボスの素晴らしく均整の取れた長い腕が伸びてきてむんずと掴む。
「ルッスーリア」
聞いただけで腰砕けになりそうな低い声がアタシの名を呼ぶ。
「これはスケルツェットか?」
向けられたのは、悪魔が魂を取る時ってこんな顔するんでしょうね、と思いたくなるような凄絶な笑みだった。






それからのことは、思い出したくないわ。
アタシに言えることがあるとすれば、パイは持ち上げるな、ね。皆様は、良いハロウィンを。





★★★




「罰ゲーム付きバトン」の罰ゲーム
三十路









傍で眠る男を見る。
自分が三十を越えてからやっと、寝返りさえうてぬほど、まるで三つかそこいらの子供が母親にしがみつく必死さで自分を抱え込んで寝ることをやめた男。
それでも木の葉の影がインクの染みのように濃く映る季節、こぶし二つ分しか開いていない自分たちの間は互いの体温でぬくもった空気が籠もり、体温と隔てがなく感じる。

すこし眠っていたうちにもう日の出が近い時刻になっていたのだろうか。カーテンの端がほの白い光を放っているように見えた。

昔よりも長く伸ばされた髪はそういえばずっと昔に見た、彼が子供の頃の写真と似た髪型だ。
深い眼窩は褥の闇のなかでいっそう暗く、もし今その目が開かれたならばそれは闇夜に燃え上がり夜空を焦がす炎のように見えることだろう。
細い毛先がかかった鼻筋は顔の中心を寸分違わずに貫き、鼻先は彼の矜持のようにつんと高い。
起きている時はたいてい不満そうに引き結ばれている唇が今はすこしだけ緩められ、どこもかしこも固く鋭い面立ちの中でその印象を裏切るほどにぽってりと厚く、自分にはひどく肉感的に感じる。

そのすぐ下には傷痕があった。ケロイドのような、他の肌とは違う色をした火傷とも凍傷ともつかない引き攣れ。一番大きいのは左頬のものだ。額のそれは、今は前髪の下から覗くばかり。

ザンザスは元々精悍な面立ちのいい男だが、この傷跡が彼の男ぶりを増している、と自分は思う。面立ちの整った男も、顔に傷を負った男も世の中にごまんと居るが、ザンザスほどにその傷が更なる魅力へと繋がった男も少ないだろう。

当の本人は気にしていないものの、自分は以前、どうにかして治せないものか、ルッスーリアやボンゴレの晴れの守護者にも掛け合い、手の施しようがないと聞かされ落胆したものだが、今では傷痕にキスをした時の感触が堪らないと思うようになった。
太い血管が通る首筋も良い。柔らかく重なった極彩色の鳥の羽飾りは、この十年でいくらか様子が変わった。

そこまで考えて、一度遠ざかった眠気がまたすぐ傍まで歩み寄ってきてくれたことに気づく。このまま手繰り寄せようと目を閉じ、そして自分が眠気を手繰り寄せているのではなく、自分の髪が隣で眠る男に手繰り寄せられていることに気づいた。

一度閉じた瞼を開いて彼を見ると、その目はまさに天へ昇る火柱のようであった。

「人の顔をじろじろ見やがって、暑苦しいったらありゃしねぇ」
髪を手繰り寄せて頭を手繰り寄せられたオレは、彼の額に軽くぶつかることとなる。暑苦しいのはどっちだ。だが、掴んだところをそのまま力任せに引っ張って頭突きをされていた以前とは確かに違う。
冷房が得意でない自分の体は、暑がりな彼といるといつの間にか冷たくなっている。それが心地良いのか、彼は三十路で解いたはずの腕の鎖でまた自分を雁字搦めに縛り付けた。


「もう一回だ」
暑苦しいと言ったわりに上機嫌そうな彼が、寝ても起きてもやはり肉感的な唇で言う。

忘れがちだが、彼の心は二十六歳なのだ。氷の中で過ごした八年間。その後体は驚くべきスピードで年月に追いついたが、心の方はそうはいかない。
彼の心がこの世ですごした年月は、まだ二十六年間なのである。自分とは六年の差があるが、もともと子供っぽい質の自分だ。丁度良いくらいだろう。
けれどもこういう時には少し困る。二十六の彼と三十二の自分。いくら鍛えてはいても元々そっちに関しては貪欲でない自分は、抜かずの三発、体位を大きく変えて一発、すこし眠ってもう一回なんてスタミナが尽きてしまう。 朝ベッドから起き上がれなくなるのは目に見えている。

だからタオルケットの下で動く手を止めて欲しいのだが…「あ゛…っ」

こうしてオレはまた、上等で軋まないベッドの代わりのように声をあげることとなるのだ。




★★★






31のボスと29の鮫って美味しいんじゃないかと思ってかいたもの









男は三十路からだってテレビか何かで聞いたが、本当にそうだと思う。
何しろボスときたら、そりゃあ16の時から獰猛で気高くて最高に格好良くはあったが、 ここ二、三年、そう、三十路が近くなったあたりから少し落ち着いた代わりに一層貫禄が増して、 今じゃこいつに惚れ抜いてるオレじゃなくても震えがくる程の男振りだ。


