クローラーに引っかかって1週間後、或いは1ヶ月後ぐらいにこの日記をお読みになる皆さんこんにちは。みんなのアイドル伊織ちゃん…じゃなくてとまむさんですよ。
って言うか例の「ムーブ!がひぐらしの内容を歪曲して報道した」と言う事に関する一連の事件。テレビが人を絞殺すると言う言葉の絞殺刑。それらに関する特大号。
まずは「朝日放送からのアクセスで俺の日記にやってきた痕跡」があったのでご紹介しよう。串刺した?ホスト偽装?普通そんな事はやらないでしょう(笑)
「2007/11/12 19:25:08 pr2.asahi.co.jp Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)」(Yahooからの検索ワード:ムーブ ひぐらし)
と言う痕跡があった。嘘でしょ?とか思われるんだろうな。本当ですよ。希望者にはログを差し上げましょう。…希望者なんて1人も居ないと思うけどな!(笑)
そして。オーマイニュースとか言うサイトでひぐらしの原作者の竜騎士07氏に対するインタビューが掲載されていた。これは「深く切り込んだ内容だな」そう感じた。
[ 「メッセージは伝わっている」 放送中止騒動 竜騎士07さんインタビュー(上):渋井哲也(2007-11-08 15:00) ] 京都府京田辺市で、京都府警の巡査部長(45)が、
専修学校に通う次女(16)に殺害された(9月18日)。父親の交友関係について「許せないことがあった」ことが動機、とされている。この事件で、次女が使った凶器が
「斧」だったことで、「鉈」を使って人を殺すシーンがあり、ローカル放送局で放映しているアニメ『ひぐらしのなく頃に』がやり玉にあがり、放送休止が相次いだ。
事件直後に一時休止し、放送を継続するかどうか検討を続けてきた東海テレビも、10月24日、「番組内容の確認・修正の手続き、放送期限などの調整がつかない」
ことを理由に、「放送中止」を正式にアナウンスした。この「騒動」について、アニメ『ひぐらし』を制作した同人サークル「07th Expansion」の代表、竜騎士07さんが、
記者のインタビューに応じてくれた。3回にわたって紹介する。 『ひぐらし』が殺人を産み出したとは思えません
────京都で次女が父親を殺害した事件が起こし、『ひぐらしのなく頃に』と関連づけられた報道が相次ぎました。その報道に接したときの感想を教えてください。
(インタビューに答える竜騎士07さん。次作『うみねこのなく頃に』執筆中のため、顔が疲れているとのことで、撮影は首下からだけが許可された(撮影:木下透))
とてもびっくりしました。最初の時点では、事件そのものを知らなかったのです。よくよく聞いてみると、どうも凶器が取り沙汰されているということでした。
しかも、報道機関に私たちの作品が引き合いに出されるというのは意外でした。『ひぐらし』は、殺人を礼賛していることは決してなく、しっかりとした社会的な
メッセージがある作品。あたかも私の作品が影響して事件が起きたという報道は残念でした。
────事件直後、または、事件と関連づけられた報道があった後、これまでアニメ『ひぐらしのなく頃に解』を放映していた放送局が放映休止しました。
そのことについてどう思いましたか? とても残念なことです。『ひぐらし』と事件は関係ないし、ましてや『ひぐらし』が殺人を産み出したとは思えません。
『ひぐらし』は殺人を否定している物語です。何か問題が起きた時、暴力に訴えたり、誰も相談せずに独りよがりに解決しようと暴走したら、必ず悪いことが
起きるように描いています。悩みや問題が生じた時、それを社会的ルールに則って解決するにはどうすればいいか、の模範解答を描いた作品なんです。
そして、「困ったら大人に相談する」「しかるべき機関に相談する」という模範的な解決の仕方を描いている最中に事件が起き、騒ぎがあったんです。
だから、作品のメッセージが誤解されているとは夢にも思わなかった。報道によって逆の捉え方をされたのはショックでしたね。放送局の独自の判断か、または、
視聴者の方々の誤解があり、そうした(誤解の)声を真摯に受け止めたのかどうかはわかりませんが、放送休止は残念ですね。幸いなことに、作品のメッセージを
真に理解してくれて、放送を続けてくれた局があってうれしかった。もちろん、休止した放送局も相当に苦慮されて判断があっただろうと思います。
私たちも作品は誤解されたくない
────公式サイトの「制作日記」で、「たくさんの応援メールを本当にありがとう」と題したタイトルで、ファンの方々のメールに対しての返事を書いてますね。
メールはたくさんきました。実はそのころ、次作『うみねこのなく頃に』に取りかかっていたので、ニュースには完全に疎かったんです。事件の一報を知ったのは、
ファンの方のメールでした。事件後に届いたメールは、暖かい応援の言葉ばかりでした。ネガティブな内容は1通もなかった。日本以外にも、アメリカや韓国からも
来ました。なかにはクウェートからも届いたものもありました。まさかそんな遠い国の方まで応援してくださっていたとは。とても驚きました。あまりにも多くの
