2007年12月31日(月)get my moment.

サヨク教師の排除の仕方は簡単。方法は2つ。「サヨクじゃない教師は教員免許の有効期限を撤廃!」それと「サヨク活動をしているバカサヨク教師をみんなで糾弾!」
この2つだけで十分だったりする。要するに「まわりに居るまともな教師たちと言う集団が、サヨク活動をしている一部の教師を徹底的に叩き潰す」と言う事。
これだけで良い。サヨク教師の特徴としては「憲法9条とうるさい奴」「朝鮮人の様な目つきになる」「学校の授業をサボって平日の昼間から不在」この3つ。

この3つに当てはまっていたならそれはダメな教師です。みんな即効で離れましょう。それこそ「汚物」でしかないので「ウンコを見る様な目つき」でご覧下さい。
基本「サヨクは少数派」なので「仲間を求めたがる」と言う習性がある。それを逆に利用する事で「お前のやってる事は汚物でしかない」と言うのを見せつけてやりましょう。

国家(文部科学省)がまともに動く訳がないので、仲間内レベル、学校の教職員レベルで対抗しましょう。「腐ったサヨク教師がのさばって1番困るのは生徒たち」です。

最近の学校教育は崩壊しているだとか言われるが、それは実は大きな間違いだったりする。「今、学校の教育が崩壊している最大の理由は、社会の変化に対して
学校教育側が全然対応出来ていないから」と言うのが最大の理由。最近は「物事を分かりやすく説明するのがとまむさんのブーム」と言う事で。分かりやすく教えると

「野球が上手くなりたい子供にテニスを教えている様なモン」と言うのが今の学校教育のやり方。もはや「根本的な所で間違っている」と言うのが現状。
野球が上手くなりたい子供には野球を教えましょう。テニスを教えても意味がありません。そう言う事なのです。今の子供たちを取り巻く最大の問題点は情報の多様化。
つまり「インターネットが当たり前になって、一家に一台はパソコンがある」そう言う状況においての「情報の遮断」に関して「大人があれこれやっている」と言うのが
かなりの問題。情報を「大人が勝手に遮断して、子供を無菌室で育てる様な事をするのではなくて、こう言う情報が良くてこう言う情報がいけないと言うのを見分ける目」
これを子供に養わせましょう。と言う事をしていない。「大人が勝手に有害情報だと遮断するのではなく子供の判断で自主的にやらせましょう」と言うのが本当の所。

例えば「人の悪口を言わない」と教えるのは簡単。そうではない。「自分が悪口言われたらどう思う?」と言う様な「自分目線」で物事を考えさせると言う教育。
そう言った事をやりましょうね。と言う事。教育の「方向性」に関して「野球が上手くなりたい子供にテニスを教える様なモン」と言うのが今の教育。方向性の違い。

それとは別にして「インターネットに詳しい先生」が不在と言うのも大きな問題だったりする。本当は「教育学部で、かなりディープなネットの扱い方」を
教えておけば良いのだが。例えば2ちゃんねるでも見せての「炎上に至るまでのプロセス」「どうやったら炎上は防げるのか」「子供に携帯を持たせる際の注意事項」
そう言った物をきちんと「教師が把握していれば」大きな間違いは起きなかったりする。学校教育の内容は、10年前とあまり変わらない内容を教えているが
実際の日本社会は、10年間の間で相当な様変わりをしてしまっていると言うのが実情。「社会に、教育の内容も方針も追いついていない」と言う「周回遅れ」の状況。
これが学校教育の最大の問題点。無理してカリキュラムに組み込んだとしても所詮は付け焼き刃。中途半端なので逆に問題になると言う事で。

とまむさんが教師だったら「国語の時間」で「本を与えて読ませる」のではなく「漫画でも絵本でもいいから自分で選んだ本を読ませる。但し静かにしろ」
と言う様な教育を施す。「他人が選んだ物を押しつける」のではなく「自分で責任を以て選んだ本」と言う事で「お前自分で選んだんだろ?それがいいと思ったんだろ?
だったら静かに読め!」と言う事で厳しく叱る。「自己責任と他者への配慮」それを学ばせる。と言う事で「漫画でも別に構わないよ」と言う事になる。
極端な話「小学校3年生の教室で生徒がゴルゴ13を持ってきた」となっても「静かに読むんだったら別に構いませんが?」となる。読んだら「一言感想文」でも
「口で言わせる」事にする。理由?「作文用紙とかにいちいち書かせるのは書く方も読む方もすっげーめんどくさい」と言う事で。口で十分だったら口で言わせる。

必要な部分のコストカットはいけないが、必要でない部分のコストカットならば大歓迎。無駄を無くす、と言うのは大変良い事。いちいち書かせるなよ。お前。
年増教師の場合は漫画と聞くだけで偏見がある。こう言う「凝り固まったサヨク思想」の持ち主である「老人」が教育現場崩壊の片棒を担いでいると言う矛盾。

教師とまむの教育方針としては「基本的には自己責任」「甘い物も辛い物も見せて自分で考えさせる力を持たせる」「運動能力の向上の為軽い運動でも毎日続けさせる」
と言った方針を取る。学校に携帯?持ち込んでも構わないが「授業中には使うな」「給食中にも使うな」「昼休みはしょうがないが着メロだとかを鳴らして
うるさくしない様に」と言う事で原則をきちんと守らせる。守らなかったら没収。親を呼んで「親子」に注意してからきちんと返す。親を呼び出される。と言うのは
子供にとって「いけない事をした」と分からせる為には必要なプロセス。「親に恥をかかせた」と言う事で。その後親が子供に暴力を振ろうが知ったこっちゃない。

「家庭環境は家庭内で解決して下さい」と突き放して終わらせる。それは学校でなんとかする様な領域ではございません。家庭の問題は家庭で解決して下さい。
それが勉学に関係ある事であれば解決のお手伝いは致しますが「父親と母親が不仲で離婚寸前」とかそれは学校には関係のない事ですね。と言う事で突き放す。

なんでもかんでも学校が解決してくれると思ったら大間違いじゃ!いちいち教師に余計な仕事を与えんなボケぇ!こちとら忙しいんじゃクソが!と言う事で。

修学旅行なんざ廃止。そのかわり決まった予算を突きつけて「プライベートで行け!」となる。「旅行計画も自分たちで立てろ。一応教師とまむも協力はするが
あくまでも協力だけ。計画を決めるのはお前らな。そして各自旅行先を決めたら勝手に行け!となる。誘拐されても知りません。行方不明になっても知りません。
それが心配だったら学校主催で「強制参加ではない修学旅行もどき」でもやりましょう。と言う事で。大半のガキはこっちに参加する事でしょうな(笑)

そう言う風な教育方針のパラダイムシフトを図る。しかし文部科学省から突きつけられた教育カリキュラムをやらなければいけないんだから教師も大変だな。

2007年12月31日(月)01時21分54秒