▼みなさんのコメントを読んで、先ほど(4月5日土曜夜10時過ぎ)、関西テレビ「ぶったま」の関係者2人に、電話しました。その電話を、フェアにそのまま記します。
関係者2人は、いずれも留守電になっていたので、ぼくがその留守電に残した内容です。「今日のぶったま、ほんとうに、おつかれさん。みんなの努力があって、あの
生放送ができました。ぼくのところへも、圓教寺にもたくさん反響が来ているけど、局にも来ていると思います」「しかし一方で、その番組内容の動画がインターネットに
アップされているのを、関テレ(あるいは著作権者の権利を代行する者)がどんどん削除していて、みんなが見るのに苦労しているそうだ。もちろん、著作権法は大切に
しなければならない。ぼくも、物書きの端くれだから、著作権法に違反する行為によって被害を受ける立場だ。それでも、なにがなんでも削除するだけが能じゃないだろう。
今日ぐらいはせめて、時間を置いてから削除するぐらいのことができないのか。ネットで動画がアップされ、多くのひとがみることが、番組の広報のためにも極めて有効な
ことぐらい、分かるじゃないか。ぶったまは生放送で、再放送もないのだから、もう放送された分をしばらくアップされたままにしておくことに、どんな実際の害があるんだ。
どっかの小役人みたいに、なにがなんでも削除するだけでいいのか」「そもそも、無料のアップが困るなら、100円とか50円とかの有償で配信すべきじゃないか。
その努力をしないで、何を削除、削除って、官僚的にやってるんだ。ぼくはずっと、関テレの○○局長(実際の電話では○○はセクション名)に、これを申し入れてきた。
それなのに何も変わらない。誰が変えないのか、どんな検討がなされているのか、何も分からないままだ。削除しているのが、番組のスタッフじゃないことは明白だ。
関テレの担当のひとか、あるいは著作権者の権利を代行する者がやっているんだろうから、その人たちをぼくに会わせなさい。直接、言うから。とりあえず、今日の放送の
アップを、機械的に削除することを、今すぐやめなさい。きみたちでできないなら、もう一度言う、担当者が直接、ぼくに連絡してきてください!フェアに議論しよう
じゃないか」 ▼この国の、悪しき意味の小役人は、役所にいるだけじゃない。仕事社会の隅々に、どんな民間にもいること、それがわたしたちの問題なのだ。
なんのために仕事をするのか。志のためか。ひとのためか。みんなのためか。それとも、中国や旧ソ連の独裁官僚のように、ただおのれの保身のためにだけなのか。
★すこし怒りを静めての、追記(4月6日・日曜未明3時すぎ)誰がどのように、あるいは誰が責任を持って、ネット上の動画を削除しているのか、いまだに判然としません。
ただ、関西テレビを含む少なからぬテレビ局が、「安価な有料で動画を配信する」という努力もしないまま、とにかくネット上の動画が、その元ビデオがTV番組であれば
無差別にただただ、削除され続けていることだけは、はっきりしています。TV番組のネット・アップが困るなら、あるいは、著作権法がきちんと守られる社会にしたいなら、
まず、上記の「安価な有償配信」を始めるべきだし、『再放送の可能性のない生放送であれば、ネット上の動画も少なくとも一定期間はむしろ積極的な広報戦略として、
削除しないでおく』…ということを検討すべきです。また、その削除は、誰がどんな責任を持って、誰を実行行為者として行っているのか、あるいはテレビ局としては
何も手を下していないのか、下しているのか、すべてのテレビ局はいまや、ディスクロージャー(情報公開)をせねばならないと考えます。これは、番組参加者(出演者)の
ひとりとして、番組のうち、自分の発言した部分に明確な責任を持つ者としての考えです。そうした情報公開がないままでは、仮に、外国の工作員や、それに類する者が、
彼らにとって気に入らない不都合な内容の番組について、ネット上の動画を勝手に削除するケースがどれだけあるのか分からないし、そうした不当な行為と、
著作権法に基づく削除行為との区別も付きません。ネット時代になってすでに久しく、動画サイトが社会に広まってからも久しく、この問題へのテレビ局の
取り組みが遅れていることは、マスメディアの責任を果たしていないと言わねばなりません。 青山繁晴 拝
青山の怒りももっともなんだがテレビ局と言う巨大な組織が足並みをひとつに揃えると言う事なんて無理。ネット時代に動画云々とか言われても、そもそも重役が
ネットに関して詳しくなくて、間違った知識のみを頭に入れて行動していると言う事もしょっちゅうある。それと指摘されている通りにやはり外圧と言う物がある。
とにかく「日本人は外圧に弱い」と言うのはペリーの黒船来航の出来事を見ても分かる通りに歴史的にもはや議論する余地もない程に当たり前になっている事。
だから外圧を受けて削除される(削除させる)と言う行為があるのは仕方がない。それが「日本人」だから。諦めるのではなく「削除されたら再びアップする」
それでいい。いたちごっこ?「消す方が悪い。今回のこの天台宗のお坊さんによる魂の訴えは基本ネットに上げる事を黙認されている訳だから消す理由がない」
消す理由があるとすれば特亜の工作員等々における「こう言う事を広められると大変都合の悪い反逆者ども」の都合。と言う事になる。消されたらまた上げればいい。
それが「ある種正義の戦い」と言う事になる。怒るのも分かるが日本人の腐った体質が改善されない以上、現実的な対処法で挑んでいくと言うのが今はベター。
今回の表明に関して英訳をした文章が転がっていたので日本語と併記して知らせておく。英文を一通り読んだが意味が違う部分が特に見当たらなかったので掲載する。
今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を
表明せずにはいられません。私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。
チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。
日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。しかし、中国の
寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。ほとんど自由はなかった。これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。そして、日本の仏教教団が
ダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、
しないで良いのでしょうか。ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。私たちは宗教者、仏教者として、
草の根から声を挙げていかなければなりません。しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えて
いただきたいのです。オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。
もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。私たちにとって
これが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。書写山 圓教寺 執事長 大樹玄承 平成20年4月5日
Now,Japanese Buddhist monks are now put to the test. We cannot help expressing our deep sadness and protest against China's military actions in Tibet
that deprive Tibetans from religious freedom.As religionists and Buddhist, we cannot overlook Tibetan monks and people's suffer any more.
The most important thing is that Tibetans preserve their religious tradition of Tibetan Buddhism (Lamaism) by Tibetan people's free intention.
You might wonder what monks throughout Japan are doing.Each sect and religious organization in Japan have devoted their energies to the restoration of
Buddhist temples related to their temples in various parts of China after the normalization of diplomatic relations between Japan and China.I myself
was also involved in the restoration of Buddhist temples in China.However, it was not possible to exchange with Buddhist temples in China
without the approval of Beijing (government) and actually we had no freedom.Most monks across Japan know this and think that this might be
unchanged even in the future.We also know that Beijing (government) feels unpleasant when Japanese Buddhist organizations exchange with the Dalai Lama.
I think that religious freedom is the most important issue.However, Japanese Buddhists have not expressed anything in 3 weeks or more
after the Tibetan case broke out.If Chinese Buddhism association is our important friend, why do we tell nothing to it? Is it good without doing?
Tibet that has accumulated its history as a Buddhism country with the leadership of the Dalai Lama is about to disappear.To save them,
we should give the voice from grass roots as religionists and Buddhists.However, if we do, Chinese Buddhists concerned may protest the religious
sect I belong to and I may be scolded by it.So, it does not mean that I request you to act together with me. But, I ask you who are
Buddhist monks and supporters to think voluntarily with this case as a start.Some of you as Buddhist monks may plan to visit the temples
related to your temples during the Beijing Olympics 2008.Under such circumstances, what will you talk with them?If you are not able to
say your opinion to your Chinese counterparts in a resolute attitude, what can we preach to our supporters and followers in Japan?
This might be the last chance for us as religionists and Buddhists.