2009年04月05日(日)この事か。

[ 広島・栗原、原監督に“恩返し” ] 試合を決めたのは4番のひと振りだった。1点を追う八回二死一、二塁、広島の栗原が逆転3ラン。打球を見届けた背番号5は、
右手を何度も高々と突き上げた。オフに右ひじを手術していた栗原は2月のWBC日本代表合宿に参加したものの、一度はメンバーから外れた。このとき原監督から
呼ばれ、直々にこう語りかけられている。「今回はチームの事情からメンバーに入れていないが、君は将来必ず日本の4番を背負う選手になる」。栗原は代表落ちが
決まった合宿最終日も、毎日続けていた居残り特打を敢行。お世話になった篠塚打撃コーチにお礼を言って帰り、原監督を「人間的に素晴らしい」と涙ぐませた。
WBCで横浜の村田が故障したとき、原監督が栗原を追加招集したのは、そんな姿を見ていたからだった。急きょ参加したWBCでは結果を出せなかったが、敵将に戻った
原監督に開幕カードでしっかり“恩返し”。「4番として最高の仕事ができた」という栗原が、また一歩『日本の4番』へと近づいた。(サヨク産経 2009.4.4 23:45)

[ WBC選手選考の裏側で… ] 「私は5人の選手を落としたのではない、28人をピックアップしたのです」原監督は、33人から28人に絞る過程をこう表現した。
この言葉の裏には、一流の中の一流選手に落選を告げなければならない苦渋の想いがあった。22日の練習試合終了後、33人全員を集め、5人の選手の
落選を告げた。その中の一人を、監督は他のメンバーに気づかれないようそっと監督室に呼んだ。広島の主砲・栗原健太。去年、阪神に移籍した新井に代わる
4番に指名され、全試合出場を果たす。そして打率.332 本塁打23本を放つなど、急成長を遂げた新生カープの看板打者。その成長は原監督の目にも留まり、
日本代表最終候補メンバー33人に選出された。しかし、栗原はこの1週間、もがき続けた。オフに手術をした右ひじの影響もあり持ち前の打撃が結果として現れない。
一方で、完璧に近い状態に仕上げてきている他の打者が結果を残し…居場所はなくなった。そんな栗原を、原監督は監督室に呼び、こう話した。
「健太、お前は数年後、必ず日本を代表する4番バッターになるだろう。そのことを感じただけでも、俺はこの合宿で健太を呼んでよかったと思っている。
今回は、一緒に大阪へはいけないが、この経験は必ず大きなものになると信じている。自信を持ってチームに帰ってほしい」すると神妙な顔つきで聞いていた
栗原から笑顔がこぼれ、「ありがとうございます。また頑張ります」と清々しい表情で監督と別れた。そのあと、栗原が向かった先は、この合宿中毎日行っていた
篠塚コーチとの居残り特打。いつものように、木の花ドームでバットを振り続けた。落選が決まったあとにも関わらず、篠塚コーチは栗原のバッティングを見て、
必死にアドバイスを送り続けた。そこには報道陣も黙って見入ってしまうような世界が広がっていた。そして最後に栗原は「1週間、本当にありがとうございました」
と頭をさげ球場をあとにした。この話を伝え聞いた原監督は、「いやぁ、感動する話だね、それは。健太は人格も素晴らしい。やはり将来の4番を背負う男だと
確信した。落選後にそんな行動はなかなかとれない。この話は、若いジャイアンツの選手にもぜひ聞かせたい」と目を輝かせた。そして最後にこう言い残した。
「今年のジャイアンツ戦は、たくさん打たれそうだね。でも僕は心の中で拍手しているでしょう…」

2009年04月05日(日)01時00分47秒