水曜日の関西テレビにおけるスーパーニュースアンカーの青山の「青山繁晴が見た硫黄島…地下洞今も残る遺留品の数々単独取材敢行で激戦地は何を語る」は
これは関西圏の人間「以外」も見ておいた方がいい様な内容だな。これを本当は「強いネットワークを持つ」東京キー局が作って放送するべきなんだがそれは無理。
むしろ「放送」ではなく「疱瘡」だろう。現状の東京キー局の惨状としては。さてその辺を理解している人間がどれ程存在しているのやら。まぁいいや。
とまむさんですよ。そう言えば今年の有馬記念の中継でゲロブスが出て「きやがる」とか言う事で「その前に暗殺とか出来ねぇかな」と真剣に考えてみる。
どうにかしてキチガイぶっ殺せねぇ?とか思う訳だが。お前の存在自体が有馬記念には相応しくない。お前もう消えて?ウザいから。そう思うだけ。
日本の中央競馬において代表的なレースと言えば日本ダービーと有馬記念。日本ダービーが「今年で73回」なのに対して有馬記念は「今年で51回目」ですが。
ずいぶんと施行回数が違うんですねと言う事が良く分かるかと。日本ダービーの源流が世界各国で行なわれているダービーからなのは分かるが有馬記念は?となる。
[ 1955年まで暮れの中山競馬では中山大障害が看板レースであったが、東京競馬場で行われていた日本ダービーと比べると華やかさに欠けていたことは否めなかった。
そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が「中山競馬場で大レースを」と計画しそのアイディアとしてファンがより親近感を持てるようにと
プロ野球のオールスターと同様にファン投票による出走馬の選定を、という当時としては前代未聞の画期的な選抜方法を用いた。のちに夏のグランプリ宝塚記念も
ファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用。第1回「中山グランプリ」は1956年12月23日、中山競馬場の芝内回り2600メートルで開催された。しかし
第1回を盛況の内に終えて間もない1957年1月9日。有馬頼寧が急性肺炎にて急逝。これまでの功績を称え、第2回以降は「有馬記念」と改称され施行されている。
と言う事で。これが「有馬記念」の名前の由来。それとレース誕生の由来。少なくとも「年末の競馬と言えば有馬記念」と言う程に浸透してはいるからこの試みは
現時点では成功していると言ってもいい。有馬頼寧の主な功績としてはPR機関「中央競馬サービスセンター」の創設、日本短波放送(現ラジオNIKKEI)による
レース実況の放送を開始。競馬場内に託児所や遊園地を設置するなどして家族単位での来場客を見込む。この辺りか。先見の明、と言う言葉を思い出す。
ある意味「想いの詰まった競争」と言う事で。面白いなぁと思うのは日本の中央競馬の代表的なレースと言えば日本ダービーと有馬記念、になる訳なんだが
日本ダービーは戦争を経験しているのに対して有馬記念は戦争を経験していない。戦争による中断の有無、に違いがある。いわば「軍事に関わる事なく開催された」
「平和な時代のスポーツ、としての競馬」と言う事で。もしもこの後日本で戦争が始まったらこの国の生活はどうなるの?とか思うけどな。
そう言う意味では「単なる競馬」の枠を越えて「平和の象徴」とも言える。日本ダービー優勝騎手が出兵してそのまま死んだ。と言う様な事もある訳だが
有馬記念は「戦争を経験していない」と言う事で。ある意味「平和の象徴」であり「日本の年末の風物詩」であり「中央競馬の代名詞的なレース」と言う事で。
それだけの「想いがこもった競争」を「頭の悪いバカ」が公衆の面前でしたり顔で扱う事に関して反吐が出る。敬意を持っていないだろ。そう思うだけだが。
バカ騒ぎ?どっかの私有地で勝手にやってろ、それをテレビを通して電波を流すな。毒電波か?としか言えない訳だが。事務所含めテレビ局全体も含め
アホの巣窟か?としか言い様がない。東京キー局の身勝手はこんな所にまでやってきている訳だな。てかウザい。日本国民はもっと怒れ。この国は結局多数決。
数の論理が全てをまかり通すからな。そう言う訳で如何に広めるか。それが最近は重要な要素になっている様な体たらく。あーこりゃこりゃとか思うけどな。
日本国民は知識を身につけていない奴が多すぎる。知識は人を救う。Knowledges save me,Knowledges save you.そう言う意識が満載な訳だが。