なんかテレビ東京で「人口減少時代がどうのこうの」とか言う議論番組が放送となっていた。あー。基本的には「議論なんて無駄」って言う事で切って捨てる。
持論を持つ事は大切だが世界に棹を刺すなんて事は出来ない。結局は「なるようにしかならない」って言う感じでしょこの世の中は。ヒトラーレベルのプロパガンダ
クラスの力でも持っていれば話は別だが一個人にそこまでの力はない。だから「議論する事は無駄」そして「それでも一応自論は持っておけ」と言った形なんで。
関係ないけど世界は広いね。その中でブログだとかで個人が自分の事について説明する際にはちょっと過剰な程度と思えるくらいの補足が必要。まぁ前にも書いた
メイドが夕方のテレビに出る〜みたいなお話で。その辺り見ていると女って頭悪いなと思ってしまう。その理由は教育に原因がある。まぁこれは後述する。
例えばデジタル放送とか言う終わった規格のリモコンキーIDに関してテレビ東京系列局の中で「デジタル7チャンTVh」と歌ってるテレビ北海道、あるいは本局の
テレビ東京、そしてテレビ大阪などは「7チャンネル」をデフォルトに設定しているが系列局の中でも例えばテレビ愛知は「10チャンネル」をデフォルトにしている。
こう言った「地域での違い」と言うのが世界にはある。似た様な話で不治テレビ系列の北海道文化放送、あるいは東京の不治テレビ、関西の関西テレビ。
この辺りはリモコンキーIDのデフォルトを「8チャンネル」にしているが東海テレビはフルネットの系列局にも関わらず「1チャンネル」をデフォルトにしている。
こう言った「ところ変われば」な事もあるんでその辺を注意して個人としては書いてくれ。そう思うだけ。なんて言う事で人口のお話。「人口が減る事」は
いい事ですか悪いことですか?に関する問いかけに対しては「両方」と答えるそんな私。人口が減る事で「混雑が緩和される」みたいな首都圏における過密地域。
みたいな所で言えばそれはいいこと。しかし「日本と言う国家の制度は人口が増える事を前提として成立してきた、その制度がもう古びてるのに変えようとしない」
と言う意味では悪いこと。と言うのが俺の感触。そして最近の女が結婚しなくなったのは、とか言われているがどうしてそこで「女」と限定した言葉になるのか。
この辺は「特定の性別に全ての原因を押しつけたい」と言う思いがあるから。それだけ。はっきり書けば「男にも原因があるし女にも原因がある」と言う事で。
これは両性の展開。それなんで女にばっかり責任を押しつける事はナンセンス。なぜ結婚しない「男女」が増えてきたか、そう書くべき。そしてその理由は
自論としては「なんとなく」って言うのが理由。ハッキリ言って「理由なんて全て後付け」だから「理由を追求する事なんか役に立たない」って言うのが現実。
一応は「子供なんか持ちたくない」って言うのがあるだろうね。ガス抜きが出来ない。大家族が当たり前だった時代は預ける事で「ワークシェア」が出来る。
今はそうでもないでしょ、一応は保育園だとか託児所だとかもあるが「有料」で「経済的には圧迫されてる」状況で「更に金を出す必要がある」物には手が出ない。
って言うか出せない。子供に関しても長い目で見ないと育てられない。10年かけてやっと小学生の半分程度、と言うのが日本での状況。最近の女は以前と比較して
頭の方が良くなってきた。一部だけ。なぜここで女と限定するかと言えば「世間の中で、男も女も時間の流れは同等なのに賞味期限と思われる年代には大きな差!!」
があるから。例えば「30歳男性」「30歳女性」と聞いて「同じ30歳」にも関わらず「どっちの方が老けて感じますか?」となってくると「世間のイメージ」
は「女性の方が老けて感じる」となってくる訳で。これは間違ったイメージなんだけど。正解は「どっちも同じ程度」なんでこれ。それを考える。女の人生の中で
「比較的若々しい」年代を「子育て」で潰して「子育てが終わった女」は「もはやババアとしか見られずに商品価値のない廃棄された食品の様」と思われる。
これじゃあダメでしょ。それだったら「1度だけの自分の人生を若々しい時代を全て子育てなんかにはついやしたくない!」みたいな事も思う訳で。
そりゃ結婚したくもなくなるわ。「年収が〜」とか「身長が〜」とか言ってるがそれは「高望みする事で条件を厳しくして結婚できない理由を正当化」しようとする
女の言い訳、女の2枚舌。これは詭弁だね♪とか思うそんな展開。そう言う訳で性別が違えば理由も大きく変わってくる。「男の立場から」「女の立場から」
