「電子の文字が繋ぐ恋」

 

プロローグ




 別にどうということもない。
 インターネットで人が人と出会うことなど。
 最近ではインターネットはより身近になり、ネットサーフィンを楽しむのはもちろん、ホームページを開設したり、ネットで商売をしている人もざらに見かける。今やインターネットは単なるメディアでなく、ひとつの社会と言えるくらいに大きくなって、今も日進月歩で進歩し続けている。
 これは、そんな時代のとある街に住む男女のお話。今の時代ならどこにでもありそうで、その実滅多にないようなお話。
 ただ、それだけである。



第1章「メッセージに揺らされる心」




「……何でこんなクラブに入ったのだろう、僕は?」
 和也は、ぼんやりとうめいた。
 ここはとある高校のコンピュータ室だ。授業が終わった後、ここで毎日部活動を行っている。だがいつ来ても、いつ帰っても良いので、そんなに人がいるわけでもない。
 しかし一人でない以上、誰かが聞きとがめるのも当然といえば当然だった。隣でモニターとにらめっこしていた部員のひとりが、和也の方に顔を向けた。
「どうしたんだ、斎藤?」
「別に。授業で疲れただけだよ、最後の授業バスケだったし」
 和也はその人物の言葉を適当に流して、自分もまた画面とにらめっこを再開した。
 しかし、別に大層なプログラムを組んでいるわけでもない。いやそれは他の部員についても言えることだが。中には真面目な人もいるが、ほとんどいない。
(日本語で組めるのなら、いくらでもプログラム組むんだけどな)
 和也は実現しそうもないことをぼやいた。視線で横の部員に同意を求めるが、その部員は画面とにらめっこしたままで彼の視線に全く気づかないからどうしようもない。
 彼はそれから少し周りを見まわしたりもしたが、みんなそれぞれの作業に没頭しているようだ。
 真面目にプログラムを組んでいる者、ペイントソフトでCGを描いている者、なぜかコンピュータとは全然関係のないことを向こうの机でやや騒ぎながら楽しんでいる者達。さすがにあからさまにパソコンでゲームをしているものはいないが、これがこのクラブが『部』でなく『愛好会』である所以であった。
 和也は小さくため息をつくとそれまで使っていたアプリケーションを閉じ、マウスでブラウザのアイコンをダブルクリックした。
 彼は自分のホームページを開いた。今日の来場者数は比較的多めだ。CGを見に来てくれているのか、それとも小説を読みに来てくれたのか。どちらにせよ悪い気分はしなかった。それらのものを公開するにあたって、感想を送るためのメールフォームも作ったのだが、こちらはほとんど使われていないようでちょっと寂しい。
(もっと宣伝すべきなのかな……。ネット上で謙虚にしてても埋もれていくだけだし。こういう場合は、いわゆる『上品さ』は通じないんだよな)
 和也は以前は謙虚にほぼ全く自分のホームページの宣伝もせず、ただ感想を待っていたのだが、一つも来なかった。それどころか訪問者数までもが日々減っていったのだ。
 彼はその事態に直面し、あっさりとこれまでの考えを捨てた。ナンセンスな考えに固執するのもこれまたナンセンスだ。というわけで人が変わったように彼は積極的に自分のホームページの、小説やCGの宣伝活動を開始した。他のオンライン作家との交流も含めて。
 どうやらその報酬は出始めているようだ。それに少し満足しながら、彼は自分のホームページのチャットルームに入室した。
 このチャットルームは、別に自分でプログラムを組んで作ったものではない。ホームページ作成支援のホームページからもらってきたものを使っている。
 入室したチャットルームには、今は誰もいなかった。当たり前なのだろうが。
 普通、ネットは夜に賑やかになる。それはネットに来るのはネット上に住んでいるものでなく、現実世界に住んでいる人間で、昼間の生活を終えてからWeb上に来るからだ。休みの日や、昼に時間が空いている人はその限りでもないが。また、電話会社が割り引きサービスをしていて、その適用時間帯が夜中であるという理由もある。
 チャットルームには人はいなかった。いなかったのだが――
『宵闇のシスター>あ、やっぱり今は人がいませんね。管理人さん、今夜来られます? 一度リアルタイムでお話したいので、夜ここで待ってます。(4/27(木)16:35 ****.****.***.ne.jp)』
 メッセージが残っていた。
(宵闇のシスターさん? ああ、この前読んだ小説の作者さんか。滅茶苦茶長い感想を送ったら向こうも滅茶苦茶喜んでたな。自分も長い感想をもらうと本当に嬉しいけど。30分くらい前に来たんだな、この人)
 宵闇のシスター、もちろんこれは本名とは違いネット上ではハンドルネームというあだ名のようなものを用いるのだが、彼女は感想を送ったこちらのホームページに来てくれたようだ。これで自分の小説を読んで感想を、もしくはネット小説のランキングに一票入れてくれると飛び跳ねるほど嬉しいのだが、そううまくは行かないことが多い。ネット上においてまで積極的な人は少ない。現実の方の生活で疲れきってそんな余力がないのだろう。それか全てにおいて消極的か。和也はそう思っていた。
 そのメッセージを見た和也はとりあえず今日はクラブ活動(と言えるのかは謎だが)を切り上げて家に帰ることにした。
 和也はコンピュータそのものを終了させるよう命令した。そして自分も荷物をまとめ、席を立つ。
 すると、横から友人の声が飛び入ってきた。
「おい、帰る前に数学のノート貸してくれよ。微積がわかんないんだよ。お前はもう宿題終わったんだろう?」
「ああ。それ、やっぱ自分でしなよ。力つくからさ」
「待てよ。貸してくれるって言ったろ」
「ん〜、パス」
「何がパスなんだオイ?」
「いや、なかなか返さないだろお前。こういうのは日ごろの信用がものをいうんだよ。じゃあな」
 友人の必死の頼みをさらりと流すと、和也はコンピュータが停止したのを確認して、カバン片手に部屋を出ようとした。が、
「部長が先に帰るのかよー」
 障害その2がやってきた。一応このコンピュータ愛好会の部長である――正確には半ば強引にされてしまったのだが――和也は、多少いらいらしながら、
「ああ、いいだろ。鍵閉め当番は適当に決めといて。それに『部』でもないのに部長というのはなんだか変だな」
 それだけ言うと和也はさっさと部屋を出た。まだ背後から声が聞こえるが、そう非難しているようなセリフでもない。
 和也は家に帰るべく、やや早足で昇降口へと向かった。



