2009年12月01日(火)see the bright 5.

うみねこアニメ2話のなっぴーが「来てはいけません!お屋敷に戻っていなさい!」と言う「前」戦人は傘を左手に持っていた。「来てはいけません!お屋敷に(略)」と
なっぴーが止めようとした直後。戦人は「右手」で持っている。言う前は「戦人:左 朱志香:左 譲治:左」言った後は「戦人:右 朱志香:左」「譲治:左」になっている。
作画ミスとは到底思えない。「戦人がここで入れ代わっていた」「複数の人間が戦人と言う名前を名乗っている事への示唆」と考えるのが1番しっくり来る訳だが。

それ以外の内容だと「真里亞は左利き。無理矢理矯正されて右利き。真里亞の中では左と右がごっちゃになっている事への示唆」が有力視される。
以前の日記にも書いた通り「夏妃が朱志香の肩に手を置いた時の手は左手(銃は右手)」「夏妃が電話を取った時の手は右手(銃は左手)」と言う混同もあった。
「戦人は複数居る」説を取るか、それとも「真里亞は左と右がごっちゃになっている→矯正された事への裏付け」と取るか。これは人それぞれで見解が分かれる所。

碑文に見立てての殺人。「××を抉りて殺せ」の××に該る身体のパーツは「頭、胸、腹、膝、足」の5つ。人間の身体で1つしかないのは「頭と腹」だけ。
胸は左と右がある。同様に膝と足にも。…刺された部位によっては左利きの犯行右利きの犯行が分かる?犯人はそれを避ける為に身体の真ん中を刺した?

アニメEP1で夏妃が「朱志香は嘉音くんの手当ての手伝いをしています」と発言した。夏妃にはそう言っておいて朱志香は南條先生と共に行動する。
朱志香と南條がグルだった場合南條はここで偽証が可能となる。本当はこの時にこの後の夏妃殺しの為に必要なギミックを準備してた?夏妃は他殺だとしても
誰かが「直接」引き金を引いたとは宣言していない。トラップを仕掛けて殺してもいい訳だ。ひぐらしでトラップと言えば沙都子。ヒントと言うか連想は可能。
実は嘉音くんなんて最初から居ませんでした。戦人が見た嘉音は実は紗音でした。(紗音のデカパイはまりあ†ほりっく的に考えると偽パイ。小林ゆう的な意味で)
紗音の変装にまんまと騙されておっぱいソムリエのはずの戦人が偽パイを見抜けなかった!そなたは無能だ!になっても不思議はない。

そもそも。「無能」の対は「有能」つまり戦人が無能だと指摘されるには「有能だと思っていたのに」と言う前置きが必要となる。有能だと思っていたのにダメだった。
戦人が何らかの分野で「有能である」と言う描写があるとすれば「おっぱいを見抜く眼力」ぐらいしかない。なんでも鑑定団で鑑定士の鑑定結果と
実際の評価額が全然違ってて鑑定士涙目wwwの様な展開を想定すればいい。「戦人はおっぱいソムリエのはずなのに本物かどうかを見抜けなかった」と。

まぁ例えばその分野を極めたと思われている人でもミスはする。オートレースで例えれば「高橋貢だって負ける時はある」様なものか?
それが戦人の場合は紗音絡みなのか?真里亞は女の子だから紗音と一緒にお風呂☆とかすれば紗音の生パイは見られる訳だから真贋は知っているはず。
仮に嘉音が偽者の存在だったらアニメ内で紗音が嘉音と喋ってた時間本当は紗音は別の事をしていた可能性がある。もしもその時間紗音が真里亞と一緒に
お風呂に入っていて「うー、紗音おっぱいそんなにおっきくない、うー」「あ、あれはですね…戦人さまが、お胸の大きい女性が好みとお聞きしましたから…」
「うー?紗音、戦人の事が好きなのー?」「えっ、そ、そんな事ありませんよ(照)」みたいなガールズトーク(笑)を繰り広げていたとした場合
真里亞は直接見ているので紗音の本当のおっぱいのサイズを知っている。戦人は直接見ていないので紗音の本当のおっぱいのサイズを知らない。となる。

そもそも紗音に限らずうみねこで巨乳の女キャラの生パイを戦人は直接見ていない。復唱要求!紗音のおっぱいは本物の爆乳ちゃんである!生パイ見せろ!!
とは言っていない。まぁそんな事言っても拒否されるのが普通だとは思うが。使用人は朱志香の「嘉音くんは居る」と言う妄想に付き合っていただけ説。

…そもそも貧乳キャラばっかり演じている釘宮理恵が巨乳キャラって時点でおかしいだろ、声優的に考えて…。ルイズもシャナも貧乳じゃねぇか…。
復唱要求!紗音のおっぱいは本物の爆乳ちゃんである!生パイ見せろ!!お前単なる変態じゃねぇか。だって釘宮だぜ?釘宮…。なぁ…?

ついでに書いておくと戦人が紗音のおっぱいを揉もうとした時にあと数センチの所まで来ても紗音が抵抗しなかったのは使用人ってそう言う物だから。
楼座が真里亞に対してずっとそこに居なさいと命令すれば使用人が勝手に動かす事は不可能。じゃあせめてお手紙と傘を渡しましょうぐらいの勢いで。
紗音のおっぱいがあと数センチで揉める!となった時に朱志香が殴ったのは朱志香は紗音が偽パイだと知っていた?うぜぇぜの意味が分からない。
普通あそこだったら「だからテメぇに揉ませる乳なんざねぇっつってんだろ!」の方がしっくり来る。あそこで戦人に触らせたら朱志香に取っては都合が悪い?

