全国の警察で捜査費の不正が噴き出している。北海道警、福岡、愛媛県警は捜査費執行の誤りを認め、不正支出分を返還するに至った。
これまで警察を舞台にした不祥事は数多くあったが、警察官個人の問題ではなく、これほど長年にわたって、しかも大掛かりな警察内部の組織的不正が
明るみになったことがあっただろうか。高知県警では15年7月に捜査費疑惑が浮上したが、県警は不正を頑として認めず、内部調査すらしようとしない。
一体、県警の捜査費問題とは何だったのか。これまでの経過を振り返り、今後の課題を検証する。
15年春のある昼下がり。本紙県警担当記者の携帯電話が鳴った。記者が親しくしている県警の関係者からだった。「茶でも飲まんか」との誘いで、県警本部近くの
喫茶店で会うことにした。向かいに座った関係者は、おもむろに茶封筒を差し出した。中にはB4サイズの3枚の書類が入っており、表題には
「捜査費執行状況等一覧表」と書かれていた。初めて目にする書類だった。本部捜査一課の国費捜査費の執行状況を記したもので、14年4月から
同年10月までの7カ月間に、9人の捜査員が計約196万円の捜査費を捜査協力者や飲食店に支払ったことを示した文書だった。
「現場の捜査員には一円も渡っていない」関係者は衝撃の事実を口にした。絶句する記者に続けてこう言った。
「幹部が何かに使っていたんだろう。偽造書類を書かされていた」一覧表に書かれているのは捜査員名、事件名、捜査協力者名、金額などだった。9人の捜査員は
全員実在する。事件も取材したものばかりだった。捜査協力者は27人。謝金を支払う相手として、「債主」(債権者の意味)という聞き慣れない用語の欄に
その氏名が書かれていた。一覧表について県警は今も「出所不明の文書」とする。しかし、記載された捜査員と担当した事件が一致するなど、内部文書であることは
明らかだった。旧知の捜査員に裏付け取材を始めた。そして「捜査費は不正に使われているのか」という質問をぶつけた。
「自分の立場では言えない」と言う捜査員が多かったが、疑惑を否定した人は一人もいなかった。「現場には金が下りてこない」「恩恵を受けたのは幹部だけ」
と不正を認めた捜査員も複数いた。一覧表について「幹部の手持ち資料」と断言した人もいた。問題は捜査協力者への取材だった。
一覧表には「高知市神田」という具合に地名しか記載がなく、番地までは分からない。氏名を基に電話帳で探したが、大半が一覧表の地名と一致しない。
よく見ると「高知市潮江町」という実在しない地名さえあった。必ずといっていいほど同姓同名者がいるのも不可解だった。実数27人の協力者が
58人にまで膨れ上がった。記者3人で取材班をつくり、地道に取材することにした。取材班は、電話帳を基に捜査協力者への取材を始めた。
入手した「捜査費執行状況等一覧表」に記されている協力者は27人だが、電話帳の同姓同名者を合わせると58人に上る。全員に取材を試みた。
「警察からお金?」一覧表では、協力者は1回につき1万円から7万円の謝金を居酒屋やスナックなどで捜査員から受け取ったことになっている。
しかし、約2カ月がかりで取材した結果、直接会うことのできた45人全員が捜査費の受け取りを否定した。取材班が捜査員の名前を出しても
「全然知らない。会ったこともない」と答え、「警察からお金がもらえるんですか?」「何で私の名前があるんですか?」と逆に問い返された。
13人には会うことができなかった。このうち5人は、一覧表の捜査費の執行時期(14年4月―10月)より前に死亡していた。
残りの8人は捜査員との接触時期以前に県外に転居していたり、捜査費を受け取るとは思えない警察官の父親も含まれていた。
近年、プライバシー意識の高まりから、電話帳への氏名掲載を嫌う人が多くなったとはいえ、1人も該当者がいないとは…。不可解だった。
取材班が電話帳を基に捜査協力者を探しても、行き当たらない理由が分かった。捜査費のカラクリを証言してくれる県警関係者が現れたのだ。
男性は一覧表を見るなり、「これは本部捜査一課の総括補佐の手持ち資料」と断言した。県警で総括補佐は課長に次ぐ地位だ。男性はどのように捜査費書類の
偽造を行ってきたかを詳しく説明してくれた。捜査協力者の氏名について、男性は「電話帳から探す。同姓同名の多い人物が使いやすい。
