2009年12月09日(水)碑文朱志香説まとめ修正版の簡易版

「懐かしき、故郷を貫く鮎の川。」(懐かしきは故郷ではなく川。懐かしい川。故郷とは金蔵のではなく碑文の主に対しての物とする。故郷は六軒島)
「黄金郷を目指す者よ、これを下りて鍵を探せ。」(遡った時間を下る。過去から現在へと向かう) 「川を下れば、やがて里あり。」(里とは人の集まる所。転じて家)

「その里にて二人が口にし岸を探れ。」(二人とは時計の長針と短針。長針が男、短針が女。重なるのは12時だけ。岸→騎士→夜。なので夜の12時)
(里を家と解釈。二人を両親と解釈。両親が家で口にするのは子供の名前。岸は頂上と解釈して長女と置き換える。つまり朱志香本人の事)

鍵とは『朱志香と一緒に夜の12時に時計の前に集まる事』を差す。 「鍵を手にせし者は、以下に従いて黄金郷へ旅立つべし。」で冒険開始。

「第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ。」(朱志香の名前は「Jessica」で7文字だが文字の種類は6。6人=6文字ではなく6人=6種類と考える)

「第二の晩に、残されし者は寄り添う二人を引き裂け。」「第三の晩に、残されし者は誉れ高き我が名を讃えよ。」(残されし者。と言う主語は共通なので
裂いて讃えても讃えて裂いても結果は一緒。オートレースで例えると『優勝は高橋貢』と『高橋貢は優勝』の意味は同じ。ここは入れ換えた方が分かり易い)

「第二の晩に、残されし者は誉れ高き我が名を讃えよ。」(ジーザスクライスト。Jesus Christ)
「第三の晩に、残されし者は寄り添う二人を引き裂け。」(寄り添う2人とは名字と名前。それと戦人の名前。バトラ。バとラを裂いて薔薇。それと朱志香と戦人の存在も)

ここで「薔薇庭園にて右代宮戦人の名字と名前が裂かれて朱志香と戦人も一緒に居たのを1人ずつにして以降は朱志香が戦人を見守りながら行動を進めます」とする。

「第四の晩に、頭を抉りて殺せ。第五の晩に、胸を抉りて殺せ。第六の晩に、腹を抉りて殺せ。第七の晩に、膝を抉りて殺せ。第八の晩に、足を抉りて殺せ。」
(殺すのはキリストの個人名Jesusの方。「J、e、s、u、sの順番」で殺していく。Jはjust、つまり「今から」開始。eはeast(東)、sはsouth(南)、uはup(上)、sはsouth(南)。
現実には、薔薇庭園を上記の様に進んでいくとそれぞれの地点で何らかの思い出の品がある。とかそう言う事とかで戦人にとっての思い出が蘇ってくる)

(抉ると言うのは「ひねる」と解釈する。頭、胸、腹、膝、足を捻る。つまり身体は後ろに向く。後ろ見や→右代宮。と考える。思い出の品を見て何かを思い出したら
後ろに居る朱志香にその事を聞いてみる。思い出したら次へ行く。その繰り返し。頭は出産時に赤子は頭から出る、胸は赤子は乳を吸い、腹を満たして膝を折る。
そして足を浮き上がらせて笑う。その情景をここでダブらせてもいいだろうな。おそらくは戦人が赤子の時に関する思い出の品物。写真とかおしゃぶりとかだろうな)

「第九の晩に、魔女は蘇り、誰も生き残れはしない。」(魔女は英語でwitch。同音異字のwhichに置き換える。戦人=セントと言う二重人格がここで蘇る。
二重人格がひとつになれば戦人の人格にセントが入り込み、セントの人格に戦人が入り込むのでどちらも元々の形としては生き残らない。生き残れはしない)

JessicaとJesusのスペルに共通してない文字はiとcとaとu。残されたのは右代宮、キリスト(Christ)。使うのは「i、c、a、u、右代宮、Christ」の6つ。
「二人が口にし」の二人を「日本人とアメリカ人」の様に解釈する。日本人が「ゆー」と言えばアメリカ人は「You」と解釈する。以降は「aはare(aの単独読みは
あ、と、えー、の2つがある)、cはsee」と口にした時に聞こえる単語に置き換える。iは口にした時に聞こえる単語が他に無いのでそのままIとして使う。

残された単語をアナグラムで置き換える。「You are 右代宮 Christ.」「I see.」として「キリスト=聖人=saint=セント」とする。翻訳すると
「あなたの名前は右代宮セント(聖人)です」「分かりました」にでもする。二重人格だった右代宮戦人の人格戦争に蹴りをつける事になる。
ここは「セントとしての人格が蘇る」のではなく「セントであった事を思い出して戦人との人格とひとつになる」と解釈した方が面白いのでそう解釈する。

「第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷に至るだろう。」(旅はジプシーと考える。ジプシーとはエジプトからやって来た人という意味のエジプシャンの頭音が
消失した単語の事。エジプトで使われているのはアラビア語。アラビア語は右から左に書く唯一の言語。転じて右利きから左利きへ。と言う解釈とする。
うみねこの片翼もEP5の散からは右向きから左向きへと変わっているので感覚としては符号する。真里亞の利き手がしょっちゅう変わる事もこれで説明が付く)

「一つは、黄金郷の全ての黄金。」(本当に黄金があるのかどうかは知らないがとりあえずここはそのまんま札束とか金塊とかそう言う事にしておきましょう)
「一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。」(死んだキリストが蘇る→復活祭→転じてセントの人格が蘇る事、saintとは死者を意味する言葉でもある)
「一つは、失った愛すらも蘇らせる。」(肉体が蘇るだけではなく『I=自我』すらも蘇る。自分が誰なのか?と言う存在を取り戻す事が出来る)
「一つは、魔女を永遠に眠りにつかせよう。」(魔女→witch→which→つまり選択する事がもう無い→二重人格ではなくなるよと言う意味)
「安らかに眠れ、我が最愛の魔女ベアトリーチェ。」(家督争いの終焉。碑文の終了。かつて存在していた人格はいずれにしてももう居ない)

碑文は朱志香の壮大なラブレター。これが「碑文朱志香説」の概要。1つの文章に2つ以上の答えが載っているので碑文を与えられた側の人間たちが
何故か知らず知らずの内に「1つの文章に答えは1つ」「文章の順番を置き換えてはいけない」と決めつけてしまう。そうすると絶対に解けなくなってしまう。
竜騎士が「狡い」と評した理由はそこにあると俺は考える。竜騎士がこれを思い付いたのはドラゴンクエスト6へのオマージュと仮定する。(ニコ動sm227441)

2009年12月09日(水)01時25分51秒