そもそもソムリエと言うのは「ワインを選ぶ手助けをするワイン専門の給仕人」の事。だからおっぱいソムリエと言うのはそもそも言葉の用法としては間違っている。
またワインが出てきたよ。ボルトレーズといいおっぱいソムリエといいうみねこにはワイン絡みの描写が多過ぎる。きんぞー☆の故郷に関係あるとかそう言う事か?
碑文で今最も有力視されているのが台湾説な訳だが「台湾にワインってどんぐらい普及してるんだ?」と軽くぐぐってみたらそんなに普及はしていないっぽい訳だが。

ソムリエはフランス語。日本語ではピンと来ないがフランス語には男性形と女性形がある。イタリア語、スペイン語、ポルトガル語にも男性形と女性形がある。
ソムリエの女性形はソムリエール。マリアージュソルシエール。魔女は女性形では「ソルシエール(Sorciere)」だが男性形では「ソルシエ(Sorcier)」になる。
マリアージュソルシエールは「左利き同盟」と仮定する俺の説が正しければ「女の子限定」になる。どうして女の子限定?左利きは男でも居るだろ。
かつては男が居た?戦人?戦人が左利きをバカにしたかなんかして除名されて男なんていらない的な感じでソルシエからソルシエールに変わった?
縁寿が入れたのは女だったから?もしも縁寿が弟だったら入れなかった?わざわざソルシエールなんて女性形の名前をつけたのは戦人に対するトラウマ?
戦人が6年ぶりに帰って来た!と言うのは六軒島を左利きの島みたいな暴論で仮定すれば戦人18歳だとして当時12歳だからその時にバカにした?
真里亞が当時3歳で朱志香が当時12歳。12歳時の男女の力関係と言うのは…男の方が上?男の子と女の子の成長曲線は違う。女の子の方が成長が早い。
時々同い年でも女の子の方が大人びてないか?と言う様な構図になる事もある。…しかし12歳だったら男の方が上?バカにされて言い返せなかった?

フランス語はラテン語からの派生言語。バレンタインデーとか言われてる例の俺にとっては忌ま忌ましい日をフランス語で言うとバレンタインという男性の聖人は
St.Valentin(サン・ヴァランタン)と読む。英語だと「St」は「セント」と読まれ「saint(セント)」と翻訳される。きんぞー☆的には本来は戦人に対しては
「ばとら」ではなく「セント」とつけたかった?漢字を無理矢理当てはめると「聖人」になる。薔薇の品種に「セントセシリア」がある。うみねこキャラの名前は
薔薇の名前から取った。と言うルールにも逸脱しない。きんぞー☆がフランス語に堪能だったかどうかは知らないが「St」を「さん(三)」と置き換えて
「3人目の子供には聖なる人的な意味の名前をつけよう」とか思った?丁度戦人が3人目の子供?譲治が1番の年上。朱志香と戦人が同い年だが日付的に
朱志香の方が先だったら一応抜けられる。戦人の誕生日が7月15日とEP3では明らかになっている。朱志香の誕生日がこれよりも早いか遅いかは不明。

ちなみに7月ではないが9月15日は「悲しみの聖母の記念日」と言う事でキリスト教では聖母マリアの記念日となっている。もしも真里亞の誕生日が
9月15日だった場合真里亞と言う名前をつけさせた理由も頷ける?但し真里亞の誕生日に関する言及はどこにもないので検証不能。あくまでも仮説。

うみねこEP3で出てきた07151129の後半1129はそのまま解釈してはいけない説:仮に戦人は本当は「ばとら」ではなく「セント」と付けたかった名前とした場合
聖人と言えばキリスト教的にはイエスキリスト。キリストの誕生日には諸説あるが最も有名な日付は12月25日。きんぞー☆の年齢が何歳かは知らないが
仮に80歳を超える様な男だったとして1986年で80歳なら生まれは1906年で太陰暦が太陽暦に変わったのが更に20年前だから実はその日付は
太陽暦ではなく太陰暦と考えてみる。「明治5年12月3日を明治6年1月1日とした」ので12月は31日あって3日と言う事は28日分が一気に消失して
いわゆるクリスマスがすっ飛ばされた。クリスマスは12月25日でそこから28日分を引くと11月29日…になると思うんだが正直良く分かりません(汗)

つまりあの数字は「戦人はばとらとか言ってるけど本当は聖人(せんと)とつけたくて聖なる人と言えばキリスト教的にはイエスキリストだから
イエスキリストの誕生日とされているクリスマスを太陰暦で現すと日付が28日戻るからそしたら11月29日になりますよ〜」的な暗示?相当に苦しいと思うが。
「せん」で「聖」とは普通結びつかない。日本人が「せん」で始まる言葉と聞いて思い浮かべる単語。となると「戦争」「先生」「先頭」「千円」みたいな単語になる。
「と」で「人」はまぁあるとしても。そこら辺の宗教絡みに詳しい人間がきんぞー☆からこう言う名前をつけろと言われた時に気がついての回避みたいな行動?

真里亞の名前は救いを求めたきんぞー☆の思い説:地獄とは、仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。地獄は、サンスクリット語で
Naraka(ナラカ)といい、奈落(ならく)と音写されるが、これが後に、演劇の舞台の下の空間である「奈落」を指して言うようになった。

ひぐらし解のOPが「奈落の花」なのでまぁヒントと言うか「目茶苦茶だろ」な暗示中の暗示は一応ある。1986年時点で朱志香18歳、真里亞9歳。
真里亞誕生時には朱志香9歳。9と言う数字がやたらと出て来る。9と言う数字は仏教でもダンテの「神曲」でも地獄の数を現す数字となっている。
地獄に仏。と言う言葉がある様に自分の孫が9歳と言う年齢に達した時になんらかの不幸が起きる?ときんぞー☆が考えていた場合、その不幸を
和らげると言うかなんらかの対抗手段を用いる為に朱志香が9歳になった時に生まれた娘に聖母の名前である所のマリアと言う読みの名前をつけた?

仏教の地獄。地獄の種類に「阿鼻地獄(あびじごく)」がある。「殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人、父母殺害・阿羅漢(聖者)殺害。」これで9つ。
犯持戒人とは「尼僧・童女などへの強姦」を意味する。つまりレイプと考えていい。…仮に源次が子宝に恵まれない夏妃の原因を夏妃ではなく
蔵臼の無精子症に求めたとして源次が夏妃をレイプしたと考えた場合(レイプと言う認識になるのかそれともいけない愛と言う認識になるのかは微妙な所だが)
まぁこの地獄には当てはまるだろうなぁと。ちなみに夏妃は神社と言うかそこら辺の御家から嫁いできたと言う設定がある。あれ?神社じゃなくて寺だっけ?

神曲での地獄。神曲において地獄の世界は漏斗状の大穴をなして地球の中心にまで達し最上部の第1圏から最下部の第9圏までの9つの圏から構成される。

ダンテの神曲の原題はイタリア語で「La Divina Commedia(神聖なる喜劇 ディヴィーナ・コンメディア)」うみねこEDのじまんぐ(笑)が歌ってる曲のタイトルが
「la divina tragedia 〜魔曲〜」となっている。イタリア語もフランス語同様に男性形と女性形が存在している。ダンテの神曲のオマージュ?