第2章「チャットで生まれるほのかな気持ち」




「ただいまーおかえりー」
 家のドアを空けるや否や自分で言って自分で返事をすると、和也は玄関で靴を脱いだ。別に気を遣っているというわけでもないが綺麗に並べる。もしかして気を遣うことが癖になっているのかもしれない。
 なんとなくそう思いながら、彼はまずリビングに向かった。リビングに着いてから無造作にカバンをソファに放ると、まっすぐ冷蔵庫に向かう。すると呆けたような顔をした母が迎えてくれた。
「私のセリフまでわざわざどうも」
「余分な口数減って楽でしょう」
 母の皮肉を皮肉で返すと、和也は冷蔵庫を開けて中をあさった。そしてお菓子とジュースを手に取る。
「これもらっていい〜ええいいわよ〜」
 またもやひとり芝居をするとおやつとソファに投げ出されたカバンを持ち、和也は2階の自室に向かった。もう何も言わず、ただ呆れた視線をこちらの背中に注ぐ母を後にして。



 二階に上がると、和也は廊下をぺたぺたと歩き自分の部屋の入り口に立った。そしてそれを無造作に開ける。
 そして彼は凍りついた。
 何がどう、というわけでもない。別に自分の部屋がきれいさっぱりすっ飛んで目の前にさわやかな空が広がっていたというわけでもないし、こちらに向かって発射される寸前のミサイルが『こんにちは』と機嫌良く挨拶してきたわけでもない。
 だが彼にとっては、今目の前で起こっていることとそれとは同じことだった。
「何やってるんだお前はぁぁぁぁぁぁ!?」
 和也は怒鳴り声を上げた。だがそんなものを右の耳から左の耳に流して放り捨てたように、目の前の人物は何気なく、和也の方を振り向きもせずに気楽な声をあげた。
「ああ。お帰り」
「うがああああああ!」
 それを見て和也はお菓子を放り出し、頭を抱えてわめいた。当然目の前の人物はそれを聞かざるも得ず、さもうるさそうにつぶやく。今度は彼の方を振り向いて。
「どうしたの? 新種の病気? 妹を見ると興奮せずにはいられないっていう」
「ンなもんあるかっ!? お前は自分のやってることがわからんのか!」
「わかるわよ。お兄ちゃんのパソコンいじって秘密探ってるの。結構面白いわね、お兄ちゃんって♪」
「……何が面白いんだ?」
 和也はいい加減無駄に思えてわめくのをやめた。その代わりに半眼で冷たく告げる。そしてぴしっと彼女の顔を指差した。
「夕紀……。自覚あっての行動か。とうとうお前は悪魔と契約してしまったんだな。ああそうだ。だって人の秘密を探っておいて本人を目の前にしてもけろっとしてるんだからな」
「そーなの?」
 けろっとした態度を変えもせず、和也の妹である夕紀はつぶやいた。そして続ける。
「たくさん秘密のある関係って、人間としてすごく悲しいと思うの。だから人に断りもせずこうしてパソコンいじってるのよ」
「露出狂よろしく無意味に見せ合う関係というのも問題だとは思わないか?」
 だが彼女は聞いていない。また和也のパソコンに向かってマウスを動かし始める。
 それを見て、和也はため息と共にうなずいた。
「まあ、そういう態度に出るのなら、こっちだって考えがある」
 そううめくと和也は目を閉じて軽くかぶりを振ってから、ゆっくりと、だがじっくりと妹の方に歩み寄った。さすがに夕紀も手を止めて警戒する。
「な、何よ。何のつもりなのよ?」
 振り向かずにそううめく彼女の背中は、ややこわばっているように和也には見えた。
 しかし、もう後の祭である。
「あ、あのねお兄ちゃん。誰だって間違いはあるわよ。人は間違いを乗り越えて生きていくのよ。だから、つまり、そのぅ……、ああもう! いつもやられてばかりの私じゃないのよ!」
「ほぉぉう」
 ぺきぺきと指を鳴らして、和也は、目の前で汗を一筋たらしている妹に向かってにこりと微笑んだ。



 もう太陽は沈んでいる。和也はあれから部屋を出て夕食を終え、また自室に戻った。
 そこは静寂が完全に支配していた……わけでもない。CDをかけているわけでもないし、下の階が、近所が騒がしいわけでもない。違う点は、自分が寝るベッドの上に、先程けしからんことをした妹が横たわっているということくらいか。彼女は脇腹を抑え、涙を流しながらこちらに向かって何やらうめいてくる。
「ひどいよぉ、お兄ちゃん。いつもいつも私の弱点ばっか攻めるんだから……」
「うるさい。あんなことした罰だ」
 何のことはない。あれから逃げようとする妹を捕まえてベッドの上で脇腹を涙が流れるまでくすぐってやったのだ。言うまでもなく、妹はそこをくすぐられると弱かった。彼もそれには弱いのだが。
 彼女は夕食も食べずにベッドの上でそのまま拗ねているわけだが、さすがに気になって和也は夕食をお盆に乗せて彼女のところに持ってきてあげた。そしてそれを机の上に置く。
「夕飯、ここに置いとくからちゃんと食べとけよ。健康を失ったら苦しいんだからな」
「そんなの、食べないわよ…………」
 夕紀はそっぽを向いてそうつぶやいたが和也は心配しなかった。こういう喧嘩は珍しくない。
 どうせ自分の姿が消えてしばらくしたら夕飯くらいぺろっと食べ尽くすだろう。そう思って和也は、自分のパソコンを持って――ノートパソコンなのだ――自分の部屋を出た。
 彼が向かうところは……
(自分の部屋は使えないから、妹の部屋を使おうか。いや、リビングじゃないといけないか。電話回線のコンセントないし)
 口に出さずそうつぶやいて、和也はリビングに向かった。



