XANXUSが死んだ。地獄の王のように、ヴァリアーというマフィアの業のなかでも一番の深淵を統べていた男は、
鉛玉にでも毒薬にでもなく、自らの炎によって身内を焼かれて死んだ。生きたままに二度も凍らされたことが、一番いけなかった。
鉄を溶かすほどの炎と、時間すら止める氷との温度差は彼の内腑を痛めつけ、蝕み、そうしてついには命を奪った。
彼の周りの、多くの人間は自分の死は彼に見送られるだろうと思っていた。誰もが予想だにしていない死だった。
ボスが死んだ。
俺たちのたった一人の王様は、俺たちみんなを残して一人で勝手に逝ってしまった。
強さがそのまま寿命に直結するといっても良いこの世界で、彼の死はその分かりやすい公式からあまりにも外れていて、ついでに現代医学の限界も超えていた。
これだけ臓器がダメになっているのに脳がちゃんと動いているのが奇跡だと、命知らずに呟いた医者をキレたスクアーロがぶん殴ってボスが止めた。
スクアーロはもう体のどこもかしこもガタが来てるボスに止められるとすぐにピタッと手を止めて、止めるついでに一発頬っぺたを殴られていた。それでもボスの拳には
もうスクアーロを殴り飛ばす威力はなく、よろめくこともできなかったスクアーロは却って痛そうに顔を歪めていた。
それが三か月前のことだ。
スクアーロはボスの葬式の日から一日も部屋から出てきていない。
幹部の部屋にはキッチンもトイレもあるから、忙しい時なら同じ建物にいても一か月くらい顔を合わさないなんてことはざらにある。
式からはちょうど一か月。長期任務に就いていればそれぐらい屋敷を留守にすることもある。
ただひとつ問題なのは、彼がボスの死体と一緒に部屋に閉じ篭もってしまったことだった。
元々スクアーロは、ボスが死んだあとにボスの死体をもらい受ける約束を本人としていた。死体を所有物にするなんて死者への冒涜だとか、正気の沙汰じゃないとか
あるいはボスは九代目の息子なのだから(驚くべきことに、ごく一部の人間に対してを除いて、30年以上前に吐かれたこの嘘は貫き通されていた)
ボンゴレ血縁者の墓に入れるべきだとか、とにかく色んな奴が色んなことを彼が生きてる内から言っていたけれど、
彼はそのすべてを突っぱねて自分の財産はすべてヴァリアーに、そして体は二十年来の部下S・スクアーロに任せると遺書を書いた。
身内以外を信用できない彼らしい態度だった。
俺はスクアーロが、ボスを自分だけしか知らない場所に埋めるか、もしくはルッスーリアに手伝ってもらってホルマリン漬けにでもして部屋に置いておく、
それかエンバーミングを施して、定期的な手入れさえすればスクアーロ自身が死ぬまで一緒に居られるように、肌に触れてキスだってできるようにする、
まあそのくらいのことを考えてるんだろうと思っていた。
俺には死体を愛でる趣味はないけど、スクアーロがそうするのを止めるほど常識人じゃない。
それに何より、相手はボスなのだ。あのバカな鮫はボスが居ないと、息の仕方だって忘れてしまう。それをガキの頃からたっぷり八年見せつけられてきた俺には、何にも言えなかった。
しかしスクアーロが、「ボスの死体を食う」と言ったときは驚いた。声を荒げて羽交い絞めにして力づくで止める、なんてことにはならなかったが、
さすがに身の回りに死体を食った奴はいなかったから「おやめなさいなスクちゃん。病気になることだってあるのよ」なんて止める奴もいた。
意外なことだが、スクアーロがボスの死体を所有することに一番苦い顔をしていたのはルッスーリアだった。ルッス自身はネクロフィリアだが、スクアーロには元々その気は一ミリもない。
それが気にかかってるようだった。
「ボスの死体はね、スクアーロにボスが死んだってことをずっと突きつけ続けるわ。死体っていうのは、その人が死んだってことの証拠でしょう?」
スクアーロがボスの死体を所有すると知ったあと、彼のいない所でルッスーリアは俺にそう言った。つまりボスの死体を所有することは、ボスの死を所有すること、ボスの死体を保存するのは、ボスの死を保存することだというのだ。
人を食べること。それを食欲や性欲から行う奴はいる。愛してるから食べたい、というのは理解できなくもない。そういう欲求を持っていてボスを食べるのなら俺たちは止めない。
でもスクアーロは元々そんな欲求を持っていない筈だ。
並べられたまま動かしてもいないフォークとナイフの前で、食人鬼なんだ、とスクアーロは呟いた。