[ 『神曲』の成立 ] ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が
大きい。またダンテはヴェロナのパトロンであるカン・グランデへの書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。
『神曲』地獄篇は1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが
分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ地方の
方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。『神曲』では実在の人物の名前が多々登場する。ウェルギリウスに地獄界の教導を請い、煉獄山の
頂上でダンテを迎えるベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名である。しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。ダンテは
それを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた(ダンテ・アリギエーリの項も参照)。『神曲』に登場するベアトリーチェに関しては、
実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。実在の
モデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を
核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。しかし、非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが
出会ったのはともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時の9時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の
倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。

ここでベアトリーチェの名前が出て来る。ダンテの神曲へのオマージュは有名ではあるがやたらと「3」だの「9」だのと言う数字が出て来る。足すと12。24時?

モンサンミシェル(Mont Saint-Michel)とはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院である。カトリックの巡礼地のひとつであり
「西洋の驚異」と称され、1979年「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。

聖バレンタインデーの虐殺(St.Valentine's Day Massacre)とは、1929年2月14日にシカゴで起きたギャングの抗争事件である。別名、聖バレンタインデーの悲劇、
血のバレンタインとも呼ばれる。事件はアル・カポネが指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていたバッグズ・モラン一家のヒットマン6人及び通行人1人の計7人が
殺害された。事件自体はそれほど重要というわけではなかったが、犯人たちがパトカーを使い警官に扮していたこともあって全米中のマスコミの注目を集めた。

きんぞー☆はギャングだった?第1の晩で6人が殺される訳だがきんぞー☆が既に死んでいる事も含めれば丁度7人となって上記の事件の殺害人数と一致する。
ん?ちょっと待てよ?そもそも「ギャング」ってなんだっけ?ごめん言葉ではそれとなーくイメージは沸くんだけど明確な定義が思い出せない。辞書を引いてみると
「暴力的な犯罪集団」とある。まぁ確かにそうなるわな。仮にきんぞー☆がギャングだとして碑文を解いたら黄金を与える?寄付?贖罪?そう言った善意か何か?
朱志香が18歳で18年ぐらい前にきんぞー☆を贖罪の意識に向けさせる何かがあった?碑文は1984年4月公開だからもしくはその時に何かあった?
2年前と言うと朱志香が結婚出来る年齢になった事ぐらいしか思い浮かばない。朱志香の結婚相手に関係がある?戦人といとこ同士で結婚?出来るのか?

日本では古来、由緒正しき家では平行いとこ婚(父が兄弟・又は母が姉妹)はタブーじゃったが、交差いとこ婚(親が兄と妹・又は姉と弟)はむしろ好まれておった。

2ちゃんの書き込みがソースなのもどうかと思うがこれが本当だとしたら朱志香と戦人の結婚をきんぞー☆が認める可能性はある。但し設定とは齟齬が出るが。
きんぞー☆の血を引いているのが朱志香の父親は蔵臼で戦人は留弗夫だとした場合父が兄弟になりタブーとなる。どっちかが嘘設定で無いとタブーとなる。
…普通に考えたらここは蔵臼が無精子症で源次と夏妃の子供が朱志香と考えるのがしっくり来るんだが。そうすれば戦人と結婚する事はタブーでは無くなる。
その事を朱志香は知らない。朱志香は本当に蔵臼が自分の父親だと思っている。と言う事か?もうめんどくさいから六軒島の連中全員遺伝子鑑定しろ!(汗)

フランス語やイタリア語は男性形と女性形がある。フランス語やイタリア語はラテン語の派生。うみねこの登場人物名でラテン語が由来なのは霧江1人だけ。
「キリエ」はギリシア語の(kyrios - 主)の呼格を「ラテン語読み」したもので「主よ」を意味する。霧江が最上位?霧江が黒幕?いずれにしても怪しいなぁ。

アニメのEP1で真里亞が「みんな幸せになるんだ…!」と顔芸を使って喋っている。ここでの「みんな」は六軒島に親族会議で集まってきた奴ら。と定義する。
それは真里亞自身も含まれる。つまり真里亞は自分が死ぬと言う事を分かっている?それとも生きたくない、みんな死んでしまえばいいと言う様な思考?
この時点での真里亞は自分は幸せではないと思っている?「うーうーモード:幸せのカケラ」「きひひひモード:不幸のカケラ」と定義出来ないか?

戦人が「ベアトリーチェを見たのか!?」と言ったのに対して真里亞は「誰かのせいにしたくない時だけベアトリーチェの存在を信じるの?矛盾してるよ」
みたいな矛盾と言う言葉を使って返答した。つまり具体的に「見た」「見ていない」とは言っていない。ここでの真里亞はYESかNOかを「言っていない」件について。

「見た」と言えば妄想の中の存在でしかないベアトリーチェが居る事を証明しなければならないので無理。「見ていない」と言えば自分が嫌な事があった場合
それは魔女のせい、ベアトリーチェのせい、としてきた事が否定される。「矛盾してるよ」は戦人ではなく真里亞が自分自身に向けて喋った言葉と解釈出来る。

ベアトリーチェは天狗説:2ちゃんで「天狗じゃ天狗の仕業じゃー!」と打ち込むと天狗のAAが「はいはいわしのせいわしのせい」と言うセリフつきで書き込まれる。
何か嫌な事があった時に現実逃避と言うか誰かのせいにしてやり過ごそうとする意識の相手先、帰依の先がベアトリーチェと言う事?否定されると苦しい?

「心配しなくてもいいよ、もうすぐ黄金郷の扉が開かれる…」と真里亞が発言してる。何故そう言えるのか。楼座は既に碑文を解いている可能性がある?
実は毎回毎回楼座は黄金を発見している?楼座が黄金を発見すれば「仕事が忙しくて真里亞の相手が出来ない→仕事をする事でお給料が貰える→
黄金があれば楼座は仕事をしなくても良くなるから楼座は真里亞の相手が出来る様になる→いつも家に居なかった楼座がいつもよりも家に居てくれる?」事?

