2009年01月16日(金)トータル的な計算が必要になる。

個性派G1ホースが今週を最後にターフを去る。05年に阪神JFを制したテイエムプリキュアだ。「(2歳で)G1を勝って、いい思い出もあるが、その後が長かった。山あり
谷ありだね」そう振り返るのはベテランの阿部敏晴助手(58)だ。山あり谷ありとなった最大の要因はプリキュアの頑固な性格にあった。「自分がその気にならないと
絶対に動かない」(阿部助手)診療所でSSP治療を受けようとした時のこと。普段は大人しいプリキュアが暴れ回って最後まで診察させなかった。阿部助手にとって
忘れられないシーン。それがレースでも出た。自分の型に持ち込めないと自分でレースをやめた。2歳時に3連勝で頂点に立ったが、3、4歳時は14戦して二桁着順が
半分の7回。「2、3歳時は他馬を怖がったり、精神面に問題があった。以前担当していたアラホウトクやタイヨウコトブキと比べ、競走馬として完成する前の早い時期に
G1を勝って周囲の期待が高くなり、かわいそうな面もあった。でも、走る気さえ出せればいつでも一発はあると思っていた」阿部助手は歯がゆい思いを胸にしまい込み、
いろいろと試した。ブリンカーを着け、結果が出ないと外した。追い切りコースをDWから坂路にも変えた。レースでもダートを使い、位置取りを変え距離も変えた。
なかなか結果が出なくとも、ひたすらプリキュアが“その気になる”舞台を模索し続けた。それだけに早めスパートから3着に粘った昨年の日経新春杯は嬉しかった。
「あれで今までの距離が忙しかったことがはっきりした。やっと、この馬に合うレースを見つけられた思いだった」勝つことはできなかったが、この道40年のベテランが
迷い苦しみ続けた末に得た結果だった。引退レースが、昨年きっかけをつかんだ日経新春杯なのも何かの因縁か。昨年よりも1キロ軽い49キロ。最後の晴れ舞台にして
最高の設定だ。「状態はいいし、昨年のようなレースができれば」阿部助手がプリキュアとともに試行錯誤を繰り返した3年5ヶ月の集大成まであと2日だ。

どこからツッコミ入れればいいのかわかんねぇ記事だな。「短距離は試してない」「成績が圧倒的に下位のチンカス五十嵐厩舎が何を偉そうに」
「忙しいなんて言うのは存在しない。じゃあどうして新馬は短距離で勝てたんだ?」と言う様な感じでツッコミ所が満載過ぎる。ダメだこりゃ。こんなダメな展開。
だから今まで散々負け続ける様な展開だった訳か。やはり「どこの厩舎に入れられるのか」は本当に重要だな。競走馬はその成績を以て評価される。それも含める。

2009年01月16日(金)21時20分03秒