[ 2ちゃんねるに私の写真が紹介されていたので、そのことについて説明をしておきます。 ] スレッドは下記の名称です。「現地組連絡・報告スレ(4/26長野-チベット)2」
(長野駅前でシナ人集団にひとりで突っ込んでいったオジサン 1人対15人くらい)駅前でのシナ人留学生との激しいぶつかり合いが終了した後、参加者の多くは
最終ゴール地点の若里公園に移動しました。しかし、私は若里公園に皆が移動した後も、駅前の広場に一人残り、チベット人虐殺写真と胡錦涛の写真を印刷した
ポスターを掲げ、シナ人が駅前から姿を消すまで頑張り続けました。その時の写真がUPされたわけです。誰かが写してくれていたようです。私の名前を知らない人の
ようです。私は「オジサン」と書かれていますね。でも、この時は実は一人ではなかったのです。同行していたカメラマンの人が私の側で、何かあったら写すために
見守ってくれていましたし、ボデーガードのように私を守ってくれていた人もおり、実は3人態勢だったのです。通りすがるシナ人は、私を見て非常に驚いた顔をして
感情剥き出しに罵ってきます。「こんなの嘘だよ。」「お前はチベットに行ったことがあるのか、見たことがあるのか?」「120万人殺した嘘言うなよ。日本軍は
戦前中国でいくら人を殺したか知っているのか!」一時は数十人に囲まれ、凄い剣幕でまくし立てられた。しかし、私は一切ひるむことなく、相手を睨み付け
「シナに帰れ!」と怒鳴り返した。もし、暴力を振るわれ、重傷でも負えば、それだけで大きなニュースになり、彼らの乱暴狼藉を世間に周知させることが出来る。
ここは怯む訳には行かないし、相手から先に手を出させなければならない。「何故、こんな写真を見せているんだ」女性が金切り声を上げて、まくし立ててきます。
このような時は冷静に「日本には権力者を批判する自由があるんだ。」と答えてやった。シナの留学生の人間は殆どが同じことを口にした。やはり周到に準備されて
いたのだろう。「いくら金をもらってるんだ。誰に頼まれている。」「チベットは中国の内政問題だ。」「戦前日本人は中国人をたくさん殺した。お前はそれを知らないのか。」
「シナって何だ。シナなんて言葉はないぞ。」皆同じことを答えるように訓練を受けていたようです。今回の反日シナ人の長野市における傍若無人な振る舞いと
「解放区」の出現は、日本人の多くに脅威を与え、反日シナ人の本性を見抜く良い機会となりました。美辞麗句を並べ立てた日中友好などという言葉は、この日一日の
この反日シナ人の狂喜乱舞する姿を見て吹き飛んでしまったのです。その意味では、日中の歴史の中でまさにターニングポイントとなったのです。(せと弘幸)
[ 25日〜26日にかけて ] 26日の保守系各団体の長野での抗議行動は、世界に向けて「支那中共政府によるチベット人虐殺問題に日本は黙っていない」という
力強いメッセージを発信することができたと思います。もしこれで淡々と聖火リレーを開催させていれば、特に人権問題に神経を尖らせている欧米から日本は支那と
同類項として見られていたかもしれません。それは間違いなく日本の国益を損なうものであり、今回の保守系各団体の行動は福田親支那政権の間違った方向性を
糾し、日本の国益を守った賞賛されるべきものであったと考えます。今回、長野のほか日本各地で対支那抗議活動に声をあげていただきましたすべての皆さまに、
日本国民の一人として心よりお礼申し上げます。私もできれば長野に向かいたかったのですが25日26日と仕事が入っていたため、東京残留組としてできる限りの
行動をとらせていただきました。25日から26日の桜井の行動を日記形式でまとめてみました。
4月25日(金)午前中 仕事前に遅ればせながら、瀬尾佳美問題で雇用者の青山学院大学に抗議の電話を入れる。この問題は瀬尾なる准教授が自身のブログで
