早朝に家を出て、ぼくが猫町に入ったのは昼過ぎだった。駅からは一時間に四本あるバスに乗り、バス停からは十六分歩いた。最後は緩やかな坂道で、肩の旅行鞄と左手の布袋が徐々に重くなっていた。
大家さんに挨拶し、地元名物の干物を渡して鍵をもらう。ガスと電気はもう来ているそうだ。階段を上がろうとして、階段を下りようとする人影に気づいた。両腕にはテレビが抱きかかえられている。「こんにちは」とぼくは見上げた。「どうも」と彼は頭を動かした。
階段の横には大小取りまぜて電化製品や荷物が置かれている。その一群にテレビが加わる。階段を上がると、奥の部屋の扉が開きっぱなしになっていた。ぼくは扉に203と小さく刻印された部屋の鍵を開ける。また階段を上がってきた彼と目が合い、もういちどぼくは頭を下げた。
「新しいひと? 大学生?」
うなずけば、首から下げたタオルで額を拭いて彼は愛嬌のある笑顔を浮かべる。
「俺は今日出てくんだわ。短い間だけどよろしく」
「こちらこそ」
手にまだ荷物があったので、握手はしなかった。家から送った荷物は夕方に到着するはずなので、それまでに掃除ととりあえずの買いだしをするつもりだ。
通路を行き来していた彼が、四回目にぼくの部屋をノックした。「開いてます」と告げれば、扉が開く。決まり悪さをわずかに浮かべた顔をのぞかせる。
「あのさ、俺こっちで処分しようかと思ってたモンあるけど、よかったら引き取ったりしてくんね?」
木造の本棚は棚板も丈夫だが解体もできない上、重くて送料がかかるのだそうだ。ワンドアの冷蔵庫はアイスクリームと製氷皿を入れるだけでいっぱいになりそうな冷凍室が、申し訳ていどに上についている。これもまた送るにも処分するにもちょっとした金がかかるらしい。
本棚は気に入ったが、冷蔵庫は迷った。そのぶんの金が浮くのはありがたいが、独立した冷凍室があるほうが断然便利だと母親に念押しされている。「お袋さんが正しいわ、俺もそう思う」ということで、冷蔵庫は引きとらなかった。
おまけとして彼は、ドイツ語とフランス語の辞書を本棚につけてくれた。大学への近道と三つある学食と周囲の飲食店のお薦めも口頭指南してくれた。
大学に入って出るまでの四年間を、ずっとネコイチで過ごしたそうだ。
「忠告。猫町に住むのは四年まで。院に行こうと留年しようと、猫町には四年間だけな」
壁際に本棚を設置して、振り向きざまそういって彼は笑った。たずねてほしそうだったので、「どうしてですか?」とぼくは聞いた。
「猫町に四年以上居続けると、猫になるんだよ。ここは、そういう流儀」
「じゃあ、大家さんも猫なんですか?」
逆さにしたらっきょうのような顔に丸いメガネをかけた大家をぼくは思いだす。猫というよりもロバに似ているような気がする。それには答えず、代わりに彼は「あ、そうだ。炊飯器とオーブントースターもいる?」と追加メニューを提示した。
|
|