2007年11月03日(土)予想以上のゴミっぷり?むしろこれくらいが当然。

[ 大連立協議の裏に「ナベツネ」 混乱に拍車 ] 連立政権協議…。2日、突如として、この言葉が日本政治のキーワードとして浮上した。福田康夫首相が、
自民党と民主党の連立政権協議を民主党の小沢一郎代表に打診したのだ。民主党は2日夜、連立を拒否する方針を決めたが、このキーワードが今後、永田町を
徘徊する気配だ。2回目の党首会談。その舞台となった国会議事堂3階の常任委員長室。2日午前から、扉の前には衛視が立ち、物々しい雰囲気に包まれた。

部屋の中では、国会職員数人がテーブルや椅子(いす)などを次々にひっくり返していた。盗聴器が仕掛けられていないかどうかチェックしていたのだ。
2日午後2時57分、福田首相が、穏やかに笑みを浮かべて会場に入った。1分遅れで民主党の小沢代表が入室。こちらは口を一文字に結び、いつになく
厳しい表情だった。民主党の鳩山由紀夫(はとやまゆきお)幹事長(60)が、「では、自己紹介を…」とジョークを飛ばすと、福田首相は「それはよくご存じじゃないですか」
と応じ、皆が笑ったが、小沢代表はすぐに硬い表情に戻った。自民党の伊吹文明幹事長(69)も場を和ませようと、「われわれは、ビールのラベルみたいなものですから」
と難解なジョークを言ったが、黙殺された。会談が始まると、やがて、福田首相と小沢氏の2人だけとなった。新テロ対策特別措置法案への理解を求める福田首相に対し、
小沢代表は従来通り反対の姿勢を表明した。一方、小沢代表が自衛隊海外派遣に向けた恒久法制定を持ちかけると、福田首相は熱心に聞き入っていたが、
「小沢理論」は難解だったようで、会談中にもかかわらず、あちこちに電話で問い合わせをし始めた。会談開始から1時間12分後、福田首相は中断を申し入れた。
首相の表情には何としても合意を取り付けたいとの強い意志がにじみ出ていた。会談は午後6時半過ぎに再開され、その後約1時間続いた。10月30日に行われた
1回目の党首会談で、福田首相と小沢代表はともに会談内容を一切明かさなかったため、数日間、永田町は憶測で持ちきりとなった。福田首相は首相秘書官らにも
徹底して秘密主義を貫いた。首相は1日夜、ひいきにしている東京・帝国ホテル内の「レ セゾン」に秘書官らを連れていき、ワインを堪能した。

「そういえば、小沢さんもワインが好きだって言っていたなあ…」だが、結局、秘書官らが知り得た内容はこれだけだった。「口が堅い」のは小沢氏も同じだった。
恒久法制定に向けて動き出せば、民主党の足元はグラつく。菅直人代表代行(61)は、小沢代表に近い議員らを訪ね、「恒久法に協議するなんてダメですよ」と
クギを刺して回った。会談内容が漏れない中で、2人の仲介者が、読売新聞の渡辺恒雄グループ本社代表取締役会長(81)だったことがジワジワと知れ渡り、
与野党の混乱に拍車をかけた。渡辺氏は、熱心な政界再編論者で、自民、民主両党の大連立を提唱し続けてきたからだ。渡辺氏は2日夕、民放報道番組の収録を行い、
党首会談の仕掛け人なのかと問われ、「知りません」と述べたが、「大連立は早ければ早い方がいい」と持論をぶった。しかし、大連立となると先行きは
不透明になる上、解散風の加速も促しかねない。森喜朗元首相(70)は10月31日昼、自民党本部に、細田博之幹事長代理(63)を呼び出した。森氏は
福田首相と連絡をとり、(1)公明党との連立を維持する(2)大連立構想には乗らないなどの点で譲らないように提言し、福田首相も承諾した旨を細田氏に伝えた。
それでも公明党は疑心暗鬼になっていた。大連立構想が動けば、自民、民主の2大政党に埋没するからだ。2日午後、福田首相は小沢代表との会談前に、
公明党の太田昭宏(おおたあきひろ)代表(62)と会談した。太田氏は頭を下げたが、福田首相は小沢代表との会談で言質を与えなかった。(クソ産経)

[ 実家ネタの更新が遅れている件 ] ナベ○ネねぇ……まぁ確かにあの人はひどいっすよ。だけどオタクやってると、別な面も見えてくるワケでして。
なんやかんやであの人は結構な『やり手』だと思う。修羅場を何度も迎えてるのにも関わらず、未だに健在してる。マスコミもマスコミで、まともな部分には触れずに、
重箱の隅をつつくかのような指摘をする感じで良くない発言を拾って記事にしてるように思えるんです。(びっくりするほど野球好き)

井川KPに告ぐ。「まともな部分には触れずに」と書いているがあの下衆にまともな部分なんてない、と言うのがこれでどんどん証明されて行っている訳で。
はやく「思想を訂正しました」と言う内容の記事をブログに書いた方がいい。疑われる。「政治知らんのか」と言う事で疑われる。「まともな部分」なんてある訳がない。

2007年11月03日(土)15時54分21秒