「今電話使わないよね?」
「ええ。でもやりすぎには注意しなさいよ」
「わかってるって」
 母とそんなやりとりをしながら、和也は電話回線とさっきリビングのテーブルに置いたノートパソコンを繋げた。そして電源を入れる。コンピュータが使えるようになるまで彼はテレビを見ることにした。
 今、そこにはニュース番組が流れていた。
『ニュースをお伝えします。昨日未明、インターネットで元恋人に対する個人情報流出や彼女の名誉を著しく損じるような行為をしたりコンピュータウィルスを被害者の女性のパソコンに感染させるなどの悪質な嫌がらせを長期にわたってしたとして**県**市に住む会社員の****容疑者が逮捕されました。この会社員は――』
(……犯罪もどんどんハイテク化するってか? それにしてはあまりにもくだらないけどな、これは)
 そのニュースを見ながら和也は心の中でぼんやりとつぶやいた。そんな彼に後ろから声がかかる。言うまでもなく、母親だ。
「あら、恐ろしいわねぇ、最近は。気をつけなさいよ、あなたも」
「うん」
 答えて、和也はテレビを消してコンピュータに視線を戻した。もう使える状態になっていることを確認して、彼はブラウザを立ち上げた。
(もういたりして、彼女)
 宵闇のシスターのことを思い浮かべながら、彼は自分のホームページを開いた。見慣れた画面が彼の目の前に現れる。そして寄り道せずにチャットルームを開いた。そこには……
(来てるわけないか)
 やはり誰もいなかった。小さくため息をつくと和也はブラウザを閉じてパソコンの電源も切った。そしてそれを片手に抱えて部屋の出口に向かう。
 と、それを見ていた母親が、
「あれ、もうやめるの?」
「ああ。また夜中にする」
「また夜更かし? いい加減にしなさいよ」
「あんまりしないって」
 そう言うと、和也はひとまず二階に戻っていった。



「……やっぱしっかりしてるよな、夕紀って」
 深夜、すっかり静まったリビングで和也は独りつぶやいた。今、家族の中で起きているのは彼だけである。母は仕事から帰ってきた父と眠っている。妹は、思った通りあれから自分の兄が持ってきた夕食を何一つ残さず食べ尽くしていた。今頃は自分の部屋のベッドで枕を抱いているはずだ。
 そして彼はさっきと同じ事をした。自分のホームページのチャットルームが開かれる。中には――
(……いた)
 宵闇のシスターさんが入室していた。すかさず自分もハンドル―ネーム『Lucky Rookie』を入れて、入室ボタンを押す。
 そしてチャットが始まった。
『Lucky Rookie(以下L)>こんばんは。』
『宵闇のシスター(以下宵)>あ、こんばんは。こちらでははじめまして、宵闇のシスターと申します。』
『L>こちらこそはじめまして。夕方はメッセージどうも。』
『宵>いえ、先日は小説の感想ありがとうございました。感想を頂けるととても励みになるんですよ。こちらの小説も読ませていただいたので、後日感想送りますね(^_^)』
(中略)
『宵>ところで、もしかしてLucky Rookieさんって、意外と私と近いところに住んでませんか? ある検索エンジンにこのホームページが登録されているのを見てあなたが住んでいる県がわかったんですけど、そこって私を住んでいる県と同じなんですよ』
『L>え、そうなんですか? もしかしてすぐ会えるような距離だったりして』
『宵>ええ。そう思って言ったんですけど……、一度会いませんか?』
『L>え? ……ええ、まあ、いいですけど……』
『宵>あ、いけませんか? ダメだったらそれはそれでいいのですけど……』
『L>いや、駄目ってわけじゃないけど、急だったからちょっと戸惑っちゃって(^_^;)』
『宵>そうですね。ごめんなさい(^_^;) それで、大丈夫でしょうか?』
『L>ええ。ゴールデンウィークももうすぐですし、かまいませんよ。あ、でもGWはそちらが旅行とか行くかもしれませんね』
『宵>いえ、ことしのGWは暇なんです。だからこっちはいいのですけど、そちらは?』
『L>私も暇なので構いませんよ。じゃあ5月3日の憲法記念日にしましょうか』
『宵>そうですね(^_^)』
『L>でも、どうしていきなり会おうって思ったんですか?』
『宵>いえ……、あなたの書く小説に感動しちゃって、それでこんな小説を書く人ってどんな人か実際に会ってみたくなっちゃったんです(^_^;)』
『L>あ〜、なるほど。わかりました。でもそんなにすごいですか、僕の小説?(^_^;) オンライン小説のランキングでも上位からは程遠いですし(^_^;)』
『宵>すごいですよ。本当に感動しちゃいましたもの。思わず涙が出てしまいましたし(笑) それにランキングの上位にあるからって良い小説とは限らないでしょう?』
『L>まあ、そうですけど……(^_^;)』
『宵>あ、ごめんなさい! もう落ちないと。えっと、じゃあ詳しくはメールで話しますね。ではまた会えるのを楽しみにしてます。おやすみなさい(^_^)』
『L>ええ、わかりました。おやすみなさい。』
 そして宵闇のシスターがチャットルームを出た後、『Lucky Rookie』こと斎藤和也もチャットを終えた。掲示板のレスをしてからインターネットを止め、パソコンの電源を切る。時計の針は1:00A.M.ちょうどを指していた。
「うっわ。結局こんな時間までやっちゃったか。今日は早く寝よ」
 午前一時から早く寝るも何もないのだが、そうつぶやくと彼はパソコンを持ってそそくさとリビングを後にした。音を立てないように気をつけながら自分の部屋目指して階段を昇る。
 そして彼はベッドに潜りこんだ。
(……そんなに感動するのかな、僕の小説って?)
 和也はなかなか寝つけずにベッドの中でぼんやりと思索にふけっていた。考えることは当然、
(どんな人なんだろう、宵闇のシスターさんって? ネットじゃ顔も見えないからな。とびっきりの美人だったりして。でも過剰に期待しても外れたときショックだよな……。まあ僕もかっこいいとは言えないけどさ)
 とはいえ、やはりこういう状況で初めて会うのは緊張もするし、良いイメージが先立つのも無理もない。そのせいで幻滅することもあるのだが。
 様々な想像を胸に膨らませながら、和也は暗闇の世界に落ちていった。