メールが届いたので、個別に対応できる許容量を超えてしまいました。そのため、全員への返事という意味で、「日記」で書かせていただきました。悲しい事件では
ありましたが、作品のメッセージがファンの方々にちゃんと届いていることが分かったことは、とてもうれしかったですね。
────事件後、オープニングシーンで、凶器の鉈が映るシーンをカットするなど一部配慮することで、アニメの続きを放送する局もありました。表現したいことと、
発表のズレについて、何か葛藤がありましたか? 私はあくまで原作者です。絵コンテなどを監修しますが、(事件があったことによって、どのような配慮をするかなどの)
政治的な判断をする立場にはありません。私たちも、作品は誤解されたくない。作品に込めたメッセージは社会的なものだと自負している。たしかにエンターテイメントの
見地から、サスペンス的な展開になっているし、ホラーとして作品を描いている。そうしたシーンがPR的に最も露呈しているため、内容をご存知ない方々が
誤解されるのも無理はない。そのため、オープニングの差し替えは、放送局さんの努力の結果出てきた妥協点だと思います。
[ 「書き切ってよかった」 放送中止騒動 竜騎士07さんインタビュー(中):渋井哲也(2007-11-09 14:00) ] 『ひぐらしのなく頃に解』は、一部放送局は放送を
取りやめた。しかし、血の付いた鉈が一瞬映し出されるオープニングシーンをカットするなどの配慮をして、放送を続ける放送局もあった。そのため、「続き」を
見ることができて安堵した『ひぐらし』ファンもいた半面、地域によっては、「続き」を見れず、残念がる声も相次いでいる。(上)に続いて、『ひぐらし』を制作した
同人サークル「07th Expansion」の代表、竜騎士07さんへのインタビューをお送りする。 今回はたまたま『ひぐらし』がやり玉にあがった
────視聴者からすれば、続きが見れればよいのですから、オープニングを考慮することで、放映が続けられるのならば、それがよいことですね。
そうですね。本当のこと言えば、今回の事件と『ひぐらし』は関係ないことがすでに明白。にもかかわらず、騒動になったのは、ゲームや漫画がバッシングされるといった
風潮があることが発端じゃないですか。そして、今回はたまたま『ひぐらし』だった。『ひぐらし』以外の作品がやり玉にあがったとしても、今回と同じ騒動は
起こったんじゃないかと思います。つまり、ネットでも言われているように、「血なまぐさいシーンは実写ドラマでも描かれているのに、なぜそっちは自粛しないのか」
「なぜ、アニメにだけ自粛を求めるのか」というのが、ファンのみなさんが納得できなかった理由だと思います。しかし、少年事件でバタフライナイフが規制されたときに、
ドラマがやり玉にあがったことがあり、ドラマがそうしたバッシングの対象にならないこともない。アニメだからやり玉にあげられるというばかりでもないんです。
最近は、何か事件が起きる度に、何かの責任にしようとスケープゴートを半ば無理やり探し、バッシングするというムードが作られますが、これは考え直す必要のある
風潮ではないでしょうか。たしかに、モラルを形成するうえでは、反社会的な作品があふれているのなら、教育という観点からよくないと思います。特にテレビの場合は、
誰もが見ることができる。誰が見ても、問題がないような表現の配慮も必要でしょう。だから、テレビアニメは鋭敏でなければいけない。それは認めるべき点です。
昔からよく、「社会的認知度が低いメディアはバッシングの対象になりうる」と言われている。昔は漫画がよくその対象にされましたが、今は社会で一般的なメディアと
認知され、バッシングはされなくなりました。代わって、新しいメディアであるアニメやゲームがその対象とされている。でも、アニメという文化も少しずつ浸透しています。
いまや「大人の観賞に耐えうるアニメ」も少しずつ出てきているじゃないですか。アニメに抵抗感のない大人が増えることによって、アニメバッシングが
なくなるんじゃないでしょうか。逆に、これから先の未来。私たち知らない未知の遊びやメディアが必ず出てくる。今度はそれがバッシングの対象になるのでしょうね。
メッセージ性が強すぎる、と言われる 「自分たちの作品はメッセージがくどすぎる、メッセージ性が強すぎる、と言われることが多いんです」(撮影:木下 透)
今回の事件そのものに言及すれば、悲しく痛ましいに尽きる。それを前提にした上で、事件後にファンの方々に、「メッセージがちゃんと伝わっているよ」
ということが確認できたのは、よい機会だったのではないかと思うことにしています。これまでの感想メールは「面白かった」というものが多かったのです。
たまに、「私はいじめられっ子で辛かったけど、作品を読んで勇気をもらった」「私には友達がいないけど、友達を作ろうと思った」という前向きな内容のメールが
届いた。しかし今回の一件後、作品のメッセージについて深く考えたという感想メールが非常に多くなりました。これは作品の送り手をしてはとても嬉しいことです。
