[ 59歳兆治141キロ ] 元ロッテの村田兆治投手(59)が、約2年ぶりに140キロ台球を復活させた。名古屋戦の6回、東京の6番手で登板した同投手は、
14球目に141キロを計測。140キロ球も6球記録するなど、リーグ戦初開催の千葉マリンのファンを沸かせた。試合は名古屋が6−2で東京を下し
今季初勝利を挙げた。「マサカリ兆治」こと東京村田の140キロ剛球が2シーズンぶりに復活した。昨季は最速139キロで、6季続けてきた140キロ投球が
ストップ。限界説? もささやかれた。11月に59歳の誕生日を迎えたばかりで今季初登板。千葉マリンでのマスターズリーグ開催は初とあって1万7800人の
観客が詰めかけた。村田の現役時代の本拠地は川崎球場で、新本拠地で投げるのは初めて。村田は「お客さんがいっぱい来てくれてうれしかった。調子が
良かったのでスピードにこだわった」と意気込んだ。6回1死二塁で川又に140キロ球を連発すると、山田への3球目に141キロを計測。07年1月以来、
約2年ぶりの大台超えだった。3安打2失点で敗戦投手となったが、26球のうち140キロ台球が7球も。還暦(60歳)間近で衰えない体力は離島行脚の
たまものだ。今夏は伊豆大島で離島の中学生の全国大会を開催した。来年はこの大会に国土交通大臣杯の「冠」がつく。村田は「夢と希望を与え続けたい」と話した。
普通にこれはもう「すげぇ」の3文字で終わる内容だろ。しかし最初からこの様な練習の虫ではなかった訳なんだな。人に歴史あり。
「プロ野球選手を志したのは小学5年のとき、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に
鳥肌が立つ程興奮し、それ以来プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったと言う。」「プロ入り当時は、ドラフト1位で入団した契約金を持て余し、パチンコや
麻雀など遊びに明け暮れていた。そんなある日、徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロードワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせに
なる。村田は、球界を代表するベテラン投手である小山が、若手である自分よりも遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、そのまま逃げるように
自分の部屋に帰っていった。その後、練習中に小山に謝りに行ったところ「お前ほどの才能がありながら、それを無駄にするのはさびしくないか」と諭され、
これに感激した村田は、以降練習に真剣に打ち込むようになったという。」「肘を故障しボールが投げられなくなっていた時期は、様々な治療法に取り組む傍ら、
宮本武蔵の「五輪書」を愛読し、和歌山県白浜町のお水場・十九渕で座禅を組み、深夜白衣を纏い滝に打たれるといった荒行も行っていた。」
と言う事で。やはり「努力あり」と言う内容には「そこに至るまでの歴史がある」と言う事か。スピード自体は正直どうでもいい。むしろその態度の方が重要。