書類にサインをした後に眼鏡を外して目頭を人差指の関節で押さえている。
眉間に皺を寄せて二、三度瞬きする仕草がセクシーだ。
副官として仕事を手伝い、そして一足先に書類の山を崩し終わったオレは その仕草をぼーっと見つめてしまう。
下半分だけメタルフレームの薄い眼鏡をケースに仕舞って引出しの一番上に入れて、 オレの顔をちらりと見る。
一瞬の視線をくれた後に、唇をほんの軽く持ち上げる。
最近、こういう笑顔が増えてきた。声もたてず唇も開かず、 ほんの少し唇の端を持ち上げて目を細めるのだ。
前髪の下の赤い目が細まるのにくらくらして、オレは立ち上がる。 処理の終わった書類を忘れずにボスの机の上に乗せて、 そのまま机に手を付き身を乗り出してキスをした。
ボスはそれを避けずに受け入れ、 分かっていたと言わんばかりにまた目を細めた。
合わせた唇が少し動く。
柔らかな唇に軽く歯を立ててオネダリしながら、オレはまた、たまんねぇ、と思った。
三十路ですらコレだ。こいつが四十になったら、オレは果たして正気で居られるんだろうか。
自信ねぇな。
そんなことを思ってたら痛いくらいに舌を吸われて、オレはまたボスとのキスに没頭した。





★★★




ボス誕の時にS.Vのukiさんの所の絵茶で書かせてもらったもの
子ザンスク









電気を消した部屋の中に、蝋燭の火が映る。年の数と同じだけ生クリームのたっぷり乗ったケーキに刺された蝋燭の炎は、一瞬ごとに揺らぎ、部屋の壁に映る二人の影をも大きく揺らした。
閉め切った窓の外から、防ぎきれない夜半の濃密な闇が流れ込んでくる。10月10日の夜更け。正確にいえば、10月11日の早朝。
だけれども、二人にとっては今こそが10日、XANXUSの誕生日だった。
彼にとって毎年10月10日といえば、一年で一等疲れる日だった。
九代目ドン・ボンゴレの一人息子のために贈られる大量のプレゼントで部屋は溢れかえり、昼間は特に親密な関係のあるファミリーからの挨拶、夕刻から始まるパーティでは頭痛がしてくる程大勢の人間が彼に祝辞を述べる。
誰も彼も“XANXUS”の誕生日など祝っていない。彼に贈られるプレゼントも、祝いの言葉も全て九代目ドン・ボンゴレの息子に向けられていた。


酒が入って声の大きくなる大人たちが最後の一人までリムジンに乗るのを見送ってようやく解放されたXANXUSは、今日一日ネクタイで締め付けられていた窮屈な首元に手を伸ばしてネクタイを緩め、ボタンを外しながら自室へと向かう。
ドアノブに手をかけて気付く ------- どうやら、野良猫が一匹入り込んだようだ。構わず、掴んだドアノブを回す。
年月を重ね艶めく重厚なドアを開けて彼の視線が捉えたのは、暗闇にぼんやりと、まるで発光しているように浮かび上がる銀の髪だった。

「いよぉ゛御曹司」
「誰が入って良いっつった」
鍵を閉めている筈の窓をこうも簡単に開けて忍び込まれたのでは、イタリア最大のマフィア、ボンゴレファミリーの立つ瀬がない。パチン、と電気を付けてネクタイを引き抜き、XANXUSはそこらの動物を追い払うように手を振る。
「つれねぇなぁ御曹司。せっかくケーキ持ってきたんだぜ」
なるほど、ソファの前のローテーブルには白い箱がひとつ置いてあった。
「はっ、ついにコソ泥の真似事もやるようになったか?」
「違う!ちゃんと買ったんだぁ!だから、ちゃんと名前だって書いてもらった!ほら、見ろよ」
スクアーロが箱を開けて得意そうに中のケーキを見せてくる。それは生クリームの上にイチゴが乗ったごく普通の、どちらかといえば小さめのホールのショートケーキだった。
だが確かに、ネームプレートにはチョコレートの少し歪んだ字で“Buon Compleanno XANXUS”と書かれていた。


「他の奴らみたいにでかいプレゼントは、まだ買えないけどよぉ…」
部屋に積み上げられている箱へと色素の少ない、薄い色の瞳が向けられる。どれも中身はこのケーキの何倍も、何十倍も、あるいは何百倍もするものばかりである。
けれど、XANXUSは一度付けた部屋の電気を再び消した。

