「デスクに恐れをなしてサテライトの有力スタッフ、集結せず」と言う事で。トップが仕事のビジョンを描けなければ一般社員は働きようが無い。以下社員の独白。
この作品が、なぜここまでの状況になってしまったのか。全てが良い作品を完成できない、奇跡のような組み合わせのスタッフが揃ってしまったからなのだろうか。
監督、副監督、キャラクターデザイナー、美術、CG、名前を出す個々のスタッフは申し分ないはず。しかし、ほとんど状況が進まずにここにいたる。
その責任はスタッフにのみあるのか?そもそも、物書きや職人たちは、それに没頭するあまりスケジュール管理が得意な人はほとんどいない。
それはその役職に特化した能力な人ほど、その傾向があることは否めない。でも商品である作品を、利益と質の天秤にかけたぎりぎりのところで
締め切りを設けて、消費者である人たちに商品を与えなければ、会社が成り立っていくわけがない。そこの調整を引き受けている機関が
プロデューサー、製作デスク、製作ではないのだろうか。本来、監督や、副監督にも、進行状況を見極める能力は当然必要なはず。
監督が駄目なら、そのフォローとしての副監督、製作デスクをおく事が当然の人選である事は、業界人ならば、わかることである。
であるが、今回はそれがあまりにも考えられていなかった。その人選の責任者はプロデューサー。しかし、それを社長が兼任しているため、全く現場に
現れる事もなく、その状況を判るはずもないということだろう。その状況説明を上層部に情報伝達することは、AP、製作デスクが請け負うはずだが
伝えても判ってもらえない。そこで状況が止まってしまった事が、この現状に至る原因なのではなかろうか。それはサテライトの製作部の教育問題の体質が
要因であるとも言える。であるが、他の作品では、悪いなりにもぎりぎりでまわしている。そもそも、製作がしっかりしているアニメ会社を探す方が難しい
のが今の現状である。にもかかわらず、この現場の状況がその中で、特化して悪い状況になった要因は?そのスタジオ発起人の一人に、その製作デスクがいる。
その実績がこの状況を創り出す要因の大きな引き金である事を、プロデューサーは判っておかなければならなかった。サテライトのアニメーションスタイルを
象徴した代表作品の一つ。ノエイン。そこの製作デスクを、当初任されていた人物である。だが、その責任に対する認識の甘さ、クオリティーの高さを
求められた会社での作品運営をまわす能力のなさ。その結果、ノエインはあの奇跡的な豪華スタッフ陣をもってして、大幅な遅れを余儀なくされたらしい。
その結果デスクは途中降板。いち製作に降ろされたが、そこでも運営方法の問題から、製作進行すらも降ろされた。すなわち、サテライトのクオリティーを
もとめる作品の一製作すらできない人物が、再びデスクに立たされたのである。無論、個人の野心で、デスクに立ち、作品を再び回したいと思う心情は理解できる。
だがそれを許すことにより、問題を起こしたものに対して、プロデューサー(社長)の個人的な情で、短期間でその立場に再び現場復帰させる。
その一人をかばう事により、何百人という、そのアニメの企画にかかわる人々が、路頭に迷い多大な被害を被るのである。
そして、それは今、会社の存続にすら関わってきている。一人の要因で、ここまで被害を被る会社の製作体制の甘さ。そこが根本原因であることは間違いない。
人の上に立つべき人物たるか、そこを見誤ればこうゆう結果になる。当たり前の事である。そのスタジオには、サテライトを代表する
キーアニメーターは、誰も集まらなかった。その殆どの人々は、ノエインに関わっている方々なので、発起人がその人物と知れば、当然の結果である。
だが監督が目指している作品のレベルは、間違いなく会社至上始まって以来のクオリティ。それを、ほぼ新人同然のスタッフ少数が、メインで
版権基としてはじめようとしてる大きなギャップ。おそらく現場のスタッフの事も、監督にきちんと伝えてはいなかったであろう事は、今までのデスク実績から
容易に想像がつくことである。その間に挟まれたAPは、精神的ストレスからくる、体調不良で早々に降りる結果となった。
現場スタッフの殆どが、その人物だから、という理由で来た人物だった事が、状況のまずさに拍車をかけることになった。
公になった通り、監督も表現したい物と、現場のレベルの違い(なぜこの会社の、いいスタッフが集まってくれないのか)を理解できずに、思い悩み事実上更迭。
その悩みは当然である。この状況は、本来の大本であるはずのスタジオでは、ありえることがないはずのことだからだ。確かに監督にも問題がある部分もある。
だがそれはトップクリエイターならば多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。その証拠が、他社で、その監督が降板に近い形を取らされるまで至った事実はないことだ。
暴走があってもそれをコントロールする体制をつくるのが当たり前の事だからである。そして数々の作品を世の中に送り出し評価は受けている。