自分たちの作品はメッセージがくどすぎる、メッセージ性が強すぎる、と言われることが多いんです。批評家の方々にも、「道徳の本じゃないんだから、価値観を
強く押し付けるな」と怒られてきた。でも、今回のことで思ったのは、くどいと言われても自分なりのメッセージを書き切ってよかったと思います。
京都の子がもし『ひぐらし』をプレイしてくれたら、今回の事件は起こす前に、それが正しい行為であるか考えてくれたのでないかと思うことがあります。
たしかに、『ひぐらし』には類似したシーンがあるんです。女の子の一人が家族との不信感から疑心暗鬼になって凶行に及んでしまうシーンです。でも、主人公は
はっきり言います。「だからダメなんだ。どうして友人に相談しないんだ」と断罪しているんです。そして、次の物語では、悪いことが起きたときに、友達に相談する、
大人に相談するんです。実は、このシーンを放映していたタイミングで、京都の事件が起きたんです。コミュニケーションの大切さを訴えているときに、
放映休止となった。だから、余計にファンの皆さんが怒ったんじゃないかと思っています。ただ、今回の騒動は沈静化したと考えています。放送中止になって、
続きが見れない地域が出たわけですが、それに配慮するために、制作会社さんが、無料でネット配信(期間限定)することになっています。
人と相談することが解決に導く ────『ひぐらし』の社会的メッセージは、「困ったことがあれば、相談したほうがいい」「相談しなければ惨劇を招く」というもの
だったと思いますが、なぜ、そうしたメッセージを込めたのですか? 私は物語をつくる上でいつもテーマを持っています。『ひぐらし』のメインテーマは、コミュニケーション。
コミュンケーションとディスコミュニケーションの対決なんです。物語の前半のほとんどを、コミュニケーションが成り立たないとどんなひどいことが起きるかに
費やしています。そして、後半はあのひどい惨劇も、ちゃんと友人や大人に相談していれば、あっさり解決できたんだよ、ということを描いてます。物語の中で、
反社会的な方法で問題が解決したことは一度もありません。人と相談することが解決に導くんです。だから、『ひぐらし』は、大人がたくさんでてくるんです。
子どもがあるトラブルを抱えたとき、子どもだけで解決できることはほぼないでしょう。そのために大人がいるんです。最近のアニメやゲームでは、子どもが自力で
悪を倒すなどして解決していくものが多いじゃないですか。でも、現実には子どもだけでは解決しない。大人に相談することで解決することが圧倒的に多い。
父親のことで悩んでいたら、母親に相談してもいいし、友達に相談してもいい。先生や相談所の人でもいい。ディスコミュニケーションが惨劇を招く。
コミュニケーションがあれば、どんな惨劇も解決できると思っています。
[ 「コミュニケーションがテーマ」 放送中止騒動 竜騎士07さんインタビュー(下):渋井哲也(2007-11-10 13:30) ] 「昭和58年6月」の雛見沢村が舞台となる
『ひぐらしのなく頃に』。人間不信による疑心暗鬼のために、登場人物の誰かが惨劇を引き起こす。そのキーパーソンも殺害されるが、何度も「昭和58年6月」に
舞い戻るパラレルワールドが展開される。その惨劇を何度も繰り返すが、誰がその事件を引き起こすかは偶然で、分からない。しかし、その惨劇を食い止めるための
「模範解答」を模索するのが、『ひぐらしのなく頃に解』。「運命は強い意志で抗うことで打ち破ることができる」。その手段がコミュニケーションというのが、
この『解』のテーマだ。まさに、その放映中に、京都の事件による放送休止騒動が起きた。竜騎士07さんに、『ひぐらし』のテーマにした理由や、人気を呼んだ
理由について話してもらった。(中)に続いて、『ひぐらし』を制作した同人サークル「07th Expansion」の代表、竜騎士07さんへのインタビューをお送りする。
ディスコミュニケーションから惨劇を招くという「悪のスパイラル」 ────『ひぐらし』のテーマをコミュニケーションにしたのはなぜですか?
『ひぐらし』を書く前に、ホラーを描きたいと思っていたんです。そのとき、「誤解」というホラーにしようと思ったんです。コミュニケーション不足で疑心暗鬼に陥った人は
被害妄想を抱いてしまいます。ディスコミュニケーションから惨劇を招くという「悪のスパイラル」をホラーの基本にしようと考えたんです。これは最初から
決まっていました。もちろん、どういう描き方をしたら伝わるかは、連載の過程で考えました。 ────物語には、「羽入」というキャラクターが出てきます。
このキャラクターは、完全に傍観者の立場で、「普通の人には見ることも触れることもできない」存在なのです。でも、「祭囃し編」では物語に参入してきます。
アニメのオープニングでも、羽入が他のキャラクターと行動をともにするところが出てきます。あのキャラクターの意味はもしかしてゲームのプレイヤーなのですか?