第3章「出会いで感じる互いの思い」




 数日後の5月3日。
 和也は、これで一体何度目になるのかわからないが、あの後宵闇のシスターから送られてきた電子メールを開いていた。まだ見たこともない女性の姿を浮かべながら。
「まだもう少し時間があるな。でもまさかこんなに近いところにいるとは思わなかったな。学校は違うけど」
 そうつぶやいて、和也はEメールの下の方に目を走らせた。そこには会う時間や待ち合わせの場所が記されている。横目でそれを見ながら、和也はリュックサックを手に取ると適当に荷物を詰め込んだ。
 と、その横で、
「どこ行くのよ?」
 妹の夕紀が訊ねてくる。もちろん和也はこう答えた。
「ミクロネシア」
「…………」
 ごすっ!
 突然鈍い音が響き渡った。夕紀が兄のむこうずねに蹴りを入れたのだ。当然和也は足を抱えてうずくまる。だがなんとか顔を上げると、彼は上からこちらを見やっている妹に向かって怒鳴った。
「何するんだよ、夕紀!?」
「顔も知らない人と会うなんて、怪しいったらありゃしないじゃないのよ。よく行く気になるわね」
「あの人は違うよ。すごく親切で丁寧だったし。お前は、それを僕をだますためだけにやった行為だとでも言うのか?」
「いや、そんなことは言ってないけど……」
「けど、なんだよ? 親にだって話して了承は得てるんだからな。今更お前にそんなこと言われる筋合いはないね」
 そんな兄の言葉を聞いて、夕紀は一瞬憤激で我を忘れそうになった。
 そして、
「……ああそう。なら全く警戒せずにどこにでも行ってどうにでもなればいいじゃない! もう知らない!」
 そう言って夕紀は部屋を出ていった。勢いよく閉められたドアが、バタン、と大きな音を立てる。
 それを呆然と見送ってから、和也はぼんやりとうめいた。
「……何怒ってるんだ、あいつ……?」
 その疑問は、彼の部屋に漂うばかりであった。



 和也は歩いていた。自転車で行けばいいと思うのだが、相手の方は徒歩で来るとメールに書いてあったのだ。ひとりだけ自転車で来ても相手が困る。
 というわけで家を出てからずっと歩いているのだが、そうしているとどうしても考え事をしてしまう。
(まあ、確かに夕紀の言うことも正しいんだけどな……)
 確かに顔すら見えない相手にいきなり会うことに危険性がないというわけでもない。もしかしたら騙されて、思わぬ出来事に巻きこまれる可能性も充分にある。が、
(どうもそうは思えないんだよな。猫かぶってる風には見えなかったし。でも、それは自分の勝手な思い込みと言えない絶対的な理由も、ないといえば、ない……)
 そんな考えが浮かんでくる。そんなときに、急に彼の視界は鈍い音と共に閉ざされた。
「いてててて……」
 考え事に夢中で目の前の電柱に気づかなかったのだ。和也は頭を軽く振ってから、あたりを見回す。すると、向こう側で女学生数人のグループがこちらを見て遠慮がちに笑っていた。
(さっさと行こ)
 恥ずかしさに顔を赤く染めながら、彼はそそくさとその場から立ち去った。



 十数分後、あれからどうということもなく、和也は待ち合わせの場所に着いた。噴水が高々と水を撒き、その周りを囲むようにベンチが置かれている。そこには若者たちが青空の下で話を弾ませていた。彼はきょろきょろと辺りを見回してEメールに書いてあった特徴の女性を探す。だがその姿は見当たらない。彼はふと腕時計に目をやった。
「ちょっと、早かったかな」
「すみません。もしかして和也さん、ですか?」
 つぶやく彼の背後から不意に声が飛びこんできた。驚いて振り向くと、メールに書いてあった通りの白いブラウスにチェックの模様のスカートを履いた、肩まで伸びた漆黒の髪の女性が遠慮がちにこちらを見ていた。
 少し戸惑いながら、和也は、
「ああ、そうです。僕が和也ですけど……。もしかして、宵闇のシスターさん?」
「ええ。でもネット上でもないのに、その名前で呼ばれるのはなんだか不思議な感じですね……」
 そう言って彼女が苦笑を漏らす。こちらも苦笑を浮かべながら、和也はつぶやいた。
「ええ、そうですね。じゃあ自己紹介しましょうか。僕は**高校2年の斎藤和也です」
「えっと、私は××高校2年の、五十嵐翔子と申します。よろしく」
 そう言って微笑む彼女の姿は、なんというか、魅力的だった。
(……僕は惚れてない、惚れてない……)
 そう思う時点で、和也が彼女に一目惚れしてしまったことは明白だった。
 そんな彼を知ってか知らずか、彼女は気軽に続けた。
「とりあえず、どこかゆっくり話ができるところに行きませんか? ここだとあまり……」
「え、あ、そ、そうですね。ならどこに行きましょう……あ〜、あれ、あの喫茶店がいいですね」
「どこ?」
「え、あ〜、あそこですよ、あそこ。『リバーサイド』って知ってますよね?」
 慌てているのか、なかなか単語が浮かんでこない。なんとか自分を落ち着かせながら、和也は答えを絞り出した。彼女も知っていたようで、こちらにうなずきを返してくる。
 そして翔子の横に並んで、和也は『リバーサイド』に向けて歩いていった。
(ほら見ろ。やっぱり悪い人じゃなかったじゃないか)
 誰ともなしにその言葉をぶつけながら。