もしかして楼座は今回の親族会議の前に「この親族会議が終わったらママのお仕事も一段落するからそしたら真里亞ともっと遊べるよ?」みたいな事を
真里亞に対して喋っていた?ある意味死亡フラグ?この時点の真里亞は楼座が死んでいる事を知らないはず。楼座が居ないのは「死んでるから」ではなく
「黄金郷へと只今向かっております最中です!」と考えたから?真里亞がここで全てを悟って実は今のママは偽者みたいな事を考えた場合
誰かにママを殺して欲しいと考えても不思議はない(偽者のママが黄金をゲットしたら確実に自分はもう要らない扱いをされて殺されるだろう→留弗夫の
今夜俺は殺されるだろうな発言は『真里亞が楼座に殺される(楼座はもう既に碑文を解いている→真里亞に今回の親族会議が終わったら
これからは真里亞と一緒に居られるからねみたいな事を喋って懐柔させようとしたが子供って時々凄く鋭いから実はそう言う甘いセリフを吐く事で
楼座が真里亞に愛があって甘いセリフを吐いたなら気付かなかったんだろうが子供って時々凄く鋭いからそう言うセリフを聞いた時点でピンと来て
EP4の魔女真里亞による楼座の100回殺しの際に自分の嫌な事を全て押しつける天狗の様な存在のベアトリーチェにママは無罪か?それとも有罪か?と
言わせてママは有罪だ!と言う側にスイッチを入れた?そう言うセリフを聞いた事で逆に真里亞は楼座に不信感を持った事が100回殺しの投影となった?)

楼座2号(偽者)が親族会議で黄金を発見した場合→真里亞は不要になって殺される 発見出来なかった場合→虐待を受けて殺される(かもしれない)
この場合真里亞が生き残る為には「楼座以外の人間が碑文の謎を解いて楼座よりも先に黄金を発見し黄金を楼座の手に渡らせない様にする」しかない。
それでEP3では絵羽が生き残る事には成功したが「本来発見して欲しかった人とは違う」と言うイレギュラーが発生した?戦人に発見して欲しかった?
少なくとも真里亞の中で「大人は汚い」と考えていた場合EP1のお茶会で大原ベアトが初登場!となったシーンで「子供しかいない(親組が居ない)」事への
説明がつく。真里亞は知っていた?楼座だけは実は死んでいなかった?EP1の農園倉庫の中で南條が検死をしたのは楼座の死体(らしき物)だった。偽証?

仮にあの中で死んだふりがあったとしても周りが死体だらけの中で自分1人だけが死んだふりって言うのはすんげぇ怖くねぇ?→俺が書いている
楼座は既に偽者に変わっている楼座2号説で楼座は訓練された楼座です、だったらなんとかならないか?……かなり苦しい話ではあるが。
正直「幾ら楼座が無双出来るからと言ってさすがにそれは無理なんじゃねぇの?」と言う事で個人的には「かなり厳しい」と言う風に思っている。

むしろ「親組は7人」「最大で6人が死亡出来る第1の晩で死亡したのが全員親組だったとしても最低1人は生き残る」本来のカケラはそこは楼座だった?
EP2はある意味理想通り?普段のママは真里亞を守ってくれない?守って欲しいと言う妄想を投影したのが例の楼座無双?楼座2号(偽者)は逆の反応?

サソリのお守りが渡った順番→真里亞が戦人と朱志香に渡す、戦人は無くしたと言って嘘をついたがその後真里亞に返した、朱志香は夏妃に渡した。
真里亞は何故戦人と朱志香にお守りを渡したのか→戦人も朱志香も左利きで真里亞も左利きと言う以前の日記で書いた「左利き同盟」の相手だから?

EP1で夏妃が親組の中で残りEP2で楼座が親組の中で残ったのは朱志香と真里亞が喧嘩した?「目的は一緒でも手段は違う」と言う事の具現化?

朱志香の目的は「朱志香は戦人の事が好き。でも戦人はそれに気付いてない。戦人に黄金を見つけて貰って次期当主となり、朱志香を政略結婚でも
なんでもいいからとにかくあたしを嫁に貰ってくれよ!と言う事による求婚と言う事か?自分の母親の夏妃が政略結婚で右代宮家に来ている事を知っている。
政略結婚と言う概念を知っているのでとにかく戦人が朱志香への愛が視えなくても嫁にさえしてくれればそれでオッケーだと考えた?」

真里亞の目的は「楼座(偽者?)に黄金を見つけられると自分は死んじゃう。楼座(偽者?)以外に黄金を見つけて貰えば楼座(偽者?)の野望は阻止される。
でも大人はみんな汚いから大人ではなく自分と同じ子供組に見つけて欲しい。同じ左利き同盟の朱志香の事も考えた場合戦人が見つけるのが都合がいい?」

「目的は一緒でも手段は違う」と言う事の示唆としてEP1で夏妃が銃を向けて源次、南條、熊沢、真里亞の4人を部屋から追い出した。
夏妃と同じ部屋に残ったのは夏妃、朱志香、戦人、譲治の4人。加齢臭臭い部屋に真里亞だけが残る違和感。真里亞が「うー 臭いー」とか言っても不思議無い。
朱志香と真里亞が一緒にメッセージボトルを書こうとして夏妃の扱いをどうするかでそこだけは喧嘩になった事への示唆?不和の魔方陣がどうたらこうたらとか
言って勢力が分かれた訳だがその分かれた原因となったのが頭に血が登って銃を持ってギャーギャーと喚いた夏妃。もしも夏妃がここで超がつく程
冷静になって「未知の人間が居なければ。この中に犯人が居るとすれば、全員が全員を監視している限り、犯人は手出しも出来ないはずです。
…もしもこの中に犯人が居ないとすれば、私たち全員が協力しあって、その犯人を捕まえて、警察に提出する事を心掛けましょう。いいですね?」とでも言うはず。

つまりあの部屋で起きた出来事は「夏妃の扱いを巡って朱志香と真里亞がここは対立した」事への投影?朱志香と真里亞は目的は一緒でも陣営は別?
EP1では夏妃を生かす事を優先し、EP2では楼座を生かす事を優先して手を打った?EP1の殺し方が割と現実的でEP2の殺し方が割と非現実的
(殺した後でお腹にお菓子を詰めるって…。1人何キロのお菓子があれば詰めきれるのかは知らないが1人2キロだったとして2×6=12キロ。
それと6人分の臓物はどうするんだ?どうやって処理するんだ?焼くのか?焼いちゃうのか?誰がそんなめんどくさい事するんだよ…)なのは
真里亞は算数が苦手だから?魔法やオカルト以外の事はやはり小学生レベル?縁寿がテストで35点を取ってもクラスの平均点は2点程度しか下がらないのも
算数が苦手な真里亞が考えた妄想だから?1980年代の小学校での教育カリキュラムがどうなっていたのかは知らないが2008年の小学校3年生の場合

