2009年03月06日(金)こう言う記事を待っていた

[ コスプレの陰に日拳スタイルあり 長島☆自演乙☆雄一郎、初めてテクニックを語る。 ] 美少女アニメキャラのコスプレで話題となり、キック無敗のまま
2・23 K-1MAX日本代表決定トーナメントへの出場まで決まってしまった“アニヲタ戦士”長島☆自演乙☆雄一郎。キャラが目立ちすぎて実力については疑問視する
声もあるが、その突進力、攻撃力は独特のものがある。彼のテクニックの根源はどこにあるのか?今回はキャラは置いといて、テクニックの話だけを語ってもらった!
この取材を申し込むと、「技術のことはあんまりしゃべりたくないんですけどねぇ?」と言いつつ、何とかOKしてくれた長島☆自演乙☆雄一郎。キャラクター上、
あまり格闘技の話題は出したくないという意識があるのか、それとも“秘密”を明かしたくないのか……。本題に入る前に、彼の格闘技歴を簡単におさらいしてみよう。
中・高までは柔道と空手を経験し、実は高3の時に神戸でプロ柔道「J-DO」の大会に出場したことがあるという(!)。その大会は打撃もありだったために、
急きょ教わったのがたまたま日本拳法(以下、日拳)の先生だった。それで興味を持ち、大学入学とともに日本拳法部に入部。4年生の時には西日本学生大会で
ベスト4、国体で準優勝という成績を残し、卒業してからも近所の大学などで練習は積んでいた。そこから大阪で総合を数戦こなし、07年にキックでプロデビュー。
11連勝を飾ってNJKFスーパーウェルター級の初代王者にも輝いた。その活躍と特異なキャラクターが目に止まり、望んでいたK-1への出場チャンスを掴んだのは
ご存じの通りだ。(続きはFight&Life vol.11で)(取材・文・撮影 高崎計三 Fight&Life 2009年02月25日 18:35)

[ 長島快進撃のもうひとつの秘密 関西“超党”合同練習会に潜入! ] 『K-1WORLDMAX』日本代表決定トーナメントを約1カ月後に控えた1月下旬、
長島☆自演乙☆雄一郎が大阪市西区にある誠至会を訪れた。目的は誠至会で毎月、開催されるという合同練習会に参加するため。聞けば月1回の頻度で、
同所に関西のプロキックボクサーが集結するのだという。ジムに足を踏み入れると長島の言葉通り、200坪もあるスペースが見事にキックボクサーたちで
埋め尽くされていた。その顔ぶれはNJKF、MA、J-NET系―と、まさに超党派。関西キック界の顔ともいうべき寒川慶一に話を聞くと、やはり彼が発起人となる形で
この合同練習会は開催されているようだ。「やるようになって丸1年くらいですね。関西のキックジムが協力しあって、アマチュアからプロ、ランカーから
チャンピオンまで一緒になって練習しています。ヨソのジムの選手にも同じようにアドバイスしますし、自分のジムの隠し技なんかも出し惜しみ無く教えていますね。
僕らは喧嘩ではなく競技としてやっているので、そこは割り切ってやれています。関東に勝つには、小さなことにこだわってもしょうがないので」ちなみに
寒川といえば、DEEPが今年開催するキック部門興行の運営、マッチメイク担当者。詳細はまだ未定ながら、現時点では次のようなプランが挙がっているという。
「5月にZeppOsakaで開催する予定ですね。ある企業を介してネットテレビで配信という案も出ていますし、色々と面白くなりそうです。カードとして今考えているのは、
リアルディールさんの協力をあおいでの関西VS 九州。DEEPキックは、基本的に地区対抗戦が軸になると思います。その後は名古屋、四国、沖縄と、将来的には
K-1に関西だけではなく各地方のいい選手を送り込んでいきたいですね。ちなみにルールはK-1ルールです」派閥を超えた合同練習と、選手のやる気を鼓舞する
興行の存在。関西地区から“第二の長島”が出る日も、そう遠くはないのかもしれない。(取材 松浦俊秀 Fight&Life 2009年02月26日 10:44)

[ 学生時代の秘蔵写真を公開! ] 何しろ、キックでのプロキャリアは1年半に過ぎないが、スパーをこなした数では誰にも負けないと豪語する。K-1参戦に
