そのころにはすでに、天国の自由は息の根が止まりかけの状態だった。
止まりかけ、というのは当然ながら比喩だ。実際には自由は丁重に拝され充分な衣食住を与えられているだろう。
しかし天国はどこも窮屈な場になっている。豪壮な門も徐々に徐々に縮小され、入り口の幅も以前の半分以下になっていた。飽食は大罪という理由からだ。体重制限だけでなく人数制限も行われるようになっていたので、地上には入国許可を待つ人間が毎朝列をなしていた。
いったいいつごろからそうなったのかと私は考えた。失業中の私にできる無料の暇つぶしは、頭を使うことぐらいしかない。これも遊びだった。天国のことなど、いまの私には関係がない。ただ職業安定所と入国管理所が隣接しているので、嫌でも天国についてのあれこれが耳や目に入るのだ。
自由には責任が伴う、とは遙か過去からずっとあることばで、私もそれに異存はない。しかし自由は繊細なので、ちょっとした衝撃や環境の変化にすぐにやられてしまう。減少の一途を辿る自由とは逆に、随伴するの責任は丈夫だ。権利に擦りよったり、義務におもねったりしながら、そこかしこで薄ら笑いを浮かべている。
私は責任がどうにも好きになれない。責任感に乏しいという理由でクビにされたことを、根に持っているのだ。個々の責任とつきあえば、悪いことばかりではない。しかし責任だけあって、己の使命に忠実なのでときおり息が詰まる。
正直、次の仕事は責任とはあまり関わりたくない。
「そういう条件だと、再就職難しいよ」
すっかり顔なじみになった窓口の職員が、諫めるように言う。いまは昼食時なので、職員としてではなく知人としての忠告だ。繁ったイチョウの葉が影を作る公園のベンチで、私と彼は弁当を食べていた。
「それに君、職歴詐称するのもよくない」
ミートボールが刺さったフォークを私に向けてから、彼は一口でそれを食べた。
「他職員全員一致のクーデターで追いだされた職場のこと、書きたくないのはわかるけどね」
職業安定所というのは、どこまで個人情報を手に入れられるものなのだろうか。二年前のことを思いだし、私は小さく息をついた。
ただいるだけでよかったはずなのに、どうして責任を問われなければならなかったのか、いまでも私はわからずにいる。
天使たちめ……。
昼食のおにぎりを包んでいたラップフィルムを握りつぶし、私は胸の内で愚痴た。
自由は繊細で臆病だが、熱烈なシンパがつきやすいので保護地域では案外のびのびと生きている。しかし保護地域から出てくることは稀なので、直接目にすることはあまりない。
私より先に職場を追いだされた自由は、いまどうしているのだろう。私のようにわずかな理想を求めて無援の日々を送っているのだろうか。それとも名前だけを貸し飼い殺し状態におかれながら、糊口をしのいでいるかもしれない。
そこまでで、私は考えるのをやめた。
引き留めることばも口にせずただうなずいただけの私が、いまさら自由の心配をしても罪滅ぼしにもならない。
中途半端の報いは、こうしてそれなりに受けている。
昼休みが終わりに近づいてきた。入国管理局の午後の受付にならぶ死者たちが、児童公園の入り口まで列を伸ばしている。
見慣れた風景だ。
それよりは短い職安の募集検索の列に並ぶために、彼に挨拶して私もベンチを立った。
夏の盛りにはまだ早い季節だが、夜の始まりは遅い。一縷の望みを繋いで最後にもういちど求人票の並ぶ掲示板を見上げる人々のあいだを私はすり抜ける。見落としはないのだ。最後の一分に素晴らしい求人が張りだされることもない。それを理解するのに私は一年以上かかった。運が悪ければ、彼らも遅かれ早かれそれを知る。運がよければここにはもう用がない。
職業安定所からは求職者たちが散っていき、入国管理所からは天国希望者たちが大気に溶けていく。途中、今日はふたりが天国に入ったと知った。羨むような声音に私は口元を歪めた。
負に転化しやすい感情は、入国審査のチェックの上位にある。あんな口振りではいつまでも門前払いだろう。
だが門前払いは私も同じだ。
毎日のことにさしたる落胆も覚えず、私は別れた妻との待ち合わせの店へと足早に向かった。
簡単な挨拶をし、腰を下ろす。別れた妻は私といたころよりも若々しく見える。会うたびにそれを指摘すると、日々の張りあいが違うせいだとそのつど笑う。
頼んでいたカフェオレが来てから、ほどよく使いこまれた濃緑のバッグに元妻は手を入れる。
「これがこの夏のぶん」
テーブルの上に差しだされた封筒には三ヶ月分の慰謝料が入っている。年単位で無職の私がそれなりに不自由なく生きていけるのは、季節ごとに渡されるこれのおかげだ。
