2007年09月28日(金)ハイドパーク

とまむさんの説ってマイノリティ過ぎるからなかなか信じて貰えないよね。最終的にはとまむさんの方が正解だったりする訳なんですが。相手恥ずかしくて認めないだけ。

2007年09月28日(金)シルキーグレイン

普通、人間って言う生き物の最低限の理性を考えれば「何もしていない人を殺す」なんて事は普通しない訳だ。殺害に至った、と言う事は、おそらく伊藤誠バリの
とんでもない女たらしな警察官だった。と言う可能性の方が圧倒的に高い。…そこら辺の話は出てきていないよな?どんだけ女たらしだったのか?と言う事に対して。
警察官と言う職業は精神病、鬱病ばかりの野戦病院と言うのが常態。それを思えば浮気相手に対して一方的に恫喝気味に「ヤらせろ!」と言っても不思議は無い。

今回のマスコミの報道。明らかに偏向が見られる。加害者の詳細ばかりを報道して被害者の事象に関しては口をつぐんだまま。「違和感」に気付かない様なら
そいつは洗脳されている。マスコミが散々振りまいてきた「警察と言うのは正義の組織である」と言う「メッキ」に騙されて洗脳されて信者と化している。

マスコミがそこに触れたら「警察となーなーで上手くやってきた記者クラブ的な制度」から外されて警察情報ネットワークから締め出しを食らって特オチになる。
だから触れない。と言うのが正直な所だろうな。そこで「ひぐらしをスケープゴートにして殺された警察官に対する疑惑の目を逸らそう」と言うシナリオが出来たと。

…と書いてきた。こう言った「バーター取引ってあるの?」と言う事を愚民どもは思う訳だ。じゃあ実際に「マスコミが警察に逆らったらどうなったか」の例でも。

[ 県警捜査費問題3 「記事にするな!」 ] 「捜査費執行状況等一覧表」を入手してから約2カ月。存在するはずもない捜査協力者を探す作業が終わり、いよいよ
原稿にする時が近づいていた。取材班はそれまで捜査費疑惑について、県警幹部に直接当たることは控えてきた。事は組織ぐるみの不正。取材中にどんな横やりが
入らないとも限らない。満を持して、取材班は捜査一課総括補佐経験がある幹部に当たった。捜査費の不正は外堀を埋める取材で確信を持った。
ただ、「いつからか分からないほど前から不正が行われていた」という関係者の証言が気になっていた。なぜ、これまでに是正されることがなかったのか。
そして「幹部しか知らない」という捜査費の使途は何だったのか―。しかし、幹部が口にした言葉は「書くな」というひと言だった。「捜査費の不正があるのか」
「金は何に使っていたのか」という質問に、「そんなことは関係ない。記事を書くな」。話は平行線をたどった。「書いたらどうするのか」との問いに、
「高知新聞とは敵になる」と言い切り、徹底抗戦をにおわせた。事実、疑惑が表面化した15年7月から現在に至るまで、県警は一切の疑惑を否定し続け、
本紙とは対立状態が続いている。さらに幹部は「記事が出れば、今後は一切(一般の)取材にも応じない」とまで言い放った。何としてでも捜査費の記事を
阻止したいという、県警の異様なまでの緊張が伝わってきた。別の幹部も同じだった。「どこまで取材をしたのか」「記事にするのか」と聞いてくることはあっても、
不正の有無は語ろうともしない。口にしたことといえばただ、「書くな」「組織への影響が大き過ぎる」。その2点だった。それから県警の動きが慌ただしくなった。
昼夜を問わず、幹部らが取材班の動きを探ろうとしてきた。そしてさまざまな言葉を浴びせてきた。「記者を尾行する」「記者の携帯電話の履歴を調べる」
県警は今では一覧表を「出所不明、作成意図が不明」とその存在自体を否定しているものの、当時は「内部文書がおまえの所にあるのはおかしい。窃盗だ」
とまで言う幹部もいた。脅し口調だけではなかった。「頼むから書くな」「どういう条件なら書くのをやめてくれるのか」という懐柔もあった。
「本部長の出世に響く。筆を折ってくれ」と真顔で懇願する幹部もいた。県警は取材班がこれまで見たこともないような“素顔”を見せた。そんな日々が
2週間は続いた。取材班が脅し文句の中で最も引っ掛かったのは「高知新聞の取材には今後一切応じない」とする幹部の言葉だった。(2005年3月19日)