他の会社はそれをできたが、この会社はそうではなかった。そうゆう事ではなかろうか。そして、その状況まで放っておいた側の責任は、いまだ取らされていない。
少なくとも、プロデューサーが目を通して任命した監督を下ろして、進行が遅れた責任を、一人に押し付け、自らの責任は問わない。
またその状況報告をここまで遅らせたデスクの責任は問われないのか?それを世間は許すのであろうか?そうは思えない。そして、その現場監督をまかされた
フォロー役である副監督も、現場スタッフをあてにせずに、ほぼ一人で作ろうとする。リテークに悪辣な文言を書き付けて戻したとも、他者の仕事と
掛け持ちしてるとも、もれ伝わってくる。そこに生まれる軋轢。ただ、腕は確かだし、この作品に関わっている間の姿勢は真剣ではある。
それだけに現場に失望を隠しきれないことも理解は出来る。しかしその立場の者が、今ある現場を信頼しなくて、多大な人員を必要とする
アニメーションを創る事ができるのだろうか。そこに疑問は残る。また総作画監督すら仕事を掛け持つ。ありえない話である。現場の原画スタッフである
自分も公然と不満を言って、怒り出す。当然すべき事ではない行動ではあるし、正当化も出来ないだろう。そのスタジオの発起人の、もう一人の
キーアニメーター自ら、状況のまずさから、他のスタジオに仮の席を借り、そこの作品寄りに仕事をする。自らが集めた現場スタッフを捨てて、身の保身を考える。
いちフリーアニメーターならわかる話ではあるが、今回はそのスタジオの中心人物である人間がその行為をすることが、どれだけまずいことかは、一般社会に
照らし合わせても、あってはいけないことなはずである。リーダー自ら率先して、敵前逃亡を図ってるような事ではないか。この作品に使う
ペンネームを考えなくてはと、リーダーが絶対口に出すべき事ではないことを現場で言う。その程度の人物に教育を受けてる、新人動画チェッカーの
作品造りにたいしての志の低さ。それに教えられる新人動画の不幸。その現場に立たされる、新人の製作人。他から来ても状況を知って、すぐ辞めてしまう人々。
現場が挙げた修正案にほぼ耳を傾けない製作デスクと上層部。まともに終わらせられる事が、あるわけがないことは一目瞭然である。
われわれ下の物が口を出すと、いちフリー原画が上の方に口を出すな。としか受け取れない応対を受ける。ならば、その発起人たち自らの責任において
この作品を創った。どのような、不の要因があったとしても、それを呼び込んだのも、自分たちなのだということを、理解しなければならない。
つまり、運が悪かったのではなく、それがそのスタジオの自分たちの実力なのである。その会社至上、前代未聞な作品を排出する可能性のある、スタジオ。
現場に関わった、個人的な意見としては、その状況を生み出したことが当然のようにしか見えない。放送前から、今回は失敗したから
次回の作品ではうまくやろう、そんな甘い考えで世の視聴者に作品を送り出す。それがどれほどのリスクを背負う事になるか。
その会社の名声や存亡にどれほどのリスクを伴うか。消費者を軽んじた生産者側が、どのような制裁を受ける事になるのか。
それがあるからこそ、生産者側は見えないボーダーラインを自ら課す。それが最低限のマナーであると、自身はかんがえている。
そんな難しい事ではなく、世の中に作品を送り出す者なら当然の事なはずである。それを、あまりに軽んじて創られた作品。恐らくその状況は
画面が証明する事になるだろう。これでまともな画面を創れたら、他の会社は無駄な努力でもしている、と言う事になってしまう。
そんなことはありえないはずである。だが望むらくは、前代未聞の粗末なクオリティーになるはずの体制で作られた物が、放送されたフィルムに
形として現れない、夢のような事をただ願うのみである。一つの光明は、新監督が風呂敷をたたむ方向に動かそうとする人であるという事。
ただ、終わらす事にだけは進まなかった、スタッフが結集した風呂敷が並大抵の物ではない事だけは避けられない。
新しく、ベテラン製作を投入する事も、応対があまりにも遅すぎた。無事終わりを迎えられるだけで奇跡な現状な事が、経験者には理解できると思う。
作品のコンセプト、デザイナー陣、求めてる物は良い物だっただけに、今の現状に至った事が悔やまれる。ある方向の日本アニメーションを
好きな方には、製作側、視聴者に関わらず、駄作で終わらせるには、あまりに勿体ないと思う作品ではあるはずなのだ。
このような現場であるにもかかわらず、粉骨砕身の努力をしてくださっている格監督、各デザイナー、作画監督、演出家、撮影、CG、他大勢の皆様方には
多大なるご迷惑をかけ続ける事になり。まことに申し訳ございません。この作品に対しての皆様の、応援、誹謗中傷、詮索、どのような形であれ
この作品がなければ生み出される事のなかったエネルギーだと思います。この作品に対して何かを感じた、一般の方々も含めた全ての人と一緒に、どこかで
このアニメーションに参加して、無事最後の放送を迎えられる事を祈ります。つたない文章と、誤字脱字、誤解を招く表現が多数あることをお詫びします。
2007年 3月30日