間違えてしまったのはしょうがない。見慣れない町並みと似たような家々に、ぼくは猫町に戻れない。近くなのはたしかだ。曲がる道を勘違いしたか、行きすぎてしまったのか。とにかくぼくは道に迷っている。
バス通りまで戻って、バス停を探せばきっと戻れる。でもそれをするのはなんだか癪だ。目印になるものはないかと周囲に気を配る。そしてぼくは古書店を発見する。
手には半透明なポリエチレンの袋と日持ちのする食べ物がある。溶けるものはない。急いで冷蔵庫に入れなくちゃならないものもない。そもそも冷蔵庫はまだない。迷う要素なんて見当たらず、ぼくはガラス戸に手をかける。春の古書祭りと銘打たれた一色刷のポスターが顔の高さに貼ってある。来月の一日から五日までだそうだ。第何回と銘打たれているので毎年あるのだろう。ぼくは四回は足を運べることになる。
開けたガラス戸の奥から、古本特有の埃っぽい匂いがただよってくる。それはぼくの住んでいた町と変わらない。ただ違うのは、大人がふたりすれ違えるかどうかの通路を取って並ぶ本棚に、漫画と文庫とグラビア誌以外の本も多いことだ。さまざまな書体で綴られる背表紙には、普段なら口にもしないような単語が配置されている。たとえば「中世荘園制と武家社会」、または「霊魂循環と祖先礼拝」、それから「進化分子工学の潮流と展望」、その他色々。
ちりりと鈴が鳴った。後ろ手に扉を閉めながら、ぼくは視線を落とす。朱色のひもで繋がれた三毛猫が、レジの台から飛びおりてうろうろしている。右の耳は茶色で左の耳は黒い。そしてレジには七十ほどの男性が座っている。ぼくに一瞥くれて、それから耳のイヤホンを差しなおした。
昨日来たばかりのような新しい本やもう何年もそこにあるように茶色く変色した本たちを、ぼくはひとつひとつながめる。いちどはひとの手を渡ってここに辿りついた本たちが、次の場所を求めてぼくを誘う。右の壁から始まった背表紙確認は、漫画の棚二列と文庫の棚二列を経て、向かいの壁ぎわの文芸書から正面横の棚の辞書と白書で終わる。途中で文庫本をひとつつかんだ。黒い背表紙に白抜きで「つむじ曲がりの世界地図」とある。でも猫町への行き方はないだろう。
猫はレジ台に戻り、丸まり目を閉じている。鈴は鳴らない。代わりに天井近くの時計が、五つ鐘を鳴らす。
宅配便の指定は、いまから二時間だ。ぼくは帰らなくちゃいけない。「すみません」と声をかけて本を差しだす。イヤホンを外して男性は「百五十円」と告げる。消費税はないらしい。もっとも本にもそんな表示はない。小銭を二枚出すと輪ゴムを巻いただけで本は返ってきた。イヤホンを戻そうとした男性に、ぼくはもういちど「すみません」と続きのように最初のように声をかける。そして猫町一丁目への道をたずねる。
道を間違えたのはぼくがまだ慣れないせいだけど、次はもう間違えずにここに来るだろう。そしてここだけじゃなく、他にもたくさんあるだろう古本屋に足を向けるのだろう。
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