そうですね。プレイヤー的なメタ視の存在です。「羽入」はたしかに、ゲームのプレイヤーの立場を反映したキャラクターです。私たちは映画や漫画の中で、
本来、いろいろなことを学び取れるはずなんです。ところが私たちはフィルターをかけて、学ぶことを否定していませんか?「これは映画だからね」と。
「自分は、物語の人物には話しかけることも触れることもできない」というのはプレイヤーの代弁なんです。でも、「そんなことはない。あなたたちが学んで
実践することで、この惨劇を崩すことができるんだよ」と言うための役割のキャラクターでした。もう一つあります。ゲームをしたことがある人は分かりますが、
物語の最初の方で怪しげな足音が聞こえると思います。あそこを経験したプレイヤーは恐ろしいことに巻き込まれていると感じる。でも、ふたを開けてみれば、
可愛らしい子がいるだけじゃないですか。私たちが怖い、と思っているほとんどは私たちの内側が育んでいるんです。私たちは客観を欠いた時、どんなものにも
ホラーを見てしまうんです。「泰山鳴動してねずみ一匹」(前触れの騒ぎだけ大きくて、実際の結果は小さい)ですね。ディスコミュンケーションによる被害妄想は、
実は滑稽なものから出ていることを示したかったんです。どうすれば惨劇を防ぐことができたのかは、(放送休止騒動があった)「皆殺し編」から明かされるんです。
インターネットと「ひぐらし」の相性 ────なぜサウンドノベルという形にしたのですか?通常のゲームと違って、ほとんど選択肢がないですよね。
まあ、私からすれば、読んでほしいものがあった。見せ方としてそれがよかったからかな。ゲーム風のプログラムで映画や漫画にした感じ。映画に
「選択肢がないですよね?」と聞かないのと同じように。ゲーム性があるとすれば、見終わった後にみんなで議論することなんじゃないですか。ゲームって本来は
コミュニケーションを遊ぶことだったんですよ。現代は忙しくて、遊ぶ相手がなかなか見つからない。遊ぶ相手の代わりとして、コンピューターゲームがある。
議論を戦わせるのはゲームのもっとも原始的な姿。それをもって、『ひぐらし』はゲームと言っています。だから、インターネットとの相性はいいのかもしれません。
────インターネットにはファンの方の反応をダイレクトに受け止める可能性がある。それによってナーバスになっていたこともあるようですが。
(「自分と異なる意見を持つたった1件のメールで全世界を決めてしまわないことが大事ですね」と語る竜騎士07さん(撮影:木下 透))
本来、人間はナーバスなものです。日本人はほめられたいというよりも、怒られたくないと考える人が多いと思います。100通のほめられたお便りがあっても、1通の
残念なメールに反応してしまうものなんです。おっしゃるように、私も、そうした1通のメールに落ち込んでいた時期もあります。しかし、それは、よく考えてみると、
そのほかの応援してくれるファンの方々に対して失礼だったんです。そうした声を否定してしまっていることにもなりますから。たった少しのメールで落ち込んで
しまったのは私が未熟だったから。そういうことも学ばなければならない。これまで日本人は「全員にほめてもらおうとする教育」だったんです。しかし、インターネットの
出現で多様化したんです。そのため、全員にほめられる環境はないと思っています。全員を満足できるものは恐らく今後、何も現われない。ファンの方々100人にほめて
もらえたらなら、その100人にもっと喜んでもらえるよう応えるべき。でもさすがに、1人しかほめてもらえず、100人に怒られたら、謙虚に受け止めるべきですね(笑)。
だとしても、ほめてくれたその1人のファンには応えるべきだと思います。自分と異なる意見を持つたった1件のメールで全世界を決めてしまわないことが大事ですね。
1件のメールで全てを否定されたような視野狭窄に陥ってはいけない。認めてくれた100人のメールをちゃんと加味して考えるべきなんです。
────記者が『ひぐらし』を知ったきっかけは、ニコニコ動画でした。偶然、発見したんです。インターネットや動画サイトについて、どのように考えていますか?
