[ 松代パーキングエリアで一触即発の危機 ] 今朝の朝日新聞社の一面トップ記事が、今回の長野市にいける聖火リレーの狂騒ぶりを何よりも表しています。
あの朝日でさえもこのようにしか報道できなかったのです。沿道赤く愛国の旗 違う国みたい。ちょっとひいちゃう。大量動員されたシナ留学生によって長野市の
沿道は占拠され、一般の市民は排除され、真っ赤な血に塗られた「赤旗」が数千本も振られ、まさに長野市はシナ人による「解放区」が出現したのです。
[ 4月26日 反日シナ留学生との対決 ] 前日の25日、スタッフが東京八重洲口向かい側に一時間前に着くと既に4名ほどが待っておられました。続々と
参加者が集結ここでハプニングがおきました。東京を出発して名古屋組との合流地点である松代PA(パーキングエリア)に到着し、休んでいたときに事件は起きました。
我々は大型バス一台とワンボックスカー、それに乗用車の3台に分乗していましたが、バスの窓にチベットの旗を貼ってあるのを見つけたシナ人のバスから次々と
赤旗が示されました。続々と集結する大型バス。全てシナ人留学生のバス、その数はざっと10数台に膨れあがりました。その数はゆうに五百名を超えています。
次第に我々は取り囲まれて行きます。我々は意を決して、先ず新風の若手メンバーが日の丸の国旗を持って表に出ましたが、その後皆さんも全員バスの外に出て、
シナ人と対峙することになりました。こちら側は55名ほどでしたが、相手方はその十倍の500名を超えています。真夜中の3時頃から始まりましたが、相手の数は
その後も次第に増え続けています。シナ人留学生は独自にツアーを募って参加していたなどとネットで書かれていましたが、そんなことは真っ赤な嘘で、シナ大使館の
指令によって、全国の日本の大学から動員されていました。その証拠に彼らの乗ってきたバスには。各大学の名前が書かれており、バスの中には真っ赤なシャツに
大学の名前が白地で印刷されていた。かなりの組織的動員でした。最初はこちら側が劣勢でしたが、30分後に名古屋組が合流しました。こちら側も80名を
超え態勢を立て直し、果敢にシナ人留学生に戦いを挑んだ。これはいつものように公安や警察官の一人もいない、まさに深夜の高速道路のパーキングエリアでの
戦いです。何事がおきても不思議ではない緊迫した状況でした。彼らはバスから大きな赤旗を出して、それで我々の前に立ちはだかり、国歌を大声で唄い始め、
我々は「フリーチベット」「虐殺反対」で言い返しました。2時間にもわたる深夜のパーキングエリアでの戦い。ようやく終わったのはもう夜が開け始めた
5時頃でした。我々は殆ど一睡もすることなく、大急ぎで長野市に向けて出発したのです。参加者もブログで書いております。感じろこいつは戦争だ!
[ 紅衛兵出現!中共の生贄となる在日中国人 ] 残念ながら私は長野に参戦できず遠くから伝わる話を聞くことしかできませんでした。大変腹立たしく、大変
悲しいのは私を中国に行く気にさせた知識分子層である留学生たちのあまりの馬鹿さ加減です。自分たちを受け入れてくれている世間様からどういう目で見られるか、
まったく理解せずに「祖国の栄誉」に熱中する彼らを見て、本当の敗者は在日中国人だということをしみじみと感じていました。もう、わたしとしては彼らにつける
薬が無いことを理解せざるを得ませんでした。正直、内ゲバで何人中国人が死ぬことになろうが他人事という心の整理がついて、なにやら悲しくなりました。
これから彼ら留学生を待っているのは、日本人社会の冷たい差別の目でしょう。毒餃子事件から始まり野村證券インサイダー事件、今回の文革もどきの騒動を見れば、
まともな日本企業の採用担当者であれば中国人の就職希望者に対して高リスクと判断しお引取りを願う、当然のことでしょう。仏教国であり、判官贔屓の日本人を
理解しない中国人が利口ではないのです。当然、日本社会に同化して利口に立ち回っている老華僑は快くは思っていないはずです。彼らの築いてきた華商としての
信頼が崩されるわけですから。今回の聖火騒ぎを中国政府が扇動していたのであれば、哀れな走狗としか表現のしようがありません。明日はわが身、狡猾な
扇動者に踊らされるのがどれほど危険か理解できないのが中国人なのです。
[ 兄君さま、完全にグロッキー。 ] とまむさんに私信。(普通の人が敵に回りました。)これに関して兄君さまがmixiにて以下の書き込みを発見。「ていうか、
うちの年寄りたちは気味悪がってたよ。何っ?この怖い中国人…って」あと、案の定とでも言うべきか、現地組の人の中で中国人に囲まれてチベット旗を盗られた方も。