電話帳以外の住所を書き込めばそれらしい協力者ができるから。全部でっち上げだ」協力者との接触場所は、偽造書類の担当者が県警幹部がよく使う店を選び
「普段から何も書いていない白紙の領収書を店からもらい用意しておく」のだという。こうして架空の協力者名に事件名、金額、接触場所などを
捜査費の精算書に鉛筆で書き込み、捜査員に「(偽造書類を)書いてくれ」と頼む。担当者が鉛筆で書くのは下書きの意味だ。
筆跡が同じだと、偽造が発覚する恐れがあるため、それぞれ捜査員に「清書」させる。このため白紙の領収書には別の捜査員が記入する。
やむを得ず1人で記入する場合には「左手で書くこともあった」という。協力者との接触日時についても細心の注意を払っていた。
一覧表に書かれている日付はすべて平日。捜査員の出勤簿と照合された場合、偽装が発覚する可能性があるからだという。巧妙な偽装工作は、会計検査院の
検査や警察庁の監査に対応するためだった。男性は「いつから始まったか分からないほど前から行われていた」と話した。
こうして裏金と化した捜査費は一体何に使われていたのか。男性は言った。「それは幹部のみしか知らない」「捜査費執行状況等一覧表」を入手してから約2カ月。
存在するはずもない捜査協力者を探す作業が終わり、いよいよ原稿にする時が近づいていた。取材班はそれまで捜査費疑惑について、県警幹部に直接当たることは
控えてきた。事は組織ぐるみの不正。取材中にどんな横やりが入らないとも限らない。満を持して、取材班は捜査一課総括補佐経験がある幹部に当たった。
捜査費の不正は外堀を埋める取材で確信を持った。ただ、「いつからか分からないほど前から不正が行われていた」という関係者の証言が気になっていた。
なぜ、これまでに是正されることがなかったのか。そして「幹部しか知らない」という捜査費の使途は何だったのか―。しかし、幹部が口にした言葉は
「書くな」というひと言だった。「捜査費の不正があるのか」「金は何に使っていたのか」という質問に、「そんなことは関係ない。記事を書くな」
話は平行線をたどった。「書いたらどうするのか」との問いに、「高知新聞とは敵になる」と言い切り、徹底抗戦をにおわせた。
事実、疑惑が表面化した15年7月から現在に至るまで、県警は一切の疑惑を否定し続け、本紙とは対立状態が続いている。さらに幹部は
「記事が出れば、今後は一切(一般の)取材にも応じない」とまで言い放った。何としてでも捜査費の記事を阻止したいという、県警の異様なまでの
緊張が伝わってきた。別の幹部も同じだった。「どこまで取材をしたのか」「記事にするのか」と聞いてくることはあっても、不正の有無は語ろうともしない。
口にしたことといえばただ、「書くな」「組織への影響が大き過ぎる」。その2点だった。それから県警の動きが慌ただしくなった。昼夜を問わず、幹部らが
取材班の動きを探ろうとしてきた。そしてさまざまな言葉を浴びせてきた。「記者を尾行する」「記者の携帯電話の履歴を調べる」県警は今では一覧表を
「出所不明、作成意図が不明」とその存在自体を否定しているものの、当時は「内部文書がおまえの所にあるのはおかしい。窃盗だ」とまで言う幹部もいた。
脅し口調だけではなかった。「頼むから書くな」「どういう条件なら書くのをやめてくれるのか」という懐柔もあった。
「本部長の出世に響く。筆を折ってくれ」と真顔で懇願する幹部もいた。県警は取材班がこれまで見たこともないような“素顔”を見せた。
そんな日々が2週間は続いた。取材班が脅し文句の中で最も引っ掛かったのは「高知新聞の取材には今後一切応じない」とする幹部の言葉だった。
本紙の「捜査費問題」取材班は全員が県警を担当している。県警本部1階にある記者室には、本紙のほか全国紙やテレビ局、通信社の記者らが席を並べ
日々競い合って取材をしている。他社に先んじて報じることをマスコミ界では「抜く」と言い、そのニュース価値が大きければ、「特ダネ」「スクープ」と評される。
逆に、他社に先んじられれば「抜かれた」ことになる。最悪は他社が一斉に報じているのに、一社だけ後れを取ったケース。
「特オチ」と呼ばれ、記者としてこれ以上の屈辱はない。「捜査費の記事を出せば高知新聞とは敵になる。今後は一切(一般の)取材には応じない」
県警幹部の脅しともいえる言葉は、「特オチを覚悟しろ」と通告したに等しい。例えば事件取材の場合、逮捕された容疑者に記者が直接接触し、取材することは