「私、レスカとホットケーキにしますね」
 翔子のよく通る声が喫茶『リバーサイド』に響いた。まだ昼食には程遠い。和也はしばしメニューを見ていたが、やがてそれを横に立てかけウェイトレスさんを見上げた。
「僕は、フルーツパフェ」
「はい、かしこまりました。しばらくお待ちください」
 にこやかな笑顔をその場に残して、ウェイトレスが去っていく。ふと彼女の方を見やると、彼女は笑いをこらえているように和也には見えた。疑問に思い、聞いてみる。
「えっと、なに?」
「いえ、男の人がフルーツパフェを頼むと思わなかったから……」
 そう言って彼女が笑いを漏らす。そうですか、と頬を人差し指で掻きながら和也は答えた。なんだか照れる。それを紛らわすように、彼は水を半分ほど一気に飲み干した。
(考えてみたら、生まれて初めてのデートだよな。女性とこんなに近くで接したのも初めてだ。妹は別として)
 どぎまぎしながら、ちらちらと彼女を観察する。姿勢はいい。手はたおやかだし、顔はどちらかといえば、面長だ。後ろ髪は少し肩にかかり、前髪は真中で分けられていて、今外を眺めている大きめの瞳は輝いているようだ。彼はそれを窓から射し込む太陽の光を反射しているせいだとは微塵も思わなかった。
「お待たせいたしました」
 翔子が和也の視線に気づく前に、ウェイトレスが注文した品を持ってきた。それと勘定書を置くと、緩やかな動作で奥に戻っていった。フルーツパフェをつつきながら、彼は今レスカを飲んでいる彼女についての思索を再開した。
 ついこの前、ネットで知り合った人。今日まで顔すら知らなかった少女。彼は幻滅どころか逆に彼女への気持ちを膨らませた。
(運が、いいんだよな、僕?)
 そうとも限らないが。
「おい、和也。何女性と一緒に喫茶店にいるんだよ!」
 出た。和也の友人グループだ。まさか会うとも思っていなかったが、そう思うときほど会ってしまうものだ。そんな法則(?)を呪いながら、和也は声をあげた。
「うるさいな、あっちいけ!」
「なんだよつれないな。俺達にも紹介しろよ」
「なんでもいいからどっか行け! スペースシャトルにでも乗って太陽に突っ込んで戻ってくるな!」
 和也がそう言うと、友人グループはニヤニヤしながら和也たちとは少し離れた席についた。時折こちらを見ながらこそこそ話している。それにいらいらしながら彼は前を見た。すると、彼女の笑った顔が迎えてくる。そして彼女は無邪気な笑顔を混ぜながらつぶやいた。
「面白い人ね、あなたって」
 面白い人。
 和也はその単語を良い意味で取らなかった。まあ無理もないが。あの友人たちに対して思わず学校であしらうような態度をとってしまったが、次からはもっと場をわきまえようと思った。実行できるかどうかはともかく。
 ともあれ、和也は何とか取り繕うとしたが、なんだか言い訳くさいと思えたので結局黙ることにした。後ろからの友人の視線を必要以上に感じながら、切り出す。
「あ〜、ここもなんですし、これ食べたら出ませんか?」
「え? ええ、いいですよ。あなたも大変でしょうし」
 と、彼女が苦笑を漏らす。完全にお見通しである。それに気づいて余計顔を赤らめながら、彼はフルーツパフェにパクついた。



「なんでこういうときに限ってばったり会うんだろうなぁ。GW開けに学校で何を言われるか分かったもんじゃない」
 和也は深いため息と共にうめいた。今いるところはとても自然の多い公園である。大きな池の中心に作られた休息所で、和也と翔子は丸いテーブルをはさんで向かい合っていた。
 彼女はそんな彼のつぶやきを聞いてまた笑っているようだった。笑顔自体はさわやかなのだが、その原因を考えると少し気が重い。
(僕をとんきょうな人だと思って笑っているんだろ?)
 視線で問いかけてみるが、彼女がそれに気づかない。喫茶店を出た後、ファーストフードで適当に昼食を買ってここで食べようということになったのだが、彼はあの友人グループが尾行していないかと気を払いながらしながら昼食を取ったので、味も何もあったもんじゃない。
 と、さっきまで笑っていた彼女が不意に声をかけてきた。
「そんなに気にすることないんじゃないですか? やましいことをしているわけじゃないんですし」
「まあ、そうですけどね」
 それしか言葉が見つからずにうめく。それについては一方的にそれで片付けたようで、彼女が新たに話題を投げかけてきた。
「やっと、まともな話ができますね。まずは、これを――」
 そう言って、翔子は封筒をこちらに差し出した。和也がそれに書いてある題名に目をやると、それには『小説「緑の涙」の感想』と書かれていた。その小説は彼がホームページで公開している長編小説の名前だ。
「あ、紙に書いてくれたんですね」
「ええ。せっかくだからこのときに渡そうと思って」
「今読んでいいですか?」
「ええ、どうぞ」
 そう答える彼女は少し恥ずかしそうではあったが、封筒の口の部分を破り中の紙を取りだした。
 そこにはびっしりと字が書き連ねてあった。彼女も小説を書いているだけあって、内容がよくまとまっている。何より字が綺麗だ。自分とは大違いだなと思いながら、和也はそれを読み始めた。気を遣ったのか小説の悪い点から書き始め、良い点を述べて最後に総評といった構成になっている。全枚数はB5の紙5枚という量に及んでいた。
 彼女の視線を受けながらそれを読み終えた和也は、とりあえずこうつぶやいた。
「よく、こんなに書けたね」
「ええ。感動したって言ったでしょう。それで、ちょっときついこと書きすぎてませんでしたか、その感想文?」
「そんなことないですよ。いや確かに結構きついですけど」
 そう言って和也は苦笑いを漏らした。が、彼女が何か言うよりも早く彼は続けた。
「でもそっちの方が自分としては嬉しいです、正直な話。自分の小説をこんなに真剣に読んでくれたんだっていうこともわかりましたしね」
 それは彼の心の底からの気持ちだった。
 ただの非難中傷は嫌だが、この感想文は良い点悪い点を的確に記して、しかしこちらを傷つけないように書き連ねている。
 これが嬉しくないというなら、この世の何に対して喜べるというのだろうか。
「そう……。ありがとうございます、感想読んでくれて」
「いえ、こちらこそこんなに素晴らしい感想をくださってありがとうございます。なんだか自分の送った感想が情けなく思えてくるくらいですよ」
「そんなことないですよ!」
 翔子はその単語を聞いたとたん、思わず叫んでしまった。テーブルに両手をついて身を乗り出している自分の前で、和也が目をまんまるにしてこちらを見上げている。
 湯気があがるのではないかと思うくらいに顔を真っ赤にしながら、翔子は意識してゆっくりと椅子に座った。
「そんなことないですよ。私、あの感想をもらって飛び跳ねるほど嬉しかったんですから……」
「はぁ。ありがとうございます」
 他に言葉が見つからず、和也は顔を反らして真っ赤にしている彼女に、おずおずとお礼を言った。そして彼らにとっては長い、そして少し重い沈黙の時間が支配する。しかし、それを沈黙に耐えられなくなった和也が破った。
「あの、将来の夢とかあります? 小説家になるとか」
 すると彼女はなんとか平静を取り戻して和也の目をまっすぐ見つめた。その輝く瞳に射すくめられながら、彼も彼女の目を見つめ返す。
「ええ。私、小説家になるの。自分の紡ぐ字で、物語で人を感動させて生きていけたらいいなと思ってる。だから私は、その第一段階として私はWeb上の人々を感動させるべく、自分のホームページで小説を書いているのよ。ホームページの存在理由もそれに尽きるわ」
「…………」
 和也はただ、黙っていた。
 この人はなんてしっかりした考えを持っているのだろう。
 それ以上に、なんて意思が強いんだろう。
 彼女の瞳からそれを感じて、しばらく彼は声を出すことすらできなかった。そんな彼に今度は彼女が問いかけてきた。
「あなたは、何か夢はある?」
「ええっと、僕は――」
 僕の夢は。
 わかりきっている。だが、実現できるかは……
(できる。僕なら、できるはずだ)
 彼女の瞳に勇気づけられたかどうかはわからないが、和也はそう確信して口を開いた。
「僕の夢は、CGクリエイターになることです」
 それを聞いて、彼女は傍目にもわかるほどの意外な顔をこちらに向けた。だがそれに怖じることなく、彼は続ける。
「小説を取るか、絵を取るかかなり迷ったんだけど……、僕は絵を選んだ。小説も好きだよ。でも僕は絵で人を感動させたいと思ったんだ。だから僕はこれからその道を進むつもりだ。でもホームページの存在意義はあなたほどじゃなくて、CGだけじゃなく小説で人を感動させたいという理由もあるから――」
「どうして私ほどじゃないって言いきれるの?」
 唐突に割りこんできた彼女の言葉に、和也は言葉を詰まらせた。それに構わず彼女がまくしたてる。
「どうしてそんなことが言えるの? あなたが私より劣っている理由なんてどこにもないじゃない。どうしてそんな風に思うの? どうして――」
 そこで、はっ、という息を呑む音と共に彼女の言葉が止まる。おずおずとした口調で彼女は謝った。
「ごめんなさい。初めて会う人なのに言い過ぎてしまいましたね……」
 彼女がまた丁寧口調に戻った。それを意識しながら和也は言葉をゆっくりと、紡ぎ始めた。
「そんなことないですよ。大体Web上で会ってるんですから初対面じゃない。それに僕はこういう類の真剣な話、好きですよ。だれかれかまわずしたいわけじゃないですけど、あなたが僕に対してそんな言葉をぶつけてきてくれて、なんていうか、嬉しかったです。本当に。なんだか変かもしれませんけど」
「ううん」
 翔子はかぶりを振った。そして言葉を投げかける。
「そんなことないと思うわ。だって、私もそういう話って言うか、議論みたいなこと好きだもの」
 彼女の言葉からはまた、丁寧さが抜けていた。
「あの、私達ってなんだか気が合いそうね。あの、もしよかったらでいいんだけど――」
 その次に彼女が紡いだ言葉は――
「これからも……、こういうお話しませんか?」
 告白かもしれなかった。