「掛け算は3年生の5月」「割り算は10月」「余りのある割り算は12月」「2桁の掛け算は1月」に教えるとされている。うみねこの原作には以下のセリフがある。

「男に逃げられて酔い潰れたいその次の日があんたの授業参観ッ!! 泣き腫らした目を厚化粧で誤魔化して、あんたが的外れな発言をしてクラス中から
失笑されてた時の私の気持ちなんて、あんたにどころか、世界中の誰にもわからないでしょうよッ!! あんたが嫌い、大ッ嫌い…!!! そしてこれまでに
あんたを本当に愛したことなんて、ただの一度もないッ!!!」

真里亞は学校での勉強はあんまり得意じゃなかった事への裏付けはこれで取れる。アニメで出てないから微妙ではあるが真里亞の学力の裏付けはこれで取れる。

あの部屋に手紙を置いたのは源次説:源次は右利き。EP1で鍵をテーブルの上に置いた時に使ったのは左手。普通鍵は利き手で持つよな?落としたら困るし。
それをわざわざグーの手で握りしめていたのは慣れない左手で鍵を持っていたから?右手には手紙を持っていた?…つまり、源次と南條がグルだった場合
「南條がそのメタボ体型を使って視界に影を作る」事で可能となる。後は熊沢と南條を言いくるめさえすれば成立する。真里亞は先に書いた天狗理論によって
自分の都合のいい様に解釈をする。言う事で「あぁベアトが置いたんだ」と思い込む事によって言いくるめたのと同じ様な効果を発揮させる事が出来る。

南條の体型は関西テレビの馬場鉄志並みだから隠す事は十分可能。あんまりこうやって書いてリアルを使って例え話をするのもどうかとは思うが。つまり
「源次が置いたのを熊沢、南條が見た。真里亞はテーブルの高さの都合上見えなかった。熊沢と南條さえ言いくるめれば自分が置いた事を隠す事は可能」となる。

置いた人と書いた人は別である説:手紙が丸文字っぽいのは「書いたのは紗音」「置いたのは源次」で抜けられる。アニメのEP1で紗音が見回り中に
黄金蝶を見たと言うのは紗音が幻想に迷い込んだのではなく紗音が幻想を作り出した事への示唆。つまり紗音は被害者ではなく加害者。
朱志香が南條と一緒に居た時に朱志香が南條に渡してそれを南條が源次に渡した。と言う説も考えたんだが手紙を渡す動作をもしも誰かに見られたら。
もしも部屋の中で手紙を回している所を夏妃辺りに見られたらジエンド。だったら最初から紗音が書いて予め源次が持っている方が見られる心配も無い。
手紙の封筒をどうやって複数分確保したのか。朱志香が持っている?あんなスカートだとスカートのポケットには入らないな。上着?ポケットあったか?
少なくとも源次はキーをポケットから取り出した様な描写があった。キー3つが入る様な大きめのポケットだったら手紙も折り畳まずに入れられるはず。

つまり「紗音と源次はグル」「EP1で源次は夏妃を殺そうとしたけどサソリのお守りがあったので殺せなかった」「しゃーねーから紗音殺すかで紗音を殺害」
「紗音の死体だけ顔が半壊していたのはイレギュラーだったから。右が半壊していたのは右利きの犯行だったから。紗音が涙目になっていたのは
信じていた源次に殺されたから」で抜けられる。もっと言えば南條が別に関西テレビの馬場鉄志並みの体型が無くても「源次と熊沢と南條はグル」で十分。
その他の死体が顔を全壊されていたのは「顔も見たくない」と言う慣用句を投影した物だと思っている。慣用句って具現化したらグロの塊だよな。

真里亞に対してはEP1で真里亞の薔薇ーうー!でずっと薔薇庭園に居なさいと言われた時に手紙と傘を貸してくれたベアトリーチェなる存在が居て
その時に見た「手紙の封筒」が片翼の書いてあるそれだったら例え誰が置いたにせよ「ベアトリーチェからの手紙」と認識するんだから言いくるめたのと同じ事になる。
誰がその時の真里亞に傘を貸し手紙を渡したのか。源次が渡したとも考えた訳だが男がベアトリーチェを名乗った時に真里亞がどう言う反応をするのか。
源次が「いや私はベアトリーチェだったんですよ?実は」とか言って男がベアトリーチェを名乗る事を真里亞が受け入れるかどうかによって変わって来る。

それはさすがに「ねぇよw」と思うので俺は紗音だと思っている。薔薇庭園の真里亞に傘と手紙を渡すと言う事はそれは逆に言えば薔薇庭園に真里亞が居る。
と言う事を知らなければ渡せない。月曜日から大井競馬が昼間開催になっている訳だがそれを知らずにナイターだと勘違いしたら大井競馬は見られない。
例えるならそう言う事で。楼座の虐待を見たのは「朱志香、戦人、譲治」の3人だが俺はむしろ「雨が降ったら薔薇庭園を気にする人間」の方が重要だと考える。

例えば。カープファンが「今日のマツダスタジアムでの試合出来るかなぁ。天気がなんか曇って来たんだけど?」と思えば「雨を気にする人間」となる。
薔薇庭園の天候が気になる人間。俺は紗音だと思ってる。EP1で嘉音が肥料らしき物を運んでいた。あの嘉音は紗音の変装だと思ってる。薔薇庭園を
管理しているのは紗音。譲治が紗音に指輪を渡すシーンもそれ絡み。真里亞の薔薇は紗音の薔薇庭園の中にある。薔薇庭園は紗音を象徴する物だと考える。

アニメで真里亞が「ベアトリーチェは真里亞たちじゃないもん!ベアトリーチェはいるんだもん!」と言っている。真里亞「たち」じゃない。複数形。
つまり「源次でも熊沢でも南條でもない」「当然真里亞自身もそれに含まれている」となる。それでいて「薔薇庭園の真里亞を引っ張ってでも
屋敷に連れ戻す!と言う様な強引な事が出来ない立場の人間」となると使用人しか居ない。俺は嘉音なんか最初から居ないと思っているので除外。
真里亞たちじゃないと真里亞が言っているので源次でも熊沢でもない。郷田は既に殺されております。…となると紗音しか残らない件について。