そもそも『ひぐらし』は、ネット上の口コミでブレイクしたといういきさつがある。私たちはコミックマーケットで作品を発表していたんです。本来は、コミケに来る人しか
知らない作品なんです。ところが、インターネット上で評価してくれて、コミュニティが作られて、口コミで広がっていったんです。だからネットがあったから広がっていった。
あとは、『ひぐらし』は推理、ミステリー的な面があるので、ファンの方々が情報を交換したり、持論を述べあったり、語り合うコミュニティを作って、遊んでくださいとPRした
んです。全く同じ作品でも、ネットが未成熟な10年前だったら、今のような盛り上がりはなかったんじゃないでしょうか。「今の時代ならでは」の広がり方だな、と思います。
胸を張って実写化を報告したい ────実写映画が製作中です。ファンの中には、実写化によって、これまでのキャラクターのイメージとのズレが生じるために、
抵抗感のある人の声も聞かれますが。 日本におけるアニメ、漫画、ゲームの地位はまだ低いですよね。今回の京都の事件に起因する放送自粛の根底となっていると
思います。実写映画の原作になりえるという名誉は、まだ小説などにしか与えられていないように思います。なので、ゲーム原作を実写化することで、映画の素材に
なりえることを確認できるのではないかと思っています。それによって、ゲームなどへの偏見の壁が少しずつ打ち破られると考えています。そして、一般の人の目に
触れるようになる。やがてはゲーム原作であることが特別な意味を持たなくなるでしょう。これは私たちが社会的認知を勝ち取った、ということにもなります。
だからこそ私は胸を張って、アニメや漫画、ゲームを愛する皆さんに実写化を報告したい。私たちは、漫画やアニメ、ゲームに偏見を持たれていることで、
長い間、苦しんできたわけですけど、その偏見がじょじょに打ち破られつつあるとは考えられないでしょうか?『ひぐらし』のみならず、今後も、ゲームを原作とする
映画作品が出てくるでしょう。そうすることで、一般の方々に目に触れることがもっともっと増えるでしょう。「あの作品、原作はゲームなんだ」って思うでしょうね。
ハリウッド作品でも、ゲーム原作のものがあるじゃないですか。もはやゲーム原作が特別じゃなくなってきています。メディア差別が取り除かれているような
気がします。そうしてゲームがメディアのひとつとして社会に認められれば、何かある度にスケープゴートにされる不名誉を返上できるのではないでしょうか。
と言う内容のインタビューが全3回に渡って行われた訳で。大分切り込んだ内容のインタビューになったな。いずれにしても「苦しんだ」事が伺える。
内容自体は既に語られた事の繰り返し。って言うか、俺が散々何回も何回も主張してきた事をなぞるだけの内容なんだが(笑)…これを見ても放送中止を決めつけた
愚行を犯した局は謝罪しない。それが常態。マスコミの「特権階級ぶり」と言うのは役人や政治家と同様に「もう一生治らない病気」と言うのが正解の表現。
2007年11月02日(金)サヨクの内ゲバ(嘲笑)ひぐらしオタ大勝利!
[ 『ムーブ!』朝日放送不可解人事にコメンテーターが「怒りの連判状」 ] 大阪・朝日放送(ABC)の情報報道番組『ムーブ!』といえば関西ローカルながら、
時事問題に宮崎哲弥、勝谷誠彦ら百戦練磨の論客が舌鋒鋭く切り込む同局の看板番組だ。 ところが、先頃会社から内示された”人事”に同番組関係者が猛反発、
コメンテーター陣からは連判状が出る騒動となっている。プロデューサー、ワイド制作担当部長、ニュース情報センター長という同番組の責任者3人に、11月1日付の
異動が内示されたのは10月18日のこと。<定期的な血の入れ替えとしての人事異動を私たちは否定をしない。しかし、結果を評価しながらもヘッドコーチ・監督・GMを
同時に替えるチームがどこに存在するというのか>朝日放送労働組合「組合NEWS」に示された現場スタッフの驚きと憤りは、コメンテーターとて同じだったらしい。
木曜日レギュラーの大谷昭宏氏が言う。「外部の人間が局の専権事項である人事に口を出すべきでないことは承知しています。しかし、番組というのは制作者側と
われわれ出演者との信頼関係の上に成り立つもの。そこで、責任者3人が同時に、十分な引き経ぎ期間もないまま異動となるのはなぜか、今回の異動によって
番組のコンセプトや構成に変化が生じるのか、などを確認する『要望書』を提出し、組合に載せてもらった。芸能レポーターを含め、出演するコメンテーター22名全員が
署名しました」それほどの反発や懸念を招く人事を、どうして会社は断行したのか?組合NEWSは書く。<実は私たちは知っている。(中略)3人の異動については
