[ 運営・その他雑記 ] 正確なタイトルは忘れましたが、ムショゾク?ジミン?どっち?みたいなトピックがありました。このトピックを作成した人物は、作成した直後に
コミュニティを退会。その後、議論に加わることはありませんでした。そして今日、ハンドルネーム、プロフィール、写真を変えたうえで再び入会し、上記のトピックを
削除した上、また新たなトピックを作成し、退会しました。荒しと判断し、新しいトピックは処分いたしました。(千葉県知事 森田健作トピック 2009年04月01日 23:59)
こうやってサヨクが総じて火病ってる訳か。やはり俺の言った通り森田健作は超一流の釣り師と言う事でガンガンサヨクを釣っている。これが最大の出来事。
[ おれは男だ! 第8話 剣道部レッツ・ゴー! ] 剣道好きの米国好青年チャック・ファスナー(立川ワシントン)というヘンな外人が、森田さん演じる
小林君の自宅を訪ねる。彼は吉川操(早瀬久美)のアメリカ時代の友人で、ひょんなことから、彼は操にプロポーズをするために日本へやって来たのだという噂が
飛びかう。操としてはチャックには友達以上の感情は持っていなかったのだが。小林君の祖父はその青年をたいそう気に入り、剣道をみっちりしこむ。操と弘二、
さらにバトン部と剣道部の双方の大いなる勘違いが錯綜する。しかしその青年は重大な問題に直面していた。当時徴兵制だったアメリカ、ベトナム戦争に出兵
させられかねない状況に置かれていた。チャックは兵役を拒否して日本にやって来たのだと自ら打ち明ける。「兵隊になることは人を殺すことだ」と心を痛めている。
だが、剣道の稽古中、源之助に言われた「悩みから逃げてはいけない」という言葉がチャックの心を動かし、彼は自らの手で答えをつかむべくアメリカに帰り、
自らの使命を受け容れ、徴兵されることを拒まない決心をする。親しくなったばかりの青年が兵役に就くことに、心を痛めた小林君と吉川さん。吉川さんが「小林君が、
兵隊に行かなければならないとしたらどうする?」と尋ねます。森田さん演じる小林君は「俺だったら、たぶん逃げまくるだろうな」と兵役拒否したいと答える。
しかしこれは森田さんの意に反したセリフだったのです。森田さんは、大学受験する前に自衛官になろうとも思ったほどの、祖国愛が強い人なのです。
祖国日本が危機に瀕した時、勇気を以って闘うとの意志を強くもった人なのです。
[ 森田健作さんに聞く 映画『I am 日本人』に込めた思い ] 子供たちに国への誇りを─団塊の世代の責任とは 森田さんが制作、総指揮、企画、原案を
手がけられた映画『I am 日本人』を鑑賞しました。主人公エミー(アメリカ・カリフォルニアで生まれ育った日系三世の十九歳。亡き祖父の善次郎から、日本人は
礼儀正しく、人情に厚く、武士道精神と大和魂を持っていると聞き、強く憧れて日本に留学)が祖父から聞いた日本と、現在の日本とのギャップにとまどいながらも、
そこから目をそらさず、できることに精一杯取り組んでいく姿に感動しました。 森田「入学式で君が代を歌うのはエミー一人、クラスメイトは国のことなど
関係無いと言う。日本に来て彼女の「祖父の日本」は打ち砕かれます。日本を愛するが故に空回りして周囲と衝突をする。「いったい日本はどうなってしまったの!」。
やり切れない思いを叔父役の私にぶつけるんですね。それにどういう台詞で応えるのか悩みました。脚本は始め「日本人は日本の心を失っちゃったかも知れない…」
としたんですが、「失った」と言ってしまっていいのか。本当にそこまで日本人はダメになってしまっているのかと思った。それで「日本人は日本の心をどこかに
置き忘れてきた」にしました。置き忘れているなら、見つけ出すことができる。だから「俺は日本が好きだよ。日本人に生まれて本当に良かったと思っている」と
彼女に語って、日本をとり戻さないといけないとの思いを込めたんです。様々な努力の末、彼女の結論が「私はアメリカ人です。でも、日本が大好き。
I am American,but I am 日本人」なんです。」
映画づくりの動機は? 森田「国会議員時代、文部政務次官として学校で国旗掲揚、国歌斉唱が100パーセント実施されるようにと頑張っていました。その頃
友人からこんな話を聞きました。アメリカで少年野球の親善大会があり、アメリカの国旗掲揚、国歌斉唱が始まると、アメリカの子供たちは皆立ち上がって
敬意を表した。ところが日本の子供たちは、皆座ったまま。中にはポップコーンを食べながらそれを見ている子もいた。国旗、国歌に敬意を払うことは世界の常識。
それが無い今の子供たちは根無し草なんです。根無し草では世界から尊敬されません。僕は次世代の人達が国を背負い、世界の様々な分野で貢献してもらいたいと
思う。その基本は国への誇り。先人が築いたこの国に敬意を表し、国を愛すること。これを子供たちにしっかりと伝えたいと思ったんです。本来、このような映画は
国が作るべきだと思いますが、誰も動こうとしない。ならば「鳴かぬなら、俺が鳴こうホトトギス」と思ってこの映画を作ったんです。」 映画の反響は?
