らき☆すた最終回がテレビ埼玉でも放送されましたよ。後続の放送地域にネタバレになるのでそれは除去した上で今回の感想を日記に書く。
今回の「らき☆すた」で「京都アニメーションの企業としての立ち位置」が明らかになった。らき☆すたに限らず「京都アニメーションその物が身内主義である」と言う事。
物凄く「仲間内でべったりとくっついてるだけの引きこもり的企業」であると言うのが明らかになった。それだけ。本編の感想?「つまんねぇ」で終了する。
結局最後まで「仲間内でべったり」に終始したのか。感覚としては「ネット右翼がmixiの中でマイミクの徒党を組んで右翼的な意見を吐いてやいのやいの」に似てる。
大体mixiってマイミク同士の馴れ合いだけで終わるよね。すんげえ小さいネットワーク。マイミクはリアルで会った人のみにします、とか言って
ネットの長所である「時間も距離も国家間も超える」と言うメリットがちっとも感じられない井戸端会議。もっと外へ出ろよお前ら。と言う事が明らかになる世界。
それに似てるわ。京都アニメーションと言う企業の立ち位置は。胸くそ悪い理由はこれか。よーく分かった。良く言えば家庭的。悪く言えば仲間内でべったり。
馴れ合いもここまで来ると悲惨だな。と言う形を見た。そしてそれと同時にとまむさんの疑問も氷解した。「絶望した!京都アニメーションに絶望した!」とだけ。
俺そう言うの嫌いなんで。むしろ積極的に外へと出向いてあれやこれやとやるのが好き。…これだけだと何の事やらだな。じゃあ分かりやすく書いておこうか。
「キャスト同士の馴れ合い」「自社作品同士の馴れ合い」「スタッフ同士の馴れ合い」「特定スポンサーとの馴れ合い」「特定個人と企業の馴れ合い」が見えた。
そもそも京都アニメーションがここ最近は「角川」もしくは「鍵っ子」作品しかアニメを手がけていないのは何故か?疑問に思っていたがそれも氷解した。
「馴れ合い企業だから」と言うのがその答え。要するに「角川の中の人」「鍵っ子の中の人」の誰か、つまりとある個人が京都アニメーションに対して持っている
「コネ」があるから。と言う事で。角川書店の関係者のうちの誰か1人の個人と京都アニメーションが繋がっている。と言う事で。やたらと「原作つきアニメ」を
そればっかり取り上げてアニメ化して手堅いけれども冒険しない。と言う理由もそれか。つまり「身内主義」と言う事で。作品を引き受ける事からしてもう身内主義。
とまむさんみたいに京都アニメーションに対してコネの無い人間が京都アニメーションに電話を掛けて「金も時間もあげますのでアニメ作ってください」と
打診してきても「一見さん死ね!」と言う様な返事が帰って来てガチャリ。だろうな。開拓すると言う感覚ではなく身内でなれ合って金の回し合いをする様な感覚。
それがウザいのか。京都アニメーションの「福利厚生」「アニメ制作を地場産業化」「アニメスクールを実践」と色々やっている事は評価できるんだが
何か「のどの奥に小骨が詰まった様な感覚」があった訳だがそれが理由か。「馴れ合いがウザい」と言うのが理由か。つまり「馴れ合いを優先」するあまり
アニメ化される作品の「原作」が「面白いか面白くないか」は関係ないと。だから「らき☆すた」がアニメ化した訳か。原作からしてそんなに面白くないのに
なんでこれがアニメ化されたんだ?と言う事に対する答えは「馴れ合い」それか。そう言う事か。その「対応」が気に食わない。とまむさん馴れ合い嫌いなんで。
俺としては「よりよい原作をアニメ化する」「そこに談合だとか馴れ合いだとかコネだとかの人間的な概念は持ち込まない」「人間的ではなく作品的で判断する」
と言う事の方が正解だと思うだけにそこが納得いかない部分だった。と言う訳か。「絶望した!身内主義の京都アニメーションに絶望した!」と言う事で。
あ。絶望先生?こっちはこっちで「シャフト&新房」がもうすっかり「引きこもりタッグ」になっている様で気持ち悪いですね。とだけ。なんだこの展開。