私が仕事を辞めたのと妻が別れたのは同じ日だった。終業時間直前に、退職金の入った白い封筒と職業安定所や社会保険事務所に提出する書類を渡され、クビを告げられた。事務処理の見事さに感心して私はそれを受けとった。救いは送別会がなかったことだけだ。もちろん、もしやると言われても丁重に断っていただろう。そして帰宅して告げた私の話を最後まで聞きおえて、妻は離婚を切りだした。こちらも処理はほぼ完了していて、何枚かの書類が私のサインを待つだけになっていた。救いは私が無職になったから見切りをつけられたわけではないことだ。
離婚は妻の一方的な事情からのものだったので、慰謝料の支払いを受ける身になった。
才覚のある女と結婚してよかった。私と別れてからいっそう仕事に打ちこんだ彼女は、このご時世に業績を順調に伸ばしている。
「免許の更新、そろそろじゃない?」
不意に彼女が言った。すっかり忘れていた私に、昔大学で出会った頃のような愛らしい笑顔で彼女が忠告した。
「せっかくの資格なんだから、期限切れなんて馬鹿なことやめなね」
もう必要ないからと曖昧に思っていことを見透かされ、私はばつの悪さにぬるくなったカフェオレの残りをすすった。
免許の更新は五年ごとだ。ずっと以前は更新手続きは必要ではなく、収得すればそのまま一生ものだったらしい。私が更新するのは二回目になる。前回は仕事があったので、職場からの手続きが認められた。しかし今回は、窓口まで足を運ばなければならない。
電車を乗りついで一時間かかった先で、交付手続きに二分に、写真撮影一分、待ち時間二時間と、波のある時間割で半日を潰した。
車のように携帯を前提としているわけではない免状なので、紙一枚のくせに手に余る。黒いプラスティックの証書入れが売店にあったが、私はポケットティッシュでこよりを作った。顔写真がついているので剥きだしで持ちあるくのは恥ずかしい。しかし、これのためにわざわざ七百円も出すのはもったいない。
丸めて結ぶ前に、私は紙の上を目で流した。
神博士、と最後の行にある。
神がつぶしの利かない職業だと、最初にこれを取ったときは思いもしなかった。
建物を出て駅へと足を向けた私に、背後から声がした。振りかえれば、質素な身なりの自由がいた。自由は成人しても八〜九才の子供ほどの身長しかない。やせていたその自由は、いっそう幼く見えた。どうしてこんなところにいるのかと訝しく思った。
「雇っていただけませんか?」
恥じたように顔を強ばらせて、自由は私を見上げた。どこで? 私に? そうたずねようかと思ったが、意地悪にしかならないので止めた。
「無理です」
たとえいまも神だったとしても、自由を自由に雇う権限などなかっただろう。さまざまな官公庁が入っているこの建物でなら、自由がいられる場所も機会も多いと思ったのだろう。その発想は悪くない。だがひとを見る目がない。
「末席でいいんです。なんの自由にでもなります」
なおも言いつのる自由に、私は天を仰いだ。なんの自由にでも、なんて嘘だろう。保護地域に身を寄せれば安住できるし、高邁なる自由のために胸を張っていられるはずだ。この自由はそれをよしとしないのだ。だからこんなところにいる。胸には同情する気持ちが渦巻いている。しかし、哀れみ深いのは私の美点ではなく欠点だ。
「私も無職ですから、無理です」
あらためて口にしてわかったのだが、思いの外胸に傷を生むことばだった。目を見開いて、それからうつむき顔をそらした自由が口にした謝罪が、小さいながらも私に第二撃を与えた。
翌日からはまた、私は職安に通う。
さしたる資格も特技もなく体力もない口べたで優柔不断な男を採用したがる職場はあまりないだろう。特に事務職は競争率も高い。いまある求人のうちの三分の一は、すでに断られたことのあるところだ。私の履歴書を収拾する趣味は向こうもないだろうから、いよいよ数は少なくなる。
断られることに慣れてしまっていても、不安はけして消えない。くじけそうになる気持ちをこらえて、私はモニタに出てくる検索結果を繰っていく。職業選択の自由は私にもあるはずだと、自嘲しながら右手を使う。
最後まで見終えたときに、結局見捨てることのできなかった自由のことが私の頭をよぎった。
会社の住所と簡単な地図の入った元妻の名刺を、自由には渡した。幅広く人材派遣業を営む彼女なら、自由の行く先もどうにかできるだろう。これまでもどうにかしてくれた。
神としてならば仕事もある。公立私立問わず無数にある天国に、名前を貸して息をつめて見て見ぬ振りを続ければいいだけだ。
けれども私はそれには耐えられなかったのだ。いまは無力な自分を確かめながら、神も天国も忘れて生きていきたかった。
もっともそういう生き方じたい、内省的犠牲史観派の神学部出身者にありがちな特長らしい。
打ちだした求人票を手に、私は席を立った。どこかに、この世のどこかに必要とされるところがあると、私はいまでも夢見ている。相談窓口に並ぶ列の最後尾につき、よさそうな四枚の求人を吟味しはじめた。
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