森田「若い人は素直に受け止めますが、一番悪いのは日教組の教育を受けた団塊の世代、僕らの世代ですね。映画のプロモーションのためにテレビや新聞で
「皆さん、もっと愛国心を持ちましょう。日本人として自信を持とう」と話しています。マスコミを通じて「愛国心」ということを、これ程言った人はいないと
思います。でも抗議の電話も手紙も一つもありません。教育基本法改正の論議で「愛国心の押しつけは良くない」と言われますが、教育基本法は子供たちのために
あるんです。子供たちにはまず、原理原則を教えなくてはいけない。それは押しつけではなく、当たり前のことなのです。私たちは後世に何を残せるのか。
金を残すと問題ばかり起きます。教育を残さないといけない。松竹の先輩の藤岡弘さんも「森田さん、必ずこれは評価される時が来ます」と言ってくれました。」
映画には「武士道」という言葉もよく登場します 森田「僕は教育の柱には武士道をすえるべきだと思っているんです。日本人の本質は武士道にあると思います。
日本という国をここまであらしめたのは日本人の精神性、なかでも武士道に基づく諸々の価値観だったと思います。武士道とは、切った張ったではなく、内に
秘めたる情熱です。忠義を守り、一歩下がって相手に敬意を表して物事を言う奥ゆかしさです。僕はカーッとなって我を忘れる時がありますが、武士道に精通した
人は、少し下がって冷静に物事を見ることができる。非常に奥深いんですよね。日本人は武士道精神を取り戻して、胸を張って堂々としなければならないですね。」
靖國神社について中国、韓国がいろいろ言ってきます 森田「靖國神社には叔父が二人祀られていますが、映画上映前も、スタッフを連れて参拝しました。
靖國神社のことは基本的に他国から言われることではないでしょう。今は当時と国際環境も全て違うわけで、平和裡の今、その全てを精査しようというのは難しい。
昔どこかの山脈に飛行機が落ちて、生存者が死んだ人の肉を食って生きたことがある。僕らが、クーラーが効いた部屋で腹一杯の飯を食って「気持ち悪い。
俺はあんなことしない」と言っても、その場に置かれないと分からないですよ。歴史も同じで、当時の人々の目線を持たないと真実は分からないのです。それよりも、
負けた時こそ身内がかばってあげないと。部外者が何と言っても、身内はよく頑張ってくれたという温情を持たないといけません。それも武士道だと思います。
友好と迎合は違います。主張すべきことは言い、守るべきものは守る、それが外交です。」 その様なお考えは、ご家庭の教育が大きいのですか
森田「私の父は明治生まれの九十八歳で、母は大正七年生まれで今年八十八歳。家の客間には教育勅語が飾ってありました。特に父が重きを置いたのは
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」のところでした。僕は古くても良いものはあると思っています。僕が十九歳の頃は学園紛争が激しい時でした。
『プレーボーイ』という雑誌のインタビューで「俺たちは、二十歳になったら半年間ぐらいは自衛隊に入って、みっちり体を鍛えて、これから成人になるんだという
気持ちを持つべきだ」と言ったら、表紙に「森田健作、徴兵制に賛成」と出た。それで当時通っていた明治学院大学で、二十人ぐらいのヘルメットをかぶった
やつらに囲まれた。そんなこともありましたよ。僕は若い時からそういう考えを持っていました。」 いじめ問題については、どうお考えになっていますか
森田「国会議員時代に「緊急いじめ問題調査チーム」を作って、全国を視察しました。その結論は、校長が本気になって問題に取り組んでいる学校にはいじめは
