2007年05月11日(金)夢から覚めても

別に電子マネーに対応しているしていない。と言うのは割とどうでもいい携帯の話。俺が言いたいのは「こう言う情報を隠蔽して嘘を回りに撒き散らす」と言う事。
それが「非常にナンセンスなやり方」と言う事。嘘つきはあまり好きになれませんが。そう思うだけ。嘘をつくなら人が幸せになる様な嘘をつきましょう。

「いいもの」を作るにはまず「売れない事には」始まらない。資金が無くなる訳だからな。いいものはいい、と単純に定義する事なんてナンセンス。そんな日常。

[ タクシー全面禁煙巡るコラム、中日新聞に抗議40件 ] 名古屋地区で今月1日から始まったタクシーの全面禁煙について、中日新聞社(本社・名古屋市)の
常務・編集担当の小出宣昭氏(62)が4月29日の朝刊で否定的な意見を掲載したところ、「たばこの害を、どう考えているのか」などの抗議が
同社に相次いでいることが9日、わかった。NPO法人「日本禁煙学会」(東京)も小出氏に抗議文を送付した。愛煙家である小出氏は、コラムの中で、全面禁煙に
ついて「決め方にいささかの薄っぺらさを感じる」とし、タクシーは「個別選択的な乗り物」であり、「全車禁煙という一律主義に本能的な危険を感じる」と書いた。
中日新聞社には9日までに抗議のメールや手紙が約40通届き、「喫煙を正当化するな」などの電話もあるという。読売新聞の取材に小出氏は
「禁煙者と喫煙者の共存のために多様な選択肢が必要だということを書いたつもりだが、配慮を欠いた部分もあった。
文章を訂正する必要はないと考えているが、今後、反省すべき点は素直に反省したい」としている。(2007年5月10日3時12分 ゴミ売り新聞)

「文章を訂正する必要はないと考えているが」だと。バカだなこいつ。さすがアホの巣窟中日新聞。早速こう言うバカな事をやってくれると俺の内容が正論になる。

2007年4月29日:中日新聞15面 4月を送る 中日新聞常務・編集担当 小出宣昭 ] 世をあげて禁煙の時代だが、私は今も、たばこのみである。
中日新聞では少数民族「スー族」(吸う族)と呼ばれ、細々と伝統の香りを守り続けている。うまいコーヒーを飲み、ぷかりと煙をくゆらすときが、多数民族
「スワン族」(吸わん族)の方々には申し訳ないが、至福の瞬間なのだ。時間が止まり、精神の静寂が訪れる。たばこは、吸うよりも、ふーっと吐き出すときが
落ち着きをもたらす。禅の呼吸とよく似ている。五臓六腑が空っぽになるまで息を吐くと、後は自然に空気が入ってくる。この繰り返しによる落ち着き。
「無一物無尽蔵」と禅はいう。こんな心境にご理解をいただき、スー族とスワン族の静かな共存を願っていたのだが、がぜん、とんがった事態が起きた。
五月から名古屋のタクシーをすべて禁煙にするというのだ。いやはや。少数民族は多数民族の決定に従うほか術はないが、その決め方にいささかの薄っぺらさを
感じるがゆえに、スー族としての反論を書きとどめる。名古屋タクシー協会によると、全車一斉の禁煙に踏み切った理由は、時代の流れに加え、女性や高齢者から
「車内がたばこくさい」との苦情が増えたからという。私は、他の理由はともかく「くさい」というのはなんとも容認できない。私たち日本人は、かつて
朝鮮半島の人々を「ニンニクくさい」といい、欧米人を「バタくさい」といって世界から友人を失ってしまった。自分たちが「魚くさい」「醤油くさい」
と思われていることも知らずに、である。世の中、においはお互いさまなのだ。たばこくさいと非難する女性は、厚化粧のくさみをご自覚だろうか。
たばこの煙が健康を害することはあっても、たばこのにおいで肺がんになることはない。子供のいじめの「くさい」と同じではないか。
タクシーは公共交通機関といっても、あくまで個別選択的な乗り物である。車内でのたばこは運転手さんや同乗者の同意を得れば不特定多数の人々に
迷惑をかけることはありえない。まさに私的空間なのだ。そこへ禁煙の論理を持ち込むなら、なぜ、禁煙車を7割、喫煙車を3割など喫煙率に応じた選択肢を
与えないのだろう。全車禁煙という一律主義に、スー族は本能的な危険を感じる。世界で初めて国家的禁煙運動を始めたのは、ヒトラーである。
「たばこは赤色人種が白人にかけた呪いである」と断じた彼は、ドイツ民族の純粋性を守るために徹底した禁煙を求めた
(健康帝国ナチス、R・N・プロクター著、草思社)。同時代の独裁者、ムッソリーニもフランコも禁煙主義であり、彼らに対抗した
ルーズベルト(紙巻き)、チャーチル(葉巻)、マッカーサー(パイプ)はいずれもたばこのみだった。禁煙は、下手をするとナチスのように
他者の存在を認めない原理主義に陥ってしまう。スー族はいま、それを憂えているのだ。

[ 論点・視点 2007年5月7日:笑わせるな!『中日新聞』のコラム ] 禁煙タクシーの一斉取り組みが5月1日から名古屋市内で始まった。
マスコミ各社の関心も高い。そうした中、4月29日付の『中日新聞』朝刊15面に載ったコラムの一文が記者の目を引いた。同社の常務・編集担当が執筆した
「タクシー禁煙の憂うつ」と題する文章の内容を要約すると、「車内がたばこくさいという理由は容認できない。全車禁煙の一律主義は
ナチスのように、他人の存在を認めない原理主義に陥ってしまう」というのだ。たかだかタクシー車内でたばこが吸えなくなるという話を、あの
アドルフ・ヒトラーの政治まで持ち出さなくても良いと思うのだが、それはともかくとして、記者は中日新聞幹部・記者のたばこの喫煙に対する
意識の低さを感じずにはいられなかった。コラムでは、においはお互いサマだとしている。だが、タクシー車内のたばこのにおいが耐えられないという苦情は
業界関係機関に多数寄せられている。顧客の苦情に対策を施すのは事業者として当然の責務。においくらい我慢しろ、という方がよっぽど他人の存在を認めていない。
コラムの執筆記者は、受動喫煙による健康被害の恐ろしさを、どれほど理解しているのだろうか。副流煙の有毒粉じんの濃度は非常に高い。
たばこは、吸っている人間だけではなく周りの人間の健康をも害する恐れのあるものなのである。事業者は、喫煙が人間の体にとって
いかに恐ろしいものなのかを、喫煙者に知らしめるオピニオンリーダーとしての役割も担っている、との自覚を持って禁煙タクシーに取り組んでもらいたい。

なんて言うか。笑いが込み上げてくるしか無いんですが。これでとまむさんは愛知県民に殺される事が無くなりました。だって俺の書いた事の方が正解だったから。
いつもの通り「な?俺の言った通りだろ?」と言う事を書いてこの稿を終わりにしたいと思います。って言うか書きたい事大量にあるんで俺。普通に。

2007年05月11日(金)11時27分17秒