できない。おのずと情報は警察に頼らざるを得ない。事件、事故が起きると警察は「報道メモ」の形で概要を発表する。しかし大きな事件になると、記者は
公式発表以外の情報を取ろうと、捜査幹部に夜討ち朝駆けの取材を繰り返し、特ダネを競う。そのために日ごろから酒を酌み交わし、信頼関係を築こうと努める。
こうしたやり方の是非はともかく、それが事件記者の現実だ。独自の情報源の重さを骨身に染みて知っている記者であればあるほど、「特オチ」がどんなものか。
それは恐怖以外の何ものでもない。非公式とはいえ、一方的に「取材拒否」を予告する県警幹部の姿勢は理不尽極まりない。
警察が職務上知り得た情報を恣意(しい)的に扱うことは、情報の「私物化」にほかならない。理不尽な脅しと分かってはいるが、特オチを想像すると
取材班の気持ちは揺れた。「捜査費疑惑を記事にしなければ、これまで通り情報は入手できる。特オチの心配をするよりは…」
悪魔のささやきが聞こえる時もあった。しかし…。では、「捜査費執行状況等一覧表」を手に、捜査費の不正を告白してくれた関係者にどう説明するのか。
階級社会の警察にあって、取材班を信じ、勇気を持って証言してくれた人たちの気持ちはどうなるのか。権力の不正を知って書かないことは、それこそ
情報の私物化であり、不正に手を貸すことと同罪ではないのか。警察が職務上入手した情報は警察官個人のものではない。
それと同様、記者が取材で得た情報も記者個人のものではなく、読者のものではないのか――。15年7月23日、本紙は朝刊1面トップで報じた。
「県警 捜査費を虚偽請求」「架空『協力者』仕立てる」「組織的に裏金づくり」本紙が県警本部捜査一課の捜査費虚偽請求問題を報じた15年7月23日朝。
取材班はいつも通り県警本部に出向いた。庁舎1階東端の記者室に入ると、珍しく誰もいない。県警トップの本部長室やナンバー2の警務部長室がある4階。
記者たちはそこにいた。鈴木信弘警務部長(当時)の部屋が会見場と化していた。取り囲んでいるのは十数人の記者。本紙の報道についてコメントを求めていた。
「高知新聞の記事は本当か」「県警の見解は」記者が鈴木部長に矢継ぎ早に質問している。鈴木部長は「捜査費をはじめとする予算は適正に執行されている」
という言葉を繰り返した。それで記者が納得するはずもない。さらに詰め寄る記者に鈴木部長は「報道は事実ではない」と本紙の報道を完全否定。
その理由については「取材の根拠が明らかでない。捜査一課の担当者に確認したところ問題はなかった」と述べた。それを聞いた全国紙の記者が
「高知新聞の記事に抗議はしないのか」と強い口調で迫ったが、鈴木部長は「捜査費の性質上、具体的な事実を指摘して抗議することは困難だ」と釈明。
理由は「捜査に支障を来すからだ。現時点ではこれ以上の調査の必要はない」と会見を打ち切った。以後、今日まで県警はこのスタンスを崩していない。
「捜査上の秘密」を盾に、一貫して本紙報道を否定し続けている。県警幹部が取材班に予告した「記事を出したら敵」の言葉はこの日を境に現実となった。
事件取材のため部屋に入ると、「高知新聞だけには言わん」「出て行け」と怒鳴る幹部。それだけではない。報道対象となった捜査一課を皮切りに、県警本部では
一部、また一部と高知新聞が姿を消していった。取材拒否の次は新聞不買だった。その動きは県警本部にとどまらなかった。高知署では幹部が交番にまで
「高知新聞を取るな」と指示した。あまりのひょう変に、報道対応を担当する県警本部の部署が、「報道各社には公平に対応するように」と県内各署に
指示を出したこともあった。そんな中での救いは現場の警察官の声だった。それまで話したこともなかった捜査員に「おまえらの方が正しい。
幹部が間違っている。遠慮せんと書け」と励まされた。声を掛けるのは、県警本部の廊下で擦れ違いざまだったり、トイレの中だったり。
幹部の目を気にしながらも、その気持ちがうれしかった。「高知新聞が報道した後も、幹部が『(偽造書類を)書いてくれ』と持ってきた。
県警がしていることといえば、『誰が高新に協力しているのか』という犯人捜しばかりだ。幹部は何も反省していない」と、匿名ながら電話で訴えてきた
捜査員もいた。疑惑を真っ向から否定する幹部。幹部の態度に憤る現場。警察という絶対的な階級社会の中で、たとえ小さな声でも取材班は現場の声を信じた。
それは今でも変わらない。