11月の3200mの豪G1メルボルンCをデルタブルース、ポップロックが1〜2着。世界的な距離の短縮化が進み、もちろん日本でもステイヤーの少なくなった最近だが
3200mの春の天皇賞があり、3000mの菊花賞を大事にする日本の競馬界。パートI国入りしたいま、ただ興行化の波に押されるように短縮化の進む
世界の競馬サークルに、もう主張を通してもいいだろう。ヨーロッパ、アメリカの競馬の最近10年ぐらいを一応の世界の競馬の頂点として据えると、単に
レーティングうんぬんではなく、明らかにサラブレッドは少し弱くなりつつある。アメリカでも、欧州でもその声は非常に大きい。理由の1つがスピード化にあることは
疑いもなく、競技の歴史を振り返っても推測できるように、しだいに距離を短く縮め、さらにもっと短くしようなどとするような動きは、どこかピントがズレている
危険が大きい。少なくとも種の存続と進化には大きな足かせで、スプリンターとスプリンターの配合がとんでもない凡馬を送るケースが続出するように、競走の中心は
1600m〜2400mとしても、より長い距離もこなせる長距離型を大切にしないと、次の代に一気のレベルダウンが待っている。
柏木集保が今いい事言った!(笑)あんたちょっと前にこんな事を書いていたのもあったけど上記の文章はいい事言った!(笑)
[ カッコ悪い ペーパーオーナーゲーム ] ペーパーオーナーゲームが登場したのは、20数年前だった。ハイセイコーブームで若いファンが一気に増えたころの
ことで、若い競馬記者や、マスコミ関係者のあいだで、静かに成立したこのゲームは、しかし、そんなに一般的ではなかった。なにせ、発想がせこい。
若い競馬ファンは、いくら競馬が好きでもオーナーになどなれるわけがない。仮のオーナーになって、賞金システムを1万分の1ぐらいにして、小さな、しかし
うまくいけば貧乏記者がちょっとだけ裕福になれるゲームだった。少しうしろめたいゲームだった。本当のオーナーと、架空のオーナーの区別がつかず
本気になってしまった参加者がいないこともなかったが、パドックで「あれはオレの馬だ」などというのは、もちろんタブー。せつないゲームだった。
他人のフンドシで相撲を取るせつなさや、みじめな部分をオブラートにつつんで、仲間うちだから許されてはいるものの、隠しておきたいゲームだった。
ペーパーオーナーゲームは、だから、ちょっと参加者が多くなりすぎたり、みんなに知れ渡ると、つぶれる運命にあった気がする。
最初にペーパーオーナーゲームが出現したころから、いま20数年がたった。せこく、マイナーで、ちょっとばかりうしろめたいこのゲームは、いまや
ゲーム本が売れるほどポピュラーになっている。どうしてこういうゲームが白日のもとで、多くの若者が参加するのか、本当のところをいうと、ボクはわからない。
付き合いというものがあるから、せこいゲームだなどといいながら、ボクももう20数年も参加している。最初は確かに面白かった。好きな馬の
架空のオーナーになれる。本当の馬主が1億円も2億円も出して買った馬をただで選ぶことができる。カケの面白さも満たしている。血統にも詳しくなれる。
つれて、競馬サークルのいろんなことがみえてくる。だれが思いついたか不明で、一説によると日本だけで成立しているというこのゲームは、たしかに
競馬の面白さの幅を広げるのだろう。しかし、ふと感じている。ゲームや、勝負ごとや、スポーツは、何年も何年も慣れ楽しんで、幅が広がるほどに、とりまく
様々なことを知るほどに、さらにはレベルが向上するほどに、もっと楽しくなるものである。将棋でも、碁でも、チェスでも、サッカーも野球も、競馬も
もちろんそうだろう。ただし、ペーパーオーナーゲームだけは、違う気がする。ゲームをきわめる神髄がない。ゲームの進歩と発展がない。
参加したキャリアを重ねるほどに、本当のオーナーの姿がみえたり、厩舎や騎手がみえるほどに、また、仲間うちで遊び興じる友人の姿がみえてくるほどに
しだいに興味の薄れる虚構のゲームである気がする。うたかたのゲームも、うしろめたいゲームも、捨てがたい面白さがあるから、本当は嫌いではないのだけれど
ペーパーオーナーゲームだけは、あんまり本気になって参加するものではない気がする。ボクがオジさんに近くなったからいうわけではない。
ボクらは、それは小さな存在かもしれないけれど、競馬が好きなのだから、胸を張って「ホースマン」。ホースマンはカッコ良くなければならない。
カッコつけて生きなければならない。いいすぎだと思うけれど、本気でペーパーオーナーゲームに夢中になっている奴や、ましてそれを商売にしている奴って
カッコ悪すぎると思わない。クラブの一口会員というのも、それはせつなく、かなりせこくて、ちょっとみじめな気分もあったりするけれど
選ぶのは自分、出資するのも自分、痛みを受け入れるのも自分。架空と虚構は小さい。参加するなら、こっちの方が少し本物に近い気がする。
ホースマンはたとえ貧乏でも、カッコ良く生きなくてはいけない。(柏木集保)
と言う事で。なんか関東限定の番組に出ていると「動画とか見た事ない」って言う奴も出てくるよな。…今やネットでガンガン動画がアップロードされる時代と。
それなんで「視聴エリア」なんて言うのはもう形骸化してるんだろうなぁ。とか思う訳だが。ネットに動画をアップする人間の心情?簡単に書けば「テレビウゼぇ」
だろ。放送エリア、キー局と地方キー局と言う存在。テレビ東京の番組が見られないかあるいは遅れて放送される。そう言った所に不満が爆発した結果。
いわば「テレビの自滅」「テレビの自爆」なんだが。それに気づかないで滑稽にバカやってるテレビ局ってなんなんだろうね。もうアホの巣窟だね。