「おら、早く火付けやがれ。ライターはあるんだろうな?」「っ…おう!」
まだ目が慣れない暗闇の中でスクアーロの銀の髪だけがぼうっと浮いて、それからライターの小さな火で小さな顔が照らされた。オレンジに照らされた顔は驚き、それでも嬉しさを隠せない奇妙な表情だ。


「来年はもっとでかいプレゼントやるぜぇ。あ゛、でもプレゼントなんていらねぇのかもな。お前は、何でも手に入るようになってる。」
揺れる炎に照らされた薄い唇が悪ぶったような笑みを浮かべる。XANXUSは鼻を鳴らして小さく笑った。今日初めて、ようやくマトモな表情を浮かべた気がした。


「とりあえず今年はコレで、…Buon Compleanno XANXUS」




★★★




何と後日ukiさんが漫画化してくれました…!ありがとうございます!感動!
→漫画へ





★★★




同じくukiさんの所の絵茶で書かせてもらったもの
元ネタはukiさんの無料配布本「XX」(が、絵茶の流れで色々とアレンジされたりしたもの)
パラレル 堕天使とか悪魔とかそういう世界観 できれば続き…というか同じ世界観の別のお話も書きたい









陽の光の差さぬ場所である。夜という訳ではない。いや、夜という言葉も正しいのだ。
しかし夜は朝という対義があってこその夜だ。明けるからこその夜だ。
この世界は常夜。朝は無い。太陽など昇らない。
ならばこれは何だ。
これは----------地獄、であった。


青年の目は爛々と赤い。燭台に灯された蝋燭の炎よりも光り、まるで獲物を捕らえるように視線を向ける。
髪は闇に溶けるような鴉の濡れ羽色で、肩からかけた外套はまるで闇の一端を纏っているのではないかと思わせるような黒色である。
彼は押し黙ったまま玉座に座っていた。ふいに、足元の影を見下ろす。
途端に壁へ長く伸びる影に薄い割れ目が生じた。白銀の光が、まるで影を切る刃のように溢れ出し辺りに眩い光の海が満ちていく。
暗闇で目を焼くほどの光の洪水に、青年は目を細めもせずその中心をひたと見据えていた。部屋を白く染め上げる光は、やがて影の中心へと集まって人の形を象っていく。
光の糸が長い髪へ、肌は青白いほどに白く、瞳は暗闇に光る刃のように鈍く光っている。影から生まれ、光だけで作られたかのような頬に血の気はない。
人形のように白くすべらかで、触れればひやりと指先を冷やすのではないかとさえ思わせる。
人の形に収まった光が唇が開く。言葉を覚えたての子供のように、どこか危うい響きである。
「…XANXUS」


ザンザス、と呼ばれた青年は軽く両目を細めて、それから顎を引いて光を招いた。光は滑るように青年に歩み寄る。
青年は片手を少し持ち上げて目の前へ翳す。その掌の内に、外の世界でいう、“夕焼け”の色とよく似た小さな炎が生まれた。地の果てが業火に焼き尽くされる色だ。
光で出来た、顔色が紙のように白い青年---スペルビはザンザスの手元に薄い唇を近付ける。
スペルビが足を浸している影は、彼が動いてもその両足に纏わりついたままである。
玉座のひじ掛けに片手を付き身を屈めたスクアーロの白銀の髪が、流れるようにさらさらとザンザスの膝に落ちていく。
小さな炎を包んだ手が唇にあてがわれ、そのまま口を塞ぐように唇につけるのと同時に闇に浮かび上がるような喉がこくりと上下に動いた。

「う゛…ァ、…は…っ…」
未だ塞がれたままの唇と、掌との僅かな隙間から小さな声が洩れる。屈めていた体をさらに丸めこんで腹の辺りの布地をぎゅうと握りしめ、磨いた硝子のような目を見開いてスペルビは静かに身悶えていた。
それを見て、ザンザスがほんの少しだけ口角を擡げる。あてがった掌を更に押しつけて、ついでに後頭部も押さえる。スペルビは今度は両目を瞑り、まるで呼吸さえ封じるようなザンザスの手首に手をかけて 引っ掻くように指を立てる。やがて二、三度びくびくと体を強張らせて、手首にかけていた手を力無く落とす。
その様を目にしてからザンザスは手を離した。膝の上に崩れ落ちそうになっていた体を起して、大きく呼吸をするスペルビの頬に漸く赤みが差し、これが人形だと言われても疑えるような相貌となった。


「それじゃ、行ってくるぜぇ」
軽薄そうな薄い唇を歪め、平らに揃った歯列を片側だけ見せて笑った彼が足音もなく歩き出すと、纏わりついていた影がまるで靴の裏に吸い込まれていくように消えていった。長い銀髪を眩く揺らす彼の足元に、影は無い。
相変わらず玉座に座ったまま、組んでいた足を組み替えたザンザスの影も今は無い。彼の影は、傲慢として分たれた。彼らは、二人で一つなのであった。