光市母子殺害事件の被害者遺族である本村氏の名誉を著しく傷つけ、生命倫理を軽んじるとんでもない内容の記事を掲載したことで一気に問題化していった。
電話を受けた広報課の話によると、大学には複数の抗議電話が入っているとのことで近々に大学として何らかの発表を行うとのことだった。(26日、大学側が
この問題で謝罪のコメントを発表したニュースが流れる) 午後 夕方から石平氏の新刊出版祝いを兼ねた励ます会に出席。先日行われた在特会主催の国民大集会に
ゲスト参加いただいたご縁から、石平氏から招待状を受けることになった。会場はざっと見ただけでも200名近くの方が集まっており、西村眞悟議員や井尻千男氏ら
著名人が多数参加していた。挨拶がてら黄文雄氏や呉善花女史らと言葉を交わす。呉女史の「(韓国で反韓活動を理由に入国拒否されているため)済州島へ墓参りに
帰ることすらままならないのは残念だ」という言葉が心に残る。
4月26日(土)午後その1 東京銀座で開催されたエプロンデモに参加。とっておきのパルマハムのエプロンを持参したが、当日エプロン持参の男性陣は私と
もう一人だけ。ちょっと残念。女性陣が主役のデモ行進に休日の銀ブラを楽しむ人たちも興味津々の目でこちらを見ている。長野・東京・大阪・金沢・名古屋・福岡の
全国各地で開催された反支那デモの一つとして、毒ギョーザ問題だけでなくチベット問題も訴える。「チベット人虐殺をやめろ!」の声が先導車のスピーカーから
銀座に鳴り響く。チベット旗も多数用意され、参加者の多くがチベット旗を振り続ける。歩道側で眺める人たちから拍手も起こる。1時間弱のデモ行進だったが、
多くの人に共感を持ってもらえたデモだったのではないだろうか。今後、こうした形で女性陣の保守活動が広がっていくことを願ってやまない。
午後その2 日比谷公園にてエプロンデモ解散。驚いたことに長野で抗議の声をあげていた村田春樹氏がこのデモに参加していたことが判明。話を聞くと長野から
新幹線でこちらに戻ってきてデモに参加したとのこと。バイタリティー溢れる村田氏に脱帽。乗り物酔いが激しい桜井にはとてもできない。最後に村田氏から「長野の
聖火リレーゴール地点の若里公園から日本人が締め出されて、支那人たちの応援だけがメイン会場に集まっていた」の報告に周り中からブーイングが沸き起こる。
公園は公共の施設であり国民の共有財産であるにも関わらず、日本国民が締め出されて反日犯罪支那人たちが闊歩して公園内を占拠するとは…おそらくこのような
馬鹿なことをやっている国は日本だけだろう。この異常事態に国民が気がつかなければ、いずれその異常も当たり前のこととして受け入れられていくだろう。
古今東西の歴史書はそうした「異常が社会に受け入れられていく」有様を亡国の始まりと常に書き綴っている。
午後その3 村田氏から中共大使館前での抗議活動に参加しようと誘われる。中共大使館には初めて向うが、あまり緊迫感は感じられなかった。大使館前の阻止線
付近に先に到着して待っていた5名ほどの人たちがいた。近辺に警察官が多数配置されていたが、向こうも手慣れており5名ずつ順番で大使館前に行くように指示を
出す。警察官に話を聞くと、中共大使館に抗議に来たのは我々だけとのこと。長野に全力を傾けている以上仕方がないとはいえ少々さびしさが漂う。支那語で書かれた
プラカードを持って大使館前に進むと、TBSなど各社取材陣がカメラを構えてこちらを撮っている。こういう場合、普通「撮らせてもらってよいですか?」の
一言くらいかけるものではないだろうか。大使館前での抗議が終わり阻止線付近まで戻ると入れ替わりで抗議の第二陣が大使館前に進む。今日はあとから来た人も
含めて10数名しかおらず、この2回の抗議活動で終了になる。元西蔵(チベット)自治区の共産党トップとしてチベット人虐殺を指揮した胡錦濤が5月6日に
来日した際には、日本各地でどんな抗議活動が行われるのだろうと考えに耽りながら帰路についた。(桜井誠)