2008年04月02日(水)ソースは確実に。

[ リシャールもワシもご心配なく ] すでにご存じかと思うが、フサイチリシャールは「電撃戦」と呼ばれるハイスピードのG1レース・高松宮記念のゴール直前、
先頭を猛スピードで突き進むなか故障を発症した。現地スタッフから、ゴール後にジョッキーが馬を降りて車で運ばれた…との報告を受け、思わず目を閉じた。
診断は「左前浅屈腱不全断裂」。幸いにも日常生活に支障はないが、アスリートの命ともいえる腱を断裂し、もうレースでは走ることはできない。引退を受け入れ
なければならない。フサイチエアデールの仔がセリに出ると知り、何としても欲しくて、当時のクロフネ産駒としては破格の9900万円で落札した芦毛の仔馬。
2005年の朝日杯を勝ち、コンコルドの日本ダービー以来、国内10年ぶりとなるG1タイトルをもたらしてくれた。最優秀2歳牡馬になってワシに初めてのJRA賞も
プレゼントしてくれた。24戦5勝、うち重賞3勝(朝日杯G1、阪神カップG2、東京スポーツ杯2歳ステークスG3)。海外にも挑戦した。大したケガもせんとホンマに
丈夫でよう頑張ってくれた。最後にもう一度、勝たせてやりたかったな。ワシもリシャールには特別な思いがあったが、引退の発表後にたくさんのファンから温かい
お便りをいただいた。応援してくれた皆さんありがとう。もしかすると近年のフサイチ馬のなかで一番ファンに愛された馬かもしれんな。芦毛の馬体を揺らして、一生懸命に
ひたむきに走る姿が、人の心に勇気や感動を与えたんやと思う。みんな「種牡馬になってリシャールの子供たちに会いたい」と言ってくれる。当然やと思う。ワシが
一番そうしたいに決まっとる。もちろん種牡馬となる道を探すことから始めるよ。けど、まさかこんなふうに突然に引退が訪れるとは誰も考えていなかったから、今後に
ついてはまだこれからや。G1馬は他にもいっぱいいるなか、リシャールは朝日杯しか勝っとらんわけで、「当然、種牡馬になれるやろう」なんて呑気な予測はできん。
ただ、馬主として責任を持ってリシャールの第二の馬生を考えることはお約束します。その点はワシを信じて安心してや。けどまあ、世間ではだいぶワシのことを
心配してくれているようや。急におとなしくなったもんやから、やれ病気やないか、やれ金が尽きたんちゃうかと。「関口が金欠でヒルズを逃げ出した」なんて記事も
天下の週刊文春さんに出たばかりやけど、まあ何も知らんでそんな記事書いて、あとで恥かいても知らんで〜ちゅうとこや。しかもやで、その記者さんな、ある日
ワシに会いたいちゅうて突然ヒルズを訪れたんやて。約束も無いのにヒルズのセキュリティが通すかいな。わざわざヒルズまでワシに会いにきた人が、ワシがヒルズを
逃げ出したって書くんやから笑うしかないやろ。あれがジャーナリズムだと言うならワシも本気で怒らなアカンが、あれはエンターテイメントやからな。ワシやったら
もっと面白おかしく書いたるで。まあ、ああいう中傷記事には目的があるもんや。誰が何の目的で記事を書かせたか、だいたい分かっとるんやわ。せっかくワシが
死んだフリして目立たんように準備しとるとこやのに、今のうちにワシを叩いておきたい卑屈な輩がおるわけや。ビジネス界ちゅうのはいつの時代も妬みやら
バッシングやら嫌らしい側面があるからね。メイテック解任のときはもっと酷い誹謗中傷の嵐やったで。気に食わんのは、また馬を中傷のダシに使いよったという点や。
馬はワシのこづかいと賞金とでやりくりしてやっとる趣味や。毎年数億円にのぼる預託料かて一切滞納もしとらん。馬が誰に迷惑をかけたというんや。正々堂々と
ビジネスで勝負しろっちゅうんや。ワシがビジネスの最前線に立ってもう50年以上。ワシが成功を収めるたびに嫉妬して陥れようとする輩が現れ、ワシが失敗から
這い上がろうとするたびに恐れをなして潰そうとする輩が現れる。けどワシは人を攻撃したり陥れたりしない。ビジネスで勝負する。だから結果はいつもワシの勝ちや。
七転び八起きと言うがまさに7敗8勝の人生。日本には一代で2社上場した人が他にいるらしいし、せっかくやからワシは3社目を上場させて日本一になったろか!
と思って起業家人生を楽しんでるよ。心配いらんから、まあ見とってや。(2008年04月01日)

フサイチリシャール種牡馬入りするのか。良かったな。あまりにも急な事だからまだ何も決まっていないのは当然。成績的にはマイルまでなら楽しみだな。

[ ヤマダ電機:創業者・山田氏が会長に、新社長は一宮氏 ] ヤマダ電機は1日、創業者の山田昇社長(65)が会長に就任し、一宮忠男副社長(52)が社長に
昇格する人事を内定した。山田氏は最高経営責任者(CEO)、一宮氏は最高執行責任者(COO)を引き続き兼務するが、初の社長交代となる。6月27日の
株主総会を経て就任する。一宮氏は山田氏の姉の長男で、おいにあたる。山田氏は73年4月の創業以来35年間社長を務め、一代で家電量販店最大手に築き上げた。
交代理由について「65歳を迎え、バトンタッチの時期だ。『山田昇のカリスマ性でもっている』と言われるが、実際は柔軟な経営をしており、社長交代も問題ない」
と述べた。一宮氏は、商品企画部長やIT事業本部長などを歴任した。「身が引き締まる思い。社長と一緒に会社を作り上げてきた自負があり、今後も人材教育に
力を置いた路線を継承させ、会社を発展させたい」と抱負を述べた。一宮忠男氏(いちみや・ただお)創価大卒。(在日新聞 04月01日 21:52)

2008年04月02日(水)02時55分42秒