ではなく「両方の大局を見て」判断するのが正解。男の理由としては「男は浮気する生き物で1人の女に縛られるって言うのが基本的には生殖に反する行為」
女の理由としては「若々しい時代に子育てで時間を潰して子育てが終わったら賞味期限切れなんていやだー」と言うのが主立った理由。ただしこれも後付け。
人間なんて全て所詮は「なんとなく」とか「気分で」動く様な生き物なんだから。テレビにおける大規模な洗脳番組でもあれば話は別。そこまでの大規模な
プロパガンダは今となっては殆ど不可能。何故か。あんまり喋らないマイノリティが声を挙げる様になってきてるから。「反対派の声が大きくなってきた」から。
それだけ。まぁそう言う訳で自論でもメモしておきますか。そしてこう言う事があると女の方が先に理論を破綻「されて逆切れ」する事が多い。統計として。
それは何故か。女が満足な教育を受けてないから。それが「女はバカ」になっていく理由。男も女も同じ教育を受けている様で実は受けていない。それが現実。
女も「満足な教育を受ければ」男と同等の頭の良さになる。それが「ない」から女は男と比較してバカになっていく。これは「幼年期から青年期」に至るまで全て。
まずは幼年期。保育園だとか幼稚園だとかに預けられれば「女は女らしい遊びをしましょうね〜」みたいな事になる。なんで?とか言う感触だよな。
雛祭り。あるいは「可愛いお洋服を着ましょうね〜」みたいな事で「世界の大人が男はこうだろう、そして女はこうだろう」とか言う自我を勝手に植えつける。
それが間違いの始まり。男女の性別なんて言うのは5歳くらいまでは「何もない」と見るのが正確。「男」「女」と言う「性の違い」を認識するのは
だいたい6歳から7歳ぐらいがスタートライン。それまでは「男も女もなし、単純に『人間として』扱えば」それでいい。本人の興味や自主性に任せるだけ。
大人が勝手に「男だから」「女だから」で性別を「勝手に分ける」のは「子供の世界に不当介入しているだけ」なんで。そう言う物は「本人の中で自我が芽生える」
段階まで放っておけばいい。当人に任せておけばいい。そして小学1年生になる程度、先述した通り6歳から7歳くらいで「男女」と言う「性別」を意識する。
きっかけとしては例えば「授業中に女の子がおしっこ漏らしちゃった」みたいな割と単純な事から。男から見た場合「なんで我慢できないの?」みたいな事を思う。
理由としては尿道の長さの違いなんだけどな。男女の体の作りの違い。女の方が尿道が短い。だからトイレが近くなる。例えばイオン太田ショッピングセンター。
あるいはイオン熱田ショッピングセンターなどの大規模ショッピングセンターにおけるカップルデート、となった時にトイレに行きたがるのは大半が女の方。
確率としてはそうなってくる。そこで男が女の体の構造を知らないと「またかよー」とか言って切れる。俺はこれを何度も聞いてきた。盗み聞き?いや違う。
勝手にそいつが喋っただけ。「聞こえた」だけだから。はっはっはー。なんて言う事で些細な事から「自分で知る」事に任せるべき。それを大人が介入してきた。
それがそもそもの間違い。そして小学生くらいになってくると担任だとかが「男女」あるいは「男の子女の子」と言う様になってくる。出席を取るのも
大抵は「男から」名前が呼ばれる。こう言った「女は後!」と言う教育が「男と比較して女は劣る」と言う意識を植えつけるいわば「洗脳」になってくる。
「男女(だんじょ)」と言う言葉はあるのに「女男(じょだん)」と言う言葉はない。「女々しい」と言う意味の反対の言葉ってあるか?俺は思いつかない。
そもそも日本語自体が割と女を不当に扱う言葉だらけと言うのが現代社会。そう言った大人からの言葉で割と女の方が自然と「あー。私って男よりも下なんだ」
と言うのを「さも当たり前の様に」受け入れてしまうみたいな事にもなる。そして今やテレビがある事が当たり前となっているこの日本と言う国の家族。
テレビをつければ例えば子供番組。「ウルトラマン」「スーパーマン」はあるのに「ウルトラウーマン」「スーパーウーマン」なんて言う番組は無い。
あくまでも「男がヒーロー」「女は守られる側」とか言った「旧態依然の大人が作った番組」を見せられて子供は育つ。子供向け雑誌に関してもそう。
「男は戦い」「女は華麗に」みたいなコンセプトで自然と「性別ってこういう物」みたいな「知識を植えつけられる=洗脳される」事になっていく。
