2008年02月06日(水)先生からして分かってない。

考えてみれば今のチンカス大学やチンカス高校でまともな歴史認識なんて教えてくれる訳が無いですね。教育学部を卒業しても「知らなくて当然」な訳だ。

2008年02月05日(火)ゆとりか…。

そう言った「話のわかる国家」からの輸入食料品なのかどうか。そこら辺に関しても考慮がなされてくる。歴史の授業とかでも全然やらないか。やらない事として
「アメリカ等々の欧米人(いわゆる白人)からアジアの独立を果たす事が出来た(植民地支配からの脱却)のは日本軍&日本兵のおかげ」と言う現実がある。
この事に対して、インドネシア等々のアジア諸国に対しては「日本の皆さんあの時はありがとう」と言う気持ちを持っている。それが大半。日本の軍艦マーチを
その国々の人間が高らかに歌いあげると言う事も普通にある。当時の日本兵を讃えた歌を、今の2000年代の世の中でも歌い続けている国の国民も大勢居る。

…と書いた。これに関してそう言えば資料的な物を掲載していなかったな、と言う事で。ネット上に散らばっている資料を集めサルベージを行い検討を開始する。

[ インドネシア ] 16世紀、ジョヨボヨ王の通り移民族が進入してきた。オランダ人の彼らは銃を持っており、槍と矢で勝てるはずも無く、彼らに支配された。彼らは余暇に、
インドネシア人のハンティングを楽しみ、数を競い合った。インドネシアが徐々に開拓されてくると、オランダは東インド会社(VOC)を設立。現地民を奴隷化し、食料も与えず
働かせたので、人口は激減した。1904年、日露戦争、勃発。当初、インドネシアの人々は勝てるとは思っていなかった。しかし、黄色人が白人に勝ったことに驚いた。
このころから、ジョヨボヨ王の伝説がインドネシア全土に広がることになる。1942年、予言通り黄色い人間が異民族を追い出すときがきた。インドネシアの各地で紅白旗
(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた。現地民の協力もあり、日本軍は僅か8日で、オランダ兵を全面降伏させた。350年間の統治が
僅か8日で終わったことに彼らは驚いた。オランダ人は自分たちがインドネシア人を閉じ込めていた強制施設に収容されました。彼らは「自分たちが入ることになるなら
こんなに不潔にはしておかなかった」と言っています。ジャワを占領した日本陸軍第16軍はさっそく独立推進派のスカルノやハッタらを解放し、独立を約束するとともに、
現地民の協力を取り付けました。「オランダ領東インド」は待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称されました。この間、食料の調達や、
石油資源の確保、金属の回収を行いましたが、彼らはインドネシア独立のためと大変協力的でした。一方、オランダ人の手下となって、商売をした華僑は自分の職が
奪われたことを悔しがります。1943年後半、戦局が厳しさを増すと、「郷土防衛義勇軍(PETA)」を結成。独立義勇軍を募るとすぐに数万人に膨れ上がります。
そして、連合軍の侵攻を待ちますが、彼らは現れず、日本が先に敗北します。その時、オランダから電報が届きます。「日本軍は連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、
現状を維持し、治安を確保すべし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は必ず鎮圧すべし」「原住民の集会禁止、武器の携帯、民族旗の掲揚を
取り締まるべし。これがためには、兵器の使用も許可する。」この電報に激怒した郷土防衛義勇軍の日本兵とマレー人は話し合いの末、独立戦争をすることを決意します。
8月17日、インドネシアは独立宣言をします。これに反発し、イギリスとオランダが、インドネシアに宣戦布告。インドネシア独立戦争が勃発します。初期の日本兵は
オランダに協力するように見せかけた。武器の運送を命じられると、その武器をインドネシア人に横流しした。手口がばれると、PATA側に協力して全面戦争に参加します。
度重なるゲリラ戦の結果、4年5ヶ月の戦争で80万人が死亡し、2000人の日本軍のうち、1000人が戦死した。各国の非難がオランダに集中し、植民地をあきらめ、
独立を承認した。1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬され、6人の日本人が独立名誉勲章(ナラリア勲章)を受賞した。