薔薇庭園で「そのうーうー言うのを止めなさいっつってんでしょお!」と言って真里亞を引っぱたく楼座。まぁ有名なシーンだわな。「右手で真里亞の左の頬」を
叩いている。俺はあの自重しないうみねこの次回予告にも意味はあると思っている。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
紗音がおっぱい絡みでキリスト教での有名なセリフをパロっている。真里亞の左の頬ではあるが楼座から見れば右になる。手の甲ではなく手の平で叩いている。

「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることに
なるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の90%くらいの人が
右利きだということを考えると、ぶたれる頬は「左頬」が自然です。相手から「右頬」を打たれる、というのは何だか不自然です…?そこで、Wikipediaの
"Turn the other cheek"の項や、「右頬を…」という言葉を解説した文章を読んでみると、とても興味深い(もっとも支持されている)説を知りました。それは、
この言葉で勝たれているのが、「右手の甲で相手の右頬を打つ」という状況だった、ということです。確かに、右手の甲で相手の顔を払うように打つのであれば、
(頬をぶたれる側からすれば)右頬が打たれることになります。そして、古代のユダヤ世界では、「手の甲で相手の頬をたたく」ということは、非常に相手を侮辱する
行為で、自分より「階級・地位」が下である者に対してのみ行うことが許されていた、というのです。また、当時は左手は「悪い」側の手とみなされていて、自分の
主張などを行う際には使うことができませんでした。だから、「右手の甲で相手の頬を打つ」というのは、「自分より地位が下のものを、侮辱しつつ叱責する」という
目的で「ごく自然に行われていた」行為であった、というわけです。なるほど、だとすると、「最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問は
氷解します。…だとすると、今度は次の疑問が湧いてきます。「さらに奥にある疑問」が浮かんでくるはずです。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という
言葉は、一体どんなことを言おうとしてるのでしょうか?「左の頬を向けられ」たら、(右頬を打った)相手はどうするでしょう?左手は使えませんから、左の手の甲で
「左頬」を打つことはできません。だとすると、右手の掌で相手の左頬を打つことになります。…しかし、(自分より相手の地位が下だとみなす行為である)手の甲で
相手を打つのではなく、「掌で相手を打つ」ということは、相手を自分と対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、
「自分と同等の人間である」と認める行為になってしまうわけです。(頬を打った側の人は)大きなジレンマを抱えてしまうことになるのです。つまり、この言葉は、
単なる「相手の暴力・差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味ではなく、「暴力は使わず、根本の意味におけるより強い抵抗を示せ」という言葉であった、
というわけです。旧約聖書の「目には目を」という「報復行為」と対比されることが多いために、私はこれまで単なる「無抵抗主義を示す言葉」だと思っていた
わけです。しかし、実はそうではなかった…ということがとても面白く、興味深く感じたのです。

つまり楼座のビンタ行為は「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を自分と同等の人間であると認める行為。ママと娘なら同等ではないがあの楼座が
楼座2号(偽者)だった場合「ママと娘ではなくなる」ので「同等」「同じ人間同士でしかない」となる。楼座のビンタ行為は楼座が偽者だと言う事の暗示か?

真里亞が数ある曲の中からちょうちょうを歌った理由:歌だったらなんでもいいって言うんだったら「君に、胸キュン。」でもいい訳だ。嘉音と朱志香と真里亞で
「六軒島少年少女合唱団」とか言って歌えばいいおw まぁそんな冗談は置いといて。理由は単純に「楼座が死んだから」でいい。もっと正確に書くのであれば
「楼座が死んだ事を真里亞が悟ったから」でいい。幾らあんな暴力的な女でもそれでもやっぱり「ママ」って呼べるのは楼座だけだろ真里亞的に考えて。

親族会議の前に楼座が「この親族会議が終わったらママのお仕事も一段落するからそしたら真里亞ともっと遊べるよ?」みたいな事を言っていたとする。
真里亞が観測している「生きている人間」の中に楼座が含まれている可能性が次々と無くなって朱志香が夏妃にサソリのお守りを渡していた事を知って
ここで初めて「楼座が(確実に)殺された」事を知ったと言う事で。それまでは生きていると考えていた事が否定された。最初はきっと「あんなママが居なくなって
せいせいした」ぐらいの事は思っていたんだろうが段々悲しくなってきた。「あんなママでも恋しくなった」と考えればそれで。電話を掛けた理由は
大体の場合において楼座は出掛けていて楼座との会話は電話だったから。「電話口で喋る行為」が真里亞にとっての「当たり前」だったから電話を掛けた。
誰がその電話を受け取ろうと構わなかった。そんな所か。問題なのは「誰が電話に出るかは分からない」事か。譲治が出る可能性だってある訳だが。
そのルーレットさえ「どうでもいい」とさえ思えれば「真里亞の心を満たす為」の電話だった。と考えるの1番しっくり来る。イレギュラーがEP1から既に発生していた説。
そこで真里亞が殺されなかったのは真里亞が戦人からサソリのお守りを貰っていたから。「夏妃殺害未遂」も「真里亞殺害未遂」も同じ理由になる。
「サソリのお守りを見て殺すのを止めた」とすればやはり源次が殺したと考えるのが自然。南條の膝は左膝。熊沢の足は右足。南條は正面から。
熊沢はうつ伏せにさせてから。これで済む。その後源次が死んでいるのは自殺。人間の身体の構造上、左利きだろうが右利きだろうが身体の真ん中に手は来る。
座禅を組む様な感じで手を重ねてみると分かる。碑文は「腹→膝→足」の順番ではあったがそれは発見時に発見した人がそう思えばいいだけの事であって
実際の順番と発見された順番は関係ない。つまりそれはミスリードであって実際に殺された順番は碑文の通りとは限らない。と考えた方が無難。
顔を抉っているのは顔も見たくないと言う慣用句から。楼座は悪い魔女に操られている的な事を言う真里亞だから例えば源次が「私も悪い魔女に操られて
楼座様を…」みたいな事を言えば真里亞が信じる可能性がある。あの手紙を置いたのは実は私ですとか言えばより信憑性が増す事になる。

