[ 皇太子さま、ダービーご観戦 安倍首相夫妻は見事的中 ] 皇太子さまは27日、日本中央競馬会の招待で東京競馬場(東京都府中市)で行われた
第74回日本ダービーを観戦された。皇太子さまは英国留学中に競馬をご覧になっているが、国内で競馬を観戦するのは初めて。レースでは牝馬ウオッカが
注目されたが、皇太子さまは双眼鏡で馬群を追い、「ウオッカはどのへんでしょう」と聞きながらご観戦。64年ぶりの牝馬制覇に皇太子さまは
「非常にいいレースを見せていただきました」と笑顔をみせられた。優勝した四位洋文騎手は馬上で深く一礼し、皇太子さまは拍手で応えられた。この日は
安倍晋三首相夫妻も競馬場を訪れ、別室で観戦。貴賓室前で皇太子さまをお出迎えした。現職首相のダービー観戦は、首相の祖父の岸信介、小泉純一郎両氏に
次いで3人目。安倍首相は複勝で、昭恵夫人は単勝でウオッカの勝馬投票券をそれぞれ購入し、見事的中させたという。(2007/05/27 産経新聞)
明治以降の近代日本、すなわち現在の日本にも通用する様な制度が出来てからおよそ100年と少々。その間、初代の伊藤博文から数えて競馬を観戦した
「観戦当時現役であった総理大臣」が「これでやっと3人目」と見る事も出来る。小泉がやる前は岸信介まで居なかった、と言う事か。これは正直言って
「少ない数字」と考えている私がいる。中央競馬に関しては馬券の売り上げの一部を国庫として日本国に収めている、と言う事を知らない人が多い訳だが
それ以前に十数年前までの、いわゆる「競馬=ギャンブル、暗い部屋でおっさんがタンを吐きながら赤ペンと競馬新聞を片手にあーでもないとつぶやいて
なんかブツブツ言っていて白痴なんじゃないのかと言う様な雰囲気でたばこ吸ってガラガラ声を上げて野球帽を反対に被って気色悪くてニタニタしてる」
と言う様なイメージが今だに大衆には残っている。と言う事が言える。試しに競馬知らない人間に「競馬見に行こうよ」と誘ってみるといい。
大半は「嫌がる」それが当たり前。そこで「どうして?」と聞くと大抵「ギャンブルのイメージ=悪」と言う事でそれが拒否材料となってくる。
…こう言う理解の無い女はとまむさん性交するに値しないと確信しているが。イメージ「だけで」物を語るのはつくづく危険だな。材料が欲しい。それも正確な。
そう言った事柄を払拭するのはこう言った総理大臣等のVIPが訪れました、と言う様な広報活動の成果。これしかない。胴元が幾ら何を言おうともあまり聞かれない。
これを政治の話題と絡めた上で「皇太子様が…」「安倍総理が…」と言う事で「政治関連のニュースとして」聞き耳を立てる人も現れてくるだろう。と言う話。
「外部の人間が」訪れる、と言う事が非常に重要。イメージキャラクターが何を言おうともあまり説得力と言うのが出ない。「部外者が」言う事が大変重要。
商品の宣伝文句を「店員が言うのと口コミで自分の知り合いが言うのと」では同じ内容であったとしても後者の方が「聞く耳」を持つ事が多い。警戒心の有無。
そう言う事。今回はある意味では広告塔だった。それもいい意味での。正直「日本の国庫に寄与してきた競馬が日陰者扱いされてきた時代がそろそろ終わろうと」
している段階、と言う事で。安倍晋三内閣総理大臣の談話の中で1番印象的な言葉を1つだけあげるとしたら以下の内容、と言う事でご紹介しておく。
「東京競馬場の美しさ(エントランスが美術館のようで)には本当に驚きました」と言う一文。すなわちこれは「考えていなかった」と言う事が言える。
具体的に書こうか。「(競馬場なんて大抵汚い様な所だろ?と思っていたけれども)東京競馬場の美しさ(エントランスが美術館のようで)には本当に驚きました」
と言う話。イメージを「覆す」と言う活動が必要。上記でとまむさんが比喩として提出した表現の通りのイメージをおそらく総理大臣は描いていたに違いない。
こう言った「イメージの払拭」にあえてVIPを使う、使わさせて頂きました。と言うのが今回の日本ダービー。よく「ギャンブルで破産」と言う話が出てくるが
それは単純な話「ギャンブルで破産しなかったとしても他の事で破産するだろうな、その人間は」と言うだけの事。それがたまたま競馬だっただけの事。
それと「業務に必要な金銭の横領事件」の言い訳として「競馬で使った」と言う言い訳をする人間が居るのだが大半において「それはない」と否定出来る。
理由は簡単。「どの種別のどの組み合わせの馬券に何票入ったか」が今は全てコンピューターで統計が集められている。もしも競馬に大金を投じたと言うのであれば
その「投票数」が「他の組み合わせと似た様な馬券の中で何故かこのひとつの組み合わせだけオッズが異常」と言う事で認められる。大半の場合「それはない」
と言う様な状況になっている。そもそも本当に大金を投じたと言うのであればいつまでも印象に残りやすくなっているはずでございますが。
「具体的に。何月何日どこの競馬場の第○レースのどの額面のどの馬とどの馬に幾ら程投じたんだ?」と言う話。それが大半の供述では出て来ない。
これでアウト。相手の論理が完全に破綻する。…そう言う事をもっと行間から読み取れる能力が欲しい所だね。如何に頭の善し悪しが重要なのか。非常に痛感する。
優勝した四位洋文騎手は馬上で深く一礼し、皇太子さまは拍手で応えられた。と言う事で「ヘヴンリーロマンスみたいだな」と思った私が居る。別に構わないが。
相手は皇室の人間。最大級の謝辞を放出して当然。馬に乗ったままなのは「故障などの異常時を除いて馬場に居る時は馬から降りてはいけない」と決められている。
これがルール。地下馬道を経由して着順に応じた所定の「決められた場所」まで戻ってようやく「馬から降りてもいいよ」と言う風に決まっている。
そもそも騎手が降りたら誰が馬を制御するのやら。馬が暴れたら大変な事になると言うのは「400キロや500キロ程度ある塊」が「自動車並みの速度で走る」
と言う事を考えてみればいい。しかも相手は馬。人間の様に言葉が通じる訳でもなく自分の気ままに走るのだから交通ルールもへったくれもない。それが馬。