[ 赤一色に…広島市民球場が公式最終戦 ] 夢と感動をありがとう―。プロ野球広島カープが28日、老朽化により今季限りで閉鎖、51年の歴史に幕を下ろす
本拠地・広島市民球場でのリーグ最終戦を迎え、詰め掛けた3万609人のファンらで満員の観客席が赤一色に染まった。原爆投下で焼け野原となった市中心部、
原爆ドームの北側に被爆地復興のシンボルとして1957年に誕生した市民球場。中国地方でナイター設備のある初めての球場として数々のドラマを生み、球団とともに
市民に愛され続けてきた。「なくなるのは言葉にし難い」と、右翼席で涙ぐんだ私設応援団メンバーの会社員沢田聡さん(28)「アットホームで、選手とファンの距離が
とても近い球場。今日を最後にしたくないので、日本シリーズでまた戻ってきたい」と声をからした。対戦相手のヤクルトを応援する「広島ツバメ軍団」会長長谷川幸魚さん
(39)も「真新しい球場より愛着があり、感謝の気持ちでいっぱい。今日の試合は勝ち負け以上に価値がある」と感慨深そう。来季から応援の舞台は、JR広島駅
東側の貨物ヤード跡地に建設中の新球場に移る。市民球場は取り壊され、跡地は公園などへの利用が検討されている。▼広島市出身の歌手奥田民生さんの話
カープの球場といえば市民球場。変わるとは思ってもみなかった。といっても、他のチームもいろいろ変わってるし、当然と言えば当然です。来年からの新球場で
選手たちはもっとパフォーマンスを上げるでしょう。カープはもっと強くなるから、それをまた見に行きます。もうすぐ黄金時代がまた来るはずです。(25日に)
市民球場で最後に見た栗原の3ランはよかった。めちゃくちゃよかったです。いい球場だったのは間違いない。完ぺきな野球場でした。
[ ファンが支えた広島市民球場 51年の歴史に幕 ] プロ野球、広島東洋カープの低迷も栄光も見続けてきた広島市民球場が、28日の広島−ヤクルト戦で51年の
歴史に幕を下ろした。1957年7月の誕生から、熱い応援で知られる多くのファンに支えられ、愛された球場だった。「広島にもナイター設備のある球場を」県総合球場に
代わる新本拠地を求める声が次第に大きくなり、2億5000万円強の建設費の大半は地元経済界の寄付で賄った。市民の期待に応えるように、着工からわずか5カ月で
完成に至った。その後、内野二階席の増設、大型映像装置を備えたスコアボードの新設など改修を重ねた。ただ、両翼91.4メートル、中堅115.8メートルの狭さは
変わらない。投手にとっては厄介な球場だった。楽天の野村克也監督は、ヤクルトの指揮官時代、三塁側ベンチに腰掛け、こんな話をした。「左の強打者が打席に入ると、
ライナー性のファウルが飛んで来ないか、いつもひやひやする。ただ、広島のチャンスになると、ベンチの指示が(歓声にかき消され)捕手に届かないときがある」。観客席
とダイヤモンドの距離の近さも魅力の一つ。時には手厳しいやじが飛び、主力選手と言い争いになったことも。スタンドからの大声援は熱戦の一部だった。開幕前の低い
下馬評に反発するかのように、カープはクライマックスシリーズ進出を争い、この日も勝利。連日詰め掛けた大勢のファンの応援が、ナインに力を与えたのは間違いない。