今年7月5日、2001年当時に高崎市で発生していた異常な職務質問が原因で発生した死亡事故に関する内容で警察と遺族が裁判で争っていた事件が和解された。
和解なんて本当はありえない。和解とは「双方がお互いの発言内容を認めた」と言う事だから。さしずめ「これ以上争っても裁判と警察はグルだから無駄」と言う事。
俺はこの事件を知っているから群馬県警は大嫌いだと公言している。もはや警察はヤクザと見分けつかない。こう言う組織に金を渡してる群馬県知事も同罪。
群馬県庁の無駄に高いビルを見る度に思うのは小寺弘之群馬県知事の頭の悪さ。それでも政治家ってまともな人間が滅多な事では発見されないので無理がある。
和解ではない。警察が早々とこの事件を終わらせて闇に隠したいだけ。上手く行く訳ないだろ。亡くなられた方のご冥福を改めて。簡単に書けば概要は以下の通り。
0 2001年11月9日午後9時頃、息子は友人と自転車で自宅近くのファミリーレストランに行く途中。
1 覆面パトカーの群馬県警・高崎署の私服警官3人が無灯火の自転車2台を発見(死亡した大学生側の自転車は前照灯を点けていたと遺族側の主張、証言あり)
2 助手席にいた巡査長がクルマを降り、この大学生ら2人に対して「おい、兄ちゃん」などと声を掛けた。
3 警察官らは私服、覆面パトカー。しかも警察と名乗らず。
4 少年は自分たちに声を掛けたのが警察官ではなく、暴力団員と誤認。トラブルを避けようとその場から逃走を開始した。
5 警察官も自分たちが暴力団員と誤認されたとは思わず、2人の行動を「職務質問を振り切って逃走した」と判断。
6 自転車は途中で二手に分かれたが、警察官はこのうちの一方に対して「止まれ」などと叫びながら走って追跡。
7 途中からは覆面パトカーもこれに加わって追跡を行った。(1名乗車)
8 追跡した覆面パトカーは、赤色灯を点けず、サイレンも鳴らしていなかった。
9 少年はやくざか暴走族のような覆面パトカーに追われたことでパニックとなり、逃げる途中で幹線道路に飛び出してクルマ2台にはねられて即死。
覆面パトカーでこの大学生を後方から追跡していた椎名弘樹元巡査長は、事故を起こしたことを目撃したにも係わらず必要な救護義務を果たさず
そのまま事故現場を離れ、署に対しては「事故の発生は目撃していない」との報告。のちに懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。依願退職直後、設計会社勤務に天下り。
目撃者が出ると、「この目撃者はよく見ている、見られているなら仕方がない」と目撃者が一瞬現場を離れていることに目をつけ更に虚偽を重ねて報告。
自らの不祥事を隠蔽しようとし「息子の自転車が無灯火であった」「当該警察官らが息子らに対し、警察であることを告げたうえ、停止を求めた」
「息子をつかまえようとして、同人の進路を遮るべく車を止めたのは交差点の50mも手前であった」「エンストした後エンジンをかけ直そうとして
事故の瞬間は見ていないから事故に遭った男性が、追いかけた男性かどうかわからない」など事実と異なる嘘をつく。
警察は交通事故として処理しようと上申書の提出を受けて、刑事事件として取り扱うべく現場検証を実施。真相究明を求めた国家賠償でも県警は
「責任はない」との主張を続けており、検察審査会の「業務上過失致死、不起訴不当」の議決。議決を受けての再捜査結果も「不起訴」
検察庁の説明は言い訳と辻褄合わせとこじ付けだけのあきれたもの。検察と警察がグルになっている事が明らかとなった。
皮肉にも警察に殺された大学生の将来の夢は警察官になる事。逃げていた大学生を轢いてしまった運転者も合わせて「警察にハメられた」と言うのが妥当。
前科を持たされ、交通刑務所にぶち込まれた、その原因となった警察は「当方に責任がないとの認識は変わらない」と言う頭の悪い発言をしている訳で。
