2008年04月15日(火)この時期にこの映画を流すWOWOW

[ クンドゥン:1997年 アメリカ ] 1937年。チベットのある寒村に長旅を続ける数名の僧衣を身にまとった高僧たちが訪れた。彼らの目的は4年前に逝去した
ダライ・ラマ13世の生まれ変わりを探すこと。まだ2歳にしかならない幼子、ハモという名の幼子に出会った一行は、太鼓、眼鏡、枝といったダライ・ラマ13世が
生前愛用していた遺品とそうでないものを彼の前に2つずつ並べる。媚々としてそのうちの一方を取り上げて行くハモ。やがて尊敬と畏敬の念を込めて呼びかける。

「法王猊下(クンドゥン)」 その幼子こそがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの生まれ変わりであると確信する。この日を境に苦難と波乱に溝ちた運命が始まる…。

WOWOWで4月29日の午前5時から放送。193チャンネルなので衛星アナログでは見られません。それでも重要な情報なので一応お知らせしておきますね。

2年後の1939年、ハモは迎えの者たちと共に首都ラサヘと旅立った。それは自分の名前や故郷、そして平凡だが幸福な生活との別れを意味していた。これからは
ダライ・ラマとして生涯をチベットの民のために費やさなければならない。旅の途中、彼を連れてくるよう命じた摂政、レティングに出会い、初代菩薩の誕生の話を聞いた。
それは母親がよく話してくれた自分の生い立ちとよく似ていた。ラサのポタラ宮殿に到着し、日々指導者としての知識、戒律を一から教え込まれるダライ・ラマ。
そんな中、もともと僧仲間から戒偉を守らないとの悪評が絶えなかったレティングが退任を申し入れた。彼を慕っていたダライ・ラマだったが、すぐにタクラを新しい
摂政に任命し、再び厳しい修行に身を投じることになる。育ち盛リを迎えたダライ・ラマはあらゆることに興味を持ち始め、望遠鏡で外の様子を覗いたリ、自ら映写機を
回し海外の映画を楽しむようになる。またニュースフィルムや雑誌で、第二次世界大戦の様子や広島の惨劇に接し、自らのことのように胸を痛める。ある日、
いつものように窓から下界の様子を眺めていたダライ・ラマは、現摂政のタクラの暗殺を企てた罪でレティングが連行されていくのを見てしまう。この一件で僧侶が
銃を保持している、ポタラ宮殿内に牢獄があることを知った。彼は醜い部分を報告されない自分の立場に苛立ちを覚える。その頃、中圏では毛沢東率いる共産党が
政権を奪い、チベットは中国の領土であることを世界に向けてアピール、チベット政権に対しても同様の主旨を柱とした三つの要求を叩きつけてきた。何とか隣国の
不穏な動きに対処しようとするダライ・ラマの心中で、徐々に指導者としての意識が茅生えてくる。1950年、毛沢東の三つの要求を全て拒否したチベットに、
中国人民解放軍が侵攻してきた。ダライ・ラマは戴冠式を執リ行い、政府をインド国境近くのドンカル僧院に移す。側近はインドヘの亡命を促すが、非暴力を貫き、
民を守るのが自分の使命と考える彼はチベットにとどまる決意を新たにする。しかし解放軍将軍の執拗な訪問や、酉側ばかりか国連からもチベットの独立承認を
拒まれる現状に業を煮やしたダライ・ラマは、富ら北京へと向かった。あくまでチベットの民が望むペースで改革すべきだと終始穏やかに語り、自分の母親は仏教徒で
あるとまで言う毛沢東の言葉をすっかり信じたダライ・ラマ。しかし最後の会見で毛沢東はこう告げる「宗教は毒です。人間を腐らせる阿片です」

チベットヘ戻ったダライ・ラマの元に、解放軍の激しい爆撃で罪なき人々が巻添えになっていると言う報告が届く。苦悩の末、ついにチベットを離れる意志を固める…。

2008年04月15日(火)21時02分37秒