当たってボクシングジムで練習した様子がレポートされていたが、ことスパーに関しては慣れ親しんだものだったというわけだ。ここまで白星を重ねてきた
“自演スタイル”は、よく言われるような「ただ前に突っ込んでフックをぶんぶん振り回している」だけのものではなく、日拳のパンチと距離感にボクシング
スタイル、キックボクシングをうまくブレンドさせて、状況によって使い分けているもの、というのが正解のようだ。「日拳からトップに行った選手は、
ボクシングの渡辺二郎さん以来。キックでは猪狩元秀さん、長江国政さんが活躍されましたけど、僕も勝っていって日拳の強さをアピールしたいですね」

[ 長島☆自演乙☆雄一郎活躍の舞台裏1 「日拳の強さをアピールしたい」と初めて聞いたのは昨年9月 ] 「Fight& Life」最新号で担当した、長島☆自演乙☆
雄一郎の「日本拳法スタイル」についての記事がちょっとした話題になっていてうれしい。……が、この企画、自分から提案したものではなかった。宮地編集長に
企画のことで話したのは1月も押し詰まった頃。こちらから提案したのは、「自演乙に見る自己プロデュースの大切さ」だった。K-1出場が決まり、入場コスチュームの
準備の様子などにからめて彼をここまで押し上げた要因の一つである自己プロデュースについて、考察するというものだった。だが、編集長の答えは「それよりも
彼について興味があるのは、日拳のことですね。入場のことなんかは他の媒体もやるだろうし、ストレートの印象が強い日拳出身の彼がフックを多用している
点なども含めて、取材できませんか」というものだった。それでさっそく、別件の取材で会った長島本人に打診。練習やらプロモーションやらで多忙な中だったが、
快諾をもらった。それは何より、以前から「日拳の強さをアピールしたい」と語っていた彼の希望に合ったからでもあった。記事中にも書いたが、彼のファイト
スタイルについては大きく2つの誤解があった。「総合ファイター」で「フック主体」というものだ。確かにキック以前に総合を経験しているし、先日のK-1MAX
でも見られたようにフックを多用するのも確かだ。だが、本人の意識の中ではどちらも違う。それを確認したのは昨年9月、初めてインタビューした時だった。
NJKF後楽園大会に出場するので、大阪にある魁塾でオフィシャル用に取材したのだったが、「総合出身らしい闘い方ですよね」と振ると、「いや、僕の基本は
日拳ですよ。確かに総合もやりましたけど、総合でも日拳スタイルでしたから」との答えだった。さらに、MARS時代から右ストレートで勝ってきたのは
見ていたので、これも確認。「得意なのはストレートですね」と。ただし、その後の大会パンフでは「得意技」の項目は「自演行為」になっていたが。
「日拳の強さをアピールしたい」という言葉を彼の口から初めて聞いたのが、その時だったのだ。そこから約半年、ようやくその取材ができた。また、そこで
彼が明らかにしているテクニック(の一端)がK-1MAXという大舞台で実際に生かされていたのだから、タイミング的にもバッチリだったのではないかと思う。
編集長の目論見がズバリ当たった形だ。実際、彼の中で日拳の占める割合は大きい。大学4年間を費やした部活動なのだからそれも納得なのだが、日拳時代の
友人たちとの交流も今でも盛んなようだ。1月14日のMAX 抽選会の後、ちょっとした打ち合わせがあって別の場所で長島と合流したのだが、行ってみると
ジム関係者の他にも数人、知らない男性がいた。聞いてみると、日拳部の先輩や仲間だという。彼らにとっても長島のMAX出場は、知人が大舞台に出世したと
いうことでもあり、また日拳の強さがアピールされる機会という点で喜ばしいことだったはずだ。余談だがこの抽選会の時、長島は「魔法少女リリカルなのは」
というアニメの登場人物「ヴィータ副隊長」のコスプレで登場していた。が、打ち合わせの時はビシッとスーツ姿。「会見が終わった後の方が、会見らしい格好
してるなんて……」と、彼の計り知れなさを改めて思い知ったのだった。しまった、スーツ姿の写真を撮っておけばよかった!ある意味、貴重ショットに
なったはずだったのだが。ともあれ大舞台でその実力とキャラクターを存分にアピールし、一躍“時の人”となった長島。では、ここまでの試合はどうだったのだろうか?