少ないということです。まず担任と校長がしっかりと指針を出す。担任は毎日、三十数人の子供の顔を見て、朝のホームルームで人間として絶対やってはいけない
ことを語る。担任の教師が「このクラスは俺が守るんだ」という熱意、「任せろ」という責任感でやればいじめはなくなる。僕は一クラス持たせてくれれば絶対に
やってやる自信がありますよ。家庭の躾も大事ですが、集団のルールは学校が教えなくてはいけない。校長が先頭に立ち、担任が自分のクラスに責任を持つ。
その熱意を持っていればいじめはほとんど無くなります。今は一クラス四十人に満たないですが、僕たちの頃は一クラス六十人ほどもいました。いじめや
仲間はずれもありました。昭和三十年代当時でまだ日本が貧しい頃でした。小学校時代、クラスのある子が弁当を隠しながら食べている。薄いアルミの弁当箱に、
入っているのはご飯と梅干しだけの日の丸弁当。クラスの皆は「あいつの家は長屋だ。雨漏りするから鍋と洗面器が多いんだよ。あいつが来ると臭い。毎日
同じものを着ているんだ」と言うようになった。家で母にそのことを話したら、怒られました。「友達に良いことをしたら、友達は良いことを返してくる。
友達に悪いことをしたら、悪いことは必ず自分に返ってくるよ。一度、友達の身になって考えなさい」と。この言葉は、その後の僕の友人関係に大きな影響を
与えています。その後、家庭科の授業でご飯を作る調理実習があって、やっぱり彼は一人になってしまった。僕はその時に母親の言葉を思い出して「あいつは
悪いやつじゃない。おとなしいだけだ」と言って、僕のグループに入れたんです。皆文句を言いましたが、当時、僕は剣道やってて強かったから「じゃあ
お前があいつだったらどうするんだ」と言いました。その後、僕が芸能界に入って青春スターと言われていた頃、突然一通の手紙が届きました。彼からでした。
「君が映画スターになったことは僕の誇りです。君は忘れてしまったかもしれませんが、僕はあの調理実習の日のことをいまでも思い出します。当時の僕は、
みんなにいじめられて、あの日も、学校なんかなくなればいい、もう二度と学校になんか行くものか!と思っていました。でも、そんなときに君に一緒にやろうと
声をかけられて、僕はとてもうれしかったです。いまここでお礼を言います。本当にありがとう」。嬉しかったですね。母に感謝しましたね。」
お母様の教えは本当だったんですね 森田「僕も息子に「良いことをすれば良いことは返ってくる。ただし悪いことをしたら、悪いことは必ず返ってくる」と
繰り返し言っています。子供のふとした隙を親として見逃さないことが大事だと思います。僕は母によく怒られましたが、いつも心の中で(僕は馬鹿だよ。
いつでもこんな家、出て行ってやる)と思ってました。ところがある日、誉められた。「お母さんは誇りに思うよ。お前、学級委員になったんだって」と。当時、
学級委員はクラスで五、六名、頭のいい子供しかなれなかった。転校生が多くて僕はなぜかいつも真っ先に転校生に声をかけていた。そうしたら学級委員の
友達係という役になった。母は「勉強もそうだが、人間は皆、必要があって生まれて来たんだ。だから必ずお前しか持っていないものがある。それを見つけて
頑張れ」と言ってくれました。僕は算数や国語は苦手だったが、体育と音楽は五だった。剣道をやっていたから、後に青春ドラマ『俺は男だ!』で主役ができた。
そして『さらば涙と言おう』という曲が八十万枚の大ヒットとなった。あの時「オール五を獲れ。東大に行け」と言われたら今の自分は無かった。「人はみんな