そう言う教育を施されると「あー。女って言うのは男に守られるもんなんだー」みたいな間違いを自然と受け入れてそれを自分に取り込んでしまう事になる。
テレビ以外でも「周囲の大人のやり方」「雑誌新聞などの文章」「お友達との会話」みたいな事で自然とそう言う物なんだ、と受け入れてしまう。それが間違い。
そして段々男にべったりになっていって女がどんどん頭の悪い生き物へと変貌してしまう。そして大人になりました。大人になっても女の不当は続く。
例えば「会社ではお茶を出す」作業を「女にやらせる」バカが未だに生きている。そんな物は「飲みたい奴が自分で入れろやボケ」でいいんだが。
それ以外でも「女はタイトスカートの制服」みたいな事で決めさせられている。そんな物は「自分で着たい物を着ればいいんじゃボケ」でいいんだが。
そして昇進したりするのは男が先、世の中の役職は殆どが男。そんな現実。こう言う事があると「あー私女だからー別に勉強しなくてもいいやー」
みたいな事になってやる気が減退してそして女がバカになる。こう言った現象は既に幼年期の頃から始まって高校生くらいでももう手遅れ、みたいな形で
頭が悪くなっていく。と言うのがこの世界。だから「女はバカ」ではなく「女は現代の教育制度に冒されてバカになる道を進まされている人間が不当に多い」
と言うのが現実。女でも中には頭のいい奴とか居るからな。その数が増えてきたのは希望と書いてもいい。女がバカに「なりがち」なのは教育のせい。
幼年期に関しては男女の区別なくやりたい事をやらせる、ただし危険な行為に及ぼうとした時はそれは大人が止めるべき。線路に置き石とかそう言った行為。
小学生に上がった頃に関しては男女分け隔てなく教育を受けさせる。性別の違いを認識するのもこの頃からだが大人の対応としては「どちらが偉いとか偉くない」
とかそう言う訳ではなく「性別以前に1人の人間として扱いなさい」となってくる。「男のくせに」「女のくせに」と言う言葉は禁止!と言う事で育てる。
中学生以降はある程度の分別も効いて来るので比較的再び自主性に任せるべき。例えばマラソン大会をやるにしても「男は5キロ女は3キロ」と言った性別に
よる区別は全て撤廃する必要はあるが。あくまでも「本人が走りたい距離を選びなさい」と言う事で決めるべき。結局は自主性。それを最優先させる。
学校で「男が使う机の隣は女」みたいなパターン化も廃止。好きな所に好き勝手に座りなさい、でこれも自主性に任せる。プールの授業で女は平泳ぎ男はクロール。
なんて言う事もせずに「やりたい事をやれ」で終わる。いい意味での「教育放棄」が必要となる。あくまでも「教育とは自分で考える事」である。
それをサポートするのが教師の役目。これからは「teach」ではなく「learn」の時代。生徒を「learner」にして自ら「learning」させる時代へと突入する。
よく「偉そうにする教師」なども居るがそれはナンセンス。「教師が生徒よりも偉い」なんて言う事はないしありえない。立場は同等。
「偉そうにする」でもなく「へりくだる」でもない。そう言った教育を行なわない「間違った教育」が「女を不当に差別して」「バカな女を作ってきた」
と言うのが現代社会の悲劇。その教育の間違いが最終的には国の損失へと繋がっていく。俺としては「正しい教育」を「男女分け隔てなく」受けさせる。
そしてほぼ同等の教育を受けさせてから「後は当人たちに任せる」と言う事で世界を作らせる。それで結婚する女が増えようが減ろうが後は知ったこっちゃない。
世界に棹を刺すなんて事は出来ない。流れるままに進むしかない。だから「議論する事なんか無駄」と言うのがとまむさんの感触。一応自論はメモとして書いとく。
上に書いてある事それ全てメモなんで。近所のスーパーで大根3本買ってくる、みたいな内容と中身は同等。結婚しない理由なんか「なんとなく」って言うのが
人間における正直な感情だと思うけどな。そして流れとしては流れるままに進むだけでいいよと。それでも日本政府は「人口が増える事を前提とした政策」
を打ち出してきているから「それに関してはもう減って当たり前の世の中なんで反発させて頂きますね♪」ってな事で「年金なんか払わない」「税金も抑える」
と言う「俺脳内内閣」の「政策を実行に」移しているのがとまむさんと言う存在なんですよ〜。みたいな事でそんな締め。そんなオチ。あー書いた書いた。