11月26日のアンカー青山繁晴は「僕たちの課題」 ・金融危機で見えてきたものは? ・福井総裁の処分で失敗…辞めさせるべきだった ・イギリスは減税。
日本はどうする? ・基軸通貨「ドル」を支える日本 ・円にとってチャンスなのに、日本がドルを支える理由が分からない(イギリス)
「たった一度のチャンス」 ・大統領選が足もとを見直すチャンス ・アメリカ大統領選の闇と光、民主党のバラマキ政策、初の黒人大統領誕生
「日本の民主主義とは根っこが違う」 ・アメリカ民主主義のベース、有権者登録制度 ・日本の国民投票法、投票者は18歳以上。日本も登録制にしては…?
そう言う訳でこれが今週のアンカーでの青山の内容だった。とにかくこれを見ていて思うのは「これ以上言ったら殺されるんだろうな」と思う様な所は
青山はあくまでも回避している。なんつーか「足りねぇよ」と思う事もある。しかし「命は惜しいよな。やっぱり」と言う事で理解もしている。
とりあえず「これがテレビの限界だ!」と言う様な所を青山が証明している様な展開。っつー事でいわば実地訓練の様な状況を作り出している。と言う事で。
[ ドコモオンラインショップをリニューアル 新シリーズを始めとした携帯電話がインターネットで購入可能に ] NTTドコモは、インターネットで携帯電話などの
購入が可能な「ドコモオンラインショップ」について、2008年12月1日(月曜)にリニューアルを行います。これまでは携帯電話の付属品の購入、および
一部のデータ通信専用機種への機種変更のみを対象としておりましたが、今回のリニューアルにより一部を除くほぼ全機種への機種変更が可能となります。
なお、「新規契約」および「movaからFOMAへの機種変更」の受付についても、2009年度中に対応できるよう準備を進めてまいります。(2008年11月26日)
と言う事で。これで店が要らなくなる?そんな訳が無い。どの携帯を選んだらいいのか。と言う様なプレゼンスを提唱出来る連中が居ない。
最も。そんな店員なんか普通に今でも殆ど居ないけどな。俺が何も携帯を持っていない状態から選ぶとしたらバリュー一括0円でF905iを入手する訳だが。
[ 私の競馬、俺の競馬 児玉清 ] 1934年1月1日生まれ、東京都出身。やぎ座のO型。学習院大学文学部在籍中は演劇部に所属。卒業後、東宝映画の
第13期ニューフェイスとして俳優の道を歩む。1960年に「別れて生きるときも 黒い画集・ある遭難」(映画・東宝)でデビュー。その後「戦場に流れる歌」
(映画・東宝)などの話題作に出演。1970年、TBS系ドラマ『ありがとう』の出演で、一躍その名を全国に知らしめる。映画・テレビ・ラジオ・舞台・CMなど、
幅広いジャンルで活動を展開中。1975年から司会を務めているABC系『パネルクイズアタック25』は、その司会進行ぶりが好評を博して、現在まで30年以上
続く長寿番組となっている。温かみを感じさせる落ち着いた口調で、「理想の父親」「理想の上司」と称されることも多く、幅広いファン層から支持を得ている。
まずは児玉さんが競馬をご覧になるようになった、そのきっかけから教えていただけますか?「学生時代にも、興味本位で友だちと競馬場に足を運んだことは
あったのですが、競馬の真の楽しみや奥深さを知るようになったのは、俳優の仕事をするようになってからですね。後にラッキールーラを所有される
吉原貞敏オーナーと仲の良い知人がいて、そのご縁で、日本ダービーの日は毎年東京競馬場の馬主席に招待していただくようになったのです」
それでは、1977年(昭和52年)に、ラッキールーラが日本ダービーを勝った瞬間は、オーナーの隣でご覧になられていたわけですか?「ええ。あの日は
まさに、吉原さんにとって“誉れの日”となったわけですが、その貴重な瞬間に立ち会わせていただくことができました。ただ、僕はあのとき、
『ラッキールーラは優勝できないのでは』と思っていたのですよ。というのも、皐月賞2着の後、ラッキールーラは当時ダービートライアルとして行われていた
NHK杯(4着)を使ったのですが、そのレースに出走した理由が、あのときの僕には理解できなかったのです。今思えば、太め残りを解消させるなど、色んな
事情があったのではと思うのですが。ともあれ、あのダービーでは、吉原さんには大変失礼だけど、ラッキールーラを外して買っちゃったんですよ。そしたら
なんと、鮮やかに1着で飛び込んできて……。“衝撃”と“歓喜”と、そして“なんとも言えない申し訳なさ”が入り交じった、複雑な気持ちになりました。
奥様からは、『もちろん馬券は当たったのですよね?』と尋ねられ、バツが悪い思いをした記憶もあります(笑)」
ラッキールーラがダービー馬になられたときの、吉原オーナーの喜びぶりは、いかがでしたか?「普段の吉原さんは大変なジェントルマンであり、あまり
喜怒哀楽はお出しにならない方でした。吉原さんだけでなく、ご子息の毎文さん(『エア』の冠でおなじみの、現ラッキーフィールド社長)をはじめ、
ご一家の皆さんも、常にそういう冷静な面をお持ちだという印象を持っていたのです。そんな方たちがレースの後は、まさに天にも昇るような喜び方をされていた。
ホースマンと呼ばれる人にとっても、『ダービーを勝つということは、それだけ凄いことなのだ』と実感しましたね」(JRA公式)