ほんの一部の役員が強引に進めてしまったということを>「この役員とは、ずばり現業部門を統括する専務取締役のことです」番組関係者が暴露する。この専務は68年に
朝日新聞入社、大阪本社の通信部長、編集局次長などを経て、01年にABCにやってきた″天下り役員″である。週刊誌は下劣!?「同専務は、出身母体の朝日新開を
批判してきた花田紀凱氏や勝谷氏を敵呼ばわりし、以前から、なんであんな奴らをコメンテーターに使うんだと文句を垂れていた。朝日イズムの体現者としては、
光市母子殺害事件で人権派弁護士とやりあっている橋下徹弁護士も、朝日主催の高校野球を批判する二宮清純氏も気に入らない。そういう圧力から、プロデューサーら
3人が盾になって出演者を守っていたんです」(同)別の関係者が引き取る。「新聞なら編集局長に全ての編集権があるのかも知れませんが、テレビは
プロデューサーレベルの裁量権が大きい。そこが気に入らなかったのかも。でも、たとえば雑誌記事の紹介コーナーで『アサヒ芸能』が出ると、あんな下劣なものを
紹介するとは何事だ、という。広島の支局長時代に県版の連載をまとめた本を1冊出しただけで、朝日の役員もやったことのない人間が、何様のつもりなんでしょう。
一方で、部落解放同盟役員である大阪市役所職員の不正を追及すると、解同は人権擁護団体だから、と難色を示すのですから、どうしようもありません」現場の不満は
想像に難くないのだ。こうした点を含め、問題の人事について質しても同社広報部は、「今回の異動は、社としての総合的な判断です」としか説明しないが、もし、
視聴率10%近い看板番組を大朝日の、いや個人のメンツのために骨抜きにしたのなら、視聴者に対する重大な背任行為、と言われても仕方あるまい。(週刊新潮)
…サヨク同士恒例の単なる内ゲバ。サヨクって言うのは頭の弱い「かわいそかわいそなのですよー」と言う様な「品性下劣」なクソ野郎にしか過ぎない。と言う事。
「テレビのコメンテーター」とか「テレビの報道番組」って言うだけで盲目的に信用してしまうクズ国民が「こう言うサヨクをのさばらせた」と言うのもあるけどな。
だから潰す。もうお前ら要らねぇよ。って言うかなんだあの「ひぐらしのなく頃に」の嘘、大げさ、紛らわしい嘘800の説明の仕方は。このアホども。マジ死ねよABC。
2007年11月12日(月)もうちょい頭まわせや
これもまさに新聞社と放送局の関係を物語る話なのだが……。大阪の某放送局“朝日放送”の夕方の情報番組『ムーブ!』のコメンテーター陣が一新されるというのだ。
『ムーブ!』には『そこまで言って委員会』でもおなじみの宮崎、橋下、勝谷などが出演しているが、朝日放送の上層部の人事があり、結果、朝日新聞から来た連中が
中枢を占め、「朝日新聞を批判するようなコメンテーターは使うな!」とのお触れがあったらしいのだ。 そこで俎上にあがっているのが宮崎、橋下、勝谷ら委員会
ファミリーである。中でも勝谷の“朝日新聞批判”は有名で、いわばライフワークのようなもの。真っ先に切られるとしたらこの男だろう。まさに、新聞権力によるテレビへの
言論封殺である。果たして、『ムーブ!』の現場が、今後どんな反応をするのか見ものだ。この件については、詳細がつかめ次第追って報告することにする。
それから、『そこまで言って委員会』のプロデューサーが「近いうちにドン(ナベツネ氏)を番組ゲストに呼びます」と豪語していたことを付け加えておく。
果たして、読売テレビにドンを動かせることができるのか?お手並み拝見だ。
…と書いた内容を再び掲載する。マジで終わったなムーブは。やはり「オヤシロさまの祟り」と言う事か(笑)あんなアホな説明でひぐらしの内容を捏造した。
関西テレビよりも数兆倍悪質。フジテレビよりも数兆倍悪質。そんな感じだろ?アニオタゲーオタひぐらしオタからしてみれば。あそこまで嘘ついて平気なんだね♪
そのメンタリティが異常過ぎてとまむさんびっくらこいたわ。まともな人間のやる様な事じゃないと。しかもサヨク電波の水曜日。最悪だな。実に最悪だ。
もしも火曜日や木曜日付近。やしきたかじん言う所の「委員会ファミリー」が出演している曜日にあの捏造説明をしていたら、宮崎、橋下、勝谷らはなんと言うかな。
案外化けの皮剥がされそうな事失言しちゃうんじゃねぇ?(笑)とでも思ったそんな風味。って言うかサヨクの内ゲバ自体は良くある話。なんのこれしき。だな。
そんなサヨクなんかどうでも良くて俺としては放送が続いてくれたらあとはニコ厨の皆様にお任せなんですが。それとクソ玉の奴らひぐらし解見てるー?
