マケイン氏は2000年の大統領選挙でも有力候補として、今のジョージ・W・ブッシュ大統領と共和党の指名を激しく争った。その時点ではマケイン氏の方が
ブッシュ氏より全米的な知名度は高かった。上下両院の議員として既に数々の実績を上げていたからだ。マケイン氏の政治家としての特徴は議会専門の権威ある
出版社「コングレショナル・クォーターリー」の2006年版『アメリカ政治年鑑』に以下のように記されている。「共和党内部で一部から攻撃されることがある一方、民主党側の
多くや無党派層から好まれる保守政治家で、どんなことを発言しても、実行しても、マスコミによって膨大な分量の報道をされる対象となり、しかもその報道の内容は
ほとんどがポジティブである」。「マケイン氏は保守とはいえ、その主張はブッシュ政権とは必ずしも合致しない場合も多い。上院では彼がブッシュ政権に同意する場合は
政権にとってきわめて大きな力となる。同意しない場合は彼がブッシュ政権への反対を堂々と述べるので、政権にとってきわめて大きな支障となる」。「マケイン氏の
自主性は、一部は2000年の大統領候補指名争いでブッシュ陣営に畏敬の念を感じさせるほど健闘したことに由来するほか、ベトナム戦争中、北ベトナムの捕虜として
5年半の辛苦を耐え抜いたことにも原因があるといえる。この捕虜時代の拷問などの後遺症で、彼の上半身は今もやや傾くことがあるが、同時に政治面を含めて闘いを
恐れない性向を強くしたのだろう」。マケイン氏を全米的に有名な人物にしたのはこのベトナムでの体験だった。1936年、海軍の軍人を父に生まれたマケイン氏は
自分自身も海軍士官学校に入り、海軍パイロットとなった。そしてベトナム参戦で当時の北ベトナムの首都ハノイ地区の軍事施設への爆撃に出撃し、地上からの砲火で
撃墜された。パラシュートで降下したものの捕虜となる。1967年のことだった。捕虜生活が5年半、73年春に米国と北ベトナムとのパリ和平協定が結ばれた結果、
解放された。捕虜としての拷問や強制労働などの苦労、そして他の米軍捕虜たちを励ましながらリーダーとして軍事機密を保った忍耐は米側で広く知られるに至り、
その体験記は記録的なベストセラーとなり、映画化までされた。マケイン氏はやがて政界入りし、1982年に下院議員に当選、86年には上院へと転じた。(古森義久)
mixiが規約を改定してユーザーの日記を侵食出来るっつー事でギャーギャーと話題になって「mixiが勝手に本を出版したりとかするのか!?」なんて話にもなってるが
mixiの日記なんて本にした所で一体誰が購入するんでしょうね?(笑)やはり「情報の削除と言ったマイナス面においての内容を実行する」事の方が強そうだな。
本にして出版する、と言うのであれば上記のマケインの内容ぐらいに「すげぇ!」と思わせる様な事柄でないと無理だろ。売れないし。普通の内容では。