「事故を目撃して冷静さを失った…」と、群馬県警の元警察官が供述 2002年6月21日
昨年11月、職務質問を行った警察官を暴力団組員と勘違いし、現場から逃げる際にクルマにはねられて死亡した大学生の事故について
「この事故を目撃していない」と虚偽の報告を行い、虚偽有印公文書作成、同行使の罪に問われている元警察官(当時は高崎署の巡査長)に対する初公判が
20日、前橋地裁で行われた。この事件は昨年11月、群馬県高崎市の路上で無灯火のまま自転車を走らせていた大学生に対し、高崎署員が「おい、兄ちゃん」
と声を掛けて注意しようとしたところ、大学生はこの警察官を暴力団員と誤認して逃走を開始、その途中でクルマにはねられて死亡したというもの。
起訴された元警察官は、パトカーでこの大学生を後方から追跡していたが、事故を起こしたことを目撃したにも係わらず、必要な救護義務を果たさず
そのまま事故現場を離れ、署に対しては「事故の発生は目撃していない」との報告を行っていた。職務質問を行った警察官2名に対し前橋地検は
「逃走後の追跡と少年の死亡に直接の因果関係はない」と判断して不起訴にしたが、この警察官に対しては「虚偽の報告を行った」と認定し
虚偽有印公文書作成、同行使の罪で今年3月29日に起訴。この警察官は3月末付けで事件の責任を取って依願退職している。
20日に行われた初公判で元警察官は起訴事実を全面的に認め、「クルマにはねられた大学生が路上に横たわっているのを見て、冷静さを失い
そのまま走り去ってしまった」と証言した。争う姿勢がないことから、検察側は同日に懲役1年6カ月の実刑判決を裁判所に求刑している。
1人でサイレンや赤色灯の操作はできない…元警官が証言 2004年11月19日
職務質問した私服警察官を暴力団員と誤認し、自転車で逃走する際にクルマにはねられて死亡した少年の遺族(両親)が、群馬県を相手に
総額約2億4600万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟の口頭弁論が17日、前橋地裁で開かれた。事件当時に覆面パトカーを運転していた
元警察官が証言台に立っている。問題となった事件は2001年11月18日に発生している。同日の午後9時ごろ、群馬県高崎市浜尻町付近で
無灯火状態で走行する自転車2台を同所付近で覆面パトカーに乗ってパトロールしていた群馬県警・高崎署の私服警官3人が発見。
助手席にいた巡査長がクルマを降り、2人に対して「おい、兄ちゃん」などと声を掛けた。ところが自転車に乗っていた少年は自分たちに声を掛けたのが
警察官ではなく、暴力団員と誤認。トラブルを避けようとその場から逃走を開始した。
ところが警察官も自分たちが暴力団員と誤認されたとは思わず2人の行動を「職務質問を振り切って逃走した」と判断。
自転車は途中で二手に分かれたが、警察官はこのうちの一方に対して「止まれ」などと叫びながら追跡。途中からは覆面パトカーもこれに加わって追跡を行った。
少年はクルマ(覆面パトカー)に追われたことでパニックとなり、逃げる途中で幹線道路に飛び出してクルマ2台にはねられて死亡した。
その後の調べで警察官が暴力団員に誤認されたことや、追跡時に警察官であるという自らの立場を明らかにしなかったこと、追跡に参加したパトカーも
赤色灯やサイレンを使わないなど、数々のトラブルが明らかになった。少年の遺族は「職務質問や追跡の方法が違法であり、これが事故につながった」
として、群馬県警(群馬県)を相手に国家賠償訴訟を起こしていた。17日に前橋地裁で行われた口頭弁論には、覆面パトカーを運転していた元警察官
(当時は高崎署・刑事2課所属の巡査長)が証言台に立ち、原告側代理人からの尋問を受けた。尋問では赤色灯やサイレンを使わなかった理由について問われたが
