2009年01月02日(金)doll's clockwise

箱根駅伝?所詮はローカル重賞レベル。勿論選手の頑張りに対しては拍手を送っている。問題なのは選手を取り囲むメディアの崩壊、腐敗とそしてそれにまんまと
誘導されて洗脳されている愚劣な国民ども。そう言った所を問題にしていると言う事で問題の「対象」を間違えては全く意味がないと言う事を省みておく今日の俺。

それにしても。1選手が20キロ近くをどの区間でも走り続けると言う事で選手に対しての負担と言う物が大きすぎるな。としか思えない訳だが。基本的には
もっとバリエーションに富んだ距離の設定が欲しくなる所。10キロ。あるいは5キロ。5キロはさすがに短いか?いずれにしても距離の豊富さが欲しくなる所。
これで故障して伸び悩んで素質ある選手が陸上を続ける事を断念せざるを得なくなる。そう言った事情にはなるべくならばなって欲しくは無いと考える訳で。

そう言えば。ニューイヤー駅伝が終わった後での中国電力の佐藤。嫌な顔をひとつせずに写真だの握手だのサインだのと言ったお願いに応えていた。
走り終わってから3時間程度。疲労がどの程度残っているのか想像がつかない俺。俺は走っていないからな。まだ疲労は残っているだろうに…。と思った。

俺はあくまでも「選手は走っている最中が選手。走り終われば顔は有名だけど存在としては一般人な訳だからそんな行為に関しては疲れていると言う事も考慮して
お願いしたくなる気持ちも分からなくは無いが俺は自重しておく事にしている」と言う立場の人間なんで。お願いをする人間を軽蔑したりはしない。
人それぞれの考え方がある。それを妨害するつもりはない。節度さえもってくれれば後はどうでも良かったりする。それにしても最後の1キロでバテてしまったな。

それはもう仕方がない。次に繋ぐ4区の選手がルーキーの伊達。その伊達に先輩として負担を掛けさせる訳にはいかない、1分でも1秒でも速く走って
次のランナーに襷を繋げたい。と言う気持ちがあったと言う事はもはや明白と。ホント、最後の1キロでバテてしまったな。映像を見ていて俺は地元の人間で
当然そこの周辺も脳味噌の中にはスキーマとしての記憶が存在しているから「あー。JAのオンボロ建物の近くでバテてしまったのか」とか言う風に分かる訳で。
最初は「カラオケ店の所か?」と思ったがそこよりも少し手前の位置でバテている。地元の人間だったらコースを見て「どこどこで息を入れてどこどこでスパート」
と言うのが皮膚感覚として分かる訳だが地元の人間ではない人にとってはそんなスキーマなど存在している訳がない。公田町から伊勢崎市役所までのコースか。

「アンパンマンだとかの人形を使って火事の危険性を教えている極々一部で話題となった例のあの消防署の辺りで軽くペースを上げてデニーズの辺りで下げて
その後は狭い道が続いてしまうのでペースは平均ペースで流してややこぶ状になっている道を登って右手にセブンイレブンが見えてきた所の下りを利用して
少し飛ばして左へ曲がってゲーセンのプラトンが見える辺りまでは惰性で流してその後少し登って少し下ってホンダの新しいカーディーラーが見えてきた所で
軽く仕掛けて後は一本道で幅広い道なのでそのペースで淡々と走ってカラオケ店が見えてきた所で更にスパートを掛けて陸橋を登って一気に下って市役所まで行く」

と言う様な感じで地元の人間だからこそ描ける仕掛け所のポイント。みたいなスキーマが当然中国電力の佐藤には存在していない訳だ。気持ちが先走って
早い入りで飛ばして行ったら最後まで持たなくなるのは当たり前。それでもなんだかんだ言って良く差を詰めたとは思っているんだけどな。また来年に期待する。

そしてその次の4区の伊達。さすがに最後は顔つきが変わってしまったな。まるで「ママに怒られたー!うわーんもう塾なんか辞めてやるー!」と言わんばかりの
そんな小学生みたいな顔つきになってしまっていたな。とまむさんその比喩は逆に分かりにくいと思いますよ。1年目で慣れない群馬のコースでこれだけ走れれば
十分だとは思う訳だが。何回も走った事のあるベテランと比較すれば当然コースを知らない訳だから(下見をしたとは言え)仕方がない面もあるだろうよ。

いずれにしてもどのチームにも言える事ではあるんだが「誰か1人がブレーキになってしまうとチーム全体の順位が低迷してしまう事が駅伝の怖さ」
と言う事で。個々の選手たちは優れた能力を持っていると言う事も知ってはいるんだが人間は機械ではなく生き物なので「体調」に左右されてしまう訳で。
その辺りのマイナス的な働きをしてしまった選手が居ない事。が駅伝で勝つ為の条件なんだろうな。と言う風に改めて感じた今回のニューイヤー駅伝。

2009年01月02日(金)21時17分30秒