2009年01月28日(水)鉛の言葉

[ 急死・手島選手 弟は「事故だと思っている」 ] 競輪S級S班で活躍し、25日に33歳で死去した手島慶介氏の通夜が27日、群馬・高崎市の日典ラサ中山で
営まれ、選手ら約500人が弔問に訪れた。深い悲しみに包まれる中、弟で競輪選手の志誠(ゆきのり)さん(30)は「(周りから自殺と言われるが)お金が
原因ではない。競輪のプレッシャーがあまりにも重くのしかかったんだと思う。昨年暮れのグランプリでは(出場の)ボーダーライン上にいて、夜も眠れず
睡眠薬を飲んでいた」と沈痛な表情で説明。「僕の中では事故だと思っている。普段から見た目はいいかげんだが、実はとても寂しがり屋だった」と語った。
とし子夫人が号泣する中、参列した平原康多、伏見俊昭、武田豊樹ら選手仲間もやりきれない表情で早すぎる死を惜しんだ。受付の傍らには愛用の自転車や
ヘルメット、夫人と3人の子供との家族旅行の写真が飾られ、参列者の涙を誘った。葬儀・告別式は28日正午から同所で営まれる。(スポニチ 2009年01月28日)

とまむさんこの件については結構な頻度で最近は扱っておりますけどとまむさんはぶっちゃけそんなに沢山競輪の話題なんてしていないじゃないですか?
とか思われそうだな。それは否定しない。では何故この話題を扱うのか。答えは簡単で「群馬県、つまりグリーンドーム前橋をホームバンクとしている選手。
その定義の選手、簡単に言えば群馬県の選手。その中で唯一のS級S班。つまりJKAの決めたランキングで言えば群馬県で最も強い競輪選手が亡くなった」から。

簡単に書けば「これは競輪の話題でもあり群馬県の話題でもある」と言う事になる。地元の話題として取り上げ始めた。と言うのが正直な所。
しかしそれでもやはり「人が亡くなった」と言うのはただただ悲しい事だな。としか思えない訳なんだが。そう言う訳で「大変惜しい人を亡くしてしまった」
と言うのが俺の今の心境。競輪を齧っている人に「群馬県の選手と言えば?」と訊ねて回ったら手島の名前は相当な勢いで出てくるだろうに…。

出身地が近い地域の選手同士でラインを組んで走る。それが競輪の基本的な戦法。なので地域性と言う物が割と競輪界では重要視される。その背景もある。

…そして。「事故だと思っている」と言うこのセリフ。近くで見てきた人間だからこそ言えるセリフだな。とか思った。死因がハッキリしていないので
これはあくまても俺による架空の内容なんだが「プレッシャーに押しつぶされそうになっていた」「SSカップみのりを勝ってこれで晴れてGI選手になった」
「GI選手になった事でその金看板が益々プレッシャーを与える道具となってしまった」「まともな状態じゃないまま2009年を迎え、生真面目な性格なので
こんな状態ではレースには出られない、こんな状態で走っても満足の行く走りは出来ない。車券を買ってくれるお客さんに申し訳ない。GI選手としても注目される」

と言う風に考えて「あえて休場を選択した」と言う事でこれは相当な決断だっただろうな。そして少しずつ体調を回復させて、自分が納得の行くまでに
回復したらレースに出よう。と考えていた。しかしプレッシャーは引き続き襲ってきていた訳で睡眠薬を飲まないと眠れない様な状態は変わらずだった。

…そしてある日。睡眠薬を飲んで眠りについたはいいがその睡眠薬の副作用か何かで体に異変が起きてそのまま帰らぬ人となってしまった…。

と言う様なストーリーを個人的には考えている訳だが。自殺とは言い切れないし他殺でもない。死因がハッキリしないのは「具体的な定義が出来ないから」
と判断した訳なんだが?もしも仮に俺の空想が合っていれば、の話になる訳なんだが。少なくとも「自分が大切にしている奥さんや子供たちを残して死ぬ」
なんて言う事を手島がするとは到底思えない。なので「残した」のではなく「残してしまった」と見るのが正解なのではないか?と言う風に俺は判断している。

少なくとも「生真面目でレースではいつも全力を出して勝ちに行こうとしていた手島」が「体調も優れないのに無理して出たって意味がない」と考えて
苦渋の決断で「レースを休んだ」と言う風に考えるのは筋が通っている話になっていると俺は考える訳だが。骨折程度だったら出走していただろうな。
しかし「精神面で弱っている状態ではいざと言う時に踏み込めない、状況判断が甘くなる。そして何より気力で勝負する手島に取っては不利にしかならない」
と言う事で「苦渋の決断でレースを休んだ」と見れば生真面目な手島らしい考えがあったのでは?と言う事になってどこにも矛盾は生じなくなっていく。

俺はそう言う風に今は考えている。…しかし。いずれにしても「亡くなってしまった」と言う現実は変わらない訳で。「全日本選抜の時にJKAが作成した動画」
そんな動画の中で「グランプリに出場出来るかどうかが賞金額で微妙なボーダーライン上に立っている選手の今の心境は?」みたいな動画で手島がインタビューに
応えていた内容もあった訳で。確かに「プレッシャーを感じていただろうな」と言う事は今になって思えば分かりやすすぎるぐらいに分かりやすい内容だったな。

…それにしても。「選手ら約500人が弔問に訪れた」と言う事でどちらかと言えばヒール的な役回りになってしまっていた訳なんだがそうなっているのも全て
「勝つ為にやっている事」だから気持ちは分かると俺は書いた訳だがその辺りの気持ちを酌んでいる人がこんなにも沢山悲しんでくれていると言うのはそれだけ
生きていた時。生前には慕われていた選手だったと言う事でその多さに驚くと共にやはりどうしても「なんでこんなに早く…」と言う気持ちへと繋がって行く訳で。

…もしかしたら「多少性格的にちゃらんぽらんな方がいいのかもな」と思ってしまう俺が居る。手を抜かない。何事にも全力で立ち向かう。それは美徳。
しかし自分を追い詰めてしまってはどうしようもないよな。とも思ってしまった。何が正解で何が不正解なのか。その辺りの答えは人それぞれだと俺は考える。

いずれにしても「悲しんでももう帰って来ない」事は知っている。なので「悲しんでも意味はない」と言う事は分かっている。しかし「今だけは悲しませてくれ」
と言うのが周囲の心境に他ならないことは言うまでもない。そして改めて「これだけの人が弔問に訪れてくれた」「迷惑になるだろうと自重した人たちも含めれば
その人数はもっと増えている」事は明白な訳で。慕われていたな。ある意味すっげぇ人生だったんだな。こんなにすっげぇ人生を送れる事は滅多にない訳だが。

そして。残されたご家族やあるいは生前親しかった友人等々と言った方々には酷な言葉かもしれないが「気をしっかり持って下さい」と俺は伝えたい。
そう言われてはい分かりましたそうしますなんて簡単な話でない事は俺もよく分かっている。しかしいずれは乗り越えなければいけない内容だから…。
と言う事であえてそう言った言葉を投げかけておく。と言うのが俺の意識の中にある。改めて、最後になったがもう1度「手島慶介選手のご冥福をお祈り致します」で。

2009年01月28日(水)06時23分49秒