これに対して元巡査長は「通常は助手席に同乗した警察官が操作するが、当時は追跡のために降車していた。被疑者がどう動くか判断できず
被疑者を注視していたため、1人で操作する余裕は無かった」と話した。また、事件当時は私服で捜査していたことを認め
「私服によって警察官があることを隠そうとしていたわけではないが、制服では警察官とすぐに認識されてしまうため
それを避ける意味で私服での勤務を行っていた」と、一種禅問答的な説明を行っている。
高崎の職質事故死:県議会で本部長「県警にも一定の遠因」/群馬 毎日新聞 2006年6月9日
高崎市で01年11月、警察官に職務質問されて逃げた大学生が覆面パトカーに追跡された後に死亡した事故について、高橋泰博・県警本部長は
8日の県議会文教警察常任委員会で「県警にも一定の遠因があった」と述べ、事故後初めて事実上責任を認めた。県警はこれまで、職務は正当だったとして
追跡と事故との因果関係を一貫して否定してきた。県は06年度補正予算案に大学生の遺族が起こした民事訴訟の賠償金として5000万円を計上。
高橋本部長は補正予算案の説明で「両者の主張はこれまで平行線をたどってきたが、少年が亡くなるという重大な結果の発生について、県警に遠因がある。
ご遺族の心情にも配慮した」と述べた。説明の後の質疑で、伊藤祐司県議(共産)が「責任を認めたから賠償するのか」と問うと
県警の寺島喜代次・警務部長が「一連の流れの中で一定の遠因がある」と同様の答弁を行った。「賠償金を支払う理由を説明していないのでは」
との質問にも、歯切れの悪い答弁が繰り返され、最後は「ご理解願いたい」と締めくくった。これまでの公判で、県側は
「警察官の正当な職務執行で事故の責任はない」と主張。県警が提示した和解案には、謝罪や責任を認める文言は全くなかった。
一転して因果関係を認めた背景には、責任を認めないまま「賠償金」を予算案に盛り込むことへの疑問を払拭(ふっしょく)する狙いがあるとみられる。
原告の遺族は「因果関係を認めても結局、謝罪はしないと思う。警察の論理は一般の考え方とかけ離れている」と話した。【伊澤拓也】
覆面パト追跡死:遺族に5000万円支払い和解 前橋地裁 毎日新聞 2006年7月5日19時56分
群馬県高崎市で01年11月、県警高崎署員に職務質問されて逃げた同市の大学1年生松岡正浩さん(当時19歳)が覆面パトカーに追跡された後
車にはねられ死亡した事故で、遺族が群馬県に約2億4600万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟は5日、県が遺族に賠償金5000万円を支払う条件で
前橋地裁(小林敬子裁判長)で和解が成立した。訴状などによると、松岡さんは01年11月8日午後9時過ぎ、同市内の市道を自転車で走行中
覆面パトカーに乗った同署員から「兄ちゃん止まれ」と声を掛けられた。松岡さんは署員を暴力団員と勘違いして逃走。追跡され、幹線道路に飛び出して
乗用車2台に次々とはねられ死亡した。遺族は02年3月に提訴し、(1)職務質問がどう喝的で恐怖に駆られて逃走した
(2)サイレンや赤色灯を使用しない違法な追跡だった−−と主張。県警側は「職務質問や追跡は正当で事故との因果関係はない」と責任を認めず
謝罪要求にも応じなかった。同地裁は昨年8月に和解を勧告していた。事故を巡っては「追跡したが見失った」と上司に虚偽報告した巡査長が
虚偽有印公文書偽造罪などに問われ、同地裁で有罪が確定している。松岡さんの母則子さんは「県警側が責任を認めないと『賠償』という言葉は出ない。
妥協ではなく、大勝利だと思う」と話している。寺島喜代次・県警警務部長の話 事故に至る過程で県警に遠因はあるが、当方に責任がないとの認識は変わらない。