「お前らが放送を中止した内容をチバテレビ経由でも眺めて本当にこれは放送を中止して良かったのかどうか」の判断を絶対にしろよクソ玉。埼玉県庁からの
アクセスも何度も来てるんだよこのサイトは。埼玉県職員が見ていたらクソ玉に報告よろしくー。お前らの判断は間違っている可能性が極めて強くなるから今後は。
そしたら「お前らの判断ミス」と言う事で編成局長以下、まともな意見を述べた人間を除外した残りのクズどもは全員土下座のあとで切腹だからな。
大抵こんな「数字の取れない、オタしか相手にしてない」様な、視聴率調査が出来るなら1パーセントにも満たない様な。そんなアニメをいちいち気にして
中止にする様な判断ミス。具体的に書けばゴールデンタイムでチンカスボクサーが八百長試合やって世間の笑い物にされているあの映像の方が視聴率も視聴者数も
世間での話題にされる度合いも、全て全て全ての面で上回っている訳で、本当に青少年がどうのこうの言うんだったらむしろクソ玉はTBSに抗議しろよプギャー。
相手の実力見て弱いと判断した所にしか強気に出られないクソ玉の会社の姿勢はまるで例のチンカスボクサーと似たりよったりですな。部落みたいな思考してんなおい。
そう言う訳で「オヤシロさまの祟り」と言う事で「ムーブ!は内ゲバで自滅」「クソ玉は判断ミスにより土下座ののちに切腹」と相成りました。オヤシロさまの祟りって
恐ろしいですね(棒読み)それと勿論東海テレビも死んでくれよ?あんなチンカスドリーム競馬とか作っちゃってんだから。年末の中央競馬の開催日程で
中京開催が少し増える事になった。その期間のチンカスドリーム競馬はいつものメンツでやるってさ。かわいそかわいそなのですよ?にぱー☆ と書くだけ。
[ マイコミフレッシャーズ ビジネス★ヒーローインタビュー:シナリオライター 竜騎士07さん ] 爆発的ヒットを記録した同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』の
原作者として知られる、竜騎士07さん。もともとは公務員をしながら趣味のゲーム作りに取り組んでいましたが、作品のヒットを受けて、シナリオライターとして
独立することとなりました。そんな竜騎士07さんの、「ものづくり人生」とは? 名作『ひぐらしのなく頃に』が生まれるまでの紆余曲折について語っていただきました。
―ゲームのシナリオライターや小説家としてマルチにご活躍されている竜騎士07さんですが、小さい頃から、文章を書くのはお好きだったんでしょうか?
文章を書くのが好きというより、物語を考えるのが好きでした。でも、部屋に閉じこもってひとりで空想ばかりしているとか、誰とも話さないでひたすら絵を描いているとか、
そういう特別な子どもではありませんでしたよ。私が小学生の頃は、ちょうどアニメやファミコンの全盛期。ごく普通に『ドラえもん』や『Dr.スランプ アラレちゃん』
といったアニメを見たり、ファミコンで『ドラクエ』をプレイしたりしていました。そのうち「ああ、自分も物語を作ってみたいなぁ」と思うようになっていったんです。
そういう気持ちって、誰でも一度は持ったことがあるものなんじゃないでしょうか。なんというか、ごく自然な欲求だと思います。
―しかし、そう思うだけで終わってしまうか、実際に物語を形にするかでは、大きな違いがありますよね。
そうですね。私はアニメやゲームに触れているうちに、物語の作り手になって、人に伝えたいなと本気で考えるようになってしまったんです。けれど、物語をどういう方法で
伝えたらいいのかがわからなかった。イラストなのか、漫画なのか、それともゲームなのか……。この辺りはかなり迷いましたね。「文章なら書けそうだ」と思い至ったのが
20代の中盤頃だったので、それまでの10年くらいは「自分に合った表現の方法」を模索し続けていたように思います。
―具体的にはどんな表現に挑戦されたんですか?
一番長いことこだわり続けていたのが漫画を描くということでした。アニメやゲームで育ってきたので、「物語を表現するなら漫画やイラストだろう」という思い込みが
あったんでしょうね。ところが私は、あまり漫画が上手じゃなかったんですよ(笑)。下手なりに一生懸命描きましたし、同人誌を出したり、美術系の専門学校に通ったりも
しましたが、どうにもこうにも芽が出ませんでした。「物語=漫画・ゲーム」みたいな呪縛から解放されるには、かなりの時間がかかりましたね。そんなこんなで
迷走しまくっていたんですが、たまたま知り合いの声優さんがお芝居に出演するという話を聞いたのをきっかけに、舞台演劇というものに興味を持つようになって……。
なんだか面白そうだと感じて、戯曲(芝居の台本)を書いてみることにしたんです。それが、『ひぐらしのなく頃に』の原型になった『雛見沢停留所』というお話。知人の
舞台を観た直後にバババーッと書き上げて、すぐとあるシナリオコンテストに送りました。素人が勢いに任せて書いた作品だったので、見事に落ちてしまいましたけどね。
―えっ、落ちてしまったんですか? はい。箸にも棒にもひっかかりませんでした(笑)。でも、もしこのとき、シナリオコンテストで賞かなんかもらっていたら、
