[ 御冥福を祈ります… ] ビックリ!?しました…『群馬・手島慶介』選手が亡くなったと訃報が昨夜自分の耳に…『えっ!?本当に…絶対ウソだ!!』
と言うのが第一声でした…彼とは1年前に慎太郎とデンマーク遠征した仲だったし、今年のKEIRINカレンダーの9月に一緒に載ってて『先輩、一緒っすね♪
よろしくお願いしま〜す!』なんて言葉を交わしてました…年下だが競輪に対する『走り』・『考え』・『戦法』を目標としていた選手の1人でした…
岐阜記念競輪の時が自分は最後と…この場をおかりして、彼の御冥福を祈ります…(岡部芳幸 2009/01/27 19:59:16)
[ 手島選手… ] 昨日の午後電話が鳴り 25日の夜に手島選手が亡くなったという事を聞きました。実はその時も亡くなった事は信じたくはなかった…
しかし色々な人から電話が鳴り 色々な事を聞くうちに自分の気持ちの中にも 手島は死んだんだ! という事実を受け入れるようになって来た。
期も近かった事も有りデビューからSS班まで同じような道を歩んで来たので、仲は良かった方でした。その中でも僕が一番印象に残っているのは
玉野記念の最終日の事…僕は第10レース・彼は第11レース決勝に乗った開催の時でした。僕と手島は同じ飛行機だったため、競輪場から空港まで
同じタクシーで向かう事に、その時でした…手島君は出待ちをしているファンに頼まれてサインを書いている。僕はその間に手島の荷物と僕の荷物を持って
タクシーに乗り込んでいたのです。手島君がタクシーに乗り込みいざ空港へと言う時でした。一人のファン?がタクシーの前に仁王立ち!タクシーを止めた、
その人は大きな声で何かを言っているのだが!何を言っているか?判らない…タクシーが止まりその人が車の助手席に乗って来た!その人は興奮状態で
「小嶋!そのサングラスをくれ!」と大きな声で言っているのだ!ちなみにサングラスはクロムハーツの物でかなり高かった事はだけは覚えている
僕は「無理です!」と答えました。男は「何でも良いから!くれ!」と声を荒げた、僕はセカンドバックの中に財布と携帯・手帳・iPodという軽装だった為
男に「上げる物は有りませんし、上げる理由も有りませんので車から降りてください。」というとまた怒りだし始めた男は運転手をたたき「今度はお前を殴るぞ!」
と脅し始めた時でした 手島選手が「先輩を殴るなら!僕を殴ってください!」と言ったでした。男は「オメーじゃ!ねーんだ」と言いあいながらも男は
手島選手の説得で車から降り その場を去りました。そんな手島選手が死ぬなんて信じられません。でも今はそんな男らしい手島選手のご冥福をお祈りします
手島選手 天国から競輪の発展を見守っていてください!本当に今までありがとう手島慶介!(小嶋敬二 1月27日)
[ タイトルなし ] 競輪祭は完璧にオーバーワークでした…練習での感じは間違いなく抜群だったので、自分でも期待して参加しました。ところが…初日から自転車が
全く進まず、4日間ぶざまなレースが続いてしまいました。競輪は俺だけの勝った負けたの問題ではなく、期待してファンに車券を買って頂いているから責任を感じて
います。追い討ちをかけるように最終日ゴール後に他の選手に突っ込まれて落車、肋骨三本、肺挫傷、プレートの入っている鎖骨側から落ちたので周辺の組織が半端
じゃなく痛い…当分ダメだなこりゃ…あと皆さんも新聞でご存知だと思いますが、弟の様に可愛いがっていた手島慶介が… バカヤロー(後閑信一 01/27 11:50)
突然のことで、まだ信じられない。最後まで諦めず、貪欲に勝利を追い求める(俺の現役時代の信条にも通じる)タイプの選手で、多くのファンに支持されてきた。
これまで自分が彼に接してきた限り、こんなことになるとは想像も出来なかった。一体何が彼をこういう道に進ませてしまったのか。これからも沢山のファンを
唸らせる好走をしてくれるはずの選手だっただけに、ただ、ただ、残念だ。そして悔しい思いで一杯だ。(評論家・中野浩一)
サイト、もしくはブログを持っている選手の日記からもこうやって「悲痛な声」が伝わって来る訳で。こう言う事は本来サルベージするべきではないのだろうが
「それだけ愛された選手」と言う事であえてサルベージしておく事にする。確かに戦法としては時々強引な方法も見られたし好き嫌いと言う意味では
これ程までにハッキリと別れる選手と言うのも正直珍しいと思う。しかし「勝つ為にやっている」と言う背骨に関してはしっかりとした考え方を見せていた。
その考え方を行動に現してしまうが故にどうしても軋轢や誤解を生んでしまったと言うのもまた事実。しかし俺は「気持ちは分かる」と言う事で
勿論俺も「それはどうよ?」と思いつつも一定の理解もしていた訳で。そう言う訳で「同じ競輪選手からもこうやって続々と悲痛な声が届いている」と言う事で。