2009年06月15日(月)俗川

あずささんじゃない方の三浦が熱愛?みたいな事でバチーン!とドロップキック的な苦言をブログで呈した河野通文。な流れに関する俺の意見の続きについて。
河野通文なんだが考え方は割と右翼的。但し情報源がテレビや新聞メインと言う事で多少の勘違いをも持っている雰囲気もある。仕方がないけどな。
59歳と言う年齢を考えればバリバリネットに精通していると言う方がむしろ不思議な感触へと繋がってしまう訳で。弟子を大切にし、人を大切にする。

そうした雰囲気がある訳で。不器用だけど義理人情。そんな所の人間だな。少なくとも偽乳よりはマシと言う事で。ミクロン単位での話になるけどな。
そして河野通文で思い出したのは三浦の落馬がきっかけで絶縁となったアドマイヤな近藤利一との話。人のせいにした近藤利一に対しての反論。それを思い出した。

[ 近藤利一オーナーが河野通文厩舎と絶縁した模様〜三浦騎手落馬について ] 競馬評論家清水成駿氏のメールマガジン(清水成駿の競馬春秋・5/22号)によると、
名前は伏せているものの、アドマイヤ冠の近藤利一オーナーが河野通文厩舎(美浦)から所有馬を全て引き上げた模様。理由は厩舎所属の新人三浦皇成騎手が
3月2日に騎乗したアドマイヤベッカムで落馬(同馬は予後不良)した件についてと考えられる。現段階では正式発表はないが、現在河野厩舎にはアドマイヤタイトル
(牡6・放牧中)、アドマイヤワールド(牡4・放牧中)、アドマイヤキック(牡3・未出走・放牧中)の他に先日登録を済ませたばかりのアドマイヤレーン(牡2)などがいる。
同メールマガジンでは三浦騎手と思われる「アンちゃん」(新人騎手の呼称)が「もう、あの人の馬には跨りません」と言ったとあり、「これで東西2人目の
騎乗拒否宣言となった」などとと書いている。SUPER SELECTION メールマガジン「清水成駿の競馬春秋(08/05/22)」【あるアンちゃんの秘かな決意】
「人はええ。馬はどないなったんじゃい」携帯に届いた落馬報告に、そうまくし立てた馬主。人とはジョッキー。それも昨日初めて手綱をとったばかりのアンちゃん騎手。
問題はそれで終らなかった。今度は所属厩舎と馬主が、生産ファームの担当者をはさんでこじれた。結局は同じ冠がつけられた所有馬のすべてが転厩。最悪の形で
幕がおろされた。唇を噛み、うつむくアンちゃん。が、まさに「親」であり、管理馬という財産をなげうち、体を張って自分を擁護してくれた調教師への恩は金輪際
忘れまい。「もう、あの人の馬には跨りません」顔をあげ、キッとまなじり決したアンちゃん。思わず調教師に熱いものがこみ上げる。これで東西2人目の
騎乗拒否宣言となった。今は馬主の時代。それも急速な格差社会の波及で、ほんの一握りの大手馬主がヘゲモニーを握る。彼らの多くは経済社会の勝利者であり、
もっとも嫌うのは負けること。ある調教師はその馬主にリーディング・トレーナーの成績表を目の前に突きつけられ、「よくもこんな成績でワシの馬を預かれるもんだ」
と罵倒された。まさに自社の社員の尻を叩くのと同じ。仮初めにも「師」である。当然のことながら、その厩舎にその冠名を持つ馬はすべて消えた。調教師にとって
冬の時代はまだまだ続く。ただし、今6時をさしている時計の針は必ず12時へと戻る。ここはぐっと我慢、やれることだけを精一杯やって時節を待つより道はない。
そして、もう一つ、預かりたくない馬は預からないこと。乗りたくない馬には乗らないこと。優勝劣敗の社会とはいえ、調教師同士の強い横の連携、調教師と騎手の
縦の連携、これがない限り厩舎に春は訪れない。今まで親身になってジョッキーを育てなかった厩舎のツケもある。目先の利益を捨てて、厩舎全体の利、底上げを
考えるようなリーダーが現れてこそ、初めて一握りの大馬主と互角に渡り合える力を持つことになる。(ヘゲモニー - Hegemonie(独) 主導権。指導的立場。覇権。)

過去にもこう言う事があった。大馬主の近藤利一に歯向かった結果馬を引き上げられた訳でそうなるだろうなと言うのは分かってたにも関わらず
きちんと自分の愛弟子を擁護して来た河野通文。「愛弟子が可愛らしい」と言うのと「曲がった事は許せない」と言うのと。そんな2つの思いがある訳か。
それを今回も見せたと言う事で。そんな感じだな。やり方は一貫している。歯向かったのは今回が初めてではない。理不尽に歯向かっている訳ではない。
理由はきちんと存在している。そんな感じだな。俺も正直例の偽乳は手塚絡みの件で「こいつは競馬を愛していない」と言うのは丸分かりなんで
そう言ったババアが近づいて来ると言う事は当然金が目当てになって来るんだろうな。と言うのは容易に想像が付いてしまう訳で。あまりにも容易にな。

騎手が落馬して怪我をして。治る怪我だったらまだしも一生障害が残ってしまう様な怪我もある。競馬の騎手を旦那にすると言う事は
そうしたリスクを妻も背負っていくと言う事。「障害者」と言うレッテルが貼られてしまった場合に、その事を自分の子供にどうやって教えていくのか。
また、世間との付き合いやもっと広範囲においての社会の目。そうした事とも付き合っていくだけの努力が要る。そうした覚悟が偽乳にあるとは思えない。

春歌18歳の中の人が岡潤一郎のケースを出してきたな。他にも例えば石山繁のケースもある。妻がその闘病生活に関して本を出して綴っている訳で。

そこにいるのは石山繁であって石山繁ではない、別の人物だった。言葉、行動−明らかに事故前のシゲルではない。…シゲルは誰のこともまったく覚えていない。
会う人、会う人すべて、カサハラサンとしか呼ばないのだ。…記憶喚起を促すリハビリの一環として、競馬のムチを渡した。すると、クルクルと上手に回すではないか。
驚きと同時に、「シゲルの体は自分が騎手であることを覚えていたんだ」と喜びを感じる。その次の瞬間…「みてください、カサハラサン!」…頭と体が
まったく別人なのだ。これ以上、どう接していいのかが分からない。(中略)子供たちに助けてもらいながら、犬の散歩に行くトレーニングを始めた。
…次は自動販売機まで行って子供とジュースの買い物。お金を渡す際、計算させるためにわざと1円玉や5円玉を混ぜた。…子供たちは途中で怒られたり、
ビックリしたことを私に伝えてくれる。泣きながら帰ってくることもたびたびあった。だけどレイとリサは、次の日も次の日も喜んでついていった。
「シゲちゃん、今日は怒らなくて偉かったよ〜」(落馬脳挫傷 〜破壊された脳との闘いの記録〜)

落馬してICUに入ってその後一見回復した様に見えても脳が損傷を受けてしまって事故の前とはまるで別人の様な性格になったり、あるいは言動や行動に関して
すぐに忘れてしまったり内容の不一致が存在したりしてしまう事がある。自分の愛している人がこうなってしまっても付いていくだけの覚悟があるのか?だな。
それと「自分に重賞の勝利をプレゼントしてくれたフミノトキメキの事は覚えている」様に全てが全て絶望だらけ。と言う訳ではない。と言う事も付け加えておく。

2009年06月15日(月)22時10分11秒