2009年01月02日(金)お前ら自重

お前ら信じられないかもしれねぇけど昔は旭化成強かったんだぜ?「また旭化成かよ。もはや旭化成の優勝は指定席状態だな!」みたいな事も言われてたんだぜ?
今の若い子には信じて貰えないんだぜ?(笑)と言う事で。今年は旭化成優勝なるか!?と思われていただけに最後は惜しかったな。旭化成の復活…なのか?(笑)

[ 富士通が9年ぶり2度目の優勝!全日本実業団駅伝 ] 元日恒例の全日本実業団対抗駅伝(群馬県庁前発着=7区間100キロ)が行われ、富士通が4時間
51分55秒でゴール、9年ぶり2度目の優勝を果たした。2位には日清食品グループ、3位には旭化成が入った。前回覇者のコニカミノルタは4位に終わった。
レースは5−6区以外は区間ごとにトップチームが入れ替わる大混戦だった。1区は旭化成、2区は日清食品、3区ホンダ、4区小森コーポレーション、5区富士通、
6区富士通、7区旭化成とそれぞれ2位以下とは僅差でタスキリレーを行い、最終7区で旭化成、日清食品グループ、富士通の3チームでアンカー勝負に。3チームの
並走が続いた最終7区のゴール手前、デッドヒートとなった3人の中で富士通のアンカー・松下が後方から差し切り、大接戦を制して優勝のゴールテープを切った。
史上まれにみる三つどもえの激戦はゴールまで残り50メートルのラストスパートで勝負がついた。富士通のアンカー、松下は9年ぶりの優勝テープを切ると、
一目散に福嶋監督の胸に飛び込んだ。2位に1秒差の劇的な幕切れに「我慢をテーマに練習した成果が実った。役割を果たせて最高にうれしい」と感激に浸った。
2004年春に就任した福嶋監督が「ワンチャンスある」とひそかに思い描いた通りの展開だった。今回から外国選手の起用が最短の2区に限定され「3−5区で
日本選手の力量差が勝負を分ける」と踏んだ。最長の4区でマラソン前日本記録保持者のエース藤田が首位戦線に浮上。7区は経験を買われたアンカーの松下が
強い向かい風の中、旭化成と日清食品グループを「風よけに使いながら戦略を立てた」という狙い通りの逆転劇だった。昨春から藤田が練習拠点を母校の駒大から
チームの千葉に戻し、大黒柱の背中を追う後輩が切磋琢磨(せっさたくま)して戦力が底上げされてきたという。初優勝した9年前にアンカーを務めた32歳の
藤田は「あの時代の強さを知るのは僕だけ。まだ優勝は早いと思っていたけれど。完成型はこれから。もっと強くなる」と納得の笑みを浮かべた。(2009.1.1 14:03)

[ 日清食品、ラスト勝負で敗れる ] アンカーのラスト勝負に敗れ、1秒差の2位で初優勝を逃した日清食品グループの白水監督は「(7区の大西雄三に)
徹底して後ろにつけ!と指示したが、先に出てしまった。人の良さが出た」と落胆を隠せなかった。3位で10年ぶりの優勝に届かなかった旭化成の宗監督も
「勝てるレースを逃した。風が強いのに(アンカーの足立知弥が)前に出て頑張ってしまった」と悔しそう。それでも「2区の外国人区間がなければ
独走で勝っている」と古豪復活への手応えも感じたようだ。(2009.1.1 18:26)

[ コニカミノルタ連覇ならず ] 連覇を狙ったコニカミノルタはエース松宮隆を最長4区で起用できなかったのが誤算。酒井監督は「体調不良で1区に回したが、
2区で(2位から7位に)後退して難しい展開になってしまった」と話した。6区で坪田主将が区間賞の力走で4位まで押し上げたが、最後の優勝争いに届かず、
同監督は「松宮隆に並ぶ選手を早く育て、底上げを図らないと今後も優勝は難しい」と厳しい表情だった。(2009.1.1 18:22)

[ 中国電力、目標にも届かず ] 7位に終わった中国電力の坂口監督は目標の6位以内にも届かず「一つの時代が終わったと思う」と振り返った。最近5年で
優勝2度、2位3度と安定感を誇ってきたが、北京五輪マラソン代表の尾方が体調不良で補欠に回り、復調した佐藤も3区で終盤に息切れして区間5位。
6区では油谷が区間23位の大不振で、坂口監督は「若手の力を伸ばし、再び上を目指したい」と話した。(2009.1.1 18:26)

2009年01月02日(金)06時11分23秒