エンドレスナイトは、1984年7月から1990年6月にかけて、大阪の関西テレビで毎週土曜日深夜の「プロ野球ニュース」終了後から明け方にかけて
関西地方のみで放送された生放送の情報バラエティ番組。司会はシンガーソングライター・ばんばひろふみとタレント・兵藤ゆき、そして
同局のアナウンサー杉山一雄。これに一般公募の女性リポーター陣「エンドレスギャルズ」が加わる。エンドレスギャルズは半年毎に交替していた。
「エンドレスナイト」は、本来視聴者の前に姿を現さない、番組のディレクターやプロデューサーをはじめとしたスタッフが「人気者」となってしまうという点が
他の番組とは決定的に違う点でありまた大きな特徴でもあった。番組の合間、時にスタジオの横で見切れる(映ってしまう)ディレクターを、出演者の
ばんば、兵藤は積極的に放送中のネタにした。これも2人が番組開始まで、自由な雰囲気のラジオ番組で活動していたことに起因する。
そういった状況下から、番組には視聴者からのイラストが、出演者のみならず、スタッフのそれまで送られるようになり、その過熱ぶりは回を追う毎に
ヒートアップし、スタッフもミドルネームを付け、エンドロールにもその名前が表記されるようになる他、さまざまなシーンで登場。
プロデューサーの上沼が自らセーラー服姿で出演するなど、インパクトを与えた。この雰囲気が番組のアットホームさを強くし、また他の深夜番組と
一線を画したものであったといわれている。また、番組に関わるスタッフに限らず、関西テレビの様々な社員(当時の局長・局次長クラス)や
関係者(局周辺のレストランのオーナーなど)も、番組に何らかの機会で登場すると、彼らのイラストが寄せられるようになった。番組では当時の同局の
上層部・重役陣を「エライちゃん」と一括りで呼び、ネタの対象にし、局内に向けても番組の浸透を図ることで、よりアットホームさを醸し出していた。
中でも1986年9月、それまで番組を統括していた上沼真平プロデューサーが、土曜日の朝のワイドショー「シュートinサタデー」の立ち上げのため、一時的に番組から
離れ、穴埋めのために番組に参加した千草宗一郎プロデューサーは、本人が石原裕次郎のファンであることから「タフガイ千草」と呼ばれていたが
その独特な風貌から後に「シーチャカ」と呼ばれ(名前の由来は石原のヒット曲「嵐を呼ぶ男」のリズム「シーチャッカ」という音から)イラストの「餌食」と化した。
一方でカメラに映ると「イヤイヤ」と照れる様からその真面目さも伝わり、また番組内の様々なコーナーに登場し、番組のファンを拡大した。
「エンドレスナイトのカリスマ」と呼ばれるようになる。1988年春、当時の制作部内のシフトチェンジで番組を離れる際には、惜しまれながら
「さらばシーチャカスペシャル」と題したスペシャル企画が放送され、千草プロデューサーと親交のある関西のマスコミ関係者が総出演した。
その後大晦日のスペシャル放送、そして番組の最終回などの節目には必ず登場し「エンドレスにシーチャカ千草あり」を印象づけた。
エンドレスナイトの担当を外れた後、千草は「ノックは無用!」のプロデューサー、また「鶴瓶の1/10女子マラソン」をはじめ、スポーツバラエティー番組を制作し
その後古巣であるスポーツ局に異動。毎年1月に開催される「大阪国際女子マラソン」の陣頭指揮を執り、他のスポーツ関連のイベントや特別番組を数多く手掛けた。
その後、2000年に事業局長、2001年に営業局長。2003年からは取締役、2005年7月からは社長となった。これまで関西テレビの社長は、大株主の産経新聞や
阪急阪神ホールディングス、フジテレビジョンの出身者が務めてきたが、関西テレビからの生え抜きでは千草宗一郎が「初めて」となる。
Give me a reason why not to adopt in this way,or judge me to be guilty of so many incurable sins.
Tell me why, or why not. Complaining the way too much,maybe I overlooked something fatal for me.
なぜ、この方法を用いてはならないかという理由を教えてください、さもなければ、私を「不治の罪」により有罪であると、裁いてください。なぜそうなのか、なぜ
そうでないのか、教えてください。などと多くの不平を言いながら、もしかすると私は、私にとって致命的な何かを、見落としていたのかもしれない。