2009年01月27日(火)こう言う情報が届いてきた。

[ 故手島慶介選手への献花台設置 ] 故手島慶介選手のご冥福をお祈りいたします。去る1月25日に逝去されました、故手島慶介選手への献花台を
1月31日より設置いたします。(グリーンドーム・館林場外)記帳も受け付ける予定です。(前橋競輪掲示板:管理者 2009/01/27 11:37)

公式なプレスリリースと言う訳ではなく公式サイト内にある掲示板への書き込み内容ではあるがこう言う予定が発表された。おそらく本当だろうな。
だとしたら前橋のF2開催の3日間に関しては「まず設置される」と言う事で考えていいだろ。その後は撤去されるだろうな。1月31日から2月2日までか。
…とまむさんが用事や予定的な意味で行けるとすれば2月1日になる。と言う事で「行くとしたら2月1日」と言う事で今の所はそう言う予定になっている。

…ネットと言う物は便利な物で、マスゴミはただ単に朝の情報番組(笑)の中で新聞記事を引用して「死にました」的な報道しかしていなかった訳だがネットで
ちょこっと調べてしまえば「先月にうどん屋に行って喰ってきました的な話の内容が書かれたブログ」「練習風景を紹介したVTR(午前は山登り、午後はドーム)」
「奥さんと娘さんと息子さんを思うパパとしての光景」そう言った物も普通にアップされている訳で。こっちの方が情報の質も量も上だな。これが現実か。

そんな付帯的な事もかいま見えて来る。やはり情報弱者と言うのは最初から弱者と言う訳ではなく弱者に自らなっている。と言う事な訳か。殻を破れるかどうか。
それが重要なのか。それがよく分かった。いずれにしても練習風景は胸を打ったよ。場所的には「前橋の北の北」辺りの山道か?地元民にしか分からない話だけど
前橋の北側には峰公園と言う墓地がある。大規模な墓地。お彼岸やお墓参りのシーズンともなるとそれなりに峰公園へと向かう車の量が増えていく。
前橋の南側が割と平地なのに対して途中から山道(と言うと語弊があるか。とにかく上り坂が続いている)をうねうねと曲がって行く車の量が増えていく。

それ程長い時間山道でのVTRが流れたと言う訳では無いので判断しづらいのだが「午後はドーム」と言う事は移動時間的に逆算すれば午前中はあまり移動出来ない。
と言う訳で「午後はドーム、と言う事は午後のドームの練習が始まる前までに移動が完了していてなおかつ午前中にも十分な練習の出来る場所」となると
やはり「前橋市内」と考えるのが妥当な所であって「前橋市内の中でのあれほどの山道」と言うとまず思い浮かぶのはそこしか無いな…と俺は考える訳ですが。

いずれにしても「群馬県出身のS級S班」と言う事で大変惜しい人を亡くしてしまいました。と言うのが俺の感想。…先に不慮の事故で亡くなってしまった
内田慶選手と共に天国の競輪場で北関東ラインを組んで走り続けて下さい。としか言い様が無い。25日の「何時」なのかは分からないがおそらく
25日は競輪祭の最終日だった訳だから「決勝が終わった後」だろうな、と思わず考えてしまう。汚さない様に、と言う配慮があってもいいだろう?と言う事で。

[ 競輪トップ選手手島さんが死亡、自殺か ] 競輪トップレーサーの手島慶介選手(33=群馬)が25日に急死していた。高崎市にある自宅での自殺とみられるが、
詳しい死因、場所などは不明。遺書は見つかっていない。同選手は06、07年と2年連続して、年間ベスト9が激突する年末のKEIRINグランプリ(GP)に出場している
競輪界に18人しかいないS級S班の選手。昨年もGP前日に行われた新設G1「SSカップみのり」を優勝したばかり。今年に入ってからは連続してレースを欠場していた。
手島選手が変わり果てた姿で発見されたのは25日の夜だった。地元の消防署は「1人の男性が搬送された」と証言。外傷はなかったもようで、自殺の可能性が高い。
周辺の取材では、最近は体調がすぐれず、精神安定剤を服用していたという。うつ気味だったとの証言もある。弟で競輪選手の志誠(ゆきのり)さん(30)は
「詳しいことは分からない。自ら命を絶ったとは信じたくない」と絶句。また、手島選手が経営するうどん&和食店「葵屋」に隣接する建具店のオーナーも「1週間ぐらい
前には、半そで、短パンで自転車に乗って来て、頑張っているなあ、と思ったばかり」と首をひねった。突然の訃報(ふほう)に驚いた師匠や練習仲間ら7人が26日夜、
遺体がある高崎市内の自宅を弔問した。約8年間、手島選手を慕ってきた矢口啓一郎(28)は遺体に対面し、「まるで眠っているようでした。今すぐに『練習しよう』と
言われそうでした。実感がわいてきません」とその死を受け止めきれない様子だった。最後に会ったのは昨年12月。「言われてみれば元気がなかったかも
知れませんが、まさかこんなことになるとは」とショックを隠しきれなかった。元選手で師匠の高橋祥一さん(54)は「まだまだこれからの選手だった。練習仲間の
選手たちも、手島がいたからこそ強くなった。後輩たちのお手本になるいい先輩でした」と惜しんだ。とし子夫人は、落胆で話ができない状況。選手たちは遺族と
思い出話などを交わしたが、死に至る経緯や死因などについて「とても聞くことはできなかった」というほどの強い悲しみを感じたという。同選手はGPに2年連続して
出場するなど、競輪界のトップレーサーで、昨年も賞金8744万7200円を獲得し、最終的なランキングは6位だった。全体で3556人いる選手の中で、上位18人
だけに与えられるS級S班に、昨年、今年と2年連続して在籍。95年デビューの15年目で、選手として脂が乗りきっていた。これまでにG1を1回優勝、G2を2回
優勝しており、3年前のGPでは準優勝。変幻自在なレースぶりが持ち味で「何をしてくるか分からない」と、五輪メダリストの伏見俊昭、井上昌己、永井清史ら
トップレーサーに恐れられる存在。頭をきれいにそり上げた風ぼうとも相まって、特に穴党ファンには、絶大な人気があった。多少の骨折程度なら、格下のレースでも
あっせんを断らず、必ず出走するファイターだったが、今年に入ってからは、名古屋(F1)小倉競輪祭(G1)と欠場が続いていた。手島選手はトップ選手としては珍しく、
事業も手広く展開。アパートを経営し、昨年10月22日には高崎市内に「葵屋」をオープンしたばかりだった。夫人らが運営していたが、練習の合間には自らもうどんを
打つこともあり、来店者には「おいしく、安い」と好評で、同選手も「忙しくて嫁さんがかわいそうなぐらい」と話していた。(日刊スポーツ 2009年1月27日9時54分)

2009年01月27日(火)16時13分24秒