第4章「ウィルスが繋ぐ赤い糸」




 あれから数日後。今日はGWの最後の日、5月7日の日曜日である。
 そんな朝、和也は自分の部屋で文庫本を読んでいた。
 その最中に、不意にチャイムの音がが家の中に鳴り響いた。誰だろうと思いながらも、下の階にいる誰かが出るだろうと思い、構わず読書を再開した。
 そのとき。
「……どうぞ……」
 下の方から聞こえてきたその声が、妹の疑問がたっぷり込められたものだと判断するのは彼には極めて容易であった。何となく気になって階段を降りていこうとする。
 そのとき和也が階段の上から目にしたものは、
「あ、おはよう。ごめんねこんな朝早くに」
 翔子の姿だった。今日の彼女は不安げな表情をしているように彼には思えた。その横に妙に怪しげな笑いを浮かべる妹がいる。それを完全に無視すると彼は翔子を2階の自分の部屋へと招いた。彼女を椅子に座らせ自分はベッドの端に座ると、ジュースとお菓子を彼女に差し出し、自分もお菓子を口に含みながら問いかけた。
「どうしたの? わざわざここまで来て? それに最近メールが全く来ないし、ここ最近ホームページをほったらかしているように見えるし……」
「実はそのことで相談したいことがあるの」
 心なしか、いつもより少し彼女の声のトーンは下がっているようだ。そう思いながらも和也は続けた。
「そのことって? メールで相談すればいいじゃないですか」
「メールではできないから来たんじゃない」
 その通りだ。メールでできるのならここまで足を運ぶ必要などどこにもない。単純に納得しながら、和也は改めて彼女に聞いてみた。
「それで、一体どうしたんだい?」
「実は……、私のパソコンがコンピュータウィルスに感染して、中のデータを全部壊されちゃったのよ」
「は?」
 彼のあげた声には答えず、彼女はため息をつく。
「どうしてこんなことになったのかしら。最近バックアップもとってなかったから、大事なデータも全てパーだし、やなタイミングよね、全く」
 と、翔子をしばらくそのまま愚痴らせた後で、和也はゆっくりと口を開いた。
「まあ、洒落にならないよな。全部消えちゃったんだし。でもさ、また取り戻せるじゃないか。全く取り返しのつかないことじゃないんだし。だから元気を取り戻そうよ?」
「うん……」
 そうつぶやく彼女はまだまだ落ち込んでいる様子だったが、今はこれ以上どうしようもない。そう判断して和也は彼女に向かってつぶやいた。
「それで、どこのどいつがやったとか、そういうことはわかってるの?」
「いいえ。さっきも言ったけど、昨日の夜メールチェックしたら英語で書かれたちょっと怪しげなメールが来たんだけど、思わずそれを開いちゃったのよ。そしたら画面がおかしくなって……」
「ウィルス対策ソフトは? プロバイダなどには連絡した?」
「発病した後だからもう遅かったの。もちろんプロバイダやウィルス対策専門の機関にも連絡したわ。それで教えられた通りにしてなんとかウィルスそのものは除去できたんだけど、消えたデータは戻らなかった。結局私のパソコンに感染したのは、ハードディスクのデータを破壊するためだけのウィルスということがわかったんだけれど、その出所まではわからなかったわ。調べるとは言っていたけれど、そんなに望みがあるとも思えないわね……」
「むう……」
 それを聞いた和也があごに手を当ててうめく。しばし黙考しているようだったが、突然手を、ポン、と叩くと切り出した。
「これは、あいつに頼るべきだな」
「……?」
 顔で問い掛けてくる翔子に、和也は人差し指を立てた。
「こういうのは名探偵に任せた方がいいのさ」