ただ源次がストレートに「楼座さまは死にました」とは言わないだろうな。おそらく「楼座さまは遠くへ行ってしまいました」ぐらいに包んだ言い方をすると思う。
「楼座が遠くへ行った」「遠くへ行った時の連絡手段はいつも電話」「電話を使えばママとお喋り出来る?」「勿論でございます、真里亞さま」とか言って
「真里亞さま、お歌でも歌ってみては如何でしょうか。きっと受話器の向こうの楼座さまにも届くと思います」「ママはちょうちょうを教えてくれた。
ママにちょうちょうを聞かせたい。でもお歌が途中までしか分からない。なのはが…なのはが…」「真里亞さま、その続きはですね…」とか言って教える。
ちょうちょうの歌詞が古い歌詞になっているのは源次からの受け売りだから。と考えれば納得が行く。歌を教えてから自殺した。と考えるのが無難だな。

アニメ本編で楼座が「小学4年生にもなって」って口にしてたんだな。ごめんそれすっかり失念してた。と言う事は1986年10月時点で小学4年生。
と言う事は真里亞の正確な誕生日の日付は「1976年10月4日−1977年04月1日」で「小学校入学は1983年4月」になる。84で2年、85で3年、86で4年。
「クラスでなんて言っていじめられているか!」と言っている。俺の想像が正しければ「ぎっちょ」か?小学校入学前までは左利きでも良かったけれども
小学校入学後にはぎっちょとか言っていじめられて右利きに矯正させようとしたけれども上手く行かなくてそれで段々ムカついてきて虐待した。…但し。

真里亞が9歳である事が本当だとして1977年生まれで1984年には7歳。満年齢?そもそも真里亞の明確な誕生日と言うのが提唱されていない。
もっと厳密に言うと今回の親族会議が行われたのが1986年10月3日から10月4日。9歳よ!と言ったのは1日目だから「1986年10月3日時点で9歳」となる。

真里亞の正確な誕生日は推定で「1976年10月4日以降」なおかつ「1977年10月3日よりも前」になる。真里亞が小学校4年生と楼座が口にしている。
真里亞の正確な誕生日の日付が「1976年10月4日−1977年04月1日」の間であれば「小学校入学は1983年4月」になる。
真里亞の正確な誕生日の日付が「1977年04月2日−1977年10月3日」の間であれば「小学校入学は1984年4月」になる。

「小学校入学は1983年4月」なら1986年10月の時点で真里亞は小学4年生。「小学校入学は1984年4月」なら1986年10月の時点で真里亞は小学3年生。
もしも真里亞の誕生日が9月15日なら「1976年生まれ」だとした場合1982年4月に小学校に入学する事になる。なので「1977年生まれ」しかない。

1976年9月15日生まれ→1986年10月の親族会議の時に真里亞は10歳。 1977年9月15日生まれ→1986年10月の親族会議の時に真里亞は9歳。

「真里亞が小学校4年生と楼座が口にしている → 86年で4年、85年で3年、84年で2年、83年で1年。楼座が正しい事を言っていれば入学は1983年。
真里亞の誕生日が9月15日だとして小学校入学が1983年4月なら真里亞の生まれた年は1976年となって1976年9月15日になる。真里亞は10歳。

…あれ?合ってなくね?俺は子供が居ないんで分からないんだけど普通自分の親って自分の娘が「今」小学校何年生なのかはすぐに把握出来るよな?
例えば教科書の表に「小学3年生の算数」とか書いてあったり。あるいは「3年生の遠足会、みたいな冊子が親に配られました」とか。

これに無理矢理整合性をつけるとなると「今の無双とかしてる楼座は偽者。真里亞は9歳と言うデータだけを与えられた。だから9歳と口にする事が出来る。
但し真里亞の「誕生年月日」は良く分かっていない。データとして与えられていない。だから小学校何年生かは知らなかった。暗算で4年生だと計算して
それを口にしたが実はそれが間違いだった。真里亞は本当は小学3年生。「3」と言う数字がここで出て来る。普通自分の子供の学年を親は間違えない。

真里亞が誕生日プレゼントに貰ったさくたろうを引き裂く事が出来たのも「それが誕生日プレゼント」だと知らなかったから。真里亞の誕生日に関するデータは
「9歳」とは知っていたが「何年何月何日生まれ」は知らなかった。そこで発生した矛盾により「無双とかしてるあの楼座は偽者」と考えるのが最もしっくり来る。

EP1で秀吉と絵羽の部屋のひょうきん族が写ってるテレビが横長ブラウン管テレビに見えるのは1998年当時のテレビと言えばそれだから。
結局は縁寿が最上位に居る?縁寿の知識で物語の一部が上書きされている?1986年にドラゴンクエストが発売。2000年にドラゴンクエスト7が発売。
と書けば1986年当時のテレビと1998年当時のテレビがどれだけ違うか。と言うのが分かるはず。1986年当時のテレビと言えば正方形に近いだろ。

郷田は裏でなんかコネ持ってる説:EP1でボルトレーズがどうのこうのでステーキを出してきた。六軒島の親族会議なんだから高そうなお肉なんでしょうね。
神戸牛のサイコロステーキ肉が100グラム辺り1575円。(kobegyu.jp)これよりも高いだろ。勿論物価の違いもあれど。親7人子供4人。合計11人分用意する。
…ステーキ肉なんて「1頭の牛からこれだけしか取れません!」の代表的なもんだからそれを11人分用意するのは実はコネが無いと無理?
郷田はそう言うコネがある?料理絡みで怪しい所は全部郷田のせいにすればいいや。味が怪しいと感じたら食べないと言う方法もある。回避するにはそれ?
ちなみに郷田と言えば空耳ではあるが「マジカル☆郷田☆シェフ」の呼び方が有名。しかしマジカルは英語、シェフはフランス語。…またフランス語が出てきたよ。

碑文は秋田説?:北海道説を提唱していた訳だが行き詰まったのでチェス盤をひっくり返してみる。楼座が真里亞を嫌っているのは真里亞がうーうー言う様な
いわゆる知恵遅れにも似た症状を見せているからもう育てたくない!と言う様な内容。楼座が死ねば真里亞を育てなくてもいい。楼座にとっては痛い思いをするが
死にさえすれば真里亞とは縁が切れる。真里亞がママを殺す。と言うのはママにとっては殺される出来事ではあるが逆に真里亞が楼座に手を掛ける事で
楼座にとっての「救い」に真里亞が「成る」事が出来る。ある意味「聖母の名前を与えられた」真里亞の面目躍如。アニメの中で「100回殺したけどまだ足りない」
と言ってもう1回殺した。合計101回。「マリア」で「101回」と言うワードでの関連性が強いのは秋田県。「秋田の聖母マリア」と言う物がある。