[ 県警捜査費問題4 決断「情報は読者のもの」 ] 本紙の「捜査費問題」取材班は全員が県警を担当している。県警本部1階にある記者室には、
本紙のほか全国紙やテレビ局、通信社の記者らが席を並べ、日々競い合って取材をしている。他社に先んじて報じることをマスコミ界では「抜く」と言い、
そのニュース価値が大きければ、「特ダネ」「スクープ」と評される。逆に、他社に先んじられれば「抜かれた」ことになる。最悪は他社が一斉に報じているのに、
一社だけ後れを取ったケース。「特オチ」と呼ばれ、記者としてこれ以上の屈辱はない。「捜査費の記事を出せば高知新聞とは敵になる。今後は一切(一般の)
取材には応じない」県警幹部の脅しともいえる言葉は、「特オチを覚悟しろ」と通告したに等しい。例えば事件取材の場合、逮捕された容疑者に記者が直接接触し、
取材することはできない。おのずと情報は警察に頼らざるを得ない。事件、事故が起きると警察は「報道メモ」の形で概要を発表する。しかし大きな事件になると、
記者は公式発表以外の情報を取ろうと、捜査幹部に夜討ち朝駆けの取材を繰り返し、特ダネを競う。そのために日ごろから酒を酌み交わし、信頼関係を築こうと
努める。こうしたやり方の是非はともかく、それが事件記者の現実だ。独自の情報源の重さを骨身に染みて知っている記者であればあるほど、「特オチ」が
どんなものか。それは恐怖以外の何ものでもない。非公式とはいえ、一方的に「取材拒否」を予告する県警幹部の姿勢は理不尽極まりない。警察が職務上
知り得た情報を恣意(しい)的に扱うことは、情報の「私物化」にほかならない。理不尽な脅しと分かってはいるが、特オチを想像すると、取材班の気持ちは揺れた。
「捜査費疑惑を記事にしなければ、これまで通り情報は入手できる。特オチの心配をするよりは…」。悪魔のささやきが聞こえる時もあった。しかし…。
では、「捜査費執行状況等一覧表」を手に、捜査費の不正を告白してくれた関係者にどう説明するのか。階級社会の警察にあって、取材班を信じ、勇気を持って
証言してくれた人たちの気持ちはどうなるのか。権力の不正を知って書かないことは、それこそ情報の私物化であり、不正に手を貸すことと同罪ではないのか。
警察が職務上入手した情報は警察官個人のものではない。それと同様、記者が取材で得た情報も記者個人のものではなく、読者のものではないのか――。
15年7月23日、本紙は朝刊1面トップで報じた。「県警 捜査費を虚偽請求」「架空『協力者』仕立てる」「組織的に裏金づくり」(2005年3月20日)

[ 県警捜査費問題5 否定「高新は出て行け」 ] 県警本部1階の記者室(高知市丸ノ内2丁目)本紙が県警本部捜査一課の捜査費虚偽請求問題を報じた
15年7月23日朝。取材班はいつも通り県警本部に出向いた。庁舎1階東端の記者室に入ると、珍しく誰もいない。県警トップの本部長室やナンバー2の
警務部長室がある4階。記者たちはそこにいた。鈴木信弘警務部長(当時)の部屋が会見場と化していた。取り囲んでいるのは十数人の記者。本紙の報道について
コメントを求めていた。「高知新聞の記事は本当か」「県警の見解は」記者が鈴木部長に矢継ぎ早に質問している。鈴木部長は「捜査費をはじめとする予算は
適正に執行されている」という言葉を繰り返した。それで記者が納得するはずもない。さらに詰め寄る記者に鈴木部長は「報道は事実ではない」と本紙の報道を
完全否定。その理由については「取材の根拠が明らかでない。捜査一課の担当者に確認したところ問題はなかった」と述べた。それを聞いた全国紙の記者が
「高知新聞の記事に抗議はしないのか」と強い口調で迫ったが、鈴木部長は「捜査費の性質上、具体的な事実を指摘して抗議することは困難だ」と釈明。
理由は「捜査に支障を来すからだ。現時点ではこれ以上の調査の必要はない」と会見を打ち切った。以後、今日まで県警はこのスタンスを崩していない。
「捜査上の秘密」を盾に、一貫して本紙報道を否定し続けている。県警幹部が取材班に予告した「記事を出したら敵」の言葉はこの日を境に現実となった。
事件取材のため部屋に入ると、「高知新聞だけには言わん」「出て行け」と怒鳴る幹部。それだけではない。報道対象となった捜査一課を皮切りに、県警本部では
一部、また一部と高知新聞が姿を消していった。取材拒否の次は新聞不買だった。その動きは県警本部にとどまらなかった。高知署では幹部が交番にまで
「高知新聞を取るな」と指示した。あまりのひょう変に、報道対応を担当する県警本部の部署が、「報道各社には公平に対応するように」と県内各署に指示を
出したこともあった。そんな中での救いは現場の警察官の声だった。それまで話したこともなかった捜査員に「おまえらの方が正しい。幹部が間違っている。
遠慮せんと書け」と励まされた。声を掛けるのは、県警本部の廊下で擦れ違いざまだったり、トイレの中だったり。幹部の目を気にしながらも、その気持ちがうれしかった。
「高知新聞が報道した後も、幹部が『(偽造書類を)書いてくれ』と持ってきた。県警がしていることといえば、『誰が高新に協力しているのか』という
犯人捜しばかりだ。幹部は何も反省していない」と、匿名ながら電話で訴えてきた捜査員もいた。疑惑を真っ向から否定する幹部。幹部の態度に憤る現場。
警察という絶対的な階級社会の中で、たとえ小さな声でも取材班は現場の声を信じた。それは今でも変わらない。(2005年3月21日)

こうなります(笑)こう言う事がある以上「基本的にマスコミは警察に逆らう事が出来ないのです」と言う事で。これがこの国の常識。今回の京田辺市の事件。
あれで殺されたのが警察官と言う事で必然的にマスコミは警察の庇護に走ります。みっともない事でも平気でやります。だってマスコミは警察のポチだから。

この手の現実を知らない愚民が多すぎる。やはり日本は愚民の国だな。つくづく使えない人間が多すぎる。基本、やっぱ情報は質が重要だね♪と言う事で。

2007年09月28日(金)18時13分52秒