必要があって生まれて来た」という言葉が、自分の荒れた心の中にすとーんと入ってきた。僕ら親もそれをぱっと見抜くことをしなきゃいけないと思います。」
政治を志されたのは 森田「たまたま『当選確実』という映画を作っていた頃のことです、僕は『森田健作の熱血テレビ』という番組のレギュラー司会者を
していました。当時は宮沢総理、ゴルバチョフの時代で、政治ネタもよくやっていました。その時、民社党の大内啓伍先生とお会いする機会があってこう言われた。
「君、それだけ熱心に言うのなら、やってみないか。実際にバッターボックスに立ってみないとわからないこともある。自分の力で思い切り振ってみないか」と
言われた。なるほど自分で一回やってみないとわからない。それと僕がここまで来られたのは、青春ドラマで応援してくれた皆さんのお陰だ。皆さんの思いを汲んで、
政治をすることが恩返しになればと思ったんです。」 その時はPKOへの自衛隊派遣問題の最中でした 森田「参議院選の東京選挙区から無所属で出ることになると、
民社党、社民連、連合、社会党さんまで推薦してくれた。僕は社会党の田辺委員長(当時)に「社会党さんと私の考えはかなり違うと思います」と言ったんです。
すると「それでもいい。社会党も変わったんだから、君の好きなようにやりなさい」と言われたんです。大田区で社会党がPKO反対集会を企画したとき、僕は
その席で「PKOへの自衛隊派遣に賛成」と言ったものだから大騒ぎになって、もの凄いヤジが飛んだ。その時は台本まで貰っていましたが、僕はそれを無視して
「賛成です」と言った。それは自分の信念まで崩して政治家になりたいとは思わなかったからです。落選することより、政治家としての信念を変えるほうが恥ずかしい。」
千葉知事選に出られましたが、僅差での惜敗でした。一つの争点にジェンダーフリー問題もありました 森田「やっぱりやらなきゃダメだと思った時には
一ヶ月しかなかった。でも一ヶ月だろうが決めた時は俺がやるという気持ちでした。男らしさ、女らしさというのは当たり前。本来、男女は各々の仕事をしっかり
やっていたと思う。だからこそお互いに尊敬し合い、支え合うことができた。それをお互いに「あんた手伝いなさい」となるとわけが分からなくなる。
「うちのお父さんは偉い。掃除、洗濯から、休みには、いつも僕と野球をやってくれる。本当にいいお父さんだよ」と言っても、じゃあ月給を持ってこなかったら
どうする。それでいいお父さんなのか。各々の本分を尽くす。それが基本だと思いますね。 読者にメッセージを 森田「青春と青春時代とは違う。青春時代は
限られた時ですが、青春は各世代にある。五十、六十代の青春がある。青春の終わりは、過去を悔いてばかりの消極的な人間になったり、人の批判に走ったり、
評論家的になってしまった時です。人生良いことも悪いこともあります。けれども過去は過去。良いことをしっかりと持っていればいい。失敗の反省は大事だが、
過去を悔やむ暇があるなら夢に向かって頑張れ。それが私の原点です。他を批判する人に、じゃあお前やってみろと言うとやれないんです。僕は「鳴かぬなら、
俺が鳴こうホトトギス」です。『I am 日本人』も、知事選挙に落ちた明くる日から始めたんです。今何ができるかなのです。今、各地に『I am 日本人』の
フィルムの貸し出しをしています。先日も子供たちの剣道大会の後に私が講演をして映画上映をしました。日本会議の皆さんも、各地区で映画『I am 日本人』を
ぜひ上映して下さい。僕も挨拶に行きますよ。この映画はずっとやっていく映画だと思っています。今が日本にとって大事な時で、踏ん張らないといけない。
全国に同志がいる。俺たちだってやろうじゃないかと思って共に頑張りましょう。」