秋田の聖母マリア(あきたのせいぼマリア)とは、日本の秋田県にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」で起きたとされる一連の奇跡現象を意味する呼び名。
英語名はOur Lady of Akitaという。秋田の聖母マリアは、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、日本より海外での知名度の方が高い。
1981年9月15日、悲しみの聖母を記念するこの日に101回目の落涙現象が記録された。と言う現象の事を差す。出来事は1978年から1982年までに起きた。
きんぞー☆の碑文は1984年4月に公開された物なので時系列的には矛盾しない。真里亞の誕生日は9月15日?記述は無いが9月15日と仮定しておく。

”故ヨハネ・パウロ2世教皇様の執務室の机には、秋田のマリア様の写真が置かれていました。以前、私は、バチカンの尻枝神父様から、それを写真で見せて
いただきました。ラッティンガー枢機卿様(現教皇・ベネディクト16世)が枢機卿になられてからの最初の仕事は伊藤司教様による秋田の奇跡についての
報告を聞き、それを取り扱うことでした。”

EP2でのスカイライナー沙汰云々は北海道へ行ったのではなく北海道経由で秋田に行った?これでも「北海道へ遊びに行った」と言う発言の内容とは矛盾しない。
1日目は北海道で遊び、2日目は秋田で遊んで帰って来たとして「どこへ行ってたの?」と聞かれて「北海道!」と言う事に関しては何の矛盾も無い。卑怯だが。
秋田新幹線の開通は1997年なのでそれ以前であれば空港経由で秋田へ行く方が普通。成田空港→新千歳空港→秋田空港と言う順番か?
アニメで嘉音が「次の1000年を待て!」みたいなセリフを吐いた訳だが「1000年→千年→千年は『ちとせ』とも読める→千歳(新千歳)」と言う考え方も出来る?
但し新千歳空港の開港は1988年なので矛盾する。千歳空港(現:千歳基地)の方なら矛盾しない。縁寿が観測したのが1998年なのでその時点であれば
既に新千歳空港は開港している。1986年時点と1998年時点とのでの矛盾の現れ?そもそもスカイライナーで成田へ行ったと言う観測が間違い?
北海道へ行った事は行ったが実は全く別の手段?スカイライナーの様に描写されていた電車は本当は違う電車だった?EP2で描写されたのは東京駅?

東京から北海道を経由して秋田入りと仮定して北海道へは飛行機。千歳(嘉音の言った1000年とはこれか?)で降りて道内旅行。その後秋田へと言う事か?

懐かしき、故郷を貫く鮎の川。(鮎→淡水魚で海に出る魚。海の近く。 川→羽越本線) 黄金郷を目指す者よ、これを下りて鍵を探せ。(秋田駅から南へ行け)
川を下れば、やがて里あり。その里にて二人が口にし岸を探れ。(口と言う漢字を縦に2つ並べると日になる。日のつく岸→日本海。日が『に』と読める。)
(もしくは里を→りと読んで由利高原鉄道。二人が口にし、とは複数の路線が乗り入れている駅の事→羽後本荘) そこに黄金郷への鍵が眠る。

由利高原鉄道 鳥海山ろく線:羽後本荘(うごほんじょう)、薬師堂駅(やくしどう)、子吉駅(こよし)、鮎川駅(あゆかわ→これが怪しい)、黒沢駅(くろさわ)、
曲沢駅(まがりさわ)、前郷駅(まえごう)、久保田駅(くぼた)、西滝沢駅(にしたきさわ)、吉沢駅(よしざわ)、川辺駅(かわべ)、矢島駅(やしま)

第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ。(分かりません) 第二の晩に、残されし者は寄り添う二人を引き裂け。(分かりません)
第三の晩に、残されし者は誉れ高き我が名を讃えよ。(秋田誉と言う酒があるんだが、これか?) 第四の晩に、頭を抉りて殺せ。(分かりません)
第五の晩に、胸を抉りて殺せ。(分かりません) 第六の晩に、腹を抉りて殺せ。(分かりません) 第七の晩に、膝を抉りて殺せ。(分かりません)
第八の晩に、足を抉りて殺せ。(同文) 第九の晩に、魔女は蘇り、誰も生き残れはしない。(同文) 第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷に至るだろう。(同文)

羽後本荘をローマ字読みにすると「ugohonjo」になる。駅の数は12あるじゃねぇか!とか言われたら「曲沢は1989年開業」なのでそれは除外する。
碑文の公開が1984年4月なのでその時点で無かった駅は曲沢、久保田、吉沢の3駅なので12駅から3駅を除いた残りは「9」駅。

由利高原鉄道 鳥海山ろく線(碑文公開時点):羽後本荘(うごほんじょう)、薬師堂駅(やくしどう)、子吉駅(こよし)、鮎川駅(あゆかわ→これが怪しい)、
黒沢駅(くろさわ)、前郷駅(まえごう)、西滝沢駅(にしたきさわ)、川辺駅(かわべ)、矢島駅(やしま)の以上9駅。第十の晩に旅は終わってんだから矛盾は無い。

ラベンダーとかどうすんだよ→由利本荘市(羽後本荘駅がある自治体の事ね)には「ハーブワールドAKITA」なる施設があるからラベンダーもまぁ矛盾は無い。
誉れ高き我が名→名高山と言う山が秋田県には一応ありますが。 誰も生き残れはしない。→終点なら乗客は誰も残らない。てかみんな降りるしかねぇし。
黄金→稲穂。収穫時期はそれはもう黄金色に輝くだろうよ。秋田県はあきたこまちが有名だからな。ついでに言うと秋田県へは特急「いなほ」が走ってる。

創業以来130余年の年月に培われた伝統と、秋田の麗峰鳥海山の伏流水から造り出される『美酒 天寿』。
この地でできる最高を目指すこと。なによりも「おいしい」と言っていただける酒を目指し、天寿は挑戦し続けます。 うみねこ→名前に海と入る鳥→鳥海山

北海道説よりはある程度まともに説明出来たけれども正直全くチンプンカンプンな件について。留弗夫の「あちらさん」は「東京の太平洋側に対する
秋田の日本海。日本海側は何故か裏日本みたいな言い方をされるよな。伊豆諸島が太平洋側で秋田が日本海側ならまぁ矛盾は無いと思うが…」で抜けられる。

2009年12月01日(火)01時33分05秒