[ 船橋オートG1「発祥59周年記念オート祭」決勝戦後記 ] 船橋オートで行われていたG1「発祥59周年記念オート祭」は14日、10メートルオープンで決勝戦が
行われ、地元の武藤博臣が逃げ切り、優勝賞金400万円を手にした。武藤は船橋SG「オートレースグランプリ」を2007年に完全Vを飾ったり、同年飯塚の
SG「日本選手権」でも決勝へ進出しているが、G1は初の決勝進出できっちり優勝を飾った。2007年11月24日。同じ船橋のG1「発祥57周年記念オート祭」
2日目の12R。3周回3、4コーナーで武藤が落車した。後続車が避けきれず乗り上げる形で頭部を強く打った武藤は、横たわったまま、ピクリとも動かなかった。
すぐに救急車に乗せられたが、変形したフルフェイスのヘルメットがなかなか脱げず、治療が進まなかった。「むーちゃん(武藤選手の愛称)頑張れ」28期生たちが
かわるがわるに励ましあった。数十分後、ようやくヘルメットが取れ、救護室から船橋市内の病院へ向かい、即日で3時間半にも及ぶ手術が成功。リハビリの末、
2008年5月、船橋の一般開催から戦列へと復帰した。ただ、簡単に元へは戻れなかった。一般戦でこそ優勝は経験したもののなかなかグレードレースでは
決勝へたどり着けない。武藤は振り返る。「復帰してから少し無理して走ったら落車して。まだ体がついてこないんだな、って。それからまたもう1回落ちて。
まずはきっちりとした体勢を作ってからだと思って我慢していました。ようやく最近ですね、自分にGOサインを出したのは」その気持ちに応えるように、今回の
オート祭でエンジンも仕上がり、不安だったタイヤも「同期のまあちゃん(中村雅人選手の愛称)に今ある自分の新品のタイヤを見てもらって。これを使いなよって
言ってもらったのを朝練習で当たり付けしてレースで使いました」好エンジンに同期の思いを乗せたタイヤがマッチして、G1をとることができた。「スタートはある程度
出れば車が行ってくれると思って落ち着いていました。レースでは、まず先頭に立っても誰かわからないが音がずっと聞こえていて。それが少し遠ざかったと思って
周回板をみたらまだまだ周回が残っていて。あと5周、あと4周って周回板を確認していました。長かったですね」さすがに久々の8周回独走は疲れたようだった。
次は山陽G2「若獅子杯」にあっせんがある。「若獅子杯はまだ28期が誰も取っていないタイトルなんで、同期で力を合わせて自分を含めて28期の誰かで取れるように
頑張ります」と次節の抱負を述べた。つきなみだが、すでにG1もSGも勝っている武藤にあえて、今後の目標について聞いてみた。「スピードを生かして、かっこ良く走る。
そんなレーサーになりたい」彼なりのオートレーサーの理想の頂点には絶対的なスピードを発揮して勝つことのこだわりがあるようだ。2007年に完全Vした
「オートレースGP」決勝戦は0メートルオープンの2枠、今回も2枠。結果的にタイトルはいずれも黒の勝負服をまとって勝った武藤だが、あの快速逃げはやはり疾走を
イメージするブラックが良く似合う気がしてならない。表彰式が終わって、彼をささえてくれている同期、整備仲間たちが競走車の周りで待ち構えていた。ロッカーの
上には、ささやかなくす玉が。ひもを引っ張ると拍手が沸き起こる。「ありがとうございます」丁寧に頭を下げる武藤。涙はなかった。苦しいときも見守ってくれた仲間たち
には涙などみせなくとも、分かち合う気持ちがかよっているからだ。「この優勝で(長期休養、さらにタイトルを取れなかった)2年分を取り戻してくれた感じ」と武藤。
「もう一回(SGを)取れて完全復活といきたい」その機会は11月の伊勢崎「日本選手権」ですぐにでも訪れるかもしれない。(木村重成記者の「レースの裏側」)