次回からは、「MAX以前」の彼の闘いを振り返ってみることにする。(Fight&Life vol.11の記事もご一読ください!!)(高崎計三 2009年02月27日 17:31)

[ 長島☆自演乙☆雄一郎活躍の舞台裏2 総合時代の超レア写真公開! ] 長島の公式戦績は、MAX出場決定時点で11戦11勝(8KO)。実は一時期、この数字が
微妙に変動した。情報操作やねつ造があったわけではない。当初、プロフィルとして発表された戦績の中で、本人としてはプロデビュー以前という認識だった
試合が含まれており、その分が削除されたのだ。といっても、削除された分も全て勝ち星だったのだから、知らんぷりして含んでおいてもよさそうなものだが、
こういう点に彼の格闘家としての一面も垣間見える。ここでもう一度、彼の闘いの歴史を整理しておこう。小・中で柔道、高校で空手を経験。空手では全日本
ジュニア準優勝という成績も残っている。そして高校生時代の02年、神戸で行われていた“プロ柔道(打撃あり)”の大会、「J-DO」に1度、出場している。
この「J-DO」出場準備の過程で日本拳法に出会い、大学で日拳部に入部。4年次の06年に西日本学生選手権ベスト4、のじぎく兵庫国体一般男子の部2位という
成績を残している。その後、04年に神戸で行われている立ち技イベント「格闘武道会ACCEL」に「拳法代表」として出場。05年末までに3試合し、全勝(1KO)
している。前述の「削除された記録」はこの3試合のことで、本人の認識としてはこの3試合は「セミプロ時代」ということだ。総合に出場したのは05年8月の
POWERGATE大阪大会が最初で、この時はのちにパンクラスにも上がっている高田谷悟に1R一本負けを喫している。 06年4月からは「Team Boon!」所属で
総合の大会「REAL RHYTHM」のアマ部門、「ダブルアール」のライト級トーナメントに出場。4月の2試合、7月の決勝と3試合全てを1R勝利で決め、堂々の
優勝を果たした。同年10月にはパンクラス大阪大会でパンクラスゲートに出場、ここではわずか12秒でKO勝利。ちなみに対戦したのは昨年1月、DEEPフューチャー
キングトーナメントを制した長堂嘉夢だ。翌11月にはREAL RHYTHM大阪大会に出場、これが総合プロデビュー戦となるが、この時は柴博に2R判定負けを喫した。
総合戦績はここまでで、プロ・アマ含め6戦4勝2敗ということになる。キックでのデビュー戦は07年4月のNJKF大阪大会で、1RKO勝利。リングネームに
「自演乙」がつくのはこの試合からで、前述の11戦11勝(8KO)というのは、ここから08年12月のDEEPでの試合までをカウントした数字、ということになる。
実際に筆者が長島の試合を目にしたのは07年10月、MARSでの丸山純一戦だった(実は06年10月のパンクラスゲートも取材しているはずなのだが、残念ながらメモ、
写真、記憶ともに残っておらず……)。この試合ではキックルールで1RKO勝利。だが、彼が「一番自分向き」と言っていたのは、次の12月大会から経験した
「ブラスターバウト・ルール」だった。このルールは極めて大ざっぱに言えば、「オープンフィンガーグローブ(OFG)着用でのシュートボクシング・ルール」。
有効な攻撃はスタンドでの打撃(対戦者同士が同意すればヒジもあり)、投げ、立ち関節。投げはレフェリー・ジャッジが有効と判断すればポイントとなる。
グラウンドでの展開はないが、立ち関節技が極まった状態で倒れ込んだ場合は続行となり、タップかギブアップすれば終了、技が解ければブレイクというもの。
立ち技が基本で柔道も通過し、総合の経験もある長島には確かにうってつけのルールだ。長島はこのルールで3試合しているが、スタンドでの突進力は変わらず
発揮していた上、ちゃんと投げ、関節技も出している。圧巻だったのは08年2月のK・ウォーワンチャイ戦、パンチで出してきた相手の腕を掴んで脇固めに取り、
