子供を学校に行かせる事に負担の少ない方法を採用するべきだとか思っているが。教科書はレンタルで大切に扱って汚れたりして使えなくなった物だけ入れ換え。
各種お稽古道具、要するに「算数セット」みたいな物も基本的には学校からの「貸し出し」と言う事で。体操服などは体格の問題もあるので購入も税制は免除。
だって「教育に必要な商品」だから。そこから税金を狩りたてる様に搾取するなんてナンセンス。マラソン大会や運動会に関しては相対的ではなく絶対的評価へ変更。
タイム順を競うのではなく今までの自己記録を塗り替えられる様に、と言う様な目標の立て方へと変更する。土建屋の利権ではなく堂々とした入札で決定する。
トイレにアンモニア臭がこもらない様な新しいトイレの設計。木材を使った校舎の建設も考える。勉強に関しては習熟度別教育を採用。
胃腸に負荷が掛からない様に子供の体格や食欲などに合わせて給食の量を適宜調整。いっぱい食べる事ではなく楽しく食べると言う事を最優先させる。
給食に関する子供のデータ値に関しては教師で共有。何年何組の誰々ちゃんは少食だから給食の量を減らし、減らした分の給食費は免除と言う方向へと動く。
子供に楽しく勉強を行なわせる、と言う事に関してコスト増になる様な負担があってはならない。基本的にはコストカットを考える。もちろん必要な分は残す。
そう言った教育改革と言うのが行なわれればいいのだかそう言った事は存在していない。政治はもはや権力者同士の椅子取りゲーム。なので国民なんか置き去り。
その最もな例としては市町村合併における領土の取り合い。戦国時代における戦国大名の乱世の世の中だとも思ってしまう様なそんな構図。小さな町や村?
それがどうした。何かあった時には助け合うがあくまでもアイデンティティであるおらが町おらが村は維持しても何も不思議な事はない。消防や自治に関しては
「広域協力体制」を敷けばいいだけの事。無理に「町ごと合併」して「その傘下に収まる」必要はない。合併で人口が増えました〜♪とかほざいてる首長も多いが
それはあくまでも見せかけだけの数字。その数字を実現する為に消滅した町や村の事を考えると心が涙を流す様な痛みに襲われる。アイデンティティの消滅。
ある意味人間としての否定にも繋がっていく。大きな街が自治体運営で必ずしも優秀だとは思っていない。そんな物は単純な数の拡大レースでしかない不利益な行為。
後は「自治体名をひらがな化する」と言う事もアホとしか言い様がない。漢字と言う文化を自ら捨て去るつもりなのか?表意文字の識字に関して多岐に渡る事で
日本人は日本語と言う文化を手に入れ多彩な表現を実現してきた訳でもあるが。そう言った文化を捨てるつもりなのか、だとしたら一種の売国行為でしかない。
これがこの国の現実。そう言えば昔は日本を揶揄した言葉として「経済一流、政治三流」と言う言葉があったな。俺もそう思う。だけど今はむしろ
「経済三流、政治三流」と言う事で「先人たちが残した信頼だけで喰ってる様なもの」と言う恥ずかしい状態になっているのがこの国の現状。
唯一の希望としては「そう言う事を分かっている人間が増えてきた」と言う事か。ある意味国をいい方向へと導き直す絶好のチャンスだとは思うが。
国民1人1人は無力だからな。後は「気づいてないバカ国民」も未だに多い。それを踏まえた場合「二極化」の方向へと進んでいると言うのが現状の日本。
さてあなたはバカの方ですか?それともバカじゃない方ですか?と言う様な事が言える。とまむさんの場合「ぶっちゃけ人の為に働こうなんて全く思わない」
タイプの人間だから。俺は自分の為「だけ」に動く。それが「結果」人の為「にも」なっているのであればそれでいいや、と言う様なタイプの人間。
なぜそう言う思想になるのか。他人の為に努力すると言う行為が殆ど無いから。基本的に努力と言うのは自分の為。結局は自分が1番可愛いと言う事。
腰の入った本気の努力。そう言う事を行なうモチベーションの向上としては結局自分が良い暮らしをしたいみたいな事における自己の欲求でしかないと言う中身。
だから特に他人に対して何かを伝えようとか言う気にはならない。あくまでもこの日記はメモ的な要素を便利に書き記しておきましょうと言う事で作った形態。