私は戯曲家になっていたかもしれません。その後、「サウンドノベル」というジャンルの、小説みたいなゲームがあるということを知りました。たまたま弟が
サウンドノベルの勉強をしていたこともあって、「よし、それじゃ次はサウンドノベルのシナリオを書いてみるか」と。
―なるほど。それで紆余曲折の末に、20代半ばで、文章やサウンドノベルに行き着いたということだったんですね。
ええ。ちなみに僕がサウンドノベルに興味を持つきっかけになったのが、コミックマーケットで販売された『月姫』というゲームでした。とある同人サークルが作った完全
オリジナルのサウンドノベルだったのですが、これがすごく話題になった。プロではなく有志の集まりが作ったもので、しかもコミックマーケットという限られた場所で販売
された作品なのに、これだけの評価を集めたということに、とても驚いたことを覚えています。実際内容も素晴らしいものでした。これに勇気付けられて「よし、僕も精一杯
頑張って、自分の作品を作ってみよう!」と思ったわけなんです。それで、『雛見沢停留所』をきちんと整理して、『ひぐらしのなく頃に』のシナリオを書き上げたんです。
小さい頃から憧れ続けていた「クリエイター」になるため、必死で就職活動をしたという竜騎士07さん。しかし思うようにいかず、結局、民間企業を経て
公務員になる道を選びました。公務員としての職務をまっとうしながら、趣味で物語作りに没頭する日々。そのメリットや、葛藤についてお聞きしました。
―公務員としてのお仕事をしながら有志でゲームを制作していたとお聞きしていますが、なぜ公務員になったのでしょうか? アニメやゲーム業界への就職は
考えませんでしたか? もちろん考えました。美術系の専門学校に通い、大手と言われるゲームメーカーを受けましたよ。ただ、当時は就職氷河期真っ只中で、
私のような中途半端な学生は当然採用してもらえませんでした。そんなとき、親に「どこを受けてもいいが、必ず公務員試験を受けること」と言われたんです。それで、
かなり投げやりに「わかったよ、受けりゃいいんだろっ!」と捨て台詞を吐いて受験したという……(笑)。そのあとは受けたのも忘れて就職活動をしていたんですが、
結局目指すゲームメーカーさんからはまったく内定が出ませんでした。「それならどこでもいいから、とにかく職にだけは就いておこう」ということで、とある
紳士服専門店に就職してしまったんです。 ―では、公務員になる前は民間企業にお勤めだったんですね。 はい。ところが、就職してすぐに公務員試験に受かったと
いうことがわかって、紳士服店は数ヶ月で退職してしまいました。たった数ヶ月でしたが、いや〜、キツかったですね。休みもほとんどなかったし、毎日かなり遅くまで
残業していました。いろんな意味で厳しい毎日を送っていました。今は、いい勉強をさせてもらったと思っています(笑)。 一方の公務員のお仕事はいかがでしたか?
民間に比べればずっと勤めやすかったです。中でも福利厚生面での充実は圧倒的でした。民間と違い、有給を“取得”できるというのはとても大きかったです。
細かい違いはたくさんありましたが、きっとここが定年になるまで勤める最後の職場なんだと思いました。 ―でも、作品作りはやめなかったんですよね?
はい。一度は「クリエイター」と呼ばれる職業を目指したぐらいですからね。やはりその情熱を隠すことはできませんでした。仕事が終わったあとに戯曲を書いたり、
ゲームを作ったりして……。公務員時代は「仕事は仕事としてきっちりやりながら、趣味の時間を楽しむ」という生き方をしていたように思います。
―お仕事と作品作りの両立というのは、大変ではありませんでしたか? いや、むしろ逆でした。仕事が終わると「さぁ、ここからは趣味の時間だ!」と思って一気に
テンションが高くなる、みたいな(笑)。休みの日になると、朝から釣りとかゴルフに行くお父さんと同じようなノリですよ。趣味が一種の癒しになっているんでしょうね。
好きなことがあるからこそリフレッシュして、「また明日から仕事を頑張ろう」と気合を入れなおすことができたんです。でも葛藤はありました。『ひぐらしのなく頃に』の
第1話をはじめてコミックマーケット(以下、コミケ)で頒布した時は50部しか出なかったのですが、次のコミケでは第2話が100部、その次は第3話が200部と、どんどん
頒布数が伸びていったんです。この辺りから、応援して下さる方が確実にリピートしている、期待されているんだなという自覚を持つようになりました。ところがちょうど
そのとき、人事異動でものすごく忙しい職場に移ることになってしまったんですよ。あまりに忙しくて、新作の制作が進められないほどになってしまって……。
「仕事はしなきゃいけない、でも期待してくれるファンの方のために作品も作らなきゃいけない、どうしたらいいんだろう」とかなり悩みました。
―結局、新作は完成したのでしょうか? それが……、初めて落としてしまった(納期までに仕上げられなかった)んです。このときは第3話を再販するという形で
しのいだんです。その時、何人もの方から「あれ、今回は新作ないんですか?」と聞かれまして。改めて、「ああ、楽しみにしてくださっている方がたくさん
いるんだな」と実感したんです。この頃から、より強く「仕事か、制作か」という迷いを抱えるようになりました。