[ 台湾:日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景 より抜粋 ] 日本時代の台湾は、町全体が豊かで、
特に台南はゆったりと時間が流れているようでした。よく町の孔子廟では、詩人や文人が詩を作ってお互いに交換しあって楽しんでいました。非常に安定した社会で、
隣近所とは互いに信頼し合い、相互の信頼関係、人と人との絆が素晴らしかったのです。ですから、どこに行っても安心出来ました。それこそ枕を高くして寝ることが
出来る世の中でした。昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた
日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に
天使の面を被った悪魔でした。国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に
追い込まれてしまいました。外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。
台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていません。学生、若者、医者、学識ある者、
特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした・・・
日本の台湾統治時代に、台湾内部でそれを快く思っていなかった人が、少数ながらもいたことはおそらく事実でしょう。しかし、中国統治時代にはなかった教育が
広く行われ、様々なインフラが整備され、治安は安定し、台湾は豊かになった。多くの台湾人たちは、日本の統治を心から受け入れていました。自分が日本という国に
所属していることを誇りとし、自ら日本軍の兵士に志願した者も少なくありませんでした。これは、紛れもない事実なのです。我々日本人を長く蝕んだ自虐史観は、
大東亜戦争中に行われたことは全て悪であると刷り込み、この時代の明るい部分を見ることを許しませんでした。大東亜戦争中に日本がアジア各地で行ったことは、
現地の人を苦しめるところもあった反面、現地の生活・生産・教育などの発展に大きく寄与し、現地に歓迎され、また長く欧米の圧制に苦しんだ人々に希望を与え、後の
独立などに大きな影響を与えたのは紛れもない事実です。歴史とは、そして真実とは、ある一部分だけを強調し、もう一方の部分をひた隠しにすることではありません。

[ 世界の好感度、日本とカナダ1位・BBC調査 ] 「世界に最も良い影響を与えている国は日本とカナダ」――。英国放送協会(BBC)がこのほどまとめた
国際世論調査で、こんな結果が出た。歴史問題などを巡って周辺国の政府や人々の反日感情は根強いとされるものの、世界的には高い好感度を得ている。
調査は日本など12カ国と欧州連合(EU)について、世界に好影響や悪影響を与えているかどうかを27カ国の2万8000人に尋ねた。日本が「好影響を与えている」
との回答はカナダと並ぶ54%。「悪影響を与えている」との回答は20%でカナダの14%を上回った。(2007年3月10日 NIKKEI NET)

[ ヒラリー・クリントンらの対日政策、有力候補で最も親日なのはジョン・マケインか? ] ヒラリーやジュリアーニら有力大統領候補の対日政策はどのようなものに
なるのか?現在大統領候補が演説で外交政策について話すとき、テロ対策やスーパーパワーとして頭角を見せ始めている中国について言及することが多く、対日政策を
語ることは殆どありません。(現時点で有権者の日本へ関心が高くないことが原因か?)よって、正直言ってよくわかりませんので、とりあえずForeign Affairs誌に掲載
されている各候補の外交論文で日本に関して言及している部分を要訳します。大統領選挙の有力候補は選挙の前年にForeign Affairs誌にて外交政策を発表することが
恒例になっています。ヒラリーの論文を読んで「日本軽視のひどい内容」とご立腹の方々もいらっしゃいます。しかしForeign Affairesで定点観測する限り、特に
ヒラリーだけが日本軽視とは言い切れないはずです。明らかにジョン・マケインは親日ですが、ミット・ロムネイにいたってはただの一度も対日政策に触れておりません。

こう言う様な現実がある。基本的にハッキリ言って、日本と言う国家を嫌っているのは特定アジアの捏造歴史教育を洗脳として受けた国家のみ。そう考えていい。

2008年02月06日(水)03時04分24秒