2009年01月14日(水)物申す(笑)

[ 浜ちゃん JRA賞非公開投票に物申す ] 6日に発表されたJRA賞で08年の年度代表馬にウオッカが選出された。毎年、大きな議論を呼ぶ年度代表馬だが、
今年は順当な結果だと思う。春に安田記念、秋に天皇賞といずれも牡馬を撃破してのタイトル獲得。特に天皇賞でのダイワスカーレットとの2センチ差の死闘は
記憶に残る名勝負。ファンに与えたインパクトという点でも文句なしの選出だ。記者も1票を投じさせてもらった。一方で、宿命のライバルとも言える
ダイワスカーレットは無冠。特別賞に推挙する声も多かったが、選考委員の4分の3の賛成を得られず受賞に至らなかったのは残念だ。あえて私見を述べるが、
記者は現役最強馬はダイワスカーレットだと思っている。天皇賞・秋も有馬記念も、その信念を持って◎を打った。天皇賞は休み明けでの激走。有馬記念は
「相手が弱かった」との声もあるが、勝負どころでスカーレットを捕まえにいった強豪がことごとく馬群に沈む流れで楽々と逃げ切っており、1頭だけ次元の違う
競馬をしていたと思う。牝馬による37年ぶりの有馬記念制覇は快挙。前回、71年にトウメイが優勝した際は感冒騒動で6頭立てだったことを考えても、その価値が
落ちることはないと考える。だが、わずか2センチ差でも負けは負け。優勝劣敗の世界において、勝つことほど重要なことはない。いくらスカーレットが「負けて強し」
と主張しても、直接対決で勝ったのは紛れもなくウオッカ。年度代表馬選出は妥当だ。だが、スカーレットも年度代表馬に値する走りを見せた。特別賞は当然と
思えたが…。JRA賞には後世のファンに記録と記憶を残すという役割があると思う。そもそも特別賞が必要かという疑問もある。繰り返しになるが競馬は優勝劣敗。
単勝を買っていれば、その馬がハナ差の2着だろうが大差の最下位だろうが一緒だ。表彰されるのは1頭でいい。それでも特別賞という制度を存続させる、と
いうのならダイワスカーレットは選出されるべきであったと思う。個人個人の投票内容については、それぞれの考えがあって当然なので意見を述べる気はない。
ただ、投票内容公開が前提の投票(結果はJRAホームページ上で公表)で、毎年必ず非公開の投票が発生するのはどうだろう。身銭を切っているファンに投票権が
ない以上、1票にはより重みがある。何らかの事情で公開できないのであれば、投票は棄権するべきではないか。(スポニチ 2009年01月14日 08:00)

[ JRA賞の記者投票について ] 12月28日が有馬記念で新年の競馬が1月4日からスタートするという過去に記憶にない慌しい年末年始となったため、ゆく年を
惜しむ間もなければくる年を迎える心の準備もできないまま時間に追われて気がつけば1月中旬になっていた。先週にこの原稿を更新しなかったのはそういった
日程の都合と職務上の何件かの問題を抱えていたからなのだが、そんな退屈なことをくどくど説明するのもあまり意味のないことなのでここでは省略するとして、
今年もこのコラムでは例によって気の向くままに好き勝手なことを書かせてもらうつもりでいる。物好きでなおかつ時間に余裕のある方がいらっしゃれば気楽に
お付き合いいただきたい。さて、週刊競馬ブックの一筆啓上でも取り上げたが、1月6日にJRAから発表された2008年の年度代表馬と部門別最優秀馬について
感じたことを書いてみたい。まずは年度代表馬部門。年間を通してコンスタントに出走してG1を2勝したウオッカか、それとも年間僅か3走でG1は1勝ながら
すべてのレースで極めて高いレベルの走りを見せたダイワスカーレットかで評価が分かれた。勝利度数と競馬に対する貢献度という意味ではウオッカが上位であり、
示した能力の高さという意味ではダイワスカーレットが優っていた。どの部分に重きを置くかが票の分かれ道となった。角居勝彦調教師とは交流がないが、
松田国英調教師とは彼が調教助手の頃から付き合いがある私。投票に際しては“李下に冠を正さず”の精神を貫こうと考えていたが、一度だけの直接対決で
勝っていることを大きなポイントと捉えてウオッカに一票を投じた。最優秀4歳以上牡馬の部門ではジャパンCを制したスクリーンヒーローが圧倒的な票を集めて
選出されたが、私が投票したのはカネヒキリ。JCダートと東京大賞典の2勝はスクリーンヒーローを凌ぐ成績であり、私自身はこの馬が最優秀馬に選出される
ものと考えていた。投票結果について考えてみると、古い世代には旧態依然としてダート競馬軽視の風潮があるのか、それとも東京大賞典の結果が出る前、つまり
JRAの全日程が終了した段階で無責任に投票を済ませてしまったのか、はたまたこの馬が4歳以上牡馬の部門に該当することに気付かなかったのか。いずれにしても
この結果については納得できなかった。他にもJRA賞そのものの意味を理解していないのではないかと思われる記者投票が散見されたのは残念である。
「最高裁判所裁判官国民審査のように、ファンによる信任投票のようなものがあれば、理解しかねる票を投じた記者を排除できるのにと真剣に考えてしまいます」
これは1月12日発行の週刊競馬ブック『ファンのページ』に掲載された投稿の抜粋だが、毎年、JRA賞が発表された直後には同じような手紙やメールが次々と
編集部に届いており、その気持ちはよく判る。有馬記念や宝塚記念ならひとりのファンに戻って好きな馬の名前を書いて投票すればいい。しかし、JRA賞は毎年
繰り広げられる馬たちの過酷な戦いを可能な限り正確に記録してその結果として選ばれた代表馬を後世に伝えるという重責を担っている。繁殖に上がった牝馬が
有力種牡馬との交配を求めるとして、種付け希望頭数が予定を超えた場合には血統、現役時代の成績、JRA賞受賞経験の有無などをもとに篩にかけられるのが
一般的。つまり、投票結果は競走馬の引退後の生活をも左右することになるのであり、そこに個人の好き嫌いや趣味が介入すべきではない。「これが無難だろうから」
とただ漫然と馬名を書き込んだり「昔に比べると魅力を感じる馬が少なくなって困る」とボヤきながら“該当馬なし”を選択しているような見識のない記者や
競馬に対する熱意が薄れている記者はすみやかに投票資格を返上すべきではないだろうか。(村上和巳 編集員通信 01/14 16:12)

2009年01月14日(水)21時01分08秒