「なるほどね。だが俺は別に名探偵でもなんでもないんだけどな」
 斎藤和也宅から少し離れた家に住んでいる彼と同じクラスの友人――藤堂貴之は、自分のノートパソコンの液晶画面を見ながらつぶやいた。そばに和也と翔子もいる。言わずもがな、和也の提案で二人は彼に助けを求めたのだ。そして今、彼女が一通り説明し終えたところである。
「でも、はっきり言って望みは薄いぞ。いくら俺がちょっとはこういうのに詳しいからって、素人に毛の生えた程度なんだからな。まさか加害者を見つけるために違法行為をして逆にこちらが加害者になるわけにもいかないし」
「そりゃそうだわな」
「あの、迷惑でしたら結構ですから……」
 いきなり自分の家に訪ねてきた二人の態度を見ながら、藤堂は半眼で和也に向かってぼやいた。
「対照的だよな、まったく」
「そうか?」
「皮肉ぐらいは理解してくれよ」
 それだけ愚痴って、藤堂は画面に向き直り、キーボードを適当に打ち始めた。
「で、どうして欲しいんだ。俺に犯人の居場所でも突き止めて欲しいのか?」
「平たく言うと、そうだな。このまま泣き寝入りなんて悔しいじゃないか」
「無理だ、情報がなさ過ぎる。気持ちはわかるけどな。どうせウィルスが入ってたメールの送信元のメルアドは偽造か何かだろうし……。えっと、五十嵐さん、でしたっけ?」
「ええ」
「何か心当たりとかあります? 誰かから恨みを買ってしまったとか」
「いえ、ないと思いますけど……」
「ですよねぇ」
 そううめいて、藤堂はできる限り考えを張り巡らしてみた。犯人を突き止める情報。どのメールサーバから送られてきたものかがわかればそれは立派な情報になる。
「メールのプロパティとか見ました? そこにどのメールサーバから送られてきたものとかが記されていると思うのですけど」
「いえ、見たんですけど、よく覚えてないです。でもこれは推測ですけど、メールアドレスが偽造なら、サーバも偽造じゃないんですか?」
「まあ、そうですね」
 自分の考えがすぐに打ち崩されたことに心の中で苦笑いしながら、藤堂は肯定の意を示した。
 それからあれやこれやとずっと三人で仮説を立てたりしたのだが、結局効果的な策が見つからずにひとまず解散とあいなった。
「すまない、結局役に立てなかったな」
 そっぽを向きながら藤堂が申し訳なさそうに声をあげる。それを見た和也と翔子が、
「いや、いいさ。こっちも無茶なこと言って悪かった」
「すみません。いきなり押しかけて……」
 藤堂はそれに控えめな笑顔で答えた。
「かまわないよ。暇だったし、俺。また困ったことがあったら来ていいから」
 藤堂のその言葉に見送られて、二人はそれぞれの家へと戻っていった。



 何のかんのでもうすっかり日は落ちてしまった。藤堂の家の前で和也と別れた後、薄暗い道路を翔子は歩いていた。別に何事もなく、今は自分の家の近くをトボトボ進んでいる。
 そのとき、不意にあるものが彼女の前方に映った。
(何、あの人……?)
 暗闇の中にぼんやりと小太りの男の姿が街灯に照らされて浮かんでいる。頭は遠めにもわかるくらいにぼさぼさで、服の着こなし方もなんだかだらしがない。それに顔の大きさのわりには小さい眼鏡をかけている。
 その人物は翔子が不審気に見つめる中、妙にコソコソとした足取りで横に立っているマンションに入っていった。こんな言葉を残して。
「今日は誰のパソコンを壊してやろうかな」
(……!?)
 翔子は無言で悲鳴を上げた。もしかしたらあの人物が犯人かもしれない。瞬時にその考えが浮かび、彼女は即座にどうするかを考え始めた。その男がマンションの何号室に入るかを確認するために尾行しながら。
(こちらの姿は暗闇のせいで見えなかったようね。一気に乗り込む? でも一人で行った場合はちょっと危ないわね。力で男に勝てるとも思えないし。ならどうしよう……)
 まずは彼が犯人であるという証拠をつかまないといけない。しかしあの男が犯人じゃないとしたら冗談にもならない。だが彼女は、
(そんなわけないわ。絶対あの男よ。あの男が私のパソコンのデータを消したんだわ)
 翔子は尋常でなく鋭い勘を持っていたが、やや思い込みの激しいところも持ち合わせていた。
 彼女は迷わず電話ボックスに駆けこんだ。テレカを入れて和也の家に電話する。
「もしもし、斎藤さんのお宅でしょうか? 和也さんはいらっしゃいます……あ、和也くん? ちょっとすぐ来て! 犯人見つかったのよ。え? ウィルス送りこんだ犯人に決まってるじゃない! 早く来てね。場所は××マンションよ。じゃあ待ってるから。カメラと双眼鏡も持ってきてね」
「いやあの、ちょっと待――」
 ガチャン!
 受話器を勢いよく置いて、翔子は再びマンションの方を見た。さっき男が入っていったのは204号室だ。
 さすがに正面からドアを突き破る気にはなれず、翔子はマンションの前まで来てしばし悩んだ。悩みながらその周りを歩いて探索する。と、
「あの木、使えそうね……」
 端をマンションと接した公園の隅の方にある木を眺めて、翔子はつぶやいた。すぐ下まで行って、昇れることを確かめる。そしてそこで和也が来るのをあれこれ突入作戦を考えながら待った。やがて、公園の向こうに見覚えのある人影が現れた。
「こっち、こっちよ!」
 できるだけ抑えた声で翔子がその影を呼ぶ。思った通り、それは和也だった。
「あの、こんな危ないこと止めません? こういうのはあなたがするような――」
「何言ってるのよ。自分がこうむった被害の恨みは自分で晴らさないと腹の虫がおさまらないじゃない」
「それはわかりますけど、僕達がするようなことじゃ――」
「あーもう、何情けないこと言っているの? それでも和也くんって男なの!?」
 翔子がぴしゃりと言うと、和也は押し黙った。観念したとも言う。
 そんな彼をよそに、翔子は木に手をかけた。
「昇るわよ」
「え、ここを?」
「ついてきて」
 それだけ言うと、翔子は和也の制止も聞かずに自分が先頭に立ってするするとその木を昇った。和也も後についてくる。
 彼女が目星をつけた男の部屋、204号室と同じ高さの枝をつたって、中から感づかれないように二人は待機した。和也が後ろから翔子に遠慮がちに言う。
「あの、君って見かけによらずオテ……いや、活動的なんだね。でもあの、スカートの中、見えてしまいましたけど」
 ごすっ!
 無言で放った彼女の肘打ちが和也のみぞおちにめり込んだ。彼はなんとかこらえて落ちずにすむと、情けない声をあげた。
「いつつつつ……。でもどうするのさ? ここから犯人がウィルス送るの確認するって言うのかい?」
「双眼鏡貸して」
 もはや何を言っても無駄だと悟った和也は、双眼鏡を翔子に手渡した。
 彼女がそこから薄暗い部屋の様子を覗きこむ。そこには――
「ほーらビンゴじゃない」
 窓に面した棚に『これで君もウィルスマスター』という題名が大きく書かれた本が置いてあった。それを確認すると、彼女は木の枝からベランダへ飛び移った。まるで軽業師だ。
「ちょっと待ってって!」
 小声で叫びながらも仕方なく和也もベランダに足をつける。見やると、翔子はすでに窓をそっと開けていた。鍵すらかかっていなかったらしい。それを見てため息をつくと、彼はこれから起こりそうなことをイメージしながら彼女に続こうとした、そのとき。
「観念しなさい!」
 翔子の声が響く。男は慌てて部屋の電気をつけた。部屋はなんだかよくわからない部品に埋もれて、足を置く所にすら困る状態だ。彼女が通りで見かけたのと寸分たがわない姿で、男はひどく狼狽した様子を見せた。
「ななな、なんだお前らは!?」
「なんだも何もないわ! よくも私のパソコンにウィルスを感染させたわね。今からそのお礼をたっぷりしてあげるから覚悟しなさい!」
 それを聞いた瞬間、男の唇の辺りがニヤリという表現がぴったり当てはまる形に変化した。
 間違いない、こいつがウィルスをばら撒いたのだ。彼女の背後から男の顔を見ていた和也も確信した。
 しかし、そのとき、
「へへへへ、へへ……、くっそぉぉぉぉ!」
 いやらしい笑いを漏らして急に男が翔子に襲いかかってきた。その手にはかなり大きい金属棒が握られている。翔子が一瞬後の自分を頭に浮かべ、悲鳴を上げる。だがそれで男を止められるはずもなく、金属棒が彼女の頭にものすごいスピードで叩きつけられる、その刹那――
 何か大きなものが、二人の間に割って入った。金属棒はそれの上部に当たり、鈍い音をその場に響かせる。入ってきたのは――
「和也くん!?」
 斎藤和也だった。とっさにかばった時に腕をクロスしたが、頭にも当たったらしい。一瞬身を崩すが、ほとんど気力だけで踏ん張ると、彼は驚愕に震える男のみぞおちに拳を突き刺した。
「ぎぃああああ!?」
 奇声を発し、床に散らばっている金属部品にまみれて男が倒れる。それを確認すると、和也は床に膝をついた。
「和也くん、和也くん!」
 翔子が呼びかけるが、彼は頭を抑えてうずくまったまま動かない。彼の頭からは血が滴り落ちている。それを見た彼女はぞっとして、必死の思いで彼を呼び続けた。
「和也くん、大丈夫? しっかりして! どうして、どうしてこんな……何か言ってよ、ねえ、和也くん!?」
「あー…、大丈夫ですから、静かにしてくれません……?」
「和也くん……」
 弱々しいとはいえ、和也の声を聞けた翔子は多少ならずほっとした。思わず涙がこぼれそうになるが、それはなんとかこらえた。しばらくそのままでいると、彼がつぶやいてくる。
「警察に電話……。それと、証拠も探して。あの男も縛っておかないと、次は止められないですから……」
「え、あ、そうね。ごめんなさい」
 そう言うと彼女は、きびきびとした動作で彼の言った通りにした。まず何故か床に金属部品と一緒に散らばっていたロープで男を縛り上げ、部屋の電話から警察と救急車を呼んで証拠を探し回った。
 証拠は探すまでもなくすぐに見つかり、この男が長い間にわたってウィルスを始めとする数多くのネット犯罪(ウィルスを除けばどれもちゃちなものだが)に手を染めていたことがわかった。
 そして、警察や救急車も到着し、この件はひとまず一件落着となった。



エピローグ




 次の日の朝。市民病院の個室に、ある男子と女子がいた。男子は頭に包帯を巻いてベッドに横たわっている。女子の方は肩まで伸ばした髪で、白のブラウスにチェック模様のスカートを履いてベッドの横に座っている。
 女子の方が皮の剥かれたリンゴを目の前の男子に食べさせながらつぶやいた。
「ごめんなさい。謝って許してくれるとは思っていないけど、私、あなたをこんな危ない目に遭わせちゃったわね」
「いえ、もういいですよ。幸いあなたは無傷でしたし、犯人も捕まりましたしね。親などにたっぷり怒られたりはしましたけど」
 男子の方が苦笑を漏らす。軽く礼を言ってリンゴを口に含むその男子を見ながら、その女子は彼との距離を縮めた。彼はそれに気づかない。
「でも、あなたもよくやりますよね。やはりああいうときは男より女性の方が度胸が――」
「ねえ」
「はい?」
「これからも、私と一緒にいてくれる?」
「…………はい」
「……ありがとう」
 互いの顔をまっすぐ見つめ合う。
 頬を朱色に染めた若い男女は、他に誰もいない病院の個室でそっとその唇を重ねた。



(おわり)

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