「オレの本当の食べ物は、ヒトだ。ヒトしか食えない訳じゃないが、ヒトからじゃないとうまく栄養がとれねぇ。」
目の下に青黒い隈を作ったスクアーロが続ける。いわく彼は吸血鬼や狼男のような、伝説上でだけ存在していると思われている食人鬼、という生物で人間ではないらしい。
人間でありながら人間を食べるカニバリズム嗜好や食人種ではなく、食人鬼。
今までは任務で殺した奴を時々食べていた。ボスだけはそれを、出会った頃から知っていて特に気持ち悪がりもせずむしろ面白がっていた。
ボスの死体を食べる気は、元々なかった。けれどボスがそれを勧めた。だから自分はボスの死体を食べることにした。
かさかさになって皮が捲くれた唇がぽつぽつと語った。到底信じられる話じゃなかった。こういう壊れ方をしたか、と思った。
スクアーロにとってボスのいなくなった世界は、水のなくなった海だ。
水が干からびてしまった陸地で、この鮫は藻掻いてのたうちまわっている。
それでもスクアーロは主張を変えることなく自分は食人鬼だと言い張り、部屋に籠った。
あれから一か月、今俺たちはスクアーロの部屋の前にいる。
小さな羽虫がドアの隙間から出てきて、俺の顔の周りに纏わりつくように飛ぶ。頭を振るってそれを遠ざけながら、俺はドアノブに手をかけた。
毎日メイドが拭いているから、埃なんて被っていないドアノブ。冷たい金属を回して引く。ドアは開かない。
レヴィが持ってきた工具を手にしゃがみ込んで、鍵穴にドライバーだかレンチだかを突っ込みガチャガチャと動かすと、かしゃん、と思いの外軽い音がして鍵が開いた。
本当は鍵のかかってるドアを蹴破るのなんて簡単だけど、そうしなかったのは中の光景を見たくなかったからかも知れない。正直に言えば気が進まなかった。でもやらなくちゃいけなかった。
そうしなければならないのは、誰もが分かっていることだった。
もう一度ドアノブを握って引くと、今度はキィ、と古城らしく軋んだ音をたててドアが開いた。細く開いた隙間から羽虫がわっと飛び出す。鍵を開けていない時から辺りに漂っていた腐臭はドアを開くと鼻が痛いくらいになった。
朝から何も食べずいたにもかかわらず、胃液がせりあがってくるような臭いの中ドアを全開にして部屋の中に足を進めた。そこに居たのは確かに、鬼だった。
以前のような光沢のない白い髪が床に蛇のように這い、服の上から分かる骨と皮だけの腕がちいさな膝を抱えていた。袖から覗いた手首が枯れ枝のように、折れそうなほど細い。頬から顎にかけてげっそりと肉が削げ、伸びた前髪の下から覗いた目だけがぎょろりと大きい。
その目もこちらを一度見るもののすぐに興味がないように逸らされ、今はまたボスの死体だったものを見ている、ように見える。実際にはどこを見ているのか、どこも見ていないのか、わからない。
黒のぴったりしたカットソーから伸びた首筋と頬が老人の肌みたいだ。背骨が浮きそうな背と、まるで内臓が入っていないようにすら見える腹。
ボスの死体はスクアーロの、備え付けの家具とほんの少しだけの私物で構成された殺風景な部屋のベッドに寝かされていた。シーツには腐敗液が染みていた。
腐って崩れた死体に、それでも噛んだり切ったりしたような痕はなかった。俺は死体なんて物としか思ってないから、それがボスのだろうと誰のだろうと、腐って崩れてところどころ骨が見えていても気にはならない。
それより俺が気になるのはスクアーロだ。生身の人間の方だ。ルッスーリアがスクアーロを支えながら立ち上がらせようとする。スクアーロは嫌がって首を振ってベッドのボスにしがみついた。しがみつこうとした。
腐った死体の手首が脆く崩れる。
「ア」
スクアーロが声をあげる。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
鎮静剤を何本も打たれて眠っているスクアーロは、確かに鬼だった。鬼になった、という方が正しい。
彼の体は、地獄絵図の餓鬼みたいに骨と皮ばかりになっていた。
ひたすらに思いつめて鬼に変貌していった鬼女のような目をしていた。
スクアーロはボスより先に自分が死ぬと、信じて疑わずに生きてきた。ボスがいない世界で自分が存在する、ということ自体がスクアーロの頭の中にはなかった。
この世のものではない人を思い、それしか見えていない、それしか見ないようにするスクアーロは、いっそ異形と呼んだ方が良いのかも知れない。
かわいそうな、鬼だ。
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