そのまま体重をかけてマットに落とした場面だった。一本には成らなかったが、長島の瞬間的なひらめきと柔軟性、そしてそれを躊躇しない攻撃性がよく
表れたシーンだったと思う(同時に、このルールが選手たちにとっていかに危険かを体現した瞬間でもあった)。のみならず、相手の蹴り足を取ってヒザ十字に
入り、そのままグラウンドに移行するという離れ業も見せている。日拳式のストレートを得意とする長島にとっては、ボクシンググローブより小さいOFGは
ガードの間を通りやすいので都合がよく、加えてタイ人や生粋の打撃系選手には未体験のこのような攻撃も出せる。彼がこのルールで3戦3勝し、王座決定
トーナメントAブロックで優勝した(08年2月)のも当然と言える結果だった。ちなみにこのトーナメント、後日にBブロックも行われたが、それを最後に
MARSの大会自体が行われていないため、王座決定戦は行われていない……。付け加えておくと、この頃から彼のプロフィル写真は「涼宮ハルヒ」のコスプレで、
入場時にコスプレでダンスをするのも今と同じ。トーナメントが行われたのは新宿FACEだったが、作りがコンパクトで入場通路がステージ代わりに使えるFACEは、
彼の入場にはかなり適した会場だった。まだ、彼が“ 知る人ぞ知る”……いや、そのちょっと手前、あたりだった頃の話(といってもほんの1年前だが)である。
彼のキャリアで大きな分岐点となったのは、やはり次のNJKF大阪大会、健太戦だろう。次回はこの健太戦を含め、NJKFでの3試合について書くことにする。
(Fight&Life vol.11の記事もご一読ください!!)(高崎計三 2009年03月02日 10:52)

[ 長島☆自演乙☆雄一郎活躍の舞台裏3 健太に勝利!ヒジはむしろ得意技だった ] 長島☆自演乙☆雄一郎がK-1 MAXで頭角を現すまでの経緯を振り返る
当コラムも折り返し点を越えた。今回は彼の存在がオーバーグラウンドに浮上するきっかけとなったNJKFでの3試合について書いてみよう。08年2月に、その時点で
主戦場となったMARSでブラスターバウトルール・王座決定トーナメントAブロックを勝ち上がった長島だったが、 MARSはその次の5月大会を最後に活動休止状態に
陥ってしまう。王座決定戦を残したまま宙ぶらりんになってしまった長島だったが、次戦は同年6月に決定した。前年、キック・デビュー戦を闘ったNJKF大阪大会である。
ここでいったん話がそれるが、長島の公式戦績にはこの間の5月にタイでの試合が記録されている。マーマイというタイ人に、4RKO勝ち。実は長島はこの時期、
タイで練習を積んでいる。この間の練習について彼自身は多くを語らないが、王座獲得後ににわかに話題となった頃、「ヒジは対応できないだろう」「蹴り、
首相撲はできないのでは?」という声も噴出したが、もっと早い段階で準備はしていたということである。その成果は、次の試合で早くも発揮されることになる。
話を大阪大会に戻そう。この大会は地元・大阪のNJKF加盟ジム「健心塾」が主催のため、同ジムを中心に関西の様々なキック系ジムから、連盟の垣根を越えた
選手が集められた。長島が2年連続で出場したのもその縁からだったのだが、すでに無敗の6連勝中だった08年はメイン(トリプルメインの第2試合)で、
関東からやってくるNJKF王者との対戦という舞台が与えられた。相手の健太は1ヵ月弱前の5月11日、後楽園ホールでNJKFウェルター級王者となったばかり。
K-1トライアウトにも合格しており、連盟としても期待の選手。さらに後楽園では毎回パラパラなどのダンスで入場している。初めて「王者」と肩書きがつく
相手というだけではない。K-1出場を目指し、入場に力を入れる長島にとってはまさに格好の標的となった。入場は、アウェーということでかダンスもなく
