地を打つような悲鳴が繰りかえされる。
窓の外では黒い翼が舞っている。
いくどとなく聞こえる叫びに、上級天使はまなじりを僅かに上げ、窓辺へと向かう。
一瞬でも休めば墜落するかのように、鴉たちはせわしなく翼を上下させる。そしてまた、鳴き声をあげる。
窓を押しひらき、上級天使は神経塔を囲むように集う鴉たちを眺める。研究棟もけして低い建物ではない。だがその最上階からも神経塔は見上げるほどに高い。
かつてバベルにあったという塔は、神の怒りで粉砕されたという。
己に近づく者を許さぬ神はもういないと、上級天使は軽く喉を鳴らす。いまあそこにいるのは、力を削がれつつある神だけだ。
だが鴉たちはけして神経塔で羽根を休めようとはしない。羽ばたく力がなくなれば砂塵に覆われた地上へと落ちていくだけだ。
それはまるで偶像を拝むことに腐心し、真実の姿を見失いさまよう人間の姿ではないか。
頬に冷笑をのせ、彼は窓から身を乗りだす。鴉たちの敢えない姿をもっとよく見たいと思う。
甲高い悲鳴と床に落ちる書類の音が、ほぼ同時に背中から届く。
「お止めください!」
駆けよった部下に乱暴に上着を掴まれ、バランスを危うくし思わず手近な物をつかむ。部下の素顔を覆う仮面が弾けとび、窓から弧を描き落下していく。
「お考え直しください。いけません、どうか、置いてゆかないで」
心からの驚愕と哀願を青白く顔に張りつけた部下に、上級天使は髪をかきあげながら告げる。冷静を装おうと、声にからかう響きが混じるのは止められない。
「よかったな。暗殺未遂ですんだ」
「え?」
「私が自死など選ぶか。外を見ようとしただけだ。早とちりもほどほどにしておけ」
「も、申し訳ございません……」
口元に手を当てようとしてようやく、彼女は仮面が失われていることに気づく。そのまま両手で顔を覆い、肩をすぼめて身を伏せる。
「隠すな」
「見ないでください。醜い、私の顔……。恥ずかしい」
「私はお前の美醜など気にせぬ」
後ずさる部下の腕をつかみ、上級天使は窓辺に引きもどす。茶色い地面に銀の仮面はくすんだ輝きを残す。
鴉がそれをくちばしでつついている。持ち去るには、大きく重すぎる。
「鴉どもにくれてやれ」
「それは、嫌。駄目です。取りに、行ってまいります」
「では新しいのを作らせる。それまでそのままでいろ」
「お許しを。どうか。こんな顔を晒すなんて、醜い……、どうか」
うつむいたまま首を横に振りつづける部下を、上級天使は不機嫌も露わに舌打ちする。
涙にくれて怯えようと、部下の顔は美しいままだ。醜いと嘆くのは本人だけで、世界をただひとつの至上の存在とそれ以外の衆愚しかいないと思っている上級天使ですら、悪くはない造形だと認めてる。
自分に盲目的に従うこの部下が、それだけは認めようとしないのを上級天使は忌々しく思う。バロックには勝てないと、つきつけられたように思う。
これも鴉だ。
震える部下をねめつけたのち、落ちた仮面に群がる鴉たちを見下ろす。
「……わかった。行ってこい」
ようやく降りた許可に、部下は一礼して階下へと急ぐ。持ってきた書類に目を通す気にもならず、上級天使はそのまま窓辺に腰掛ける。
やがて濃紺の外套に身を包んだ鴉が仮面を拾いあげる。泥を手で払い、帽子に装着し顔を覆う。そして視線に見上げて、かしこまったように深々と頭を下げる。
自分よりも仮面を信じた部下から、上級天使は顔をそむける。
裏切られた痛みが広がり、胸に手を押しあてる。
飛びたった鴉たちがまた、神経塔の周囲で悲鳴をあげた。
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