サラリと入ってきた健太に対し、長島は2人のダンサーを従えてノリノリのダンスで入場。地元の観客から大きな声援を集めた。そして、いよいよ試合。
1Rからいつも通りのラッシュを仕掛ける長島に対し、健太はローキックで応戦。長島はこのラウンドで早くも、健太のアゴを上げさせるパンチを入れている。
そして2R、長島の左のタテヒジがヒットし、健太がダウン!つい1ヵ月前、ハードパンチャーの古川照明の猛攻にも倒れなかった健太がダウンを奪われた場面は
衝撃だった。さらに続く3Rには、長島の右ヒジで健太が顔面をカット!2Rのダウンの後にもパンチとローで反撃していた健太だが、この時点でのポイント劣勢は
否めない。そして試合は後半戦に突入。実はこれまでのキャリアで、長島が5Rフルに闘ったのはこの日が唯一のことだ。後半は窮地に立った健太がローにつなぐ
コンビネーションで長島の足を効かせ、さらに長島自身の攻め疲れも見えて健太が優勢。勝負は判定に持ち込まれた。宣告された判定は、2-1のスプリット・
デシジョンで長島。リングサイドで撮影しながら取材していた筆者は、ゴング直後には「ドロー」を予想していたが、わずかなポイント差で長島が接戦を制する
形となった。勝った長島はマイクを取り、谷川プロデューサーに向けてK-1参戦をアピールする。だがこの時点では、マスコミもほとんどいない(というより、
記者は自分一人だった)大阪のリングで、彼の声が谷川プロデューサーの耳に届くとはまだとうてい思えなかった。だがここから、急展開が訪れる。この試合を
NJKFの齋藤京二理事長がリングサイドで観戦していたことから、続く9月のNJKF後楽園大会で長島の試合が組まれたのだ。これが後楽園初登場となった長島は、
NJKFウェルター級2位の宮越宗一郎をわずか1分50秒、3ダウンによるKOで粉砕。後楽園に衝撃をもたらした。宮越はパンチ力には自信を持つものの、闘い方は
やや慎重なタイプ。その宮越を打ち合いに巻き込み、右フックをもらっても構うことなくその外側から強烈なフックを返してダウンを奪ってみせたシーンが
この試合の白眉だった。ウェルター級のトップどころを立て続けに破られたNJKFは続く11月大会で、長島をタイトルマッチに抜擢する。ウェルター級1位だった
古川照明と、新設されるスーパーウェルター級王座決定戦を闘わせることにしたのだ。同連盟12年の歴史の中で、加盟ジム以外の選手がタイトルマッチに
起用されたのはこれが初めてのことだった。長島の快進撃の勢いは、この時点でもう止められないほどの勢いとなっていた。彼はこの試合でも、学生ボクシング
出身の古川にほとんど何もさせることなく、またも圧倒的なラッシュで撃破。今度は前戦よりも短い、64秒というフィニッシュタイムだった。ついにベルトを
巻いた長島は、マイクを向けられると改めてK-1出場を希望。その夜には「2ちゃんねる」を中心としたネット上で「コスプレ・キックボクサーがチャンピオンに」
と話題になり、一夜にして“自演乙フィーバー”が始まった。そして、ずっと言い続けてきた「MAX出場」という願いは、翌12月22日、DEEP新宿FACE大会でついに
谷川プロデューサーの眼前でタイ人にTKO勝ちすることにより一気に実現に向けて動くことになる。年が明けて今年1月、本当に長島のK-1MAX日本代表決定
トーナメント出場が公式発表された。その後の大騒ぎは、もう各種メディアでご存じの通りである。その拳とコスプレで、キックデビューからわずか1年半にして
夢を現実にした長島。柔道入門から総合時代までを「第1章」とするなら、キック・ MARSでの連戦連勝を「第2章」というところだろう。長島の格闘ロードは、
MAXを舞台にした「第3章」でさらにさらに大きな展開を迎えることになった。(Fight&Life vol.11の記事もご一読ください!!)(高崎計三 2009年03